巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーダグラス・M・ボウモント師の信仰行程【その3】最後の足場、崩れる

その1】【その2】からの続きです。

Christ Taking Leave of the Apostles

使徒たちに別れを告げるキリスト、Duccio di Buoninsegna (1308-11)作、シエナのMuseo dell’Opera del Duomo(出典

 

目次

 

Douglas Beaumont, ed., Evangelical Exodus: Evangelical Seminarians and Their Paths to Rome, 2016 / Douglas Beaumont – Former Evangelical, CH Network, 2016(抄訳) 

 

教会と聖書

 

新約聖書の中の教会は、常に正道を保っていたわけではありませんでした。(例:ガラテヤ人への手紙の中におけるパウロの叱責、黙示録2-3章の諸教会に対するイエスの批判と警告等)。

 

しかし、これをもって「教会とは信頼できない代物である」となるわけではなく、むしろこれが示しているのは、教会の指導者たちが必ずしも常に信頼できる器ではなかったということです。(ちょうど聖書の記者たちがそうであったように!)

 

さらに私が発見したのは、この教会は自らを是正する権威的諸手段を内蔵していたということでした。ーーつまり、神の御指示および監督と共にそれらを行使し(例:使徒15章)、それゆえに信頼を置くことが可能であったわけです。(そう、これもまたちょうど聖書の記者たちがそうであったように!)

 

そして教会はこの是正能力を決して失っていないと自己認識してきました。それゆえに、権威的諸公会議が引き続き開かれ、使徒たちの死後も権威的諸信条が引き続き発布され続けました。そしてこれらの多くは、新約正典が確定するずっと以前に起こったのです。

 

しかしこれまでの私の考えでいくと、「教義的諸問題を解決する上で教会(Church)に依拠するのは不適切である。なぜなら教会の伝統というのは単に誤りを免れない人間の諸意見を反映しているに過ぎないのだからーー。」でした。

 

しかし、歴史的にいって、実はそういった諸伝統こそが、正統諸信条、公会議、聖書正典それ自体を基礎づけてきたのです。実に、権威的にして不可謬なる伝統なしには、キリスト教の土台は相対主義の運命を免れ得ない感がありました。しかし聖書正典およびキリスト教正統性が信頼のおけるものであるなら、その時、それらを生み出してきた教会もまた信頼のおけるものである、ということになります。

 

古代教会は教会史と適合するこれらの問いに対する答えを提供してきました。実際、どの書が聖書に含まれるべきか、そして何が正統とされるのかを、他ならぬ教会が決定したのです。

 

私たちは、それらの諸決断を下した、誤りを免れない人間(fallible men)を信頼することができます。ーー聖書を執筆した、誤りを免れない人間たちの著述を信頼することができるのと同じ理由によって。神はそれらを誤りから守ってくださいました。

 

イエスの御働きの産物が教会であり、主は教会が聖書を生み出す(produce)よう信託してくださいました。そして教会が生み出した聖書は不完全(deficient)であるわけではありませんが、時にそれは難解(difficult)であり、その中の意味が確定していなかったり、信仰のための完全なる青写真を提供していなかったりします。それゆえに、キリスト教というのは聖書と『共に』、教会の中に見い出されるのです。(この教会のことをパウロは「真理の柱また土台〔1テモテ3:15〕」と呼んでいます。)

 

こうして見ていった時、福音主義の多くの難題が解決されていき、また、批判的学者たちからの懐疑的諸攻撃も自分にとって、もはや脅威的なものではなくなっていきました。聖書正典およびキリスト教正統性に関する真の歴史はおそらく、教会の伝統に信頼を置こうとしない人々にとっては躓きの石となっているかもしれませんが、信頼を置いている人々にとっては比較的些細なテーマなのです。

 

プロテスタントのジレンマ

 

むしろ問題は、正統諸信条および聖書正典を生み出した教会が福音主義でもプロテスタントでもないということでした。それゆえ、歴史の後代に形成された〔プロテスタント〕諸伝統は、(教会のその他の諸教理を拒絶しつつ)矛盾するいびつな形において、教会を信頼することなく信仰を基礎づけなければならない、という深刻なジレンマを抱えています。

 

福音主義およびプロテスタント諸グループを古代教会から分け隔てているものの大部分は、後代の教義的イノベーションであり、これらのグループは、キリストの御体における無比なる分裂の内に開始され、ーー以後今日に至るまで、分裂という分裂を促進し続けています。こういった気づきにより人は否応なく、その根本的ルーツおよびそこから生じてきている実に対し疑問を投げかけざるを得ないでしょう。(参:詩11:3、マタイ12:33)

 

Tu quoque論文にぶち当たる

 

ちょうどこの時期、私は聖書正典に関する論文作成をしており、そのリサーチをする中で、Called to Communionというウェブサイトに遭遇しました。まずこのサイトの学究的記事に驚きました。その多くは大学院レベルの論考のようだったからです。

 

そしてこの中にどんな種類の記事が収録されているのかを見ている内に、ブライアン・クロスの執筆した『君だって同じじゃないか(tu quoque)』論文に行き当たりました*1。この中でクロスは、プロテスタント側からの以下のような反論に応答しています。

 

反論:「カトリックに改宗する人も結局は、ーープロテスタントが自分の教派を選ぶのと同じ理由によってーーその行為を行なっているのだ。つまり、その人にとって、〔カトリック教義が〕自分自身の聖書解釈に一番よく適合しているから、彼は改宗するのである。よって、カトリックは、プロテスタントがそうしていると後ろ指を指してはならない。なぜなら自分たちだって同じ事をしているのだから。」

 

この反論内容を読んだ瞬間、直ちに私は、これがまさに数年前、エレミヤ・コーワートと議論した際、自分が依拠していた‟緊急脱出用パラシュート”的抗弁であったことを思い出しました。そしてそのような自分の議論を、クロスは完膚無きまで論駁し切っていました。「ああ、もはやこれまでか。」私は自分が足場を失ったことを知り呻きました。

 

そしてこの局面に追い込まれてはじめて私は、ーー個人研究を通し自分自身の神学的諸見解に到達し、しかる後にそれらの見解をバックアップするような伝統を見つけようとするのではなくーー、客観的に教会を特定すべきであることを悟りました。(教会の権威的諸機能を継続させるべく使徒たちが叙階した人々に注意を向けることによって。)

 

この教会(Church)は聖書正典や信条的正統性に決着をつけた教会であるはずです。それならば特定化はかなり容易なのではないでしょうか?しかしながらここで問題となるのは、そういった‟歴史的教会”がもはや過ぎ去りし過去の遺物と化しているのではないかという問いです。

 

最初の一千年期が終わった直後、大シスマが起こり、それにより古代教会は東方正教とローマ・カトリシズムに別たれました。そして教会のこの二派は今日に至るまで別たれたままの状態にあります。*2 

 

海洋におけるわが時間は、終りを告げました。今やその潮流は二大支流の源流へと私を容赦なく押し運んでいこうとしていました。さて、どちらの支流に行けばいいのか?ーー福音主義という私の背景が最初のこの選択を容易なものにしてくれました。そう、「カトリックだけは御免こうむる!(Anything but Catholic!)」というABCの鉄則に従い、私は東の方向に泳いでいったのです。

 

ー【その4】に続くー

*1:Byran Cross, "The Tu Quoque", Called to Communion, May 24, 2010.

*2:「オリエンタル諸教会」も教会史の中で重要な位置を占めていますが(SES卒業生である私の友人も現在、それらの諸教会の一つで司祭になる勉強をしています)ここでは詳述しません。その多くはすでに正教諸教会とのコミュニオンに戻っています。// 訳注:関連記事 シリア正教のエキュメニズム - シリア正教会