巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

東と西ーー福音主義プロテスタントと東方正教会の対話を聞いて思ったこと。

目次

 

はじめに

 

とても感慨深い対話ビデオを観ました。福音主義プロテスタント側から二人、正教側から二人のキリスト者が招かれ、それぞれの信仰道程、正教/新教に対する考えや姿勢について率直に語り合っています。

 

集会タイトルは「キリスト教の東と西」なのですが、4人の論客皆が証言しているように、〈東側〉vs〈西側〉=〈正教〉vs〈新教〉という杓子定規のきっちりした境界線が彼らの間に存在しているのではなく、現実には、4人の人生それぞれの中に、「東」と「西」が不思議な形で出会い、融合していることが語られ、とても興味深いです。

 

4人それぞれの道のり

 

Fr. Patrick Reardon

パトリック・ヘンリー・リードン神父。南部バプテスト神学校(ケンタッキー州)、聖アンセルム・カレッジ(ローマ)、The Pontifical 聖書学院(ローマ)、聖ティホン正教神学校(ペンシルベニア州)卒業。シカゴにあるAll Saints Antiochian正教会司祭。(写真

 

 Prof. Bradley Nassif

ブラッドリー・ナスィーフ教授(Ph.D.フォーダム大)。レバノンの正教徒の家に生まれる。12歳の時にテレビでビリー・グラハムの伝道説教を聞き信仰刷新を経験。高校時代、福音派の級友たちの感化を受け、キリストに献身。デンバー神学校(新教)で学び、その後、聖ウラジミール神学院でジョン・メイエンドルフに師事。ノース・パーク大学で教鞭をとりつつ、正教界および福音主義界双方の相互理解のために奔走している。(写真

 

Prof. George Kalantzis

ヨルゴス・カランズィス教授(Ph.D.ノースウェスタン大)。ギリシャのアクロポリスの丘の麓近くにある、福音派キリスト者の家庭に生まれる。少数派である福音派のクリスチャンとして、圧倒的大多数の正教社会の中に生きることの相剋、意味を幼い日から問い続ける。地域の祭司や学友、親戚の日常の中に、「伝統」という名を借りたありとあらゆる迷信や無知蒙昧を目の当たりにしながら育つ。渡米後には、今度は、アウグスティヌス直系の西洋神学の支配的流れや、東方神学思想との分断が目立つ米国福音主義界の中で葛藤を覚え模索する。専門は教父学で、現在、ホィートン大学の神学部内にあるEarly Christian Studies研究所の主任ディレクターを務める。(写真

 

Prof. Grant Osborne

グラント・R・オスボーン教授(トリニティー神学校新約学)。聖書解釈学が専門で、「解釈学的螺旋(らせん)」という概念を福音主義界に紹介したことで世界的に有名。正教界の人々との対話にも毎年参加し、オスボーン師の解釈学的省察は、OrthodoxyToday.comなどでも紹介されている。(写真

 

大文字の伝統(Tradition)と小文字の伝統(traditions)を区別することの大切さ

 

国民の大部分が正教徒で構成されるギリシャ共和国で生まれ育った福音派のヨルゴス教授は、「大文字のTraditionと小文字のtraditionsを区別することを一般の正教徒たちに教えることが非常に大切ではないかと思う」と話しています。

 

 「いわゆるGreat Traditionというのは8世紀頃までに出来上がりました。しかし歴史はそこでストップしたわけではありません。その後12世紀以上に渡り、ビザンティン世界の中における正教会にはさまざまな(小文字の)traditionsが増えていきました。

 

 特に400年以上に渡るオスマン帝国治世下、祭司たちの多くは十分な神学教育を受けることができず、宗教的無知蒙昧が蔓延しました。こうして人々の間で迷信がれっきとした正教の『伝統』であり真理であるかのように信じられていく土壌が作られていきました。」

 

そしてヨルゴス教授は、ティノス島にある聖母マリヤのイコンに殺到する民衆の実例を挙げているのですが、実際に、毎年8月、奇蹟を行なうとされている聖母マリアのイコンに誓願をかけるため、全国からティノス島に人々(特に女性たち)が集まってきます。

 

不妊の女性、家庭に問題を抱えた女性たちは島に到着すると、τάμα(誓願)しつつ、イコンの安置してある教会まで、地面をはいずりながら進んでいきます。(「私のマリヤ様、もしもあなたが私の祈りに答えてくださり、今年中に子どもを授かることを許してくださるのなら、私はこの教会にゴールドor 現金○○万ユーロをお捧げします。」など)

 

マリヤ様に祈願をかけ、炎天下の中、教会までの道をはだしで這い進む女性たち(出典

 

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出典

 

ÎάÏοιοι θα κοιμηθοÏν Î­Î¾Ï Î±ÏÏ Ïο ÎÎ±Ï Î±ÏÏ Ïο ÏÏοηγοÏμενο βÏÎ¬Î´Ï ÏÎ·Ï 15Î·Ï ÎÏγοÏÏÏÎ¿Ï Î³Î¹Î± να ÏÏοÏκÏνήÏοÏν Ïιο γÏήγοÏα.

出典

ÎÏειÏα αÏÏ ÏέÏÏεÏÎ¹Ï ÏÏÎµÏ Î±ÏÎ¿Ï Î­ÏÏαÏε ÏÏην Τήνο μÏαίνει ÏÏον ιεÏÏ Î½Î±Ï Î¼Îµ Ïα γÏναÏα.

出典

 

しかしこういった種類の迷信は、形こそ違えど、正教だけでなく、私たちプロテスタント界にもさまざまな形で存在していることを忘れてはならないと思います。

 

悩み苦しむ人々の「宗教心」や「帰依心」というのは、尊いものであると同時に、私益をむさぼる狡猾な人々によって悪用・乱用されやすい、脆い一面を持っていると思います。

 

「先祖の罪」によって「呪い」の下に置かれていると信じ込まされた人は、それこそ藁にも縋る必死の思いで、プロテスタント版〈ティノス島〉に殺到するでしょう。そして高い受講料や献金を払ってでもなんとか、特定ヒーラーや「霊の戦い」のスペシャリストという‟イコン”に触れ、癒していただきたいと願うでしょう*。また新教の中には「聖霊の満たし」という名を借りた数々のヒステリー現象も存在します。

 


正教徒は一般に「(正教の)伝統、 παράδοση」という言葉に弱く、新教徒は「聖書的」という言葉に弱いということを敵は熟知しており、それぞれの線で私たちに対し巧妙なトリックを仕掛けてきます。

 

西洋版の〈正教〉と、ギリシャ版の〈正教〉

 

興味深かったのは、ヨルゴス教授が、ギリシャの一般民衆の間に蔓延っている迷信やイコン崇拝などの実例を挙げるたびに、(バプテストから正教に転向した)パトリック神父が、「いいえ。でも、私は転向後、この20年、ただの一人も、そのような迷信がかった礼拝行為をしている正教徒に出くわしたことはありません。ただの一人も。」と強調していたことでした。

 

そこから二人の話は、現在洗練された形で発展しつつある西洋版の正教と、それとは幾分趣を異にする地元ギリシャの正教の間の違いに移っていきました。

 

確かにメイエンドルフ*、V・ロースキー、カリストス・ウェア*、アレクサンドル・シュメーマン*等によって代表される西洋発の20世紀正教神学の深遠さは際立っています。また、(アメリカやイギリス国内などでの)正教への改宗者の層も、聖書や教父学への造詣の深いキリスト者が多いようです。

 

他方、正教の総本山ともいうべきギリシャでは、今日においても、民衆の迷信と神学の不振が現実として存在するとヨルゴス教授は指摘しています。

 

レバノンで生まれ育ったナスィーフ教授も、「民衆の間の迷信という点ではレバノンの正教社会も類似の問題を抱えていると思います。だから私たち正教の教職者は、イエス・キリストの福音の中心性という面をもっともっと前面に出し、信徒たちに説いていく必要がある」という旨を語っていました。

 

宗教的多数派グループの民衆の間にみられるこういった現象はもしかしたらイタリアなどのカトリック圏、それからイランなどのシーア派イスラム圏でも見られるのかもしれません。

 

例えば、正教のτάμα誓願に当たるものは、シーア派内にも存在し(nazr,نذر)、荘厳なるイマーム・レザー廟の前では、イマームに祈願をかける巡礼者が全国から殺到していると聞きます。

 

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祈りの時間にイマーム・レザー廟に集まる人々(イラン・マシュハド市)出典

 

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イマーム・レザー廟内で祈り、誓願をする巡礼者たち(出典

 

↓イマーム・レザーに捧げた歌

 

〈伝統〉は皆、持っている。

 

トリニティー神学校のオスボーン教授は、私たち福音主義者が往々にして「伝統」という言葉を忌み嫌う一方(なぜならこの言葉はカトリック教会を髣髴させるから。)、自分たちの内にも別の形で存在している「伝統」に無自覚である点を指摘し、次のように言っています。

 

「例えば、改革派の方と会話を始めるや、ものの二分もしない内に私はこの方が改革派の人だということが分かります。この方のボキャブラリーや見方そのものが改革派の伝統から汲み出されているからです。」

 

「聖書のみ」という新教教理を批判するクラーク・カールトン師も同様の点を指摘しています。

 

 「もし、聖書が聖書自身を解釈するなら、プロテスタントはなぜ、数千とは言わないまでも、数百の聖書解説書を書いてきたのだろうか。なぜ同じプロテスタントの伝統の中にある注解者たちが、互いに一致しない注解を書いているのだろう。

 

 ここでは、伝統という語が、非常に重要である。ルター派はルター、メランヒトン、アウグスブルグ信仰告白の伝統によって聖書を注解する。長老派はカルヴァン、ベザ、ノックス、ウェストミンスター信仰告白の伝統によって聖書を注解する。要するに、それぞれの聖書注解は何らかの伝統に基づいて書かれているということだ。問われるべき真の問題は、聖書が伝統を含んでいる(Scripture imply tradition)かどうかではなく、どの伝統が聖書を正しく解釈しているかである。出典

 

〈伝統は迷信に変質しやすい。しかし伝統を無視することもできない。この点、確かに新教には行き過ぎがあったのかもしれない。では「伝統」とは何だろう。どの時代の「伝統」が「伝統」なのだろう?例えば、τάμα(誓願)は、「伝統」の内に入るのだろうか?これは正教内の小文字のtraditionなのだろうか?(ちなみに、パトリック神父は、道をはいずり回る女性たちの行為は、大文字の正教の「伝統」に矛盾していると言っておられました。〔1:05:20〕)しかし一般民衆は果してどの位、大文字のTraditionと小文字のtraditionsを区別できているのだろうか?〉ーーなどなど後から後から問いが湧いてきます。

 

そして私はふと思いました。もしもルターが、ティノス島で痛々しげに道をはいずり回る女性たちの姿を目撃したとしたら、、、。そしたらやはり彼は、神の愛と人々への愛に突き動かされ、庶民の言葉で『小教理問答集』をしたためずにはおられなかっただろうと。

 

おわりに

 

オスボーン教授が、「聖書解釈において、私たち西側の新教徒には個人解釈の伝統があり、東方には公同的解釈の伝統があります。私たちはその両方を必要としており、互いから学ぶことができるのではないかと思います」とおっしゃっていましたが、私も同感です。

 

また、プロテスタントを霊的劣等民と見下さず、私たちの伝統の内にもある良い点にも努めて目を留めようとしておられるブラッドリー・ナスィーフ教授の心の姿勢と愛に心を打たれました。

 

それから、アテネ生まれのヨルゴス・カランズィス教授とは霊的環境やアングルが非常に似ているという点もあり、彼の言うことには本当に何度もうなずきました。こういう点で悩んでいるのが自分一人じゃないと知っただけでも癒される思いがしました。

 

離れても、いつかきっと再会する*ーー。模索しながら今日も巡礼を続ける同胞クリスチャンすべての上に、主の導きと恵みと憐れみがありますように。アーメン。