巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

勇ましい生涯

f:id:Kinuko:20211004172708p:plain

渡月橋の紅葉(出典

 

内村鑑三は、『後世への最大遺物』という講演録の中で、私たちクリスチャンが後世に何を残すことができるのかについてメッセージしています。


(キリスト教の事業のために)これだけのお金を溜めた、これだけの事業をなした、自分の思想を論文に書いて遺した、、、そういうのも結構、「しかしそれよりもいっそう良いのは」と内村は続けます。

後世のために、私は弱いものを助けてやった、
後世のために、私はこれだけの艱難に打ち勝ったみた、
後世のために、私はこれだけの品性を修練してみた、
後世のために、私はこれだけの義侠心を実行してみた、
後世のために、私はこれだけの情実に勝ってみた

たとい人生の中で大きなハードルがあったとしても、いや、それだからこそなおいっそう、人がそういった困難に打ち勝っていこうとする姿勢とそこから生み出された実は、価値があるのだ。そういった「勇ましい生涯」――それこそが後世に残すことのできる最大の遺産である、と内村は語っています。

今朝、このことを黙想している中で、私は、ラファエル梶原史朗主教(カンタベリーの聖オーガスチン会衆〔カトリック教会属人教区〕)およびトマス小野田聖ピオ十世会司祭のことを思わずにはいられませんでした。カトリック教会内でいろいろ論争があるのは存じておりますが、誰がなんと言おうとやっぱり私にとってこの御二方は日本のヒーローです。

 

私のシンパシーは川の流れのように彼らの方に向かい、彼らの「勇ましい生涯」が私個人に与えたインパクトは計り知れません。大勢がどう流れていこうとも神の前に毅然として立ち、立ち続ける勇気、窮地に追い込められても村八分にされても絶望せず、さまざまな困難に打ち勝ち耐え抜く不屈の信仰――、御二人のそういった一途な生のあり方は、もうそれだけで宝玉のような価値があると思います。

 

人は完璧であるから影響力があるのではなく、むしろ弱さや困難を抱えながらも神の前に自らのすべてを余すところなく奉献しようとしているその純粋な心・信仰ゆえに、彼の人生は(おそらくは彼の知らないところで)他の人々の人生に永遠につながる深いインスピレーションを与え続けているのだと思います。