巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーダグラス・M・ボウモント師の信仰行程【その5】改宗の過程に伴うさまざまな困難と苦しみ

その1】【その2】【その3】【その4】からの続きです。

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「ある意味において改宗とは殉教の一形態である。それには、ーー肉体、精神、知性、キリストへの信仰という自己の明け渡しが伴う。またそれは従順性および、真理へと導かれていくことに対する自発性をあなたに要求してくることだろう。実に多くの人にとり、真理とは、『行きたくない(ヨハネ21:18-19参)』とあなたが思っているまさにその場所/その方向に位置しているのだ。」パトリック・マドリード

 

「G・K・チェスタートンは、外部者がカトリック信仰にアプローチしていく精神的軌跡について次のような有名な要約をしている。

第一段階ーーカトリック信仰に敵対することを少なくとも控えようとするようになる。

彼は自分が現在、是でも非でもない ‟中立” の立場にいると想像しつつ、ローマ教会に対し、少なくても公平であらなければならないと感じるようになっている。なぜなら、ローマ叩きは不公正であるように思えてきたからだ。*1

第二段階ーーカトリック内にも案外、生き生きとして興味深い諸思想がたくさんあることに気づく。それらの多くは彼の同情を受けるに値するものであり、たとい彼の同意しない内容であっても、そこには彼らなりの根拠があるのだと彼は認識し始める。

第三段階ーー「あゝしまった!」とばかりに彼は逆方向にダッシュしようと死に物狂いでもがき始める。(探求者は「おお、わなに掛かってしまった!」と青ざめる。)」*2

 

目次

 

Douglas Beaumont, ed., Evangelical Exodus: Evangelical Seminarians and Their Paths to Rome, 2016 / Douglas Beaumont – Former Evangelical, CH Network, 2016(抄訳) 

 

神学校での困難

 

こういった一連の探求期を通じ私が直面していた主要な困難は、この時点においても自分が尚、福音主義者としての人生領域に深く根を下ろしていたことにありました。

 

南部福音神学校(SES)から改宗者が急増していくにつれ、カトリック分子に対する一種の〈魔女狩り〉のような警戒の動きが大学内で起ってきました。*3

 

これまで長年に渡り共に神学的ディスカッションをしてきた神学校の同僚や学生たちに自分の考えを言い表すことができなくなり、心が痛みました。私が気付いたのは、「カトリシズムの諸見解を正確に提示する」という行為だけで人々に嫌疑をかけられる事実でした。

 

またカトリシズムに関する主題について一たび私が相手に叙述の正確さを要求するや、ものの数分もしない内に合理的対話は打ち切られてしまいました。こういった諸反応に直面する中、私は思ったのです。「ある見解を正確に述べるという行為だけでそれがその見解に対する一つの弁証であるかのように相手に聞こえるのだとしたら、、これは本物だという徴候なのかもしれない」と。

 

しかし一般的に言って私の‟新思想”に対する反応は驚くほど肯定的なものでした(誰かがそこにカトリシズムの匂いをかぎつけない限り!)。また多くの場合、カトリック見解に対する諸反論は、誤った提示や根拠のない諸主張に裏打ちされた、無慈悲もしくは軽薄な諸批判で構成され、反撃の多くは「しかし、、、それはカトリックじゃないか!」(←ABCの鉄則)の一句に煮詰まっていました。

 

プロテスタント見地からのカトリシズム論駁は、実質的に失墜を免れない運命にある

 

(質の良いもの悪いもの両方を含めた)標準的アンチ・カトリック諸議論を取り扱っていく中で最終的に私は、「プロテスタント見地からのカトリシズム論駁は、実質的に失墜を免れない運命にある」という結論に達するに至りました。

 

まずカトリシズムは「論理的に」反証し得ないように思われました。なぜなら、どんな体系であれ解決不可能な矛盾というのは稀であり、しかもこの点において、(多くのプロテスタントも認めているように)カトリック哲学は最高峰に位置しています。

 

またカトリシズムは「聖書的に」反証し得ないように思われました。なぜなら意見の相違/不一致というものだけでは不十分であり(特に、「聖書のみ」のプロテスタント信者たちの間の意見の相違/不一致の領域が信仰のあらゆる様相を覆いつくしており、その結果として何千何万というプロテスタント諸グループを発生させている事実を鑑みてください。)、また、仮にーー「信仰のみによる義認(ソラ・フィデ)」というプロテスタント思想がヤコブ2:24と調和可能であるのならーー、そんな私たちが一体いかにして、カトリックに対し彼らの‟聖書的矛盾”を突くことができるでしょう!

 

さらにカトリシズムは「歴史的に」反証し得ないように思われました。なぜなら、カトリック諸教理(例:使徒継承)は教会史の揺籃期から存在しており、それらの諸教理の多くはプロテスタンティズムが勃興する以前の1500年間に渡り、すでに存在し続けていたからです。

 

テヴェレ川周域を歩き回る

 

こうして私は検証を続けていったのですが、研究の進行と共に、自分がいつしかカトリックのような物の考え方、捉え方をするようになっていっているのに気づきました。

 

この時点で私はすでに、現世における私たちの行為は彼岸の生に重要な影響を及ぼしていること、信仰および良い行ないは協働していることーーそれらは、結婚における誓約と犠牲と同様、救済に対立するものではないということーーを信じるようになっていました。

 

また礼拝の中で私たちが為すことは非常に肝要であり、私たちの信仰は単なる‟正しい考え”以上のものでなければならないーーそれらを実際に生きなければならないーーということを信じるようになっていました。

 

また、教会(Church)は分け隔てられてはならず、キリスト教はカフェテリアのように取り扱われてはならないーーむしろ、真のキリスト教信仰は、(異端者たちの‟信仰”とは正反対の*4.)一括契約(package deal)であることを信じるに至っていました。

 

私は福音主義からカトリックに改宗した人々の改宗ストーリーを片っ端から読み*5、それらの諸テーマに関し記事を書き、議論し、教え、そしてディスカッションしました。この過程で多くのカトリックの友人を得、そして残念なことに幾人かの福音主義の朋友たちを失いました。

 

その中の何人かとは(共通の関心テーマが減っていった結果)自然に音信が途絶えていき、他の何人かとは不幸なことに棘のあるディベートによって(両サイド共に、、、)友情が途切れてしまいました。しかし何人かの福音主義の友人たちに関していえば、私は彼らを一旦喪失した上で再び得ました。なぜかというと、彼らもまた自分と同じようにカトリックになったからです!(大抵、彼らもまた私と似たような信仰行程を辿った末にカトリックに行き着きました。)

 

こうして5年の歳月が経ち、もはや水の上に頭を上げ続けていることに私は限界を感じつつありました。いつまでもどっちつかずのこの不決断の状態に咎めを感じ、そうこうする間にも、個人的、職業的関係はますますぎくしゃくしたものになっていきました。「もうだめだ。決断するしかない。この岸かあの岸か僕はどちらかに向かい泳ぎ始めなければならない。」

 

そして、その時、悟ったのです。ーーカトリックになるという決断は、これまで直面したことのないような規模での人生の転換をもたらすものになるだろうということを。ものすごい葛藤でした。しかし自分が見い出した真理から逃げ出したくもありませんでした。探求の果てに、いよいよ来るべきものが来ようとしているーー、そんな強い予感がしていました。

 

辞表届を出す

 

2013年の春、最後のあがきとして、私は「改宗しないという決断をサポートする何か良い理由はないだろうか?」と自問していました。そしてその後ついに、南部福音神学校(SES)に辞表届を出し、教授職を降りました。

 

その年の秋、カトリック教会の入信希望者のための講座(RCIA)を受講し始めました。多くの教区でいかに講座の質が劣悪であるかということを耳にしていたのですが、私の訪れた教区で開講されていた講座はすばらしいものでした。その講座を受ける中で未だ未解決だった諸問題に解決がもたらされ、問いに回答が与えられ、誤解していた内容が明確にされました。

 

真のカトリシズムを経験していくにつれ、もう今後自分は、他のどんな種類のキリスト教‟伝統”にもUターンはしないだろうという思いが強まっていきました。

 

福音主義の世界でいつもよけて歩かなければならなかった多くの穴をカトリシズムは埋めてくれており、それだけでなく、福音主義者として自分がすでに持っていた全てのものに余りあるものをさらに豊かに提供してくれていました。

 

強健にして確固たる聖書解釈の伝統、人間本性に対する敬意、首尾一貫した倫理的教えなど、カトリシズムは、私がすでに信じていた内容により良い意味を与えてくれていました。

 

精神的なつらさ

 

しかしこの旅路が神学的省察、キャンドル、ステンドグラス等の牧歌的知楽の響きをもつなにかに聞こえた方がおられるでしょうか。それらの方々に私は、この過程にはかなりの苦痛が伴い、そしてその苦しみは私だけに限ったものではなかった、ということを申し上げておきたいと思います。

 

まず自分に関して言いますと、確かに私の中で次第に福音主義に対する批判精神が高まっていきましたが、それでも20年余りに渡るこの世界での真剣真摯なる関与は感情的にそうそう容易に別離することのできるものではありませんでした。知的レベルでは(比較的)容易かもしれませんが。

 

福音主義はなんといってもかなりシンプルであり、いろんなことにとにかく都合がつきます(accommodating)。簡潔な「罪びとの祈り」の先にあるほとんど全てのものは、福音主義霊性にとってはオプショナルなものであり、どんな人のどんな趣向にでもフィットできるような多種多様な神学的・倫理的バリエーションがわんさと備えられています。

 

福音主義のラディカルに個人主義化された性質により、エヴァンジェリカル教会はしばし非常に魅力的で、私たちのニーズを満足させてくれます*6。また人の望むあらゆる種類のミニストリーに着手する機会が実質上すべての人に開かれています。また福音主義のカスタマイズ化された性質により、内輪での争いは、妥協するか、もしくは分裂するかの二択により、ずっと容易に‟解決”することができます。

 

実際的レベルでも、感情的レベルでも、私は困難を経験していきました。福音主義内での私の人間関係はどんどんぎこちないものになっていき、多くの場合、距離を置くというのが最善の方策であるように思われました。しかし「距離を置く」というこの方策は、親しい友人や家族の場合には不可能であるだけでなく、望ましいものでもありませんでした。そしてその中の幾人かは変わりゆく私の見解ゆえに動揺していました。

 

妻との意見の不一致

 

その中でも最も心痛を極めたのがわが愛する妻との間の意見の不一致でした。結婚以来、私は一つの教会から別の教会へと妻を引きずり回していました。「あなたが行くところに私もついて行きます」という当初の彼女の約束は、度重なる教会移動によってすでに緊張したものとなっていたのですが、今回のカトリック改宗劇により、その緊張はついに頂点に達しました。

 

振り返ってみますと、私はこの思考過程のほとんどを私的に行なっていたと思います。私としては考えや方向性がある程度しっかりまとまるまでは中途半端なことを言って彼女を動揺させたくないという思いでいたのです。

 

しかしいよいよ考えが確固たるものとなりほとんど結論に到達するという段階になって彼女に打ち明けてみると、自分の想定以上に、私と妻の間にはより深刻な見解の不一致があることに気づきました。

 

子ども達を ‟分裂した家” の中で育てなければならなくなるかもしれないという可能性を考えただけでもゾッとしましたが、妻はけなげにも、私の信条や教えに同意できない時であってさえも、私が一家の長として家族をリードすることを私に許してくれました。

 

そしてこの困難に加え、私はSESでの教授職を放棄し(家計収入の半分)、すでに博士課程に入って3年目でしたが、それをも放棄しなければならなくなりました(教職も学生も当校の信仰告白条項に同意のサインをしなければなりません)。

 

またちょうどこの週に私と妻は自分たちの間に新しい命が授けられたことをも知ったのです。ですから、この時期、私たちは大いなる喜びと共に、悲しみや不安の涙をも流したのでした。

 

ー【最終回】に続くー

 

関連記事

*1:G. K. Chesterton, The Catholic Church and Conversion in Collected Works III (San Francisco: Ignatius, 1990), 89.

*2:Mary And The Convert - Faith Movement.

*3:あるいは‟福音主義異端審問”と呼ばれ得るかもしれませんが、ここに内在する皮肉ゆえに、私はあえて‟魔女狩り”という表現を選びました。というのも、カトリックはしばし、ヨーロッパにおける魔女狩りのことで責めを受けていますが、実際には、魔女狩りを糾弾した最初の人々こそ他ならぬカトリック教徒だったからです。

*4:Saint Thomas Aquinas, Summa Theologiae II-II, 5, 3.

*5:訳注:

*6:訳注:教会的消費者主義について