巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

福音主義界における昨今の「被り物の教え」事情【1コリント11章2-16節】

1948年、長老派教会 聖餐式の様子

(女性信徒たちは皆、被り物を被っているのがみえます。)写真元

 

ジェンダー混乱が大きな問題になっている現在、保守的な改革派牧師や神学者の間においても、被り物の教え(1コリント11:2-16)が再び注目されてきているようです。R・C・スプロール師*1やマーティン・ロイドジョンズ師*2のような古典的被り物支持派にしても、ダニエル・ウォレス師*3のような"Meaningful Symbol説"支持派*4にしても、両者共に肯定しているのは、「1コリント11章で説かれている被り物は、今日においても適用されるべきなにかである」という点です。

 

まとめますと、

前者は、その適用を、実際のベール着用だとし、

後者は、その適用を、結婚指輪や慎み深い服装など、21世紀の私たちに、よりなじみのあるなにかで置き換えることだ、としています。

 

結論は違えど、両者が共に「この聖句は当時のコリントの人々にだけ適用されるもので今日の私たちには関係ない」という、聖書解釈における文化・歴史相対主義を否定しています。この点に関し、水草修治牧師は次のように言っておられます。

 

ポストモダンの現代は、しきりに「みんな違ってみんないい」と多様性が異常に強調される相対主義の時代である。その風潮の影響を受けて聖書解釈においても、聖書の記述を何でもかんでも当時の文化・歴史現象として相対化し、そこに規範性はないとする人々がいる。

正しい聖書解釈のための3つの心得ー文化・歴史相対主義の問題(引用元

 

ロバート・バロン司教もまた、こういった教義の相対化が、ついにはハーバード大学をして史上初の無神論者チャプレンを選出せしめるに至ったとして洞察に富んだ記事を書いておられます。*5

 

昨年の12月、マイク・ウィンガー牧師が、約7時間にわたる「被り物論争」をまとめた壮大なスケールの動画をアップロードして話題になりました。

 

www.youtube.com

 

この動画の優れたところは1コリント11章2-16節の鍵概念である「かしら性」や「創造の秩序」、「自然」「御使い」等に関する、相補主義(complimentarian)解釈、対等主義(egalitarian)解釈双方を、詳しく紹介している点です。(当該動画概要欄のところに目次がついているので興味を持たれた方はそれを参照してください。)

 

また先日、新刊の著書Dale Partridge, A Cover for Glory, A Biblical Defense for Headcovering, Relearn Press, 2023を、アメリカの友人が送ってくれました。改革派のデール・パートリッジ牧師が、1コリント11:2-16を詳細解説しています。

 

 

本書は牧会者の方々にとってはもちろんのこと、研究熱心な信徒の方々にとっても有益な書だと思います。本書に関するインタビュー動画もでています。*6

 

またボストン、サトゥラー大学フィニー・クルヴィラ師も、被り物に関する説教動画をシリーズで出しておられます。*7

 

水草修治師は、上述の記事の中で、「被り物の件はとりあえず、ここでは措いといて、女性の短髪の件だけ触れておく。」と書いておられます。ということは将来的に被り物の件を本格的に取り扱った記事が出されるのかもしれませんね。楽しみです。