巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

懐疑に苦しむクリスチャンへの励まし②ーーなぜ懐疑主義は人間本性にフィットし得ないのかについて(by エスター・ミーク)

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出典

目次

 

Esther Meek, Longing to Know, 2003, chapter.3.(一部翻訳抜粋)

記事①はココ

 

「懐疑」から「確かさ」へ、そして再び「懐疑」【サイクルその2】

 

客観的錨(いかり)の現実に疑問が投げかけられたことにより、知識の可能性それ自体が再び疑問視されるようになりました。そしてまたもや懐疑主義のむんむんした空気が充満してくるようになりました。

 

近世哲学の祖として知られているルネ・デカルト(1596-1650)は、こういった深刻なる懐疑論的挑戦に直面する中で、知識のための、確実にして疑う余地なき土台を提案しました。

 

René Descartes

 

そしてその際、彼は心休まるものではあってもやはり問題を多く抱えていた〈古典的アプローチ〉を採用することをやめ、その代りに、確実にして無謬なる知識のための新しい土台を探求することにしました。

 

それでは知識に対する〈古典的アプローチ〉と〈近代的アプローチ〉にはどのような違いがあるのでしょうか?そうです、プラトンや彼につらなる人々が「知識に関する保証は、世界の中における自分たちの《外側》に据えられている」と考えていたのに対し、近代思想家たちは「それは認識者の《精神の中》に据えられている」と仮定したのです。

 

デカルトは明瞭にして確かなる観念のことを説きました。ここでいう観念とは、認識者が確実に知っているもの、そして虚偽ではあり得ないものを指します。そして彼は、次のような方法論をとりました。

 

①明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れないこと。(明証)

②考える問題を出来るだけ小さい部分にわけること。(分析)

③最も単純なものから始めて複雑なものに達すること。(総合)

④何も見落とさなかったか、全てを見直すこと。(枚挙 / 吟味)

 

それによると確実なる知識を保証するものは、この世界の中にあるのではなく、私たちの精神の中にあるのです。

 

現代哲学は20世紀に至るまで何世紀にも渡り、このテーマで変遷を経てきました。バートランド・ラッセル(1872-1970)は、そういった数多い哲学者の中でも影響力のある一人でした。

 

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Bertrand Arthur William Russell

 

彼も他の多くの人と同様、「知識が確実にして無謬なる知識であるためにそれはいかなる基準を満たさなければならないのか」という問題に取り組みました。そして彼は私たちの持つ最も基本的な心的概念を「感覚データ」と名づけました。しかしラッセル自身もこのアプローチに付随する大きな諸問題に気づいていました。

 

例えばですが、私たちの感覚データを超えたところに外的世界が有るのか否か、いかにして認識することができるのでしょうか?また私たちの感覚データが何かに適合しているということに関し、どのようにして確信を持つことができるのでしょうか?

 

しかしモダニストたちはとにかくもこの路線で押し進めていきました。なぜなら、彼らは知識取得が可能であると信じており、またそれ以外に実行可能な代替モデルがなかったからです。

 

「懐疑」から、、、そして次は何?【サイクルその3がスタート】

 

哲学的外観におけるもう一つ別のシフトの波が押し寄せてきました。もしあなたが35歳以上なら、波の両側に立った経験がおありだと思います。そしてもしあなたがそれより若いのでしたら、波の新しい側だけをご存知でしょうね。

 

さてどんなシフトが進行中なのでしょうか。近代の哲学者たちは、「精神内の観念は十分に明瞭であるため、それは彼らが(物質的世界に関する言明といった)知識として存続すべきであると信じるところの真理言明を支持し得て余りある」と考えていました。

 

しかし彼らが、「知識に関する錨」だと考えていた心的概念は、実際には私たちを世界から遮断するものでした。それに加え、モダニストの生きた時代、心的思考が知識に根拠を与えていることに合意していた哲学者たちが、結局、互いにてんでバラバラな提案をしていたのです。

 

こうして人々は次第に、「全ての人の精神がデカルトと同じように働くなんて、なんとおこがましい考えだろう」と思い始めました。それに加え、それぞれの認識者の関心や文化や外観が、彼の認識行為をどれほど形作っているのかということをやはり認めざるを得なくなってきました。(←これはニーチェの影響。*フリードリヒ・ニーチェの著作は最近、再び人気を博してきています。彼の思想が、《ポストモダニズムの先駆け》として認められてきているからです。)

 

「これが真理だ」と主張していることが実は、自分の文化的生い立ちや個人的趣向などの主観的要因によって決定されているのだとしたら、確実にして無謬かつ客観的知識というものが一体どこに存在し得るというのでしょう?こういった一切合財のことが脅威となり、知識に対する私たちの主張をむしばんでいきます。

 

こうしてモダニズムからの離脱が進んでいく中で、私たちは皆、懐疑主義を甘受しなければならないようなプレッシャーを感じ、《粉々になった世界観》という「根無し草」を刈り取っています。

 

いかにして物事を認識できるのでしょう?確かなものは何もなく、全ては不確かです。次に挙げる言明はかなりの単純化ではありますが、「ポストモダニズムは、懐疑主義に対する最新バージョンの屈服である」というのは言い得て妙ではないかと思います。そこには絶対的真理がなく、《大きな物語(metanarrative)》もありません。やはりこれは懐疑主義と言っていいでしょう。それでは私たちはこういった懐疑主義に「慣れ」、そこに「落ち着く」べきなのでしょうか?

 

なぜ懐疑主義はフィットし得ないのかについて

 

懐疑主義というのは、人間本性にとってのデフォルト・モードではないと思います。まず第一に、たとい私たちが懐疑論者になろうとしても、何も知り得ないということを自分は「知っている」とか、どこにも真理はないというのは「真なり」とか言うこと自体、懐疑論者としての属性に矛盾しています。そしてその矛盾に私たちは苦しめられることでしょう。

 

それに私たちは皆、心のどこかで、懐疑主義にフィットしていない自分を感じていると思います。ほらちょうど、シンデレラの義姉たちがガラスの靴に合わせて足指を削ったように。(「私たちもここ何世紀に渡って靴に合わせるべく大きな足指を切ってきた」と言う方がいるかもしれませんね。)

 

それに、、、「何も知り得ないんです。」と言われているわりに、私たち、結構、いろんなことを知っています。あるいは、少なくとも、そういう風に生きているように見えます。

 

私たちの生活や仕事や社会の大部分は、情報、学び、そして発見に費やされています。それに、教室であろうと、ゼミの研究室であろうと、日常のありふれた出来事の中であっても、私たちはたえず、「知らない状態」から「知る状態」へと前進していっています。これが私たちの生活のストーリーです。そしてこれは懐疑主義と矛盾しています。

 

でも統合という名の下に、私たちはともかく自分のことを懐疑論者と呼ばなくてはならないと感じるかもしれません。しかしそれと同時にまた、私たちはそういった名称の非信憑性を感じずにはいられません。なぜなら、私たち人間の生の歩みは、知るという営為で紡がれているタペストリーだからです

 

古典主義者、モダニスト、懐疑論者皆が次のことに同意しています。ーー知識が知識であるとされるために、それは確実性、無謬性、必然性、普遍性によって特徴づけられていなければならないと。彼らは皆、確実性や知識のための絶対確実なる基準を形成しようと試行錯誤した結果、ーー懐疑論者たちだけに限らず多くの人がーーその結果は満足のいくものではなかったということを認めています。

 

ただ懐疑論者は次の点で他と異なっています。知識を定義するに当たって彼らがしなければならないと感じている譲歩は、最終的に克服できないものです。ですから、これらの諸グループは知識に関する理想という点では意見の合致をみているものの、そういった知識がはたして可能なのか否かを巡っては不同意しているわけです。

 

こういった現象は哲学者たちの間だけにみられるものではありません。特別な哲学的修練を受けていない一般の人々も知識に関する考えを持っています。一般的に言って、人々は「知識とは、自分が確かなものだと捉えているなにかであり、それは誤りではあり得ない。というのももしそれが誤りなら、それは知識ではないから。」といった風に考えています。そして彼らは、そういった知識が可能か否かという点に関し、少なくとも表面的には意見を違わせています。

 

そして哲学者たちだけでなく一般の人々もまた、古典的&モダニストのアプローチはもはやバラバラになってしまったということを感じています。誰も本質(essences)に紐帯感を覚えることができず、精神の中にある思想のイデアも道端に落伍し始めています。そして私たちは懐疑主義と共に取り残されてしまいます。

 

ですが、もしも残されたこのオールターナティブである懐疑主義もまた私たちに適合しないのなら、懐疑主義/古典的哲学/現代哲学を形成してきた諸前提に何か問題があると言わなければならないと思います。私たちが「知識」と言う時のその知識とはそもそも何なのかを再考する時が来ているのかもしれません。

 

特にいくつかの事柄が私たちに懐疑主義の不適合性、そして確実性に関する特権的層に錨を下ろした知識の理想に関することを示唆しています。知識における確かさの理想はこれです。「疑いの影が一切なく、私が合理的に確信している諸主張のみを私は真なるものとして受け入れなければならない。」

 

西洋哲学の伝統をみますと、こういった種類の確実性を追求した結果、歴代の屈強な哲人たちは、自分にとって最も大切でならないものにさえ別れを告げなければなりませんでした。

 

プラトン主義者たちは感覚の持つ知覚(perception)に別れを告げ、それらをプラトンの寓喩的洞窟の壁に映る影として再解釈しました。デカルトは、アルキメデス的確実性を追求する過程で、自分の感覚に関する打ち解けた知覚に別れを告げただけでなく、--この数学者にとって何よりも大切なものであったーー数学に対しても、おさらばしたのです。

 

ラッセルは、彼の感覚データが外的世界を表象していたところの「確実性」に別れを告げましたが、そういった試みは、科学の進歩を信じる人にとっては帰納におけるかなりの困難です。自分たちの感覚や、外的世界の信頼性を捨て去ることは、足指を切る行為に等しいといえるほどの大ごとです。

 

確実性の理想をなんとか獲得しようと、歴代、思想家たちは、「妥当なる」知識のパラメーターをあまりにも厳格に締めつけてきたため、残されたものはせいぜい公理にすぎず、あるいは、あまりにも最小主義化・個別化を押し進めてきたため、雑多な諸現実はそこから圧搾し押し出されてしまいました。

 

18世紀の哲学者デイビッド・ヒュームの著作は、諸言明を排除する試みにおける頂点をなしており、その中にあって、「自分自身が知覚していることを知覚しているのか否か」を含めた、一切の正当性がはく奪されました。

 

彼の見解によると、私やあなたはただ自分たちの知覚を知覚しているだけなのです。そして私たちは因果的つながりを知覚しておらず、ただ連続した諸知覚を知覚しているにすぎません。彼は、パーティーを開いたり、西洋すごろくで遊ぶことによって、この恐ろしい窮状に応答しました。ーー彼の否定したつながりに対する一貫性のない譲歩として。

 

20世紀の分析哲学はその手始めから、知識を論理的諸真理(「雨が降っているか、もしくは雨が降っていないか。」)、最小主義的に感覚経験の原子に関する報告("This here red.")、そういったものの結合から導き出され得る諸言明に制限しました。

 

そして、完全に正当化され得る諸言明のみを知識として認めるというのは、今でも、西洋哲学伝統の大半を占めています。多くの人が理想に関する制限性と格闘してきましたが、彼らはそれに到達せんとの試みを放棄してはおらず、彼らの多くは実際、人間の人格や、芸術、宗教、倫理といった〈大きな足指〉を犠牲にし、それらを削り落としてきました。

 

もしも私たちが「知識」を、この種の確実性の基準を満たす諸言明に制限してしまうのなら、結局行きつく先は、「私たちはほんの少ししか知り得ないのです」ということになるでしょう。

 

そしてたとい確実にして無謬なる知識に達し得たとしても、ここで言う「知識」とは、あまりに不毛且つ、認識者からも既知の現実からも分離・切断されているため、結局、無益な代物になり下がってしまいます。また、たとい、"This here red"(これ ここ 赤)というような言明にあなたが合法性を授与したとしても、それがあなたに言っているのはただ、あなたの頭の中にあることだけであり、その《外側》にある世界に対し、その言明はなんらあなたにアクセスしていません。

 

西洋の伝統は、強固なるverbal source(言語源泉)の影響を受け、これまで、「知識というのは、言葉にされ得、且つ正当化され得るものに制限される」ということを紛れもなく前提してきました。それで私たちは知識のことを、諸言明や証拠だと捉えています。

 

しかしこういったアプローチがぴったりこないという指標が他にもあります。例えばですが、もしも科学者たちがあまりにも制限されていたのなら、どんな科学的発見もこれまでなされていなかったことでしょう。もしも学生たちが諸言明や証拠だけに制限されていたのだとしたら、学びは起こり得なかったはずです。

 

なぜなら、発見や学びがどういう結末にいたるものであれ、ーー諸言明や確実性に関して言えばーー、それらが諸言明や確実性で始まることなどあり得ないからです。

 

糸口がみつからないというあなたの状態をいかに言葉に表す(verbalize)ことができるのでしょうか?また、糸口によって導かれつつあるその時点においてあなたのその糸口をいかにして言葉に表すことができるのでしょうか?あなたが未だ未習・未発見であるものに関し、いかにして「正当化された諸言明」を作ることができるのでしょうか?しかし学びや発見はいつも起こっているのです。

 

それでは、確実性の理想それ自体はどうでしょうか。もしも私が、自分が確信しているところの諸主張のみを真として受け入れなければならないのだとしたら、「自分が確信しているところの諸主張のみを真として受け入れなければならない」という主張自体はどうなるのでしょうか?それに関し私は確信を持っているのでしょうか。それは確かなものなのでしょうか。

 

それを立証するために私はいかなる根拠を用いるのでしょう。その理想はそれ自身の基準すら満たしていません!それは私の中で確かであり得ないものに関する主張です。それは信仰の表現だという方々もおられるかもしれません。

 

ロバが彼の前にある棒切れにぶら下がっているニンジンを求め、希望を持ちつつ、よいこら歩みを進めています。「確実性」--何世紀にも渡り私たちをじらせてきた、あのむっちり肥えた古のニンジンーーは、見当違いの理想です。ロバは、私たちのニンジンに到達すること(ができたらの話ですが)によってよりも、自分自身のニンジンにありついた方がよほど報われるでしょう。

 

そして今、どうなっているの?

 

19世紀頃にはすでに、知識に関するモダニスト的モデルのもたらす芳しくない結果に憂いを覚えた哲学者たちが、こういった欠陥ある知識概念を改訂しようと試み、今日に至るまで非常に洞察力に富んだ提案をしてきました。

 

ここ数十年を振り返ってみますと、そういった尽力の相互類似性や重要性がさらに際立ってきている感があります。モダニズムからの移行を通し、人間経験にかかわるあらゆる領域が回復される兆しがあります。

 

しかしそういった改訂は、真理とリアリティーに関する問いを巡り、互いを分離させています。真理やリアリティーについて語ることは適切なことなのでしょうか。それともふさわしくないことなのでしょうか。

 

私たちが「ポストモダニズム」と呼ぶものの中心的推力は、私たちが真理とリアリティーに関する思想を拒絶するよう働きかけてきています。それが理由で私は、「ポストモダニズムは懐疑主義へと私たちを誘っている」と提示しているのです。

 

そして仮にこの潮流が私たちに、懐疑主義に甘んじ、それに安住するよう求めてきているとしても、人間認識に関する実行可能なモデルに対する私たちの求めと探求は尚も続けられるべきだと私は信じています。なぜなら、私たちは、自分たちの人間本性に真実でないものに安住するよう求められているからです

 

ポストモダンの声が、真理とリアリティーに関する懐疑主義を私たちに提供している理由は、ポスト近代がそもそも西洋哲学の切り株から生まれ成長してきたがゆえにーー人間経験や認識に関するいくつかの特性を今もって認めていないからだと思います。

 

そういった特性は、否定しようのない私たちの内側にあるものーーリアルなものをとらえることに対する私たちの希望と願いーーを回復させます。そして本書の中で私がみなさんにお分かち合いしたいのもまたそういった特性なのです。

 

もしも懐疑主義が人間経験に適合せず、知識に関するモデルが実行可能な説明を提供していないのであれば、私たちにとって今が、知識観に関する一般前提を再考する時なのかもしれません。そして、別のアプローチーー単なる「はい」か「いいえ」の答えで終わるのではなく、そこからさらに深く入っていくなにかーーを探求していくべき時なのかもしれません。

 

知るという営為は、私たちがすでに人間として日々行なっていることであり、私たちはそういった経験から自分たちの観念を改訂していくことができるかもしれません。そしてこの歩みをする中で私たちが発見していくものは、「いかにして神を知っていくのか」の理解にもつながっていくでしょう。

 

ー終わりー

 

【補足】近代からポスト近代へ(D・A・カーソン、トリニティー神学校)音声講義

  1. From Modernism to Postmodernism
  2. Foundations of Knowing
  3. The Talking God
  4. Tough Talk