巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「ヘブル的視点」の兄弟姉妹とのフレンドリーな対話

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目次

 

ヘブル的視点を聖書解釈の主軸にしているプロテスタントの友人たちに今日、次のような分かち合いをしたいと思います。

 

①私たちは聖書を、霊感を受けた誤りなき神のみことばと信じています。ただし具体的にどの書が聖書正典の中に入れられるべきかの決定には神の摂理の中で実に300年以上の年月が必要でした。

 

「なぜキリスト教会はヘブル的視点を失ったのか」のPDFファイルp.13-15を読みますと、キリスト教会がヘブル的視点を失い、正しい聖書解釈が失われていった時期をバル・コクバの乱(132年)前後としています。それによると、この時期には異邦人が教会の多数派になり、反ユダヤ的傾向が見られるようになったとされています。

 

「教会が反ユダヤ主義化すれば、当然ヘブル的視点が失われます。ヘブル的視点が失われると、正しい聖書解釈が失われて行きます。すると指導者たちは、自分たちの都合のよい解釈を試みるようになります。次第に、ヘブル的視点、字義通りの解釈の原則が失われ、聖書は象徴的に解釈するほうが「霊的」な読み方だという考えが広まります。なぜなら、字義通りに読むということは、どうしてもユダヤ人が選民であると認めざるを得なくなるため、彼らには都合が悪いからです。その結果、聖書を象徴的に読む神学「置換神学/契約神学」が誕生します。これは、「イスラエル」に与えられた言葉や約束は、「教会」に受け継がれた(置き換えられた)と考える神学です。」(p.14)

 

それではいつからその悪しき「置換神学」は始まったのでしょう。それに対し、著者は「2世紀」と論じておられます。

 

「そして年月を経るうちに、「イスラエル」は最終的に「教会」と置き換えられたと信じられるようになった。この教えはますます強調されるようになり、エペソの殉教者ユスティノスが紀元160年に著した『トリフォンとの対話』でその頂点に達した(ホーナー博士)。つまり、2世紀には置換神学の枠組みが出来上がっていたということです。」(p.15)

 

仮に上記の説明が真であったとします。そうすると、次のような奇妙なことが起こってきます。私たちが霊感された神の言葉と信じ、字義的に解釈しようとしている「聖書」の目録が最終的に完成したのは4世紀以降になってからです。例えば、ヘブル的視点の兄弟姉妹が解釈に力を入れている「ヨハネの黙示録」の正典決定には相当の時間がかかりました。そして最終的に教会の司教たちによって新約正典目録は決定され、現在の形をとるようになりました。

 

つまり、私たちが今、字義的解釈をしようと手にとっている聖書の目録を最終的に決定したのは「置換神学」の枠組みが出来上がった以降の教会の指導者たちの尽力によります。完成された誤りなき新旧約聖書がすでにあって、その後、置換神学によって教会がおかしくなったのではなく、2世紀以降すでに置換神学に染まってしまった教会の司教たちの手によって、完成された誤りなき新旧約聖書が編纂されたということになります!そうなりますと、私たちが今、聖書を聖書として読むことができているのはひとえに「置換神学」に染まった背教教会の指導者たちのおかげということになってしまいませんか??*1

 

私のこのコメントに半信半疑の方は、ぜひご自分でthe canon of scripture/biblical canonのキーワードで聖書正典の形成史をご研究なさってみてください。各書がどのような経緯を経て聖書正典として編纂されるに至ったのか、さまざまな良質な研究資料がオンラインで提供されています。私自身も、勉強中です。*2

 

②どうして肝心のヨハネの福音書6章を「字義的解釈」せず、象徴的にのみ解釈されているのでしょう?

 

ヘブル的視点の鉄則により、ヨハネの福音書6章を、1.字義通り、2.文脈に沿って、3.みことばに付け足したり、差し引くことなく(申命記4:2, 箴言30:6, 黙示録22:18-19)、4.私的解釈をせず(2ペテロ1:20)、5.聞いたことだけを鵜呑みにせず、みことばで確認すれば(使徒17:11)、エウカリスチア(ユーカリスト/聖餐)におけるキリストの現存(the Real Presence of Jesus Christ in Eucharist)という歴史的解釈以外のどんな解釈に行き着きますか。ここぞ字義的解釈が活躍する肝心の場所でなぜかヘブル的視点の兄弟姉妹はしりごみし、躊躇しているように思われるのです。

 

カトリック教会・東方正教会はヨハネの福音書6章を文字通り、字義的に解釈し、聖餐のパンと葡萄酒は司祭の祈りにより本当にイエス様の御体と血になると解釈し、幼な子のようにそれを信じています。私もこれらの御言葉を字義通り信じています。私がここに行き着いたのはヘブル的視点の兄弟姉妹と同様、聖書的であることを真剣に追及し、それに生きようとした探求の過程においてです。パンと葡萄酒が実体変化し本当にイエス様の御体と御血となり、主ご自身が私たちの存在の中心に入ってきてくださるのです。これほどの神秘、奇跡はどこにあるでしょうか!

 

↓ 日本語字幕あります。

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*3

 

③「ヘブル的視点」が、キリスト教がヘブル的ルーツを持つ宗教であることに注目しているのは本当に素晴らしいと思います。

 

↓古代キリスト教礼拝のユダヤ的ルーツ(おすすめです♡)

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↓ 正教礼拝のユダヤ的ルーツ(by ユダヤ人ジェームズ・バーンシュタイン神父)

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聖書とミサ――キリスト教典礼のユダヤ的ルーツ

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*4

 

*1:「ヘブル的視点」と歴史観

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*2:「ヘブル的視点」と聖書観

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*3:↓イエスと聖餐のヘブル的ルーツについて

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↓ ユダヤ人キリスト者ローレンス・ファインゴールド教授による聖餐解説

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*4:

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↓ メシアニック・ジュダイズムを経て昨年カトリック信者になったユダヤ人ダニエル兄(東京在住)が、ユダヤ人をより良く理解し、愛していくうえで何が大切なのかについて、私たち非ユダヤ人クリスチャンにとても有益な証をされています。この点で「ヘブル的視点」の兄弟姉妹の皆さんはすでに深い理解と実践をなさっていると思いますが、私個人にとっては反省もし、教えられることの多い内容でした。

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↓ カトリック教会のユダヤ的ルーツについて

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↓ 彼女の証に感動しました。

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