巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「ヘブル的ルーツ運動」「メシアニック・キリスト教」に関する批判的考察(by ジョセフ・リチャードソン師)

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出典

 

目次

 

「ヘブル的ルーツ運動」「メシアニック・キリスト教」に関する批判的考察(by ジョセフ・リチャードソン師)

 

Joseph Richardson, A Note on “Hebrew Roots” or “Messianic” Christianity, 2013

 

(以下の所感はフェイスブックでの友人に対するコメントから生まれました。その中で私は「ヘブル的ルーツ」キリスト教および「メシアニック・ジュダイズム」に関する懸念を文章にしました。)

 

メシアニックおよび「ヘブル的ルーツ」諸運動に関し、私は複雑な思いでいます。(これらを一つに括るのは公平な取扱いではないかもしれません。両者は異なる起源を持っていると思いますが、似たような諸原則で機能しています。)キリスト教信仰のヘブル的文脈やルーツを理解し、そういった尊い諸伝統を回復しようとすることは間違いなく価値あることだと思います。

 

しかしながら、これらの諸運動に関わっている人々の多くは、アンチ伝統的かつ偶像破壊的傾向をもち、逆の方向に突き進んでいます。――そう、彼らの多くは、全ての既存キリスト教伝統(プロテスタントそして特にカトリック)に対し、否定的になっていっているのです。

 

キリスト教は2000年余りに渡る伝統を介し、私たちに受け継がれてきました。実に2000年に渡り、敬虔な男性や女性たちがキリストを信じ、神の御旨に従い、信仰を死守し、後世の私たちに伝承してくれたのです。もし私たちがこの点を見落すのなら、「ヘブル的ルーツ運動」がそれら全ての否定を含意していることに気付けないかもしれません。ヘブル的ルーツ運動は、宗教改革で生じた態度のもっとも過激化された形態かもしれません。――「さあ、最初に立ち帰り、オリジナルのキリスト教信仰を回復させよう。‟純粋な”信仰を見出し、これまで加えられてきたさまざまな付加物を一切合財捨て去ろう」と。

 

しかしながら、「信仰」を「歴史」や「伝統」から乖離するのは危険だと思わざるを得ません。プロテスタント宗教改革者たちが信仰を、伝統の多く(彼らはそれを通し信仰を受け取ってきました)から乖離させてしまったのは危険かつ有害なことではなかったでしょうか。それにより、汚い湯水と共に、中にいた多くの赤ん坊まで外に放り出されてしまいました。そしてそれ以降、プロテスタント信者はある重要な諸要素を欠くようになったと思います。

 

聖書のみ(sola scriptura)というプロテスタント概念は、キリスト教信仰に必要なのは唯一、‟聖書のみ”であるという思想を提唱しています。ですから、こういった思考の路線から「仮に自分たちが全ての伝統を剥ぎ取り、プロテスタント伝統でさえも剥ぎ取るなら、その際、自分たちは元来私たちが持つべきであった生粋の信仰を見出すに違いない」という考えが生じてくるのはむしろ自然なことでしょう。しかしこれはプロテスタント思想が正しいということを初めから前提していてこそ可能な考えです。

 

この運動を突き動かしているのは、プロテスタント伝統における現行の不秩序やフラグメンテーションに対する不満感なのではないかと思います。(実際、私やその他多くの人々がカトリック教会を再発見するようになったのもそれらの不満感が底辺にあったように思います。)しかしながらそういった不秩序は、プロテスタンティズムの諸原則や諸前提に何か欠陥があるのではないかという指標にはなっても、キリスト教伝統全体を疑問視するという方向に流れていってはならないと思います。「カトリック教会は腐敗しており、全く考慮の対象にならない」というのがプロテスタント信者の間の既定の結論になっているように見受けられますが、そういった性急な結論を出す前にもう少し注意深い考察をすべきではないかと思います。

 

勿論、イエスと使徒たちはユダヤ人であり、キリスト教信仰はヘブライ預言の成就およびヘブライ伝統の完成です。また、最初期キリスト者たちは皆ユダヤ人であり、メシアの弟子であるということに加え、ユダヤ的アイデンティティーを保持しようとしていました。それも事実です。しかしながら、プロテスタントの方々――特に「ヘブル的ルーツ」運動に関わっておられる人々――は、歴史的、カトリック教会は不誠実にもそういったユダヤ諸伝統を脇に押しやり、混合的・異教的な妥協諸教理でそれらを書き替えたのだと思い込んでいます。そしてこういった人々は、聖書のみが唯一自分に必要な資料であると前提しつつ「信仰」を「歴史」から切り離してしまっているため、尚更、そういった推論を信奉しやすいのです。

 

しかし実際には歴史はそれとは非常に異なったストーリーを提示しています。二世紀の初めまでには(使徒たちの死後まもなくの時期)、キリスト教伝統とユダヤ伝統はすでに袂を分かち始めていました。ユダヤ人たちはクリスチャンを反ユダヤ教的異端であると拒絶し、クリスチャンは反動的にして反キリスト教的だとしてユダヤ諸伝統を拒絶するようになっていました。主の日(日曜日)のキリスト教礼拝は使徒たち自身執り行っていた慣習であり(これは聖書自身も証言しています)、クリスチャンたちがシナゴーグから追放され、教会が成長していく中で、安息日(Sabbath)ユダヤ教礼拝を行なうこともなくなっていきました。

 

「信仰」を「歴史」から切り離すことでそういった全ては無視され、それが起こったこと自体否定されます。教会の聖伝を捨て去ることで、私たちは新約聖書および初代教会の文脈全体を見失い、キリスト教礼拝がどのように執り行われていたのかに関する使徒たちの真正なる教えも見失われていきます。今日においても尚、ミサ典礼はユダヤ教シナゴーグ典礼の諸形態に倣っています。キリスト教の「ヘブル的ルーツ」は失われていません。それらは失われたのではなく、フルに成長したオークの樹木に育ったのです。

 

他方、「ヘブル的ルーツ」およびメシアニック・ジュダイズムはねつ造された伝統を採用しています。ねつ造された伝統とはすなわち、初期ユダヤ人キリスト者たちがいかに礼拝していたのかに関する誰かの創案もしくは主観的捉え方を指しています。というのも、ユダヤ的キリスト教に関する真正なる伝統は私たちに伝承されていないからです。それは古代や伝統に関する誤った形態を取り、実際には「信仰に付け加えて」います。彼らは前提するだけではなく正真正銘の新奇性や考案物を付け加えているのです。(皮肉なことに、‟人間のでっち上げを付け加えるな”とは、プロテスタントのカトリックに対する積年の非難でもあります。)

 

それは非常にプロテスタント的聖書の読み方に依拠しつつ、同一の基本誤謬を被る傾向にあります。すなわち、受け入れられてきた教会の伝統を無視することにより、初期キリスト教著述家や教父たちが認識・保持し、私たちに伝承してくれた重要な諸理解や関連性の多くを見失っているということです。さらに悪いことに、この運動の中には、トラー遵守に立ち帰れと主張している人たちさえもいます。――聖書ははっきりとそれに対峙し、それはキリストに対する信仰さえも無効にしてしまうものであるとしているにも拘らず、です。

 

イエスに従う者、特に異邦人信者たちは、トラーを遵守したり、ユダヤ教諸慣習を保持したりする義務はないと聖書は明確に言っています。「神は『新しいもの』と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。」(ヘブライ8:13)。

 

パウロはコロサイ人たちに次のように言いました。「だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。」(コロサイ2:16-17)。事実、ユダヤ主義者たちの異端に対峙したパウロのメッセージ全体は、キリスト者たちが再びユダヤ律法の軛の下にUターンし、キリストにある信仰を通した義ではなく、宗教的遵守を通し義とされようとしてはならない、ということにあったのです。「律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。」(ガラテヤ5:4)

 

ー終わりー

 

↓古代キリスト教礼拝のヘブル的ルーツ

www.youtube.com

 

ある脱会者の告白

 

A Testimony: My Journey on the Ancient Paths(抄訳)

 

はじめに

 

私は保守的で伝統的なキリスト教派の信者の家庭に生まれ、育ちました。しかしその後、いろいろな経緯があり、私は聖書の真理から大きく外れる人生のコースを辿っていくようになります。

 

ですから、私のストーリーはまさしく神のあふれる恵み、憐れみ、そして誠実さを顕すものに他なりません。このような者を忍び、愛し続け、当時自分が受容していた欺瞞の教えから私を救出すべく実際に御介入してくださった主に心から感謝申し上げます。私は過去9年の間に、二つの宗教運動に深入りしましたが、この証の中では、その中の一つであるメシアニック・ユダヤ主義の「ヘブル的ルーツ運動」のことに焦点を当てていきたいと思います。

 

パート1 ことの始まり

 

ある寒い冬の朝、私は通用口からゆっくりとその教会に入って行きました。心臓がドキドキし、それはあたかも蝶々が降り立つ場を求め激しく舞っているかのようでした。折しもその日は私の誕生日でした。「これはきっと偶然じゃない。私が霊的に『新しい命』に生まれ変わろうとしている『しるし』であるに違いない。」

 

ユダヤ人改宗者の方々と交わることで、私はより深く、意義深く御言葉の真意を理解することができるのではないかと感じていました。〔*私がこう感じていた理由は、昔、フェイス運動の中で「新約聖書は元々ヘブライ語で書かれていた」という誤った教えを聞かされていたことに由来します。〕それゆえに、神様のことを知り、神様に従う上で、ユダヤ的視点というのは肝要なものだと考えていました。

 

だからこそ、今日、私はメシアニックの集いに参加してみようと思い立ったのです。〔*ヘブル的ルーツ運動(以下HRM)への入り口は他にもあります。例えば、「土曜安息日を遵守しなければならない」という考えを持つに至った人々や、「特別啓示」を受け、神秘主義的経験をしたという人々などもHRM界に入ってきます。〕

 

はじめてのメシアニック・シャバット

 

私は興奮していました。でもどこに行ったらよいのか分からず、玄関口で辺りを見わたしていました。すると、にこにこと気持ちの良い笑みを浮かべ、ある男性が私の方に近づいて来られ、「ようこそいらっしゃいました」と歓迎してくれました。彼はユダヤ式のキッパ(敬虔なユダヤ教徒男性が常にかぶる頭蓋をおおう帽子のこと)をかぶり、Tzitzit(飾りふさ)がズボンのベルト通しから垂れ下がっていました。わあー!好奇心がますます高まっていきました。

 

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正統派ユダヤ教徒の男性とtzitzit(出典

 

彼の案内でシャバット(第7日/土曜日)の集いが行われる地階の部屋に通されました。椅子が整然と並べられており、何人かの人がまだらに座っていました。案内役の彼が他の人々に私のことを紹介すると、皆、心開けた様子で、「シャバット・シャローム」と挨拶してこられました。

 

私は腰を下ろしました。さあ、これが生まれて初めての安息日礼拝(シュール"schul")であり、「メシアニックの人々」との初めての関わりです。

 

とはいっても、集会に集っている人々がメシヤに信仰を持ったユダヤ人の改宗者であるとは限りません。その後数年に渡る私のHRMとの関わりから言えるのは、おそらくこの運動の中にいる人の95%強は、「異邦人クリスチャン」ではないかと思います。これらの人々は既存のキリスト教会を去り、彼らのヘブル的/ユダヤ的ルーツを探すべく、さまざまな次元で、モーセ律法/トーラーを学び、それを実践している人々です。

 

会堂正面の台の上には、トーラー巻物を収めた「聖なる契約の箱」が安置されていました。装飾された「契約の箱」はユダヤ的シンボルで覆われ、深いベルベット色の覆いは巻物を守るべくそれを支えていました。会堂にいる男性の多くは、タリート(祈りのショール)、tzitzit(飾りふさ)、そしてキッパを身に蔽っていました。

 

タリート טלית(出典

 

また多くの男性は、旧約の預言者を髣髴させるような豊かな髯をたくわえており、きれいに剃っている人もいました。髯を生やしている男性たちの動機は、おそらく、ユダヤ人のような風貌に見られたいという彼らの願望ゆえではないかと思います。また多くの女性たちはさまざまなスタイルの被り物をしており、被り物の上にユダヤ的シンボルを飾っている人たちもいました。

 

「あれは何かしら?」壇上になにか変てこな形にみえる楽器が置いてあります。動物の角のように見えます。それはショーファー(角笛)でした。聞いてみると、雄羊の角でできたイスラエル産の角笛だそうです。

 

ショーファーを吹く男性(出典

 

多くのメシアニックの人々はショーファーを持参しており、礼拝の途中や、祭りを祝う際、これを吹き鳴らします。ショーファーを吹き鳴らすことは真に「ユダヤ的」であり、自らのヘブル的ルーツに戻ることであると見なされ、彼らの間にあって崇敬されています。会堂の後ろの方には、テーブルがあって、礼拝後、オネッグ(カシェル;コシェル;כָּשֵׁר食物の清浄規定カシュルートに適合した食べてよい食物)が並べてありました。

 

この日の踏み出しが、その後の私の歩みにどれほど影響を及ぼすようになったのか、その時には知る由もありませんでした。そうです、私は、その日、メシアニック・ヘブル的ルーツ(HR)として知られる「分派的」運動の中に入り込みつつあったのです。

 

このようにしてHRメシアニック集会への初訪問は非常に感情的に深いものでした。集会後、人々が私にあふれるほどの情報を与えてくれました。〔HR運動の常套手段です。〕そして私は自分が今どんな世界に足を踏み入れつつあるのか全く把握していませんでした。

 

それは譬えていうなら、ぬるま湯の中でぱちゃぱちゃはしゃいでいる一匹の蛙のようだったと思います。自らの知らぬところでじわじわと温度が上げられ、やがて沸騰湯の中で死する運命にあることなどつゆ知らず、蛙は〈今〉を楽しんでいるのです。

 

礼拝の美しさ、神に対する畏敬

 

メシアニック集会の中に満ちる、神に対する驚異、崇敬、そして畏れの念に私は心打たれました。そういったものは既存キリスト教会では味わうことのできないものでした。また礼拝の美しさ、皆の畏敬に満ちた姿にも感動しました。

 

また、会堂にいた多くの人々も、私と同じく、Complete Jewish Bible(略:CJB)を携帯しているのに気づき、ほっと安堵感を覚えました。HBM界の標準的聖書は何かと聞かれれば、それはもちろんCJBです。

 

 

そしてこの運動内にいる大半の人々が信じているように、このバージョンの聖書こそ、彼らにまことの「ヘブライ的思考」を提供してくれているのです。ですが、それは誤った前提です。この聖書訳は実際には貧弱なものであり、翻訳にしても使用法にしてもヘブライ語を真に表象するものとはなっていません。〔ある語は真のヘブライ語ではなくイディッシュ語であり、ある語は、タルムードの中に見い出されているものを使用・適用しています。尚、この比較対照は、私自身の個人研究に基づいたものであることをお断りしておきます。〕

 

トーラーの行進が始まると、指導者の一人が(保護用のベルベットの覆いをしたままの)トーラー巻物を持ち会堂をパレードしました。皆、栄誉と崇敬の思いから手を伸ばし巻物に触れていました〔ラビ的伝統〕。子ども達は「歌ったり踊ったりながら、トーラー行進の後についていってもいいよ」と勧告されているようでした。私は驚きの目をみはり、感動で涙が出てきました。皆、手を打ち鳴らし、音楽に合わせて踊っている大人たちもいました。その歌は旧約聖書のミカ書をベースにしたものでした。

 

ミカ4:2

多くの異邦の民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。

 

私は旧約聖書に対するこういった強調の姿勢に感銘を受けました。この要素もまた、既存のキリスト教の中では十分に強調されていないように感じていたからです。しかし悲しむべきことに、私はそれとは相反するもう一つの側面を見落としていました。つまり、HR運動内での新約聖書のマイナーな取り扱いを識別することができなかったのです。

 

この運動の中では、新約というのは「あくまでも旧約聖書の註解書」的な扱いを受けており、もしもある箇所が「トーラーと調和しない」のなら、それらの新約聖句は脇にうちやられ、あるいはパウロが非難され、彼の言葉が神学的「ヘブル的ルーツ思考」を反映するものになるよう捻じ曲げられたりしていました。

 

「シェーマ」(申命記6:4-9)を唱えるために起立し、私たちは東の方角ーーエルサレムの方角ーーを向きました〔ラビ的伝統〕。多くの人の頬を涙がつたっていました。彼らはもしかしたらイスラエルの地に住むことを待望しているのかもしれません。もしくは、ユダヤ人と結び合わされたいという強い願いゆえに彼らは泣いているのかもしれません。というのもほとんどの人は自分たちが「失われたイスラエル民族の末裔」だと信じているからです。でもその真相はよく分かりません。

 

それはともかくとして、エルサレムの方角を向く目的は神秘主義的なもののように思われ、それが少なくとも聖書の基づいたものでないことは確かだと思います。

 

「ヤハウェ」と「イェシュア」

 

それにしても、この集会の中でイエスが「イェシュア」と呼ばれ、神が「ヤハウェ」「エロヒーム」と呼ばれているのは何とすばらしいことだろうと私は思いました。本当に聞くもの見るものすべて感動でした。後に(この集会外のHRの教師からですが)、私は「Jesus」「God」「Lord」というのがどれも、異教的名前であるということを学びました。〔その他にも、glory, holy, church, stake, amenのような「ギリシャ的異教」の語のことを聞かされました。〕

 

彼らは、そういった異教的名を使うことはトーラーを冒涜することであり、神の耳にそういった異教名は忌むべきものであると言っていました。「どうしよう、これまで私はずっとそういった忌むべき異教名を使ってきたのだ。。。」

 

こういった一連の情報ーー非常に反教会的「諸事実」を列挙したものーーの大部分は、ルー・ホワイト(Lew White)の「化石化した慣習(Fossilized Customs)」という本に源を発しています。

 

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実際、この本を読んだことのないHRM関係者はほぼ皆無と言っていいほど、みんな、この本を読んでいました。センセーショナルで虚偽情報に溢れた内容です。この本をまともに信じた人々の中には、正しい神称を用いるか用いないかは救い/滅びに関わる救済論の問題だと確信するに至った人もいました。かくいう私もさっそくこの本を購入し、内容を鵜呑みにしてしまいました。そして神が示してくださったように、私はすぐさま「ヤハウェ」と「イェシュア」という名称を用いるようになりました。

 

シッドゥールを用いた祈り

 

礼拝にはシッドゥールも伴っていました。シッドゥールというのは、ユダヤ教の祈祷書であり、その中には旧約聖書の聖句やラビ的に構成された祈りが収められています。祈りや聖句は、英語で書かれ、脇には朗唱しやすいように、音訳・転写されたヘブライ語が併記されてありました。ユダヤ教シッドゥールにはメシヤとしてのイエス・キリストに関する言及は全くありません。

 

しかしHRM系の集会で使われている数多くのメシアニック・シッドゥーリームは、既存のテキストの中にイェシュアに対する言及をつけ足しています。シッドゥールの中にイェシュアに対する言及が数えるほどしかない事実に正直私はがっかりしました。イェシュアへの言及は、何というか、それにメシアニックな外観をもたせるための「補足」といった感が拭えませんでした。

 

今、「ヘブル的ルーツ運動」を振り返ってみて分かるのが、類似のパターンが現れてきていたということです。それは何かと申しますと、トーラーが他のすべてーー福音書やメシヤご自身を含めた全てーーに勝って崇められ高揚されていたということです。

 

ある人々はそこからさらに進み、ついには「イェシュアは肉の中に顕現されしトーラーである」と言い始めていました。この解釈は間違いなく、聖句の中に強制的「読み込み」をしなければ成り立ちません。というのも、ここの箇所で用いられているギリシャ語はlogos(ことば)であり、nomos(律法)ではないからです。誰かが疑問を発していました。--もしもイェシュアがトーラーなら、トーラーが私たちの罪のために死んだのでしょうか、と。

 

トーラー朗読の際には、聖句の前と後でそれぞれ祈りが唱えられ、ヘブライ語か英語で朗読がなされます。ヘブライ語がもちろんより好まれるのですが、現実問題としてヘブライ語を話せる人があまり多くないという事情がありました。また、こういった祈りはタルムードからのもので、それはイエス・キリストを否定しています。指導者たちは週ごとに順繰りにパラシャーと呼ばれるタナク(תנ״ך、Tanakh)を朗読していました。

 

礼拝の終りに、指導者の一人が、大きなタリートで頭と腕をテントのように覆い、会衆に向け、両手を拡げました。彼の指の間にはタリートのふさが握りしめられていました。彼はまた奇妙な形の指のポーズをしていました。それは「V」の字のようなポーズに見えるのですが、人差し指と中指だけでなく全ての指が割れた感じになっているのです。

 

「なんだか神秘主義的な感じがするなあ」とは思いましたが、「まあ、そういうのもいいのかもしれない」と私は良い風に受け止めることにしました。しかし後になって、こういった指のポーズがカバラ(קַבָּלָה , Kabbala)の慣習であるということを知ったのです。

 

 Jonathan Cahn - Freemason Hand Sign Shin V

『シェミータ』の著者ジョナサン・ラビ・カーン(出典

 

おそらくその集会の指導者たちはその事実に気づいていないのではないかと思います。また民数記6:24-26の「アロンの祝福」に関し、トーラーは、レビ族の血を引く者のみに対し、「ブナイ・イスラエル(B'nai Israel;イスラエルの子たちもしくは国)」を祝福するよう指示していることに気づきました。

 

なぜメシアニックの人々は、アロンの血統から自分たちは「お株を奪ってもいい」と感じているのでしょうか?これを「トーラー遵守」と本当に言うことができるのでしょうか?

 

しかしともかく、当時の私の視点からみると、礼拝は美しいものでした。多くの音楽はスタイルも作曲もヘブライ的であり、歌詞の中にも多くのヘブライ語の単語が混ざっていました。少しずつこういった音楽を好むようになっていきましたが、一つ、良い意味でヒューモラスに感じることがありました。ーーHRMの中で「キリスト教会」というのは散々けなされているにも拘らず、彼らが歌っている曲のいくつかは実際にはクリスチャンの作った歌で、彼らは歌詞の中の「イエス」を「イェシュア」に書き換えていました。

 

正直に言って、なぜ彼らが「クリスチャン・ミュージック」を使っているのか私には不可解でしたが、あえてそのことを彼らに質問には行きませんでした。全体として礼拝は感情的に高揚をうながすものであり、私は長い間の念願であった「帰郷」をついに果たした気がしました。

 

パート2 より深く入っていく

 

「新契約」ではない「更新された契約」

 

私は、HRMの基礎コース(イェソッド)を受講し始めました。講義の中で私は、「新契約」ではなく「更新された契約」に関する「真の」理解が大切だと教わりました。初めにそれを聞いた時はショックを受けたのですが、次第にそれが理に適ったものであるように思われてきました。

 

これがヘブル的ルーツ運動の核心的教理です。この教理はエレミヤ31:31に溯り、HRMの「学者たち」が、既存聖書の「誤った」ヘブライ語を正し、この箇所は「新しい"new"」ではなく「更新された"renewed"」という意味であると説いています。

 

しかしこれは学術性を完全に欠いた解釈だと思います。譬えて言うなら、それは、英語の"new"が、"renew"と交換可能と言っているようなものです。ヘブライ語はB'riyt chadashah(新しい契約, H2319)と言っており、mechudeshet(更新された, H2318)とは言っていません。確かに両者は同根語ですが、ヘブライ語は文脈的に訳されています。次の32節 lo' kabriyt ("not like the covenant"..、、契約のようではない)がその文脈的翻訳を支持しています。これは「更新された契約」ではなく、明白に新契約を指しています。

 

また、エレミヤ31:31の箇所を引用しているヘブル8:8をみますと、「更新(anakainoo, ,G341)」ではなく「新しい(kainos, G2537)」が使われています。HRM聖書訳の中には、エレミヤ31:31を「更新された」と訳し、ヘブル8:8は「新しい」と訳す場合もあれば、その逆のパターンがあったりもします。こういったHRMの傾向に対し、ある方が次のように述べておられました。

 

「仮にそういった『教師たち』が提唱している解釈が耐久性のある真理であったとします。そうなりますと、ーーユダヤ人、クリスチャン、一般人を含めーーかつて存在したあらゆる時代のあらゆる聖書翻訳者たちはこれまでずっと間違いを犯し続けてきたということになり、それだけでなく、世界に散らばる500万のヘブライ語話者も誤っているということになります。それゆえ、そういった『学者たち』は、神によってモーセや預言者たちに与えられたものも今後変更していくことができるに違いありません。」

 

ユダヤ的紐帯を求めて

 

私は自分がついにユダヤ的紐帯を見い出したのだという希望と高鳴る興奮の内に、基礎コース(イェソッド)の教室に足を踏み入れました。しかし、私の期待に反し、その集まりにはユダヤ人は皆無でした。〔多くのHRM集会には確かに本物のユダヤ人改宗者もいるにはいます。しかし全体として見た場合、そういった改宗者は非常に少ないというのが現状です。〕

 

集会の中のある人々は、自分の家系図を引っ張り出し、そこのどこかにユダヤの血統がないかどうかを必死に探していました。講座が進むにつれ明らかになってきたのは、(指導者層も含め)受講者全員が、私と全く同様、元キリスト教徒だったということです。

 

ユダヤ性を求めてやまない人々の渇望は、私が飛び込んだ「メシアニック」世界のありとあらゆる部分にみられました。そしてヘブライ語およびラビ的慣習〔1世紀のユダヤ教の慣習であるかのように誤解されていました。〕が、真理の中の真理であり、信仰者の目的であるとして導入されていました。

 

またヘブル的に聞こえる名前の響きというのは、ユダヤ的であることを感じる上で非常に重要でした。公言はしていませんでしたが、実際には、多くの指導者たちが、自分がユダヤ人であり且つヘブライ語に相当長けているという風に思われたいという願望からだと思いますが、実名をユダヤ的な仮称に変えていました。

 

またイェソッド講座の中で私は「イェシュアは "Torah observant bride"(トーラーを遵守する花嫁)」のために来られた」ということを教わりました。トーラーを遵守する花嫁というのは、神の律法ーーつまりモーセ律法ーーの「すべて」を守る人たちのことです。

 

そして既存キリスト教会はこれまでずっとこの重要な真理を把握してこなかったため、既存キリスト教の「クリスチャンたち」は、天国でトーラー遵守者と同等の地位にはつけないのです。HRM教師たちの中には、「いや、既存キリスト教の『クリスチャン』はそもそも天国に行くことができない。なぜなら、彼らは神に対して不従順であったから」と実際に説いている人もいました。

 

「千年王国期には、動物のいけにえ制度が再び実施され、大祭司イェシュアの監督の下に、第三神殿が建設される。その時クリスチャンたちはトーラーを学ぶことになる。そして彼らクリスチャンたちは『天の御国で最も小さい者』(マタイ5:19)とみなされるようになる。なぜなら、彼らは神に命じられた通りに各種祭りやトーラーを『遵守/教示』してこなかったからである。」

 

あの当時、上記のような偽教理を鵜呑みにしていたことを思うと、背筋が凍る思いがします。神の恵みにより、そのような教えの環境下にあっても私はかろうじて、完全なる信仰の破船からだけは守られ続けました。

 

しかしこの運動内の多くの仲間たちは、その後、徐々にイエス、そして十字架上で完了したご自身の御業を拒絶する方向へと流れていき、ついにはユダヤ教へと改宗していきました。そしてこれがHRMから産出される主要な副産物です。

 

既存教会/バビロン

 

しかしイェソッド講座を受けた初日、私の心は散り散りになりました。その時私は「ああ、自分はこれまでずっとこの真理を知らずにきたのだ」という思いで圧倒されました。帰りの車の中でも涙が止まらず、これまでの生涯、自分は、既存教会/バビロンで、「偽り」を吹き込まれ、教え込まれていたという事を知り、それを泣きながら悔い改めました。自分がずっとずっと探し求めていた「真理」ーーこれをついに見い出したのです。どんなに歓喜したことでしょう。

 

しかしそれは非常に私を誤らせるものでした。というのも、それを機に私は、体系的に自分に対抗してくる新しいライフ・スタイルおよび神学にどっぷり浸かっていくことになったからです。やがてそれは自分の中で耐えがたいほどの重荷になっていきました。

 

私は「別の福音」を吸収しつつあり、その異なる福音は重圧となって私にのしかかり、肉体的にもその重さを感じることができるほどでした。その当時は理解できなかったのですが、何かいつも倦怠感と抑圧感がまとわりついて離れない感じがしていました。

 

自分の「家」となった新しい集会の中でその後一年近く過ごしました。私たちはすべての祭りを祝い、適切なハラカ〔トーラー遵守における日々の歩みーー大部分はラビ的なものです〕を学んでいきました。私は日々多くのことを吸収し、その環境に馴染んでいきました。これまで自分がいた宗教環境の中で、これほど安らかで心地よい環境はなかったと言っていいほどです。新しいライフ・スタイルと新しい友人たちに囲まれ私はとても幸せでした。

 

しかし残念なことに、集会の指導者たちの間で、トーラー遵守の詳細に関する論争が起き、そのいざこざでトラウマとなるような出来事が起こり、集会を離れざるを得ない状況が生じました。

 

家庭でのシャバット礼拝

 

集会を離れた後、私は、同じ時期に同じ理由で集会を離れた何人かの方々と、シャバット(土曜日)にわが家に集い、トーラーの学び会をするようになりました。私たちは午前11時に集まり、オネグ(oneg)をし、メシアニック式の礼拝賛美を捧げ、トーラーを学び、途中で食事を共にし、またトーラーを学んでいきましたーー時には夜の11時過ぎまでその学び会は続けられました。それはとても甘美なひと時で、私はシャバットのこの集いを愛していました。

 

しかしまもなく、トーラー遵守の詳細部分をめぐり、意見の対立が生じーーこれはHRM運動内でひんぱんに起こる現象ですーー集会は3カ月後、分裂・解散となってしまいました。そしてハラカの中で分かちがたく結び付いていると信じていた友人たちに再び拒絶され、トラウマ、落胆、傷が深くなっていきました。「誰を信じたらいいのだろう?」

 

失意の中で今度は私はインターネットの世界に入っていきました。そしてそこに数多くのヘブル的ルーツ運動ミニストリーを発見したのです!私は、自分の「異教的/ギリシャ的/西洋的/異邦人的」思考を脱却し、適切で正しい「ヘブライ的思考」を学ぼうと、それらのミニストリーの提供する講義テープや著書やDVDを買い求め、学びました。*1

 

また「特別なヘブライ的啓示」や「新しい教理」といったものもそこに特典として付いていました。私はありとあらゆるユダヤ的なものを収集するよう努め、失われている、新約の中のユダヤ的要素を取り戻そうと努めました。

 

ライフ・スタイルの激変

 

日々のライフ・スタイルも激変しました。ユダヤ性を反映させようと家の装飾を変えました。メノラ、ダビデの星、メズーザ(申命記の寿節を記した羊皮紙片で戸口に掲げる)、地元のハシディック・ラビ〔カラバ的〕のお店から購入したコシェルの精肉、ユダヤ式被り物のための織地、家庭でのシャバット夕礼拝(キャンドル、ワインとカラ・ブレッドを添えた特別なコシェルの食事)等。

 

私は全ての祭りを遵守し、カシュルート(コシェルの食物、適性食品)規定を守り、口伝トーラーを信じ、ショーファー(雄羊の角笛)を吹き鳴らす行為には特別の油注ぎがあると信じていました。〔不幸なことに、付加されたショーファー吹きは、ユダヤ的でもなく、「コシェル」として捉えられてもいないということを後で知りました。〕

 

私は「異教的」クリスマスの代わりにハヌカを、そして「異教的」イースターの代わりに、ペサハ(過越しの祭り)+セダール(中世に付け加えられたラビ的な慣習ーー1世紀の慣習ではない)を祝いました。こういった「ユダヤ性」に関する教えや慣習は、タルムードや中世以降のカバラ〔ユダヤ教神秘主義〕に根差しています。

 

タルムードやラビの解釈体系は、新契約の信者たちのそれと反目しています。タルムードはイエス・キリストの誕生、生涯、死に対して正しい評価をしておらず、それらを貶めています。イエス様がおっしゃったように、それは悪い「パン種」でありーー外側がどんなに良く見えようともーー私やあなたの霊的状態を腐敗させるものです。

 

ヘブル的バプテスマ「ミクヴェ」を受ける

 

私はイェシュアの御名で「ミクヴェ」(ヘブル的ルーツ運動の中で「ヘブル的バプテスマ」と言われているもの)をも受けました。HRMの教師たちは、キリスト教会で受けた私のバプテスマは「間違った名によって」なされたために、私を救うものにはなっていないと説きました。HRMはキリスト教のバプテスマを、ミクヴェを置き換えていますが、その手順は互いに異なっています。

 

クリスチャンのバプテスマとは違い、ミクヴェのバプテスマでは、胸の所くらいまで浸かるほどの深さの清水が必要であり、ミクヴェを受ける人は単独で真っ裸の状態で水の中に入っていきます。サウナやスイミング・プールの類は「コシェル」とはみなされず、唯一、ラビ的に規定され、建てられたミクヴェ専用の浴槽だけがそれに適切なものとされています。

 

ミクヴェを受ける前、私たちは肉体的に清くなければならず、石鹸と水で体を洗わなければなりません。すべての宝石類を取りはずし、万が一にも髪の毛にもつれがあって、その部分が部分的にしか浸水しない状態になることのないよう、髪をくしで梳かします。ミクヴェでは体の部位すべてが浸水しなければならないからです。

 

その後、私たちは前向きの姿勢で水に入り、完全に浸水し、その後、数秒、ミクヴェ浴槽のどこにも触れないようにしつつ体を浮かばせます。それぞれの伝統にもよりますが、一連のこの動作を二回、ないしは三回繰り返します。大概、浸水の前には祈りが捧げられます。それは神秘的体験であり、罪から離れ、メシヤに結び付くという公的表現としての「バプテスマ」ではありません。

 

それは、汚れ(タメイ)から自らを清める儀式的プロセスであり、ここでいう「不浄」とは罪深い状態を指しているのではなく、タルムード的に規定されたところの不浄です(例えば、女性の月経サイクル〔ニダー〕等)。ミクヴェ浴槽を使用するためには通常、献金や有料の会員加入などが要求されます。

 

旧約の神殿の清浄システムは「ミクヴェ」とはみなされていません。ーー他方、ユダヤ教ではそのように教えられています。ミクヴェは旧約聖句の中では水塊(body of water)として使われています。ですからそれは中世期に生じたラビ的伝統なのかもしれません。

 

トーラー巻物

 

美しい濃青色のベルベットで覆われ、金のふさで装飾を施され、前面にダビデの星が刻み込まれているトーラー巻物を、私は居間に安置しました。それは、キリスト教が私の人生から抹消されたことを示すサインとして、わが家を訪れる全ての人の目に映り、私自身もそう考えていました。

 

しかし後になって、自分の購入したこの巻物が実は複写物であり、ユダヤ人の方々にとっては「コシェル」とみなされていない代物であったことを知り、私は愕然としました。それはむしろユダヤ人の方々にとって忌むべきものだったのです!巻物は高額なものでしたが、その事を知った私はすぐにそれをゴミ箱に捨てました。メシアニックの諸集会で使われているトーラー巻物の約何パーセントが「本物」なのでしょうか?真正なるトーラー巻物は何千ドルという値段がします。

 

タリート

 

私はタリートを持参しており、少しずつタリートを着用したラビ的祈りを習得していきました。ヘブル的ルーツ運動の中での顕著な教えによると、イエスはタリートを着用していたとされています。それで私は自分もタリートを着用することでイエス様に従い、彼に従順であると思っていました。

 

しかし、タルムードの中で言及されているように、タリートは中世時代に発達したものです。また613の律法を象徴する「ひも結び(knot-tying)及び、ほとんどのタリトットの縞は、ゲマトリア〔カバラ〕に基づいています。

 

そんな折、私は某メシアニック「ラビ」が自分の飼い犬にタリートを着せ、そのためタリートが床に引きずられている写真を目撃しました。当時、私はその画像をみてユーモアがあって可愛いと思ったのですが、後になって、それはユダヤ人の方々の心情を害し、彼らの心を傷つける行為であったことを知りました。なぜなら、タリートというのは彼らにとって聖なる装束であり、本来なら地面に触れてはならないものだからです。その画像をみた誰かがその「ラビ」に注意したのでしょう。彼は写真を削除しました。

 

しかし数カ月後、彼が再びその写真をインターネットに掲載したことを知った私は驚きあきれました。我こそ「ユダヤ的」だと自認している人々が、よりによって--彼らが「ねたみ」を起こさせようとしているーーユダヤ人超本人たちに対し、これほどまでに配慮を欠いた行為を平気で行なうことができるーーそのことがショックでならなかったのです。

 

タリートに関し、HR運動内で教えられているもう一つの有名な教えは、使徒10章のペテロの幻の中に出てくる敷物は実はタリートであった、というものです。タリートがその当時存在していなかったという事以外にも、そもそも神は、聖なる装束とみなされているものを、清くない/タメイ〔非コシェル〕で一杯にしてそれを天から降ろすようなことをされるのでしょうか?

 

 パート3 ワイルド化していった私の「ヘブライ的思考」

 

Image result for hebraic mindset

出典

 

私はヘブライ語の勉強を始め、より一層ユダヤ的になれればと願い、自分の思考の中にできる限り多くのヘブライ語を入れ込もうと努力しました。これは私にとって何より重要なことでした。なぜならヘブライ語は「唯一の純正にして、聖なる "the pure, holy"」言語であり、天において話される言語であると教わっていたからです。この教えの出処は不明ですが、ヘブル的ルーツ運動の世界ではかなりポピュラーな教説です。

 

また別のポピュラーな教えとして、「ユダヤ人はギリシャ語を話す位なら、豚肉を食らうだろう」というのがあります。この教えの出処も不明ですが、HRM教師の多くは、この金言を用い、「セム語的新約聖書」および、「タナク(旧約)の書かれた純正オリジナル言語としてのヘブライ語」という観念を促進しています。しかしタルムードには、「トーラー巻物を書くことが可能であり、かつコシェルとみなされる言語は、ヘブライ語以外にはギリシャ語である」と記されてあります。

 

メシアニック音楽は私にとっての喜びでした。そこには本当に美しい賛美があり、今でも私はそれらの音楽を聴くことに抵抗を感じていません。しかし何と言いますか、それは時として、ユダヤ人の方々と私たちをつなぐ「兄弟愛」のシンボルのようになり、いわゆるその「一致」の感覚によって心があたためられはするのですが、その結果、「一致」の内実に関する何かがぼかされるように思うのです。ユダヤ教というのは、イエスをメシヤと信じている者と「一致」してはいませんし、一致し得ません。

 

また最近ではダビデの踊り(Davidic Dance)も盛んになってきていますが、私見では、少々、誇張されすぎだと思います。大半のユダヤ人は、私たちが強調するほどには、こういった踊りを、生活や宗教の中に取り入れてはいないそうですし、一般のユダヤ人の目から見ると、HRM界隈の人々のそういった強調は、--気分を害するものではなくてもーー少々滑稽にみえるようです。今になっては、霊とまことによって主を礼拝し、賛美するということ以上に、タナクにある「真正なる古代ダビデ的」礼拝スタイルというものに重要性を置くそういった一連の傾向に私は不安を覚えています。

 

「ギリシャ語新約聖書のイエスはメシヤではない」

 

こうして次第に私は、「ギリシャ語新約聖書のイエスはメシヤではない」という考えを受容していくようになりました。もしもイエスがユダヤ人で、トーラーを遵守し、イェシュアというヘブル語の名前を持っておられたのなら、クリスチャンたちの教えている事は間違いだということになります。なぜなら、彼らはイエスがそうされたようにトーラーを遵守していないからです。

 

そうなると、彼らのメシヤは反キリストであるに違いないということになります。この部分を読んで驚かれた読者がいるかもしれませんが、目下、HRMの世界ではそういった観念が氾濫しています。

「『イエス』というのはギリシャの神である。」

「『イエス』を信じ、このギリシャ神を信じる者は地獄に落ちる。」

〔その他にも、イエス様に対する類似の言明がなされていますが、余りに冒涜的で私はそれを書き出すことすらできません。〕

 

イッサカル族の末裔 

 

メシアニック・フォーラムは、いかにして私の中での「ヘブライ性」を実地に生かすことができるのかについて数多くのアイディアを提供してくれる場です。

 

私はメシアニックの著作を読み、ユダヤ教の慣習や実践について勉強し始めました。「もっとユダヤ的な生き方をし、トーラーを遵守できるようになりたい。そうすることにより、ユダヤ人の方々に『ねたみ』を起こさせることのできるのではないか。。」そう思っていました。〔ですが、実際には、私たち異邦人のこういった実践がユダヤ人の方々をむしろ憤慨させるのだということを後で知りました。〕

 

私はユダヤ人になりたいと心底願いました。自分が「ユダヤの血統を持っている」と言えないことに打ちひしがれました。でもそんな時、二つの家/エフライム族/イスラエルの家という教理*2に出会い、私は自分が本当に、「失われた」部族に由来する隠れたユダヤ人であることを知りました。「個人啓示」により、自分がイッサカル族の末裔であることを確信しました。また別の人々は、類似の啓示により、彼らが真に「失われた」エフライム族であることを確認しました。

 

The Two House/Ephraimite Error

「二つの家/エフライム族/イスラエルの家」の教理(出典

 

「そうか、私は文字通り、フルにイスラエル人なんだ!」私は狂喜しました。〔しかしこれも後になって根拠のない偽教理であることが判明しました。〕*3

 

私は完全に落伍者

 

実際には、私は支離滅裂の状態にあり、その時点で、私の神学は完全に歪んだものとなっていました。

 

心の深い処での私の願いは、ひたすら神様に従う従順な人生でした。それ以外には何も考えていませんでした。私は心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして神様を愛したいと願っていました。でもどんなに頑張っても私はトーラーを遵守することができませんでした。何をしても正しく行なえていないように感じ、それが自分をイライラさせました。疲労感と不安が募っていきました。

 

トーラーの「すべて」を遵守するとはどういう意味?

 

日々、HRMのフォーラムの仲間たちが私を慰めてくれました。彼らは言いました。「あなたは少しずつトーラーを遵守できるようになっているし、神様はそれを良しとしてくださっている。なぜなら、あなたは本当にトーラーを愛しているから。」

 

また、彼らは「(あなたにとって)遵守可能なトーラーの部分を、あなたがいかに守っていくことができるのか、ルアーッハ・ハ・コデッシュ(聖霊)が教えてくれるでしょう」と言いました。

 

しかしトーラーの一部を遵守すべく神が人々に異なった方法で語られるというのが私には不可解でなりませんでした。神様は「書かれてある通り」に、律法「すべて」に従うよう命じられたのではないでしょうか?それなのになぜ「聖霊」はそれぞれの人に別々の選択肢がある、というような混乱したメッセージを人々に語るのでしょう?

 

今日、40%もしくは、613のトーラーの内の約240位を私たちは遵守することが可能だと言われています。それでは、それが、神の掟の「すべて」に従っているということになるのでしょうか??彼らの助言は余計に私を立腹させました。なぜ彼らは理解してくれないのでしょう?神は、トーラーというものは書かれてある通りに遵守されるべきであって、私やあなたが「できる範囲のもの(と考えるもの)」を遵守すべきだとは言っておられないのです。

 

自分を含めフォーラムに参加する仲間たちがやっている事は結局、「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっている」と神が呼んでいる行為そのものではないでしょうか。私はそれを守ることができませんでした。私は完全に落伍者でした。

 

カバラへ向かう

 

そこで私はカバラ〔ユダヤ教の神秘主義思想〕の方へ向かいました。カバラは純粋なもののように見え、御言葉の深みを真に理解する道であるように思われ、そこから、トーラーを遵守することに関する神の真理が開示されてくるのではないかと思ったのです。

 

またこの潮流の中において私はヤハウェとのより深い関係に達することができるということも見聞きしていました。そこで私はメシアニック「ラビ」の書いたメシアに関する著作を読み、カバラ的メシアニック様式を学んでいきました。ユダヤ教のある宗派の中で実践されているカバラは、イェシュアをセフィロトの樹(Sefirotic Tree)の一部としては言及していません。

 

図式化したセフィロトの樹

セフィロトの樹(出典

 

このメシアニック・ラビは、ゾーハル/カバラ的観念を著書の中で説いていましたが、彼はイェシュアを中間柱そして秘教的な枠組み全体の中におけるメタトロン(ユダヤ教の天使の一人)に位置づけていました。

 

ゾーハルは、トーラーの註解書であり、カバラにおいて中心となっている書物で、アラム語で書かれています。一般に『光輝の書』と訳され、『ゾハールの書』とも言われています。ユダヤ神秘思想の中に出てくる、セフィロトの木やアダム・カドモン、様々な天使、膨大な数を取り巻く多くの天国などの諸々の神秘思想などがまとめられたユダヤ神秘思想関係の文献です。(参照

 

その時私は、パルデス(楽園)がカバラ主義的なものであることを知りました。--つまり、各次元による聖書理解の体系のことです。①パシャー(単純な表面的テキスト)、②レメズ(暗示されている)、③ドラッシュ/ドレッシュ〔ミドラーシュ〕(寓喩的)、④ソッド(エソテリック;秘伝的)

 

人は、最終段階であるエソテリックなソッドに到達したいと願うでしょう。〔「啓示」を伴う最も深遠なる秘儀的レベルです。〕私はがむしゃらにそれを求め、「開眼(enlightened)」「照明(illuminated)」されました。しかし、、、それでも平安は与えられませんでした。

 

そして霊的高揚感はいつしか本物の恐怖へと様変わりしていきました。私はこの「ヤハウェ」に対しとてつもない恐怖心を抱くようになりました。こんなに恐ろしい存在に対しもう二度と祈ったり、交わったりすることは不可能であるかのように思われました。もう限界状態に達していました。本当にどうしていいのか分からなくなっていました。混乱と鬱に襲われる中で、私は正常な状態になるまでひとまずこのカバラの本を脇に置くことにしました。

 

パート4 神のご介入と恵み

 

ちょうどその時、突如として神が私の人生に御介入してくださいました。神はある人を私の元に遣わし、その人を通し、多くの事実を提示しつつ私に真理を語ってくれました。それは痛みを伴うプロセスでしたが、愛と忍耐、そして上よりの知恵の中でなされていきました。そして何より私は御言葉そのものに立ち返り、HRMのレンズなしにそれを学ぶことの必要性を示されました。

 

多くの人が「でも具体的にどのようにしてヘブル的ルーツの世界から脱出できたのですか?」と訊いてこられます。その当時を振り返ってみて強く思い出すのは、堅固な諸事実と共に真理が私に提示されたということです。まず最初に、そしておそらく最も有効だった情報は、秘儀的オカルト・システムとしてのカバラの暴露でした。

 

私がその危険性を悟り、その次にそれを「メシアニック・カバラ」と比較した時に、今度こそはっきりと、自分がどれほど道を踏み外していたのか、そして虚偽を吹き込まれていたのかを認識したのです。そしてその気づきをきっかけに私は自分が信じている内容について真剣に再考し始めました。もしもこの点で、私の教師たちが間違っているのだとしたら、他の点で彼らが間違っていないと誰が明言できるでしょう?

 

第二番目に気づかされたのは、自分の「識別探知機」が久しくオフになっていたということでした。ガラテヤ5章に示されている御霊の実を全く宿していない指導者たちからのありとあらゆる「真理」を私は鵜呑みにしていました。

 

ある教師にHR聖書を注文し現金を支払ったのに商品は送られてきませんでした。また別の「メシアニック使徒/ラビ」には商品のことで嘘をつかれました。そして両ケースにおいて、結局、現金は戻ってこず、その代りにそれは「献金」だと言い渡されました。多くの指導者たちの行ないや振る舞いは柔和でなく、彼らの言葉はクリスチャンたちに対する憎悪や怒りに満ちていました。なぜ私はそういったことに盲目だったのでしょう?当時の私はそのような人々をむしろ激励さえしていたのです。そういった霊の影響下にありながらも、私はその不敬虔さに気づくことができていませんでした。

 

そして最も重要なことは、この方のアドバイスにより、私は自分が身に着けてきた「ヘブライ的思考」なしに新約聖書を読むようになったことです。そして今日に至るまでーー旧約聖書を読む場合も含めーー私はそれを続けています。

 

こうして「ヘブライ的思考」なしに聖書を読み始めてみて分かったのは、自分がそれまで教えられてきたことがどんなに虚偽であったかということでした。新契約というのは数々の律法で構成された体系についてではなく、キリストの内にある平易性についてのものであることを知りました。

 

2コリント11:3

しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。

 

また感謝なことに、自分がこれまで真理だと取り入れてきた教理が、単なる推測や臆説を土台にした虚偽であることを、数多くの事実提示により、私は悟りました。

 

新約聖書のセム語的首位性(Semitic primacy of the NT)、「口承トーラー」という傘下に位置するメシアニック主義に充満しているラビ的諸概念、「ヘブライ的思考」、1世紀のユダヤ的諸慣習、「NTはトーラー遵守を教えている」というデマ等、、こういった教えの影響下に入ることにより、人は、欺きと誤謬の枷につながれていきます。

 

私はその後数か月に渡り、リサーチを続けていきました。そしてそれまで「真理」だと受け取ってきた数々の内容が嘘であったことを突き止めました。「ヘブル的ルーツ運動」の主要教義の一つは、「西洋的/ギリシャ的/異邦人的思考」に相反するところの、いわゆる「ヘブライ的思考」の促進にあります。

 

換言しますと、もしあなたが「ヘブル的ルーツ」のレンズを通して聖書を読まないのなら、あなたの聖書解釈および理解は歪んだものとなり、あなたは真理を把握できていない欠落した状態にあります。

 

あれだけ長くHRMにいながらも結局、「ヘブライ的思考」というのが一体何だったのか私は未だに確信が持てていません。しかしヘブル的ルーツ運動内にいる人のほとんど全員が、完全なる「真理」の開示ゆえに、セム語新約聖書が採用されるべきであって、ギリシャ語新約聖書は拒絶されるべきだと信じています。

 

それゆえに、彼らによると、聖書全体はその思考プロセスにおいて「ヘブライ的」であり、それにはイエスがパリサイ派であったとか、ヒレルの下で学んだとか、「口承律法」〔ミシュナーやタルムード〕を説いたとか、そういった視点も含まれます。

 

キリストの血潮の内にある新契約

 

そういった遮眼帯が取れていくにつれ、神様は御言葉を通しいかに自分が間違っていたかを示してくださいました。主とのより深い関係がもたらされるのは、経験や従順を通してではないのです。そうではなく、キリストの血潮の中にある新契約が、"Spirit of the Law”に新鮮な視点を与えることに私は気づかされました。

 

心の中に書かれてある数々の掟は指示の一覧表ではなく、聖霊によって霊感された「思考」であり、それは私たちに罪を悟らせ、御言葉を理解する知恵を与え、福音を伝えるイエス様の手足となることによって神にお仕えしたいという願いを起こさせます。

 

マタイ22:37、ヨハネ13:34、1ヨハネ3:22、コロサイ3:12、ミカ6:6、ヤコブ2:8、申命記6:5

 

おわりに

 

私の中で、「ユダヤ教」と「キリスト教」の境はいつしかぼやけ、曖昧なものになっていましたが、その後、学びやリサーチを続ける中で私がたどり着いた結論は、ユダヤ教とキリスト教はやはり別個にして異なる宗教だということでした。

 

どなたかが言っていましたが、「ヘブル的ルーツ運動」というのは、通路を下るショッピング・カートのようです。--一方の側にはユダヤ教があり、もう一方の側にはキリスト教があります。そしてHRMはそれぞれの側から商品を拾っていきながら、新しい独自の宗教を形成しつつあります。しかし本来それはあり得ない融合です。

 

私が受容していた教理内容で一番悲劇的なものは、「イエス・キリストは、トーラー的メシヤであり、新契約のメシヤではない」というものでした。ヘブライ的へりを探すことに人生の大部分を費やし、救いを必要としている人々に対し、キリストの愛の内に真の福音を伝えることを脇にうちやることにより、ヘブル的ルーツ運動の旅びとたちは、「古の路」の途上で道に迷っています。そして、その路の終りは死につながるものです。

 

もしもあなたが現在、何らかの形でヘブル的ルーツ運動に関わっているのでしたら、どうかこれらの事をご自分でリサーチなさってみてください。神様がご自身の知恵をもって私たちの思い・考えを明瞭にし、そして、私たちがどんな犠牲を払ってでも、神の真理を探究し続ける者となさせてくださいますように。アーメン。

 

ー終わりー

 

 

ユダヤ人女性ロザリンド・モス姉妹のストーリー

 

Roy Schoeman, ed., Honey From the Rock: Sixteen Jews Find the Sweetness of Christ, Ignatius, 2007, p. 171-176.(拙訳)

 

Jews for Jesusの兄弟姉妹との出会い 

 

1976年夏。〔カリフォルニアにあるユダヤ人福音宣教団体 ‟Jews for Jesus" の宣教師たちとの交わりを通しイエス・キリストを知った私は〕ニューヨークにいる兄のデイビッドに電話し、自分がメシアを信じるに至ったことを伝えました。

 

Jews for Jesus members on the street

出典

 

デイビッドは、私の話しぶりから私がエヴァンジェリカル・プロテスタント、そしておそらくはファンダメンタリスト陣営のクリスチャンになったのだろうとすぐさま察知したそうです。しかしその当時、キリスト教界内の細かい違いは私の知るところではありませんでした。私が知っていたことは唯一、自分が今クリスチャンであり、ユダヤのメシア、イスラエルの希望であるキリストに従う者になったということでした。

 

兄と妹にも福音が伝わる

 

一年後、デイビッドから電話があり、彼もまたキリストを信じるに至ったと私に告げました。おお、なんという喜び!その当時、私たちは知らなかったのですが、ミシガン州に住む妹のスーザンもこの時期、キリストの臨在に関する深遠なる経験をしていたのです。もっとも彼女の道程は私たちのそれとは異なっており、それゆえに、彼女がキリストがどんな御方であり、罪に対してなされたキリストの贖いの賜物がいかなるものであるかに関する理解に至るまではそれから尚数年の歳月を要しました。

 

とはいえ、それぞれ離れた所に散在する私たち兄妹ーーそれもユダヤ人兄妹ーーが、同じ時期にメシアへの信仰に導かれたというのはなんという驚きでしょう。おお深い、深い神の愛よ!

 

兄が懸念を打ち明ける

 

こうしてデイビッドと私は電話口でそのことを互に喜び合ったのですが、彼はまた一つの懸念をも私に打ち明けました。

 

「でもね、ロザリンド、なにかがおかしいって僕は思うんだ。ほら、僕らのプロテスタント教会の牧師たちは皆、本当に敬虔な神の人だ。皆、心から神を愛し、真実に謙遜に神のみことばを学んでいる。そして彼らは自らの最善を尽くし、あらゆる聖書研究ツールを駆使しつつ、御言葉に向き合っている。それなのになぜ、彼らは皆てんでバラバラな解釈に行き着いているのだろう。しかも同意できていない部分はマイナーなテーマだけでなく、キリスト教の基本教理においてでさえ彼らは互に同意できていない。主は、ご自身と御父が一つであるように僕たちが一つになるようにと祈られたのではなかったろうか。考えてみてほしい。主は御自身の教会をお建てになり、僕たちに聖書をくださった。その同じキリストは果して、御自身が実際に何とおっしゃろうとしていたのか、その意味を知る道を僕たちに残されなかったのだろうか。」

 

それに対し私は自分自身とまどいながらも、なんとか次のように答えました。「そうねぇ、今私たちは鏡を通してぼんやりとしか見れていないのかもしれないけど、とにかく皆最善を尽くして、、そうしてやがてある日、『私たちが完全に知られているのと同じように、私たちも完全に知るようになる』、、それを主は望んでいるのではないかって思う。」

 

しかしこのような回答に兄は納得していない風でした。

 

彼は私に問いかけました。「子どもを産んだはいいが、その後、その幼子が ‟食べ物をどこで得ることができるのか”、‟誰に何を教わればいいのか”ーー自力で探し出すべく、わが子を放置しておく親がいるだろうか*4。神は、どんな人間の父親よりも完璧な父親だ。その御父が僕たちを神の家族に迎え入れ、神の子としてくださった後、なぜだか知らないが僕たちを孤児状態にし、僕らが真の糧のありかを見つけるべく、さまよいながら自分でサバイバルしていくよう、そのように取り計らっておられるのだろうか。そんなことが考えられるだろうか。」

 

こういった神観は到底デイビッドの納得するところではありませんでした。こうして彼は、

①果たして神は(日々どんどん増えていく、何千何万という‟教団教派”ではなく)一つの「教会」をお建てになったのだろうか。

②それがいかなるものであったのか現在の私たちに知るすべがあるのだろうか。

③2000年を経た現在においてもそれは残存しているのだろうか。

 

という点を究明すべく、彼は探求を始めました。しかし彼の探求の道程はやがて私に信じがたいショックを与えることになります。

 

デイビッド、なぜ?

 

その後一年が過ぎ、キリスト教会の中の分裂の歴史研究および、忠実なプロ・ライフの信仰者たちとの交わりを通し、デイビッドはカトリック教会の教義を調べ始めました。さらに、なんと彼はカトリックの修道士と共に聖書の学びを始めたのです!あゝ!(呻き)。

 

当時カリフォルニアに住んでいた私は、今すぐにでもNYに飛び、デイビッドをその修道士の手から救い出さなければならないと思いました。「この地上における真の教会」を探求しているはずの彼が、よりによってなぜあの ‟カトリック” 教会に興味を示し始めたのか、私には全く理解不能でした。

 

カトリック教会がサタンの体系の一部であることになぜ彼は盲目なのでしょう。この教会が「大淫婦バビロン****5である事実になぜ彼は気づくことができずにいるのでしょうか。

 

「大淫婦バビロン」

 

そうです。カトリック教会というのは、黙示録に書いてあるあの「バビロンの大淫婦」なのです。イエスを信じてすぐ私は教会の方と共に聖書の学びを始めたのですが、その方は元カトリック教徒であり、彼女は先輩の信仰者(元カトリック神父)の方から、「カトリック教会は、何百万人という魂を惑わしている偽りの宗教体系である」ということを教わっており、その内容を私にも教示してくれていました。

 

それなのに、、、それなのに、兄は何を思ってそこに絡み始めたのでしょう。「これは霊的戦いだ」と私は思いました。イエスのものとされた兄のことを快く思わない悪魔が、サタンの代理人である修道士を遣わし、巧妙なる方法で兄を誤謬に陥れようとしているのです。私はNYに行き、兄とその修道士と三人で、二時間以上に渡り、さまざまな教理問題について討論しました。

 

ミサの衝撃

 

時は1978年、クリスマス・イヴでした。デイビッドは私を夜のミサに招きました。彼はその時点でまだカトリックではありませんでしたが、どんどんそちらの方向に引き寄せられていっているのは明らかでした。

 

私もミサを見てみたいと思っていました。デイビッドの問題が何であるのかを知りたかったからです。実際、私は一度もカトリック教会に足を踏み入れたことがありませんでした。兄と共に私は教会の椅子に腰かけました。ミサというのがどういうものなのか全く知らず、人を介して私が唯一知っていたのは、それが‟サタンの体系”であり、それゆえに、サタンの領域であるということだけでした。

 

しかしミサが始まると私は奇妙な思いになりました。なんだかすごく身近な光景なのです。それらは私がそれまで知っていたキリスト教の光景ではありませんでした。ーーそう、それはまさしくユダヤ的だったのです

 

なぜ?どうして?頭が混乱しました。聖書を高く掲げながらの公式行列の威厳と崇敬は、シナゴーグ礼拝でのトーラー行列をそのまま髣髴させました。信徒や祭司たちの祈りの姿勢もユダヤ的でした。

 

また祭壇向こうでの祭司の祈り:「神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパン(ぶどう酒)はあなたからいただいたもの、大地のめぐみ、労働の実り、わたしたちのいのちのかてとなるものです*。」を聞いて私は思いました。えっ、これってうちの家庭で捧げられていたシャボス(Shabbos; イディッシュ語で‟シャバット”の意)の祈り*6?!典礼のあり方全般、祈り、そして典礼音楽に至るまで、それらはシナゴーグでの礼拝に似ていました。

 

ק×××¥:Shabbat Candles.jpg

קובץ :Shabbat Candles(出典

 

「キリストが共におられるシナゴーグ!」

 

全くの沈黙のうちに私は座り、一連の光景を見つめていました。ミサが終わりました。教会の階段を下りながら兄が「どうだった?」と訊いてきました。私は黙りこくったまま兄の車に乗り込みました。そして半時間ほどしてようやく口を開き、私は兄に言いました。「デイビッド、、、あれは、、シナゴーグだった、、、しかもキリストが共におられるシナゴーグ!

 

「そう。まさにそうなんだよ!」兄が興奮して叫びました。

「で、でも、それって間違ってるよ!」私は言いました。

 

葛藤と探求の歳月

 

頭が混乱していました。デイビッドの問題は何だったのだろう。彼はユダヤ的背景と縁を切ったはずではなかったのでしょうか。--ユダヤ的美学やリトルジーなどと袂を分かったはずではなかったのでしょうか。(リトルジーとか祭司制とかではなく)他ならぬキリストが全てのことの完成であり、あらゆる事象はそれを指しているのです。そうではなかったのでしょうか。

 

しかし一年後、ついに兄はカトリック教徒になってしまいました。

「お兄さんはクリスチャンですか?」とエヴァンジェリカルの友人たちが訊いてきました。

「てっきりそうだとばかり思っていたんです。」と私は答えました。「でも今、彼はカトリックです。だから、彼がクリスチャンなのかどうか私にはよくわかりません。」*7

 

主の御名を褒めたたえます。実際、兄は本当にクリスチャンであり、しかも彼はユダヤ教及びキリスト教の豊満性をすでに見い出していたのです*8。しかしそういった事は当時の私の理解を遥かに超えることでした。兄が『この岩に』というカトリック弁証の雑誌を手渡してくれたのですが、そこで初めて私はスコット・ハーンのことを知りました。

 

スコット・ハーン(Scott Hahn, 1956-)1982年、ゴードン・コーンウェル神学校を最優秀で卒業(M.Div.)。トリニティー長老教会の牧師を務める。86年、カトリシズムに劇的転向、周囲の皆を驚愕させる*995年、マークィッテ大組織神学Ph.D.。現在、フランシスコ大教授。(testimony)

 

元長老派の牧師であるハーンの講義テープを通し、私は止められぬ勢いで、‟キリストが共におられるシナゴーグ” 、すなわちカトリック教会に導かれていきました。またスコット・ハーンの講義を通し、私は50年以上前に語られたフルトン・シーン司教の次の言葉に出会いました。「カトリック教会を憎悪している人は全米で100人にも満たないだろう。しかし、『カトリック教会は~~を教えている』と彼らが誤解して考えているところのものを憎んでいる人は実に何百万といるのである。」

 

そしてその後の私の霊的探求の中で、上のフルトン・シーン司教の言葉は何度も何度も胸に鳴り響きました。実際、(カトリック教会の教えに関し)どれだけ多くの誤情報を叩き込まれてきていたのかに驚かされる日々でした。

 

しかしそういった情報を私に教えてくださった人を責める気持ちは一切ありません。というのも、彼らもまた自分たちが教えられてきたものをそのまま次の人に伝達していただけだからです。それに、プロテスタント教会の牧師先生や信徒の方々こそ、まず初めに私の中に、神への愛、御言葉への愛を植えてくださった大恩人なのです。

 

キリストに捧げ切った彼らの敬虔なる生き方を通し、私の中に真理への飢え渇きが生じました。そしてその飢え渇きが最終的に、地上における豊満性に満ちたホームーー教会ーーに私を導き入れることになったのです。

 

また探求する過程で私は、カトリックとエヴァンジェリカルを隔てているものを一つ一つ調べていきました。そして両者を分離させているのは教理的事柄だけではないということに気づきました。そうです、カトリックとエヴァンジェリカルでは、ものの見方(a way of seeing)が異なっているようなのです。そして時を経るにつれ、私はカトリック的なものの見方の持つ、美しさに目が開かれていきました。

 

とはいえ、このプロセスは5年に渡って続き、その5年間は苦悶に満ちたものでした。心の中ではすでにカトリシズムが真であることを知っていました。しかし実際、そこに足を踏み入れることができませんでした。ええ、どうしてもできなかったのです!

 

ある日、ブルックリンに住むいとこが遊びに来ました。彼は私がクリスチャンになったことは知っていましたが、カトリック教会について私が調べていることは全く知りませんでした。会話の中で彼は何気なく、「あ、そうそう、この前、海辺で一人の若い女の子に会ったんだけど、彼女も君と同じ、"Jews for Jesus” 系の人だったよ。ただし、彼女の場合はね、さらに行く所まで行って、ついにカトリックになったんだ!」

 

「彼はなぜそれを知っているのかしら?」私は思いました。「なぜ、‟行く所まで行った” 先がカトリック教会だということを彼は知っているのだろう?」

 

こうして1995年のイースターの日、ニューヨーク、ミルブルックにある聖ヨセフ教会において、私はついに「聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会」に入りました。

 

すでに福音主義教会でバプテスマを受けていましたので、私は堅信の秘蹟を受け、その後、ユダヤのメシアであり、アブラハム、イサク、ヤコブの神をユーカリストにおいて自分の舌の上に拝領しました。

 

でも、もちろん、知っています。ーーそういうのは本当にインポッシブルだということを!いかにして神がパンになどなれましょうか。神が人になり得るというのと同じことです。しかしこの御方は神です。そして主にとって不可能なことなどありましょうか?

 

Finding Silence in the Traditional Latin Mass 

 

ミサの間中、私はずっと泣いていました。モンシニョール・ジェームズ・T・オコナー(聖ヨセフ教会の神父)が栄光に満ちたその晩の締めとして、「今晩私たちは、人々を教会に迎え入れるという、誰にもできる、しかし最も偉大なるわざを為しました」と会衆に語りかけました。

 

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Obituary, Reverend Monsignor James T. O’Connor (1939-2016)

 

メシアがお建てになった教会に至るプロセスの中で、オコナー神父は少なからぬ役割を果たし、彼の喜びは、深い愛と絶え間ない感謝となって私の心を満たしました。栄光のこの日以来、私の霊的旅路は常に容易なものだったのでしょうか。いいえ。これからはどうでしょうか。ええ、今後もいろいろな試練があることでしょう。

 

多くの方々は私の改宗を理解せず(理解できず)、また「我々の民族に対する裏切り者」と多くの人に糾弾されました。今日に至るまで、私が家に入ることを断固拒否している親戚が何人かいます。でも彼らの怒りや不信心は十分に理解できます。それは不可解(mystery)なことではありません。むしろ私の信仰の方がmysteryなのです。

 

(後に使徒パウロとされた)サウルと共に私は言います。「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」(ピリピ3:8a)

 

全きキリスト(the whole Christ)

 

ユダヤ教の豊満性であるカトリック教会*10の中にあって、私は今、全きキリスト(the whole Christ)を受け取っています。

 

そうです、サクラメント、聖徒の交わり、ユダヤのメシアの母親である聖母など、神が御自身の教会を私たちに与えてくださった事を通し授与してくださっている全て、そして何より、カルバリーで御自身を捧げてくださっただけでなく、私たちの日々の糧として御自身を与え続けてくださっている、この御方の信じられないほどのへりくだりーーこれらすべてを受け取る恵みに与っています。

 

ー終わりー

 

執筆者 ロザリンド・モス(現:シスター・ミリアム、Daughters of Mary修道会 院長)

 

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Saint Louis Catholic: Rosalind Moss Becomes Mother Miriam of the Lamb of God

 

関連記事

 

ユダヤ女性ケイティー・ウィング姉妹のストーリー

 

Katie Wing, Testimony, Journey Home, 2018(拙訳)

 

カトリック家庭に生まれる

 

私は米国ニューヨーク州のカトリック家庭に生まれました。弁護士であった父親はドイツ生まれで、彼の父親はホロコーストを生き延びたユダヤ人でした。(彼の母親、つまり私の祖母はルーテル派でした。)

 

ホロコーストの死の恐怖の中で、祖父母は、キリスト教宣教師たちによって救出され、米国に逃れることができました。後に、祖父母はカトリックに改宗し、そういういきさつがあって私はカトリック家庭に生まれたのです。

 

私たちは毎週ミサに行き、二週間に一回告解に行っていました。しかし残念なことに、これら一切のことは私の心の芯奥に触れていませんでした。また、地域もカトリック世帯がほとんどでしたが、私たちは学校においても家庭においても信仰について何かを互いに語り合ったりすることはほとんどなく、私にとってカトリシズムというのは、行なうなにかではあっても、実際に信じ、それを生きる実体ではありませんでした。

 

そのため大学進学後、「自分には何かが欠けている」という魂の欠乏感を覚えるようになっていき、自然に教会から足が遠のいていきました。

 

東洋宗教、瞑想の世界へ

 

大学では、ユニタリアン主義に触れたり、その観点からの聖書史などを学びましたが、次第に私は東洋諸宗教の世界に惹かれていくようになりました。東洋諸宗教の瞑想や哲学は、「関係性」を求める私の魂の飢え渇きに答えを提供してくれているように思われたのです。

 

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ヨガナンダのセルフ・リアライゼーション(出典

 

瞑想やヨガの世界は、曖昧ではっきりしない観念で溢れており、「神はあなたの内にいる。」「神はあなたの中に宿っている。」といった教えは私にとってとても魅力的なものに映りました。

 

また当時、私は瞑想・ヨガの世界で「神」を求めていると思っていたのですが、実際には、それは自己凝視でした。そしてこの自己凝視の世界が行き着く終点は「私が神である」ということに対する「悟り」であり、自分は自分以外のなにをも必要としていないということに対する「気づき」です。

 

そしてこの惑わしは創世記のエデンの園での出来事にまで溯ることができます。自分も含め多くの人々がこの世界の虜になっていった(いる)理由は、瞑想・ヨガの哲学が、エデンの園での出来事(=人間の罪と堕落、蛇の惑わし)の周りを精巧かつ魅惑的なコーティングで覆い、そこから「神」を、「関係性」を、「人生の意味」を求めることができるという風に人々に思い込ませているからではないかと思います。*11

 

米国におけるニューエイジ・スピリチュアリティーのメッカは何といってもカリフォルニアですので、私はカリフォルニア州にある大学院を選び、そこでカウンセリングとコミュニティー・メンタルヘルスを学ぶ一方、瞑想関係のものを探求していました。

 

「私は誰なのだろう?」「私はなぜ存在しているのだろう?」必死に答えを探していました。ある日、友人が「インドからグルが来て教えを説いてくださる」と誘ってくれ、私はアシュラム・センターに足を運び、それをきっかけに、本格的にインド瞑想・ヨガの世界に入っていくようになりました。

 

そしてアシュラム・センターで私は将来の夫となる男性に出会いました。彼もまた聖公会信者の家庭で生まれ育ったものの内側に渇きを感じ、求道者としてインド瞑想を実践していました。私たちは結婚し、その後、また東海岸に戻りました。二人の子が授けられ、私たちは引き続きアシュラムで瞑想を続けながら、八年間に渡り、そういった生活を続けていました。

 

内的幻の中にイエスが現れる

 

そんなある日、センターで瞑想していた私に突如としてイエスが内的に現れたのです。神は全能、遍在の御方であり、私たち一人一人の状態を完全に把握しておられ、その人が現在いる「場所」にまで降りてきてくださり、ご自身を啓示してくださる愛なる御方です。

 

そのセッションが終わった後、私は夫に言いました。「私、内的幻の中にイエスを見たの。」すると驚くことに彼がこう言ったのです。「ああ、そうか。やっぱり。実はね、僕もここ最近、瞑想センターにいることが苦しくなってきていたんだ。」神は、驚くべき仕方で、私たち夫婦の心の内にほぼ同時に働きかけてくださっていたのです。

 

そしてその日を境に、私の目を覆っていたものが一つ一つ剥がされていき、私の中の暗闇に光が射し込み始めたのです。突如として私は創作詞の中でイエスのことを書き始めました。そして、無教派(non-denominational)クリスチャンたちの著述を読むようになりました。

 

無教派クリスチャンになる

 

無教派クリスチャンの人々は私が求めていた「関係性」のことに多く言及していました。こうして私たち夫婦は、東洋諸宗教、瞑想・ヨガの世界から徐々に離れ、無教派キリスト教に接近していきました。イエス・キリストとの個人的関係の大切さ、祈り、感情的高揚ーー。今振り返ってみますと、神は御霊を通し、私たちにそういった諸過程を踏ませることにより、それぞれの段階で私たちが学ばなければならないことを学ぶことができるよう、介助してくださっていたのだと思います。

 

メシアニック・ジュダイズムの集会へ

 

ある日、私たちは無教派のある集会に参加していたのですが、分かち合いの場で私は、自分の祖父がユダヤ人であることを話しました。するとその場にいた一人の方が、「ああ、それなら、あなたは一度、メシアニック・ジュダイズムの集会を訪問なさるといいと思いますよ」と助言してくださいました。

 

そこで私たちはニューヨークのオーバーンにあるメシアニック集会に行ってみたのですが、それは、無教派キリスト教にまさるものを提供してくれているように思え、私たちはそれ以後、この集会に通うようになりました。

 

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メシアニック・ジュダイズム(出典

 

イエスとの個人的関係に関しては無教派から大いに恩恵を受けていたものの、信仰のルーツという点において無教派キリスト教は根無し草であるように思われました。そんな中で出会ったメシアニック・ジュダイズムは、私の家族の歴史に直接関わっているだけでなく、イェシュア(=イエス)がユダヤ人であったという事実にも深く触れており、「ここは本当にすばらしい」と思ったのです。

 

私たちは絶え間なく真理を求め、動いていました。どこに行っても完全には満たされず、魂が飢え渇いていたので、私たちは各地を転々としていましたが、各段階の要素には、それ以前よりも多くの光が与えられており、こうして私たちは求道の旅を続けていました。

 

時折、近所のカトリック教会からうちのメシアニック・ジュダイズム集会に来客がありました。そこの神父および何人かの信徒たちはキリスト教のユダヤ的ルーツに関心を持っており、それゆえ、私たちの集会の牧師夫妻とも親交を持っていたのです。

 

夫と私はその時点で8年間、集会の忠実なメンバーとなっており、「執事」として奉仕していました。しかしカトリック信者たちとの接触を通し、私の中でまた魂のざわめきが起され、それは源流を求めて止むことがありませんでした。

 

またその頃、夫は、私たちの集会の中に説明責任(accountability)がないことに頭を悩ませ始めていました。(例、金銭の使われ方、諸決定の下され方など。)夫がその事を牧師に打ち明けると、牧師は、「新約時代、使徒パウロも、使徒ペテロもそれぞれが御霊に示され決定を下していた」という旨のことをおっしゃいましたが、集会の中に「役員会」的な機関がないというのはやはり問題ではないだろうかと主人は納得がいっていない風でした。

 

神父に内密に打ち明ける

 

ある日、神父が集会にみえた際に、(自分でも驚いたのですが)、私は彼の元に駆け寄り、誰にも聞かれないように神父の耳もとで小さく囁いたのです。

 

「神父様。おそらくですが、、私、カトリック教会に帰還しなければならないように感じているんです。」(もし私の言った内容を集会の人々が聞きつけていたなら、彼らはすぐさま、私の上に手を置き邪念追い出しの祈りをしていたことでしょう!)

 

すると神父もまた小さな声で囁き返しました。「スコット・ハーンの書いた『子羊の晩餐』を読むことをあなたにお勧めします。*12

 

そこで私は早速、その本を購入し読み始めました。そしてその中に書かれてある内容に圧倒されました。またこの時期、夫も私と並行する形で、サクラメントを求め始めていました。

 

ペサハのセーデルが始まる頃までに私の葛藤はますます大きくなっていきました。そこでついに私は親しい間柄である牧師の奥さんに自分の心境を打ち明けることにしました。彼女もまた私と同じようにカトリック家庭で生まれ育ち、その後、ユダヤ教に改宗し、そこから(ユダヤ人の夫と共に)メシアニック・ジュダイズムに移った経緯を持っていました。

 

「神様は私を再びカトリック教会に呼び戻しておられるような気がするんです。」私は言いました。すると、牧師の妻は答えました。

「ケイティー。神があなたをカトリック教会に呼び戻すことは絶対にあり得ない。なぜなら神は、人を、『死んだ教会』に呼び戻すようなことは絶対になさらないから。」

 

それまで私は霊的な次元における戦いというのを余り経験したことがありませんでしたが、旅路の最終段階に入り、悪魔はさまざまな方法で猛烈に私たちを阻止しようと立ち働いてきました。

 

「東洋宗教」から「無教派キリスト教」に移った際、それから「無教派」から「メシアニック・ジュダイズム集会」に移った際、私たちの決断に対する反対はほとんどありませんでした。それがどうでしょう。「カトリック教会」に帰還しようとするや、ものすごい力でのpush backが始まったのです。

 

「カトリシズム」と「メシアニック・ジュダイズム」

 

また、「カトリシズム」と「メシアニック・ジュダイズム」に関し、私の中にはまだ未解決の問題が幾つかありました。そこで私は、ヘブライ人カトリック協会(Association of Hebrew Catholics)に連絡を取ることに決意しました。

 

そして協会のデイビッド・モス氏に電話すると開口一番、彼に言いました。「ケイティー・ウィングと申します。私たち夫婦は現在、~~の状況にあり葛藤しています。モス氏、あなたはなぜメシアニック・ジューではなく、カトリック教徒なのですか?」

 

するとモス氏からの回答があったのですが、私は彼の次の言葉を一生忘れることができません。彼は言いました。「メシアニック・ジュダイズムは、宗教改革の傘下に分類されます。そしてこれもまた数ある無教派の一つです。確かにメシアニック・ジュダイズムも信仰におけるユダヤ的ルーツを受容している点で美しさがありますが、依然としてそれは宗教改革の枠内における無教派グループであるに過ぎないのです。」

 

「モス氏、一度、お会いして直接お話を伺ってもよろしいでしょうか?」そこで私たち夫婦はモス氏に会いに行き、なんとその年のぺサハ・セーデルをユダヤ人カトリック教徒のモス氏と共に祝ったのです。本当に彼を通し、私たちは、「カトリシズム」と「メシアニック・ジュイズム」との間のリンクおよび相違点を理解することができるようになりました。

 

また私は、当時カトリック・アンサーズの弁証サイトで奉仕していたモス氏の妹ロザリンド(現:マザー・ミリアム)にも電話し、相談に乗っていただきました。彼女は私に言いました。「とことんユダヤ人であることを追及したいのですか?それならカトリック教徒になりなさい。」

 

ゆるしの秘跡

 

こうして私たちはマサチューセッツにあるカトリック教会(Shrine of the Divine Mercy)に行き、神父と話し合いを始めました。しかし私はまだゆるしの秘跡を受けていませんでした。

 

考えてみてください。最後の告解をしてから実に30年という年月が経っていたのです!霊的離反だけでなく、私は堕胎等、その他の罪も犯していました。ですから、30年間溜まりにたまった罪を告白した暁には、私はきっと教会から破門宣告を受けるのではないかと思いました。

 

しかしついに告解に行き、私は教会を離れてから今日に至るまでの人生を語りました。途中で号泣して言葉が出ない時もありましたが、なんとか30年分の告解を終えました。

 

ポーランド人の聴解神父は長い長い告解を聞き終えると一言、「これは、、、奇跡です。」とおっしゃいました。まさしくそれはルカ15章の放蕩息子のような帰郷でした。そしてすべてが神の恵みの内にありました。

 

おわりにーー驚くべき神の恵みと赦しの中で

 

その後、神は驚くべき恵みにより私の心の目を開いてくださいました。それまで全く見えなかったのに、今や、目の前で繰り広げられているミサの中に、私はぺサハのセーデル、シャバット、、それら全ての成就を見い出し始めたのです*13*14。さらにミサにおいては、ユーカリストの中にキリストの現存があります。*15

 

この旅路全体を通し、私は神がご慈愛と赦しにあふれた方であることを知りました。そしてずっと切望していた「関係性」がカトリック教会の中でイエス・キリストを通し豊満に満たされることを知るに至りました。感謝します。

 

ー終わりー

 

関連記事

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

 

*1:〔訳者注〕「異教的/ギリシャ的/西洋的/異邦人的」思考VS「ヘブライ的思考」という二項対立方式は、ノルウェーの神学者トールレイフ・ボーマン(Thorleif Boman)の「Hebrew Thought Compared with Greek」等の思想に代表され、その単純化されすぎた様態は、D・A・カーソンやモイセス・シルヴァ等によって激しく批判されています。

便宜的に今、この様態を、〈ボーマン系譜〉と呼ぶことにしますと、ジェフ・A・ベンナー氏等の言語思想も一応この〈ボーマン系譜〉の範疇に入ると判断されているようです。

例えば、HRM系列内で、こういった種類の教えは以下のような形で普及・促進されています。

Hebrew vs. Greek Thoughtyoutube)ー代表的なHRM団体である119Ministries

Hebrew Thoughtarticle)ーshamar.org

The Hebrew Mind vs The Western Mind by Brian Knowles (article)ーGodward.org

〔関連記事〕

Moises Silva, Biblical Words and Their Meaning: An Introduction to Lexical Semantics

*2:〔関連記事〕Hebrew Roots Movement – Believers are Grafted Into and Become Israel? Um . . . No.

*3:〔関連記事〕

*4:訳者注:関連記事

*5:黙示録「大淫婦バビロン」に関する各宗派別見解

①宗教改革者たちの解釈、②ウェストミンスター信仰告白の解釈、③スコフィールド・レファレンス・バイブル(古典的ディスペンセーション主義)の解釈、④セブンスデー・アドヴェンチストの解釈、⑤モルモン教の解釈、⑥エホバの証人の解釈

教皇冠を頭にかぶる大淫婦バビロン(ルター聖書の木版画、出典).

*6:「神よ、宇宙の王、このパンは大地からの恵みです。"Baruch ata Adonai Elohenu Melech haOlam hamotzi lechem min ha' aretz."」

*7:*その後、12年以上に渡り、ロサリンドはなんとかして兄デイビッドを福音の「正道」の引き戻そうと彼との対話を試みました。さらにその後、彼女は福音主義のタルボット神学校に入学し、聖書研究および福音主義神学の研究に励みました。(出典).

*8:訳者注:デイビッド・モス氏の証し

*9: 

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*10:ユダヤ人キリスト者ロイ・シューマンは、カトリシズムのことを ‟the Judaism of the Redemption(=贖いのユダヤ教)”と呼んでいます。(出典).

*11:訳注:

それから、セラフィン・ローズ正教修道士は『Orthodoxy and the Religion of Future』の中で、ヨガ、禅、超越的瞑想(TM)、マハラージ、ハーレ・クリシュナ、カリスマ運動等を検証しつつ、キリスト教界を席巻している現代リベラル・カトリック/プロテスタント霊性の本質とそれが向かっている危険な方向について鋭い洞察をしています。回心前、彼自身、東洋諸宗教、超越瞑想、ヒンドゥー教、ヨガに深く関与していただけに、彼の警告は今後ますます重要性を帯びていくようになると思います。

 

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Seraphim Rose. 1934年米国サンディエゴ生まれ。14歳の時メソディスト教会で洗礼を受ける。その後、キリスト教を棄教し、無神論者になる。ポモナ大学で中国哲学を専攻、56年に最優秀で卒業。61年、カリフォルニア大バークレー校にて「老子思想における空(くう)および満」を研究。卒業後、さらに仏教およびその他のアジア諸哲学の研究に打ち込む。

アラン・ワッツのアジア研究米国アカデミーに在籍中、フランスの形而上学者ルネ・ゲノンの著作に触れ、また中国の道教学者Gi-ming Shienに感化され、古典中国語での初期道教文献の読解に集中するようになる。

研究を深めていく過程でローズは次第に自らの霊的伝統であるキリスト教を再発見していくようになる。1962年、ロシア正教会に受け入れられる。68年、ローズと朋友ポドモシェンスキーは共に修道士になり荒野に隠遁。アラスカの聖ヘルマン修道院コミュニティーが誕生した。その後終生にわたり、小屋の中で隠遁士として修道生活を送りつつ、人々を助けた。

*12:訳注:The Lamb's Supper by Dr. Scott Hahn

*13:訳注:ヘブル人カトリック教徒であるロイ・シューマン師はこの点に関し次のように述べておられます。「旧契約と新契約の間の関係を理解するには、ユダヤ教が《メシア以前のカトリシズム》であり、カトリック教会が《メシア以後のユダヤ教》である点を押さえることが重要だと思います。両者は同一のものですが、それと同時に両者は、人として『神が受肉された』という世界史上における中心的出来事が起こった結果としてもたらされた神と人との間の関係性の変化によって分かたれています。そして両者間にみられるあらゆる相違点、あらゆる類似点は、この事実から生じてきています。」出典

*14:関連記事:私にローマを指し示した一人のラビ.

*15:訳注:

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Brant Pitre. コロラド州デンバーにあるアウグスティヌス神学院教授。ノートル・ダム大(Ph.D)。新約学および古代ユダヤ教が専門。主著Jesus, the Tribulation, and the End of the Exile (Baker Academic, 2005),Jesus and the Jewish Roots of the Eucharist (Image Books, 2011), Jesus the Bridegroom (Image Books, 2014), Jesus and the Last Supper (Eerdmans, 2015) 等。