巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「正統性」の源泉を追い求めてーーイスラム教徒への伝道と三位一体論

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出典

 

「聖書のみ」のパラダイムに対する疑問や、「権威の所在」、「正統性」の源泉についての根本的問いは、机の上での教理研究によるものだけでなく、ここ15年近く携わってきたイスラム教徒との弁証的対話やディスカッションの中においても自分自身、常に挑戦を受け、自問し続けてきたものでした。

 

教義に真剣なイスラム圏の求道者にとって最大のハードルはほとんど常にキリスト教の「三位一体論」です。これは譬えていうなら、教義に真剣なプロテスタント圏の求道者にとって(カトリック改宗への)最大のハードルがほとんど常に「聖母マリア論」に集中しているのと少し状況が似ているかもしれません。

 

しかし彼らとの対話を通して気づかされたのは、「三位一体論」に最大のハードルを感じているのは、何もイスラム教徒に限ったことではなく、自らをキリスト者と信じる諸グループの人々もまた(リベラル派キリスト者や懐疑論者の三位一体論否定*1とはまた異なるアングルで)、三位一体論を「人間の作り出した偽りの教理」として拒絶しているという事実でした。*2

 

ある難民キャンプの近くで週に三回バイブル・スタディーが開かれていたのですが、そこには25-40人位のイスラム圏の求道者や初信者が集まってきていました。

 

毎回、熱心な質疑応答がなされていましたが、その中で一人、いつもいつも三位一体論のことを質問してくる男性がいました。その口ぶりから言って、彼は三位一体論に非常に懐疑的な様子でした。

 

ある日、早めに行って会場の整理をしていると、その男性が来て、「ニカイア公会議のことについて質問があります」と言ってこられました。ディレクターの先生も主人もまだその場にいなかったので、私は彼と話し合いを始めました。

 

彼は言いました。「三位一体という教義は聖書的ではないと聞いています。Trinityという語自体も、聖書の中に出てきていません。この教義は4世紀のニカイア公会議で人造的にねつ造されたのではないでしょうか。私はそう考えています。」

 

私は心の中で、「彼はこれらの情報をどこから得ているのだろう?エホバの証人との接触があるのだろうか。」と思いながら、「Aさん、どういった経緯でキリスト教会に導かれたのですか?」と尋ねてみました。

 

すると、彼は身の上話を始めました。それによると、Aさんは祖国ではモスクでのコーラン朗読を司る奉仕職に就いていたそうで、神の本質や神学について常々関心を持っていたとのことでした。

 

「そんな中、トルコでキリスト教の人々から福音を聞き、キリストを信じる信仰に導かれました。でも、私の母教会の兄弟姉妹は三位一体の教義は人間の伝統が作り出した偽教理だと言っています。」

 

そこで私は、トルコのその教会が具体的にどういった信仰グループなのかを知ろうと、彼にいろいろ質問してみました。そこで判明したのが、彼が導かれた教会が「ワンネス・ペンテコステ派」系列の信仰共同体であるということでした。

 

バイブル・スタディーの時間が迫ってきて、周囲もがやがやしてきていましたが、自分の目の前にいるこの真摯な魂に対する、神の前における責務を重く感じつつ、私もまた真剣に、まずは20世紀に興ったペンテコステ運動の略史、そこで生じた「三位一体派」と「反三位一体派(=ワンネス・ペンテコステ派)」の分裂のいきさつを説明し、ワンネスの教えが、古代異端サベリウス主義(様態論)の現代復興である旨を伝えました。

 

そして「ワンネスの人々("Jesus Only")は、三位一体という教理は紀元325年のニカイア公会議『以前』には存在していなかったと主張していますが、それは歴史的事実に反しています。例えば、テルトゥリアヌスの『プラクセス論駁』を読んでみてください。この書は公会議『以前』に書かれた著述ですが、この中にすでに三位一体論の基本的教えが現れてきています(<教えの「輪郭」が浮かび上がっています)。そしてさらに重要なことは、サベリウス主義の様態論が『異端』であることが初代教会のコンセンサスであったということです。」と応答しました。

 

すると次のバイブル・スタディーの日に、彼は(トルコにいるワンネス教会の指導者たちとSNSで連絡を取り、様態論をバックアップする立証聖句を彼らからいろいろと教えてもらったらしく)使徒行伝を開きつつ、「ワンネスの神理解、キリスト理解は聖書から立証できる」と言ってきました。この対話を通して分かったのは、彼らの視点によると、

 

私たち三位一体派は、「聖書のみ」+「人間の伝統への依拠(=全地公会議の決定に権威を置くこと)」である。それに対し、

ワンネス派の神論は、純粋に「聖書のみ」に立ち、いかなる人間の作った伝統からも曇らされていない原始キリスト教への‟回復”教理である、ということでした。*3

 

また類似の主張が、キリスト・アデルフィアン派の教会で福音を聞いたイスラム圏の人とのディスカッションの中でなされました。キリスト・アデルフィアン派は、19世紀に興ったストーン・キャンベル運動*4から生まれたディサイプルス派に不満を抱いた人々によって新しく形成された信仰共同体であり、この派も三位一体の教義を拒絶しています。(それから霊魂消滅説も唱えています。)*5

 

(また、イスラム圏の求道者の方々の証言によると、ワンネス派やキリスト・アデルフィアン派やエホバの証人といった三位一体論否定派のグループは、多くの場合、‟正統派”グループよりも愛に溢れており、親切で、そこには真実なる御霊の実〔ガラ5:22、23〕が生っているとのことでした。)

 

私はそんな彼らと共に三位一体の教義に取り組みながら、(プロテスタント教徒として)自分自身、「正統性」の問題に直面せざるを得ませんでした。

 

「三位一体の教義は正統である。」しかし、なぜそれが正統なのか、ということを自分や相手に納得させようとする中で、私は自分自身、堅い岩場に立てていないことを認めざるを得ない状況に立たされました。

 

つまり、自分が「異端」だと考える諸グループの「異端性」を指摘しようとする時、私は無意識の内に、「教会(Church)が全地公会議を通し〇〇を決定したから」という教会権威に依拠していました。

 

しかしながら、その依拠の仕方はまだらであり、「聖書のみ」のパラダイム内で許容できる内容の「正統性」を裏付ける時には依拠しても、それ以外の時には、それらは私にとって「権威」ではありませんでした。

 

つまり、「聖書のみ」のパラダイムは、全地公会議での決定諸事項を(無意識的に)選り好みする「個人的自律性/権威」を私に授与し、その枠組みの内部から、私は「正統性」を確定しようとしていたのです。

 

それゆえに、求道者の方々に、「三位一体の教義は『正統』教理であって、、」と言う時、なぜだか分かりませんが、いつも、「正統的」という言葉が自分の中で空回りしているような気がしてなりませんでした*6。おそらくですが、それは、私の言うバージョンの「正統性」に、(「聖書のみ」のパラダイムにおける)個人的自律/権威が混在していることに対する漠然とした不安感だったのかもしれません。

 

そして今思うと、いかにしても私の中からその「不安感」が去らなかったのは、神の愛なる御配慮によるものだったのだろうと思います。なぜなら、そこから私の魂は「正統性」の源泉を追い求め、飽くことなき探求を続けていったからです。

 

関連記事

Reading our way out of theTrinityafkimel.wordpress.com

*1: 

*2:ヘブル的ルーツ運動(HRM)の中には多くのセクトがありますが、その中には三位一体の教義を拒絶する諸グループも存在します。例えば、↓のHRMグループは三位一体の教義が異教主義的なものであり、拒絶されなければならないと説いています。

*3:

*4:関連記事

*5:ストーン・キャンベル派は、教団教派の痛ましい分裂と仲たがいを克服するために私たちはどうしたらいいのかということを真剣に考えた上で、「聖書が語るところで私たちは語り、聖書が沈黙を保っているところでは私たちも沈黙する」という鉄則により、私たちは再び一つの教会になれるのではないかと考えました。しかしながらそういったハイパー・ソラ・スクリプトゥーラの原則によっても尚、教会は分裂してしまうということをストーン・キャンベル運動**(その後、三つの教派に分裂)の歴史は物語っているように思います。関連記事:ディサイプル教会と「回復運動」

*6:さらに〈超教派〉的環境の作り出す薄いレイヤーの‟最小共通分母的”教会論の頼りないふわふわ感が、相乗効果的に、私の口から出る「正統的」という言葉を不安定なものにしていたように思います。