巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

信じること、生きること、愛すること

宗教改革ーー「もしもあの時、、、」(by ピーター・J・ライトハート)

聖餐における聖書解釈で意見を違わせるルターとツヴィングリ(マールブルク会談、1529年) 目次 はじめに ーー「もしもあの時、、」 形成、粉砕、そして再形成 内部分裂 弁論術 信仰告白主義化 宗教改革の二つのEnd

東と西ーー福音主義プロテスタントと東方正教会の対話を聞いて思ったこと。

目次 はじめに 4人それぞれの道のり 大文字の伝統(Tradition)と小文字の伝統(traditions)を区別することの大切さ 西洋版の〈正教〉と、ギリシャ版の〈正教〉 〈伝統〉は皆、持っている。 おわりに

たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。ーー変動と危機の中の信仰

「神はわれらの避け所。また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。」(詩篇46:1-3節) ど…

探求ーー〈ほんものの時代〉における霊性(ジェームズ・K・A・スミス、カルヴァン大学)

出典 目次 探求ー〈ほんものの時代〉における霊性(by ジェームズ・K・A・スミス、カルヴァン大学) 〔参考資料〕チャールズ・テイラー著『世俗の時代』の書評論文(by ジョン・ミルバンク、ノッティンガム大学)【英文】

人生のどん底にいるクリスチャンは何を歌えるのか?(by カール・トゥルーマン)

Carl R. Truman,‘What Can Miserable Christians Sing?’ in The Wages of Spin: Critical Writings on Historical and Contemporary Evangelicalism (Christian Focus: 2004) pp. 158-160(抄訳) 過去においても現代においてもキリスト教礼拝の中で欠けてき…

何をもって「一致」とするのか?ーーピーター・ライトハート著『プロテスタンティズムの終焉ーーバラバラになった教会の一致を求めて』に対する東方正教会の評価

そもそもなぜフェンスがそこに建てられたのかを知らないうちに、それを取り外そうとしてはならない。決して。ーーG・K・チェスタトン 目次 未来の「合同教会」 ポスト福音主義と彷徨う宗教的遊牧民 大文字のChurch 現実 家族か他人か

ささやかな私の「庭」に遊びに来てくれる朋友たちに

出典 遠いところから朋友たちが訪れてきてくれる。 愛しい友だち、私の「庭」でどうぞゆっくりくつろいでいってください。

世俗の時代とは何だろう?そして私たちクリスチャンはどのように生きていけばいいのだろう?(by ジェームス・K・A・スミス)

主よ、なにをどのように信じていったらいいのか教えてください。(出典) 目次 はじめにーー世俗の時代とは? 講義の内容

アンソニー・ボリーソフ神父(ロシア正教会)とジョン・ミルバンク氏(聖公会神学者)との対談記事

モスクワ神学アカデミー(出典) 目次 モスクワでの対談 〔補足〕改革派神学はラディカル・オーソドクシーをどう見ているか

過去の誤りから謙遜に学び、そこからまた進んでいきたい。

前に進んでいくためにーーまっすぐ進んでいくためにーー、後ろを振り返りたい。(写真)

確信していた世界がバラバラになった後に人はどのように再生してゆくことができるのでしょうか?

自分がずっと信じてきた教師、教理、体系、教会の根本的誤りが明らかにされ、「真理」だと確信を持って教えられてきた内容が実は誤った方法論で構築された虚偽であったことが判明した時、私たちの心にぽっかりと穴が開きます。

自分とは異なる見解を持つ同胞をより良く理解し、より深く愛していくために

ロバに乗った老人 目次 はじめに できる限り、相手の言い分を「直接」聞くように努める キリスト教会史の中の「悪玉」と言えば・・・?? いざイコン問答! 一つの食卓を囲んでーー公開ディベートの有益性 おわりに

離れても、いつかきっと再会する。

山や空をぱっと見ると、それは完結した一枚の静止画のようにみえます。しかししばらく見つめていると、そこに〈動き〉があることに気づきます。雲は形や表情を変えつつ、ふくらんだり、薄くなったり、丸くなったりしながら、たえず動き、山の木々も風に揺れ…

懐疑に苦しむクリスチャンへの励まし②ーーなぜ懐疑主義は人間本性にフィットし得ないのかについて(by エスター・ミーク)

出典 目次 「懐疑」から「確かさ」へ、そして再び「懐疑」【サイクルその2】 「懐疑」から、、、そして次は何?【サイクルその3がスタート】 なぜ懐疑主義はフィットし得ないのかについて そして今、どうなっているの?

懐疑に苦しむクリスチャンへの励まし①ーー「知る」ことについて(by エスター・ミーク)

エスター・L・ミーク。ペンシルベニア州ジュネーブ大学哲学科教授。ヴァン・ティル学派の前提主義、ジョン・フレームの多元遠近法(multiperspectivalism)及び、マイケル・ポランニーの暗黙知(tacit knowledge)をベースに、契約主義キリスト教認識論を構…

清い「オジサン」たちと共生する楽しい世界

「このブログを開くに至ったいきさつ」(証し)の中で告白しましたように、私は聖書的女性像を追い求め、探求する過程で、「聖書の教えに関する内容は(女性である自分が書くのではなく)男性教師・神学者の方々の論文を翻訳する」という方向転換をしました…

「註」から見えてくるもの

出典 「註が一個も付いていない論文がないわけではない。ただし、その場合、その論文に含まれている事実関係のデータはすべて自分で調査したものであり、議論の前提となる命題も、論証過程も結論もすべて自前のものでなければならない。 しかし、多くの場合…

暗闇の中での導き(by ジョン・マクダフ)

目次 暗闇の中での導き(ジョン・マクダフ) 詩篇27篇7-10節を歌い祈る

人のこだわり、そして神の恵み。

有名な文芸評論家である丸谷才一氏(1925-2012)の著書の一つに『文章読本』というものがあります。 これは丸谷氏が多彩な日本語の名文を実例に引きながら、文章の本質を深く明快に論じていくおもしろい本ですが、私が一番興味をもったのが、この書の一番終…

「聖書を『素直に』読めば、、、」という表現について【自己反省とお詫び】

「聖書を『素直に』読めば、自然と○○という理解に至るんです。」(○○には、自分の支持する聖書解釈や主義名が入ります。) 私はこれまでどれだけ多くの場で、上記のようなフレーズを使ってきたことでしょう。しかし振り返ってみて今、私はその事を大いに恥じ…

クリスチャンであることの標(しるし)(by フランシス・A・シェーファー)

目次 序 この標とはなにか? 人と兄弟 微妙なバランス 真のクリスチャンのために 質の基準 愛における失敗 最後の弁証 正直な応答、目に見える形での愛 「一致」に対する誤った考え まことの一致 可視的な愛 赦し クリスチャンの間で意見の相違がある時 遺憾…

彼は「越境」しなければならなかったのか?――カルバリー・チャペルから東方正教会への旅路【書評】

目次 はじめに 著者のセブンスデー・アドベンティスト時代 ファンダメンタリズムからカリスマ派へ 福音主義教会のカオスの中で 真理はモザイク状のものなのか? 「あなたに与えられている光」に真実に生きればそれでいい? 定義のない看板文字 彼は「越境」…

わが魂は悲しみ、絶望しています。(ウィリアム・クーパーの信仰詩)

わが魂は悲しみ、絶望しています。 主よ、見てください。わが敵どもが どんなにか大勢で押し寄せてきているかを。 彼らは恐ろしい破壊者(Apollyon)を頭に、 わが天路巡礼の路に立ちふさがり、攻め入ろうとしています。

聖書信仰のクリスチャンはチョムスキーの生成文法をどのように評価すべき?(by ヴェルン・ポイスレス)【大学生の皆さんへの応援記事 その2】

目次 訳者はしがき 構造言語学、アメリカに上陸 ノーム・チョムスキー、突如としてアメリカ言語学界をひっくり返す 日本語訳聖書にも影響しているチョムスキー理論 一極集中の人になろう チョムスキー革命 厳密さと形式化にともなう代価 核文と非核文との間…

永続性の根底にあるもの(山田昌)

「わが憐みなる神よ、御身を呼び求めたてまつる。あなたは私を造り、あなたを忘れていたときにも、その私をお忘れにならなかった。あなたを心のうちに招じ入れたてまつる。 心が熱望をもってあなたをお迎えするように、心を準備してくださるのはあなたである…

いかに読書すべきか(三木清)

目次(見出しは読みやすさを考え、管理人が任意に作成しました。) 1.読書の習慣を作ることの大切さ 2.技術としての読書 3.多読および濫読について 4.専門を有すこと 5.何を読むべきか 6.古典について 7.原典を読むことの大切さ 8.原書を読…

和らげられた風(by ジョン・マクダフ)

John MacDuff, The Wind Tempered, 1879(抄訳) 「これこそが安息である。疲れた者に安息を与えよ。これこそ憩いの場だ。」(イザヤ28:12) 「主は東風の日に、ご自身の激しい風を抑えて〔restrains〕彼らを移しやられた。」(イザヤ27:8、英訳か…

神を知り、人を知るという営みについて

神を知り、人を知るという営みは〈自然的に〉為され得るものなのでしょうか。また、この現代社会の中で、神と人を〈自然的に〉知っていくことはそもそも可能なのでしょうか。そしてもしもそれが可能であるならば、それはどこで、どのようにして可能とされる…

私がクリスチャンの教理論争史を愛しんでいる理由――Exclusive Psalmody Debateの事例から【キリスト礼拝の本質を考える】

私は、クリスチャンの教理論争史にとても興味があり、それらの文献を読むのが好きです。そして今日はみなさんに、私がなぜExclusive Psalmody Debate(礼拝時に詩篇歌だけを歌うべきか否かの論争)を愛しているのか、その理由をお分かち合いしたいと思います…

公正さ(fairness)についての省察――隣人をより良く知り、より深く愛していくために。

ゴスペルフラ現象についての記事でお話しましたように、私は先日、アメリカ人の宣教師の方から、現代英語のredeem「贖う」は、(聖書的・狭義の用法だけでなく)もっと広義な意味合いでも使われる動詞でもあるということを教わりました。 翻訳者として、これ…