巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

教派問題でノイローゼ気味になっている方への気分転換用ショート・コメディ

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下のコメディー・ショートclipで演じているロフトン師は、硬派ディスペンセーション主義の信奉者(The International Christian Embassy Jerusalem; ICEJ)だった両親の元で生まれ、2歳の時、家族でイスラエルに移住します。4歳で両親が離婚、ロフトンは母と一緒に米国に帰国。

数年後、母親が再婚、ユダヤ教に改宗し、イスラエル再移住。今度は、ユダヤ人継父、改宗した母の下でユダヤ教徒の子供としてシナゴーグで宗教教育を受けます。12歳の時、今度は米国にいる父親と一緒に住むことになり、当時、父親が通っていたカリスマ・ペンテコステ派の教会でカリスマ派の子供として宗教教育を受けます。

その後、10代後半からヤクザな放蕩生活をするも、路傍伝道をしていた福音伝道者のメッセージに救われ、20代前半で回心。改革バプテスト派⇒改革長老派⇒保守アングリカンを経て、2013年カトリックに改宗。現教皇の方策や地元教会の典礼乱用、霊的虐待に壊滅的打撃を受け、東方正教に改宗。その後、さまざまな紆余曲折を経、2019年カトリック教会に再Uターン、現在に至ります。

以下のショート・コメディーは、彼の通ってきた上記の道程を下敷きに作られています。たくさん悩んだ人だからこそ、同じように悩んでいる人たちを励まし、時には笑わせるすべを知っているのだと思います。

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祈りの東向性(アド・オリエンテム)の霊的意味

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「私たちは皆、祈る際に東の方角(toward the East)を向いていますが、そうすることによって実は自分たちが古の故郷を再び憧憬し欣求しているということを自覚している人はわずかです。古の故郷――、そう、エデンを臨む「東」に植えられしパラダイスのことです。」

聖大バシレイオス『聖霊について』*1

 

目次

  • 聖なる使徒的伝統を守り続けてくれた先人たちの努力と信仰に感謝。
  • 古代のユーカリスト的典礼との出会い(アンドリュー・プレスラー師の証)
  • 東に向けられた典礼(アド・オリエンテム)のもつ深遠なる意味

 

*1:Basil of Caesarea Treatise On the Holy Spirit, 27 PG 31,192

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「マリアへの崇敬は人間の心のもっとも深奥に刻み込まれている。」マルティン・ルター

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出典

 

 

M・バジレア・シュリンク著『救い主の母の道―キリストとともに、キリストのために』エピローグより一部抜粋

 

 

ルターは生きている限り、母マリアを尊び、母マリアの祝日を聖別し、マリアの賛歌(マグニフィカート)を毎日歌っていました。

 

↑ マリアの賛歌(マグニフィカート)を毎日歌っていたルター

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小さな思いやり、大きな慰め

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アヒルたちの世話をする優しい赤ちゃんザルBibi(出典

 

昨年イギリスの大学院に進学したギリシャ人の友人ヨアンナが私に次のようなメッセージを送ってきました。「あなたの洗礼名はマリアだけど、あなたは私にどう呼んでほしい?Maria-Kinukoと呼ばれる方がいい?それとも洗礼名だけで呼ばれる方がいい?私はあなたの気持ちが知りたいの。どっちがいい?」

 

これを読んだ時、われ知らず、涙がどっと溢れてきました。そして頬を流れる涙と共に、傷ついていた自分の中のなにかが愛のぬくもりの中で溶かされ癒されていくのを感じました。

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聖書正典(biblical canon)の問題に正面から取り組んだ福音神学校教師の探求記

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写真

 

私の辿ってきた道ーーダグラス・M・ボウモント師の信仰行程【その1】南部福音神学校の教官としてより一部抜粋

 

南部福音神学校(SES)で教鞭を取りながら同大学の博士課程にも入っていた私は当時、神学校で受容してきた、より重要な諸教理に関し研究を進めていました。

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「ヘブル的視点」の兄弟姉妹とのフレンドリーな対話

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目次

  • ①私たちは聖書を、霊感を受けた誤りなき神のみことばと信じています。ただし具体的にどの書が聖書正典の中に入れられるべきかの決定には神の摂理の中で実に300年以上の年月が必要でした。
  • ②どうして肝心のヨハネの福音書6章を「字義的解釈」せず、象徴的にのみ解釈されているのでしょう?
  • ③「ヘブル的視点」が、キリスト教がヘブル的ルーツを持つ宗教であることに注目しているのは本当に素晴らしいと思います。
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両親が離婚した時、幼い私は父か母かどちらか一方を選ばなければならなかった。(by マイケル・ロフトン師)

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Michael Lofton, When My Parents Divorced, I Had to Choose Between Them!, Reason and Theology, Sep. 2021.(拙訳)

 

両親が離婚した時、幼い私は父か母かどちらか一方を選ばなければなりませんでした。でもうちの家族の状態は初めからそうだったわけではありません。何年も前に父と母は結婚し、互に愛し合っていました。その後、愛の結晶として彼らに幾人かの子供が授かり、私は末っ子として生まれました。しかしながら歳月を経る中で、二人の間にいろいろと難しい問題が生じ、激しい喧嘩や怒鳴り合いの修羅場が続きました。

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