出口がみえない。外から内から攻寄る懐疑。信仰と疑い。内なる精神の緊張。自身を含めたあらゆるものに対する失望。「教会」の崩壊。内部分裂。不安。恐れ。
聖ソフロニーは、そういった苦悶を抱える一女性に対し、全き正直さをもち書簡を書き送りました。彼は言います。私たちは二つの極の狭間にある。一つの極は揺るがない神の愛とその存在。そしてもう一つの極は刻々と変り行き、痛ましいまでに不安定な自分および自分を取り巻く環境。「あなたの内なる緊張の根源がどこにあるのかそれを常に明らかにしなさい。」
「そして一たびその根源が特定されたのなら、そこから逃げようとしたり、その緊張の場から脱け出そうとしてはなりません。最善を尽くし、自らをその十字架の上にとどめ置きなさい。」疑いや葛藤の存在を否定したり、それがあたかもないかのように自らに偽ってはならない。どう繕おうとそれはリアルに存在している。だからそれが在ることをありのままに認め、苦しく困難を伴う問いを問うことにたじろぐことなく、それを問い続けなければならない。「なぜなら、霊的緊張のその場にこそあなたの宝があるからです。」
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fr. Seraphim Aldea,