巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「聖書のみ」の教理について

教理的シフトゆえに牧師廃業に追い込まれた ‟落伍者” に注がれている主の憐れみーージェイソン・スティールマンの霊的旅路

出典 2018年8月26日記事の再掲載です。教義や教派問題で葛藤し、あるいはなんらかの事情で教会に躓いてしまい、現在、どこにも信仰共同体や共感し合える仲間を見出すことができずにいる方々にとってこの記事が励ましとなりますように。苦しみの只中に…

「ヘブル的ルーツ運動」「メシアニック・キリスト教」に関する批判的考察(by ジョセフ・リチャードソン師)

出典 目次 「ヘブル的ルーツ運動」「メシアニック・キリスト教」に関する批判的考察(by ジョセフ・リチャードソン師) ある脱会者の告白 ユダヤ人女性ロザリンド・モス姉妹のストーリー ユダヤ女性ケイティー・ウィング姉妹のストーリー

原理主義でもない、懐疑主義でもない、リベラル主義でもないポスト近代における公同的伝統キリスト教への展望【ジェームズ・K・A・スミス選集】

目次 痛みと傷からの再生――原理主義でもない、イマージング風リベラル主義でもない公同的キリスト教への模索と探求(回想) 著書『どうしたらセキュラー(secular)にならないでいることができるか?ーーチャールズ・テーラーを読む』【インタビュー】 公共…

和解の小さな一歩――「宗教改革記念日」を前に

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」 ヨハネによる福音書 13…

聖書正典(biblical canon)の問題に正面から取り組んだ福音神学校教師の探求記

写真 私の辿ってきた道ーーダグラス・M・ボウモント師の信仰行程【その1】南部福音神学校の教官としてより一部抜粋 南部福音神学校(SES)で教鞭を取りながら同大学の博士課程にも入っていた私は当時、神学校で受容してきた、より重要な諸教理に関し研究を…

「ヘブル的視点」の兄弟姉妹とのフレンドリーな対話

目次 ①私たちは聖書を、霊感を受けた誤りなき神のみことばと信じています。ただし具体的にどの書が聖書正典の中に入れられるべきかの決定には神の摂理の中で実に300年以上の年月が必要でした。 ②どうして肝心のヨハネの福音書6章を「字義的解釈」せず、…

聖書神学は正教理解に有益!(by セラフィム・ハミルトン)【福音主義と東方正教の架け橋】

燃える柴(出エジプト記3章)。シナイ山のモーセとオディギートリアの三連祭壇画イコン。エジプトシナイ山、聖カテリーナ修道院蔵。出典 Seraphim Hamilton, Why Orthodoxy?, 2. The Scriptures come to life here. (拙訳) 聖書の無誤性に関し質問を受け…

「ヘブル的視点」と東方正教の架け橋

祭壇(出典) 架け橋づくり 「ヘブル的視点」の世界分断 必須条件1)背教ナラティブ 必須条件2)‟不可視的なもの”としてのプロテスタント教会論 必須条件3)「五つのソラ」+「ディスペンセーション主義」 さらなる考察のために 「ヘブル的視点」とディス…

新旧約の啓示の連続性/非連続性・漸進性・有機的一体性に関する「改革派神学」「ディスペンセーション主義神学」「正教神学」の比較対照〔J・トレンハム長司祭に質問してみました!〕

2018年7月25日付記事の再掲載 赤組と白組のリレー競走(出典) 目次 赤組と白組の論争 モルモン教陣営内の場合 福音主義陣営内の場合 でも両方とも間違っているとしたら、、その場合はどうなる? レフリーを探すぞぉ~! ジョサイア・トレンハム神父 …

新約聖書における第二正典(Deuterocanonical books)言及について

目次 はじめに 新約聖書における第二正典言及について 関連記事

福音主義クリスチャンと聖母マリア(Θεοτόκος)(by ロバート・アラカキ)【後篇】

【前篇】からの続きです。 出典 目次 マリアの処女性——聖書的立証 マリアの永続的処女性—神学的角度 祈りのパートナーとしてのマリア プロテスタンティズムの心の傷跡(Protestantism’s Emotional Scars) 正教の方へ漕ぎ出す 「聖書のみ(Sola Scriptura)…

列車の中の神学——マルチ信仰談義【シリーズ③ 教導権について】(by マイケル・ロフトン)

【シリーズ① 永遠の刑罰について】【シリーズ② 聖書正典について】からの続きです。 出典 Michael Lofton, Theology on a Train: A Multi-Faith Dialogue, Jan, 2019(拙訳) 教導権(Magisterium)について 東方正教徒:私やオリエンタル正教の友は、あなた…

伝統と暗黙(Tradition and Tacit)ーーアンドリュー・ラウス、ダラム大学

神秘、伝統、、わがたましひは黙してただ神をまつ。(出典) 目次 はじめに アンドリュー・ラウス著「伝統と暗黙」 「伝統」を巡るカトリックとプロテスタントの論争 交わり(fellowship; κοινωνία) 典礼(liturgy) 発話を超える事実ーーthe inarticulate…

賛成するにしても反対するにしても相手の見解をできるだけ正確に理解する努力が必要だと思う。

これからもよろしくネ。(出典) 「なぜプロテスタント教会が必要なのか?(対ローマ・カトリック教会)」という記事を読ませていただきました。筆者の方はプロテスタント教会の教職者でいらっしゃいます。

「アンダーソン型」病理の分析と治癒

「アンダーソン型」病理を対岸の火事視していいのだろうか? 独立バプテスト教会のスティーブン・アンダーソン牧師の教説をマイケル・ロフトン師が分析しています。

「字義通りの解釈」という思想と、人間観(anthropology)の考察

実験室(出典) 19世紀に英国で興ったディスペンセーショナリズムというプロテスタントの一潮流があります。 ディスペンセーショナリズムは、当時猛威を振るっていたキリスト教リベラリズムに対抗する敬虔運動としての肯定的側面を持っている一方、その聖…

ローマ・カトリック、プロテスタント、正教それぞれの、自己像・他者像・相関像について

モザイク画(出典) 昨日、東方典礼カトリック教会に通っている60代の女性から思いがけずお茶に誘っていただき、中心街のカフェで共に時間を過ごすことができました。彼女は私が教会から姿を消したことを心配しわざわざ電話をくださったのです。

良き師の思い出

出典 以前の記事の中で少し触れましたが、私はこれまで正式な神学教育をほとんど受けてきていません。望んでいてもその機会に恵まれなかったためでしょうか、私は常に師に飢え渇き、訓育の場に飢え渇いていました。

福音主義にはリベラリズムの倫理的土砂崩れを食い止める力と権威が無いことをついに悟る。

土砂崩れ(出典) 2017年1月、私は、日本福音同盟(JEA)のみなさんに以下のような公開レターを書きました。

聖母マリア(Θεοτόκος)に関し、目から鱗が落ちた瞬間についての証し

堅実な福音主義クリスチャンたちにとって、カトリック教会への参入を妨げている最大のハードルの一つが、聖母マリアに関する教義です。

福音主義者と権威の危機(by ブライアン・クロス、マウント・マースィー大学)

Bryan Cross, Evangelicals and the Crisis of Authority, 2009(拙訳) ジム・トンコヴィチが「福音主義者と権威の危機*1」と題する優れた論考を書いています。この記事は、ホモセクシュアリティーおよび学問の自由を巡って現在、カルヴィン・カレッジが通…

私の辿ってきた道ーーダグラス・M・ボウモント師の信仰行程【その5】改宗の過程に伴うさまざまな困難と苦しみ

【その1】【その2】【その3】【その4】からの続きです。 「ある意味において改宗とは殉教の一形態である。それには、ーー肉体、精神、知性、キリストへの信仰という自己の明け渡しが伴う。またそれは従順性および、真理へと導かれていくことに対する自発…

私の辿ってきた道ーーダグラス・M・ボウモント師の信仰行程【その3】最後の足場、崩れる

【その1】【その2】からの続きです。 使徒たちに別れを告げるキリスト、Duccio di Buoninsegna (1308-11)作、シエナのMuseo dell’Opera del Duomo(出典) 目次 教会と聖書 プロテスタントのジレンマ Tu quoque論文にぶち当たる

私の辿ってきた道ーーダグラス・M・ボウモント師の信仰行程【その1】南部福音神学校の教官として

出典 目次 ある学生の問い 南部福音神学校(SES)の教官として 福音主義の根本的諸問題に直面して 正統性に関する問題 最大の悩みーー「教派選び」

「正統性」の源泉を追い求めてーーイスラム教徒への伝道と三位一体論

出典 「聖書のみ」のパラダイムに対する疑問や、「権威の所在」、「正統性」の源泉についての根本的問いは、机の上での教理研究によるものだけでなく、ここ15年近く携わってきたイスラム教徒との弁証的対話やディスカッションの中においても自分自身、常に…

聖書正典(biblical canon)の問題と福音主義(by ダグラス・M・ボウモント他)【後篇】

【前篇】からの続きです。 出典 目次 聖書正典のための基準(criteria) プロテスタントの懸念 霊感 使徒性 霊的証言 正統性 自己証明(Self-Attestation) 神の民による受容 キリスト教伝統 摂理、それともパワー・プレイ? おわりに

聖書正典(biblical canon)の問題と福音主義(by ダグラス・M・ボウモント他)【前篇】

出典 目次 はじめに 聖書正典の形成 1世紀 2世紀 3世紀 4世紀 5世紀~15世紀 16世紀

キリスト教正統性の問題と福音主義(by ダグラス・M・ボウモント他)【その3】

【その1】【その2】からの続きです。 十二使徒と教会(出典) 目次 教会(Church)が正統性を決定した。 主は私たちに「書物」を残したのではなく「教会」を建てられた。 一番目の点 二番目の点 三番目の点 四番目の点 人間に対する神の御配慮と教会

キリスト教正統性の問題と福音主義(by ダグラス・M・ボウモント他)【その2】

【その1】からの続きです。 「正統性」 を決める権威の所在はどこにあるのだろう?(出典) 目次 聖書のみで正統性を決定できるだろうか? 2.解釈における不一致 歴史的・文法的方法(GHM)の抱える諸問題

キリスト教正統性の問題と福音主義(by ダグラス・M・ボウモント他)【その1】

出典 目次 キリスト教正統性に欠くことのできない「本質的・根幹的教理」とは何か? 聖書のみで正統性を決定できるだろうか? 1.非聖書的カテゴリー