巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

信じること、生きること、愛すること

痛み、苦しみの意味(セラフィム・ローズ修道士)

Fr. Seraphim Rose, Father Sraphim Rose: His Life and Works(引用翻訳) 人はなぜ、快楽や幸福ではなく、むしろ痛みや苦しみを通し、事を学ぶのだろう。 それは、快楽や幸福がこの世に与えられたもので満足するよう人を慣らすのに対し、痛みや苦しみは、―…

教理的シフトゆえに牧師廃業に追い込まれた ‟落伍者” に注がれている主の憐れみーージェイソン・スティールマンの霊的旅路

出典 2018年8月26日記事の再掲載です。教義や教派問題で葛藤し、あるいはなんらかの事情で教会に躓いてしまい、現在、どこにも信仰共同体や共感し合える仲間を見出すことができずにいる方々にとってこの記事が励ましとなりますように。苦しみの只中に…

清い魂

出典 スワン・サンナ兄の証ビデオを観ました。スワンは、インド北西部(ミャンマーとの国境沿い)の山岳地方に生まれます。(マニプール地方に住むゾミ族)。バプテスト教会牧師であった父親が米国カンザス州にある神学校で学ぶことになったのを機に、スワン…

キリスト者の一致について(by C・S・ルイス)

C・S・ルイス(1898-1963) 「それぞれの宗派伝統の中心部にいる人々――自分たちの特定コミュニオンにもっとも熱烈なる忠誠心を示している人々――は案外、互いに最も共通点が多いのだ。問題は、猛烈にアンチ・エキュメニカルなそういった人々がそのこ…

観想的生について(ライサ・マリタンの霊的日誌より)

出典 The Journal of Raïssa Maritain, p.215-216(拙訳) ルーズ・リーフに書き留められたものをライサの死後、夫のジャック・マリタンが整理・編集。このメモ書きには日付はない。1936年から1939年の間に書かれたもの。 「静まって、わたしこそ神…

ふるさとの訛なつかし

元プロテスタント教会ユースパスターでカトリックに改宗されたキース・ネスター氏が、「カトリック教会に対するプロテスタント信者の誤解ベスト5」を身振り手振りを交え、真に迫って解説しておられます。

和解の小さな一歩――「宗教改革記念日」を前に

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」 ヨハネによる福音書 13…

私たちの隣人(by マリア・コルナルー)【友情寄稿】

執筆者:マリア・コルナルー。学生コラムニスト。ギリシャ共産党員の家庭に生まれ、無神論者として育つ。大学2年の時、キリスト教(ギリシャ正教)に回心。エスティア新聞やエンディモ学術誌、Ἑνωμένης Ρωμηοσύνηςサイトなどに政治、宗教、哲学関係のエッセ…

神の国の顕現(by トリフォン修道院長)

出典 Abbot Tryphon, Manifesting the Kingdom, The Morning Offering, 19 Oct, 2021(拙訳) 福音は、この世に神の国の到来を告げるようキリスト者に要求します。――政治的イデオロギーによってではなく、個々のキリスト者の自己変容によって。

「プロテスタント的」という揶揄表現の乱用について

www.youtube.com ↑「プロテスタンティズムに対する四大カリカチュアについて」by バプテスト教会G・オートランド牧師 少し前に告解の秘跡に行った時、私は「堪忍袋の緒が切れかけています。立腹しています。」と聴罪神父様の前で告白しました。何に腹を立て…

勇ましい生涯

渡月橋の紅葉(出典) 内村鑑三は、『後世への最大遺物』という講演録の中で、私たちクリスチャンが後世に何を残すことができるのかについてメッセージしています。

「教派壁」の向こう側にいる「他者」をどのように捉えればよいのだろう。――顔と顔を合わせた心の交流から生まれてくるもの

夕ぐれて秋めく風や歩をゆるめ 丹羽敦子(酸漿) 先日、正教神父アンドリュー・ステファン・ダミック神父へのインタビューVTRを観ました。とても教えられることの多い洞察に満ちた内容でした。

アラビアの荒野へ

出典聴罪司祭様の導きで某長老の元に行きました。信仰や神学上の問題のことで相談に乗ってもらうためです。

いつの日か

ある強烈な人生の出来事が、その人の神学やものの見方、世界観に「変異」をもたらし、その内的震動が己のうちにそれまでとは抜本的に違うなにかを創成しつつある――。皆さんはそんな経験をお持ちですか。 私にとっての精神の危機および転換点は、「カトリシズ…

真摯なカトリック信徒の問い

出典 マイケル・ロフトン(ローマ・カトリック):視聴者の皆さんに投票アンケートをお願いしたく思っています。あなたは「東方正教」を巡るテーマに関したビデオにより関心がありますか。それとも、「伝統派カトリック内の諸テーマ」を取り扱ったビデオによ…

カトリック改宗か正教改宗かの最終判断はやはり一筋縄ではいかない。(その3)

出典 私:あのね、この前、東方正教の某神父様から心のこもったメッセージをいただいたの。私が「以前の愛」――ローマ・カトリシズムという異端――にUターンしてしまうのではないかと危惧され、「悪しき者(=サタン)にあなたが惑わされることのないようお祈…

危機を通った先にある新しい展望の拡がり

目次 「ルターのパウロ解釈が間違っている?そんな事があり得るのだろうか?」 「超エキュメニカル派から何の良いものが出るだろう?」 〔補足〕2018年4月2日付「解釈者の苦悶と告白」

望みの道

出典 望みの道を歩く巡礼者仲間へ 「ぼく、みんなまちがったことをしてしまった。」バスチアンはいった。「みんな、考えちがいをしていたんです。月の子は、ぼくにたくさんのものをくださったのに、ぼくはそれでもって、自分にもファンタージエンにも、わる…

東西の伝統派信者たちが取り組む必要のある諸課題と自省

出典 「他人の経験は、よしそれがいかに偉大なものであれ、何人にとっても完全に十分なものとはいえない。各人は、自分自身のために、本質的な問題、少なくとも自分にとって死活の問題の検討をし直さなければならない。私たちはそれゆえに、自分たちの真理の…

「あなたの内にある懐疑や葛藤の存在を否定してはいけない。そこから逃げてはならない。なぜなら、その場所にこそあなたの宝があるからである。」

出口がみえない。外から内から攻寄る懐疑。信仰と疑い。内なる精神の緊張。自身を含めたあらゆるものに対する失望。「教会」の崩壊。内部分裂。不安。恐れ。

意識的に、もしくは知らずに犯してしまったわが罪をお赦しください。

写真素材 pro.foto 聖マカリオスの祈りの中に次のような箇所があります。「わが罪をお赦しください、おお、ただ一人罪なき御方よ。今日というこの日に汝に対して犯した罪――意識的に、もしくは知らずに――言葉において、行ないにおいて、思いにおいて、自分の…

「兄弟たちよ!教会の使徒的信仰を擁護すべく果敢に声を挙げてください。」――トボリスクの主教、殉教者聖エルモゲネスの書簡

出典 トボリスクの主教であり、ボルシェビキ政権により投獄され殺害された致命者聖エルモゲネス(1858-1918)。以下の文は、殉教前に信徒たちを激励すべくしたためた小冊子からの翻訳引用です。(出典)

日本の精神的雑居文化および「最新舶来品」としてのジェンダー論

「すくなくも日本の、また日本人の精神生活における思想の『継起』のパターンに関するかぎり、彼の命題はある核心をついている。新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早…

晩秋の思索

遠山谷の夕焼け(出典) 分断線のありかを巡って 旅路における邂逅と交差 らせん上にゆっくり進み、成長してゆく

優しいまなざし

出典かつての学校の先生を20年ぶりに写真で拝見しました。外見も表情もまるで別人のように変わっておられ驚きました。この20年の間に先生の人生に何が起こったのでしょう。なぜこれほどまでに激変されたのでしょう。もしかしたらなにか大きな悲しみを通…

キリスト者の間の友愛

出典 「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」詩篇LXX132篇1節

共有された歴史の追憶と分裂の痛み、そして未来への希望――「宗教改革記念日」を前に

出典 目次 思索メモ1 思索メモ2 思索メモ3 思索メモ4 思索メモ5 思索メモ6

キリスト教界の弁証家たちよ、お互いフェアプレー精神で行こう!(by マイケル・ロフトン)

Micahel Lofton, A Call to Use Equal Weights, Reason and Theology, 2019.(拙訳) 「偽りの天秤を主は厭い、十全なおもり石を喜ばれる。」箴言11章1節聖書はしばし、商いにおいて私たちが均等なおもりや測定器を使用する必要性について語っています。…

思索と内省と

「聖ユスティン・ポポヴィッチは言う。――神学理論というものは、その理論の〈体験〉をまず第一に必要としている。それ無しの単なる理論は、偽装した無知蒙昧に他ならない。」 ある隠遁士がこう言った。その瞬間、わが心に光が射し、私は自分の愚かさの真実を…

真理は単純だろうか、それとも複雑難解だろうか。

某正教修道院で一人の修道士の方と話をしました。この方は私の霊的旅路を評し、一言、「真理というのはね、単純なんだよ。単純。」とおっしゃいました。どういう意味だろうと思案していたところ、「あなたが正教に導かれるようになったきっかけ自体は、煩雑…