巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

荒野で叫ぶ預言者たちの声

「今日、我々が通らされている教会の危機は、主として、リトルジーの崩壊にその端を発していると私は確信している。」(by ヨーゼフ・ラッツィンガー)

リトルジーの崩壊(出典) 目次 ポピュラー音楽からの挑戦 礼拝ダンス Joseph Ratzinger, The Spirit of the Liturgy, 2000.(抄訳)

「実存的」無神論者と神への欣求(by セラフィム・ローズ、ロシア正教修道士)

出典 無神論ーー一見したところ不正にして無慈悲にみえる神に対する憎悪心に燃えた真の‟実存的”無神論ーーは、一つの霊的状態である。それは、真の神を捉えんとするリアルな苦闘である。自らをアンチクリストと呼んでいたニーチェは、それにより、キリストに…

「国民教会(national church)」というものについて(by ジョン・ヘンリー・ニューマン)

オックスフォード時代のヘンリー・ニューマン(出典) 「英国国教会は、プロテスタント教会であり、それは宗教改革国家のために建てられた。それが国民教会である理由は、国民の大部分が、国家の意志に沿い修正していくことができるようような宗教をまさに望…

〈ローマ〉について(by G・K・チェスタトン)&「ロシアと普遍教会」(by ウラジミール・ソロヴィヨフ)

目次 〈ローマ〉について(G・K・チェスタトン) ロシアと普遍教会ーーロシア民衆の「真の正教」及び、アンチ・カトリック神学者たちによる「疑似正教」について(by ウラジミール・ソロヴィヨフ) ロシアと普遍教会ーーコンスタンティノープルやエルサレ…

クリスチャンと時代精神(by ヨーゼフ・ラッツィンガー)

出典 この数十年の間にどれだけ多くの教理の風をわれわれは目撃してきたことだろう。そしてどれほど多くのイデオロギー的動向、思想の様相が現れては消えていったことだろう。多くのクリスチャンの〈小さな思想舟〉はひっきりなしにこういった波に翻弄されて…

リチャード・バクスター選集

「言葉や行為というのは一時的なものに過ぎない。それらは一度なされるや過去のものとなり、もはやそこにはない。しかし、それらが不滅の魂に及ぼす影響は、おそらく永遠につづいていくだろう。」リチャード・バクスター(1615-1691) 目次 リチャ…

聖職者たちによる恥ずべき性的罪および犯罪行為はもうこれ以上寛容されてはならない。今こそ清めの時。(byドミニック・レジー神父)

目次 聖職者の冒涜罪がこびりついた教会を清める(ドミニック・レジー神父) ここ数十年、〈寛容〉が聖職者による性犯罪増殖の温床となっていた アクティブな同性愛司祭たちのネットワークと ‟二枚舌” 聖なるものに対する冒涜 解決に向けて 改革案1 改革案…

荒野で叫ぶ声(by レオナルド・ラーベンヒル)

Leonard Ravenhill, Agony(拙訳) 我々は十字架にかけられた人の、苦悶に満ちた死に様を見たことがない。 その男が十字架に釘づけにされるや、その人はすべての権利を失った。そしてもしあなたが十字架に釘づけされるなら、あなたもまた、自分のすべてを失…

〈保守〉と〈プログレッシブ〉ーーG・K・チェスタトン

G.K. Chesterton (1874-1936) 現代世界全体が、〈保守〉と〈プログレッシブ〉に分割されている。プログレッシブ派の仕事は、次から次に間違いを犯していくこと。保守派の仕事は、間違いが正されていくことを阻むことである。 たとい革命家自身、自らの起こし…

「今日、単にアカデミックな推論に過ぎないとみなされているものが、明日には、諸国の軍隊を動かし、帝国を投げ倒すようになるのである。(G・メイチェン)」ーーグローバル性革命と新しい全体主義【若い世代のクリスチャンへの激励】

ーグレシャム・メイチェン(1881-1937) フェミニスト神学者メアリー・デイリーの「人間として存在することーーそれは自己に命名し、世界に命名し、そして神に命名することである。」という言明を読んだ姉妹が、「こういった人々はすでに正気を失っ…

なぜ自分にとって「コンテンポラリー・フリー礼拝」が原理的にインポッシブルなのかについて(by C・S・ルイス)

C.S. Lewis on the Liturgy(全訳) C・S・ルイスは世界中のクリスチャンに愛読されている作家です。子ども向けのファンタジー、キリスト教弁証、神学、アレゴリー、サイエンス・フィクション、デボーショナル、文芸評論に関する諸作品は何百万という売り上…

クリスチャン・エンターテイメント――福音主義教会の問題(by A・W・トーザー)

Ⅱテモテ3:4b-5 「神よりも快楽を愛する者、信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。」 クリスチャン・エンターテイメントは、完膚なきまで教会を汚染し尽くしているため、何百万という人はもはやそれが異端…

時代を徹底的に生き抜いた信仰者、南原繁ーー「ナチス精神とその世界観的基礎」および歌集「形相(けいそう)」より

天なるや日は照らせども現身(うつそみ)のわれのいのちの常なげくなり 繁 南原繁(なんばら しげる、1889-1974)。日本の政治学者。香川県大内郡南野村生まれ。1910年6月一高卒業。7月、東京帝国大学法学部に入学後、内村鑑三の薫陶を受け、…

時代精神とキリスト者(by フランシス・A・シェーファー)

人が自らの思想によって引かれていくところの、その深淵(亀裂)が何であるかを理解することは、知的に重要であるだけでなく、霊的にも肝要である。 キリスト者はこの世の時代精神に抵抗しなければならない。しかし、われわれが「時代精神に抵抗する」と言う…

さいわいなる不適応者たち――聖書的分離と敬拝(by A・W・トーザー)

目次 さいわいなる不適応者たち! 十字架抜きのキリスト教 驚嘆に満ちた崇敬 聖徒は孤独な道を歩まなければならない さいわいなる不適応者たち! A.W. Tozer, Blessed Maladjustment!(全訳) 今日の悲劇は、福音教会が、数的なものによって混乱させられ、ま…

主日礼拝とはまず第一に信者のための集まりです。(by R・C・スプロール)

牧者たちが羊を養う代わりに、道化師たちが娯楽でヤギを楽しませるような時代が、やがて教会に到来するだろう。――チャールズ・H・スポルジョン R.C. Sproul, Good Intentions Gone Badより抄訳(here) 「地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to…

それでもあえて人が真理のために立つ時(by A・W・トーザー)

A.W. Tozer, Daring to stand for Truth(全訳) 神のこころに近づけば近づくほど、私たちは論争を好まなくなる。神の御胸に抱かれる平安のあまりの甘美さに、「ああ、できるものならたえずフルにその中にとどまっていたい」――そう願うのが人の自然の情とい…

神の怒り(The Wrath of God)とは何か?by A・W・トーザー

A.W. Tozer, The Wrath of God: What Is It? 全訳 人間の怒りというものに善なるものが含まれているケースはきわめて稀である。人間の怒りは清くない心の状態から生じるのがほとんど常であり、しばしそれは罵りや暴力につながっていく。癇癪持ちの人は気まぐ…

人間、そして人間のジレンマ(フランシス・シェーファー)

写真家カミール・コタルバの作品 ”Hide and Seek":デジタル時代の人間疎外(引用元) Francis A. Schaeffer, He Is There and He Is Not Silent, chap.2より抄訳 本章では哲学的思想の中の二番目の領域である、人間および人間のジレンマについて考察してい…

真理の実践――愛と聖さについて(フランシス・シェーファー)

ちなみに、われわれはこの時代の持つ、不可思議なる次の特徴に留意する必要がある。つまり、我々に許されている唯一の絶対は、「絶対など存在しない」という絶対的要求なのである。フランシス・シェーファー Francis A. Schaeffer, The Great Evangelical Di…

神への恐れ(J・グレシャム・メイチェン)

J・グレシャム・メイチェン (1881-1937) Gresham Machen, The Fear of God(全訳) 「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(マタイ10:28) これはジョナサ…

キリスト教弁証の二つの目的(フランシス・A・シェーファー)

Francis A. Schaeffer, The God Who Is Thereより抄訳 キリスト教弁証には二つの目的がある。一つは擁護(defense)である。そして二番目は、それぞれ自分たちの置かれた世代が理解できる仕方でキリスト教のメッセージを伝えること(communicate Christianit…

突然のすさまじい落雷の晩に。(1697年8月20日、イサク・ワッツ)

イザヤ13:9-22 9 見よ。主の日が来る。残酷な日だ。憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、罪人たちをそこから根絶やしにする。 10 天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。 11 わたしは、その悪のため…

ポスト近代におけるキリスト教弁証への召命

「兄弟たち、父たちよ、いま申し上げるわたしの弁明を聞いていただきたい」(使徒22:1) Ἄνδρες ἀδελφοὶ καὶ πατέρες, ἀκούσατέ μου τῆς πρὸς ὑμᾶς νυνὶ ἀπολογίας. Apologetics(弁証)という言葉は、απολογουμαι(<απο, 強意+λογος, 言葉 / apologeo…

人を待っては何事も成らない。(内村鑑三)

緑蔭独語 今の人は、世論を作らなければ何事も成らないと思う。ゆえに彼らは世論を作るに汲々(きゅうきゅう)として日もまた足らない。しかしながら、昔より今日に至るまで、人類の大進歩にして世論となって成ったものはない。進歩は常に偉人が独りでなして…

人は「真理」と「寛容」のどちらかを選ばなければならないのか?(A・W・トーザー)

A.W. Tozer, Some Things Are Not Negotiableより抄訳 「新しい十戒」というのが、近年、クリスチャンによって導入された。これによれば、十戒の第一条は、「汝は何事にも不賛成の意を表すことなかれ。」である。 そして、山上の垂訓は、「すべてを『寛容に…

古い十字架と新しい十字架(A・W・トーザー)

A.W. Tozer, The Old Cross and the New 古い十字架と新しい十字架(A・W・トーザー)抄訳 まったく予告もなく、しかも至ってひそやかに、「新しい十字架」が導入されるようになった。そう、今人気のある福音主義教会内にである。これは従来の古い十字架と似…

【特別寄稿】戦後 70 年、荒野で叫ぶ者の声(宣教師訓練センター 石野 博師)

8 月 15 日は私たちの国にとって非常に意義深い日であることは誰もが否定しない。先の大戦が終わってすでに 70 年が経つ。 思えばイスラエルの民のバビロン捕囚の期間も 70 年だった。 来る終戦記念 日で 71 回目を数えるが、この日、この国の霊的捕囚のよう…

その時代を生きる預言者というのは、神によって完全に受け入れられる一方、人からは全く拒絶される存在である。(レオナルド・ラーベンヒル)

その時代を生きる預言者というのは、 神によって完全に受け入れられる一方、 人からは全く拒絶される存在である。 彼らは、危機的な時代に 神によって備えられし緊急人(emergency men)である。そして、そういった預言者の払うべき代価― それは、彼が孤独の…

福音主義教会の大惨事―この世への迎合精神について(フランシス・A・シェーファー)

フランシス・A・シェーファー(1912 –1984) Francis A. Schaeffer,The Great Evangelical Disaster, 1984 第六章より一部抜粋 同調、そして迎合。こういった世への迎合精神が近年、いかに増長・拡大していることだろう。この60年の間に、私たちは倫理的大…