巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

伝統と民主主義(by G・K・チェスタトン)

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G.K. Chesterton, Orthodoxy, chap 4 (抄訳)

 

しかし若い頃から一度も理解できなかったことがある。人々が「民主主義は伝統と対立するものだ」という考えをどこで持ったのか、私には理解できなかった。

 

伝統とは、時間をかけて拡張された民主主義であることは明らかだ。それは、孤立したもしくは恣意的な記録ではなく、一般人の声のコンセンサスに信頼を置いているのである。・・伝説が歴史書よりも尊重されている理由、そして尊重されるべき理由は、非常に簡単に理解できる。伝説は一般的に、正気であるところの大多数の村人たちによって作られる。それに対し本は一般的に、村の中の一人の狂気な人間によって書かれる。

 

昔の人は無知だったと伝統に逆らう人たちは、カールトン・クラブで、スラム街の有権者は無知であるという声明とともにそれを主張することができるだろう。しかし、私たちにはそれは通用しない。

 

日常的な問題を扱うときに、普通の人たちの一致した意見を非常に重要視するのであれば、歴史や寓話を扱うときに、それを無視する理由はない。伝統とは選挙権の拡大と定義することができる。

 

伝統とは、あらゆる階級の中で最も目立たない存在であるわれわれの祖先たちに票を与えることである。それは、死者の民主主義である。伝統は、たまたま今歩き回っているだけの人々の卑小で傲慢な寡頭制に従うことを拒否する。

 

すべての民主主義者は、人が生まれの偶然によって資格をはく奪されることに反対するが、伝統は、人が死の偶然によって資格をはく奪されることに反対する。 民主主義は、たとえそれが自分の花婿であっても、善良な人間の意見を無視してはならないと言い、伝統は、たとえそれが自分の父親であっても、善良な人間の意見を無視してはならないと言う。

 

とにかく私は、民主主義と伝統という二つの考え方を切り離すことはできない。両者が同じ思想であることは明らかだと思う。我々の会議には死者が参加するだろう。古代ギリシャ人は石で投票したが、彼らは墓石で投票するだろう。

 

ー終わりー