巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

2018-01-01から1年間の記事一覧

正統性(正説)がオプショナルなものとなる時(by フランシス・J. ベックウィズ、ベイラー大学)

フランシス・J・ベックウィズ(元福音主義神学会会長、現ベイラー大学宗教学教授)testimony Francis J. Beckwith, Neuhaus’ Law and Beckwith’s Law(拙訳) キリスト教誌 First Things の創刊者である故リチャード・ノイハウスが次のような金言を遺してい…

振り返り

コマドリの巣(出典) 「福音が私たちになにかを教えるのだとしたら、まさに(あなたが被っている)その災難ーーそこにおいて恵みが起っている、ということではないかと思う。」 Jason Stellman, Misfit Faith: Confessions of a Drunk Ex-Pastor

兵士は何ゆえに闘うのか?(by G・K・チェスタトン)

激流(出典) 「あらゆる保守主義は、『物事をそのまま安置しておくならば、それは手つかずの状態でそこにとどまる』という思想を基盤にしている。しかし、実際にはそうではない。

天上的生との接触ーーグレゴリオ聖歌詩篇 LXX21篇(Deus, Deus meus)の中に現前される受難のキリスト

出典 「純粋に客観的な歴史というものを、われわれは理解することができない。われわれは歴史的対象との内的な、深い、神秘的な結合を必要とする。客体が歴史的であることだけが必要なのではない。主体も歴史的であることが必要である。

キリストの栄光あるからだとしての教会と宇宙(by オリヴィエ・クレマン、パリ聖セルギイ正教神学院)

終末論的な舟を象徴する聖堂の中央(中堂)は、ドームでおおわれている。このドームは、新たな創造、キリストによって創造主と結び付いた宇宙をあらわしている。(出典) 目次 著者について キリストの栄光あるからだーー真の再創造 正教会の宇宙論 神のエネ…

宇宙的典礼と人生の意味ーー東方教父聖マクシモスが遺した霊的遺産(7世紀)

「聖書のもつ謎やシンボルの意味は、神のことば(Λόγος)が受肉したという神秘のうちに全て含まれている。そればかりではない。知覚しうる限りの、可視的/不可視的被造物に隠されている意味も、この受肉という神秘のうちに含まれている。十字架や墓の神秘を…

「今日、我々が通らされている教会の危機は、主として、リトルジーの崩壊にその端を発していると私は確信している。」(by ヨーゼフ・ラッツィンガー)

リトルジーの崩壊(出典) 目次 ポピュラー音楽からの挑戦 礼拝ダンス Joseph Ratzinger, The Spirit of the Liturgy, 2000.(抄訳)

礼拝の沈黙(ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡「東方の光」より)

出典 ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡「東方の光」より抜粋(引用元) 礼拝の沈黙 それにもかかわらずこの神秘は、人が神の代わりに偶像を作るのを回避するために、絶えず覆い隠され静寂に覆われています。

天における讃歌ーービザンティン詠唱の霊性と神秘(詩篇LXX147篇)

出典 ああ再び、天的な舌の幻が、 色あせることのない栄光と共に燃え上がり、 火のごとく力強い御使いの合唱が、澄み渡った上天より鳴り響く。

創造主への讃歌ーー詩篇LXX103篇を歌う。

出典 「火には焔があり、神を讃えている。 風はその焔を燃え上がらせ、神を讃えている。

合法性と非合法性を判断する基準はどこに?ーープロテスタントの苦悶と叫び

合法的であること。非合法であること。(出典) 目次 リビング・ルームでの即興聖餐式 母教会の立場から見て、このシスマは正当化され得るのだろうか? 「ローマからの分離」の合法性/非合法性の問題に行き着く 教会法(canon law) ある超教派のミッション…

神の審判とキリストの御復活ーー古ローマ詠唱詩篇LXX75篇 (Terra tremuit et quievit)再訪

「なんぢ天より宣告をのりたまへり、、地はおそれて黙(もだ)したり。」LXX詩篇75篇(文語訳)出典

二つの伝統、一つの光

アグペヤの祈りを捧げるコプト教徒 「太陽の光線を、光の本体から分離することはできません。なぜなら、その一致と統一性は、光の流れが遮断されることを許さないからです。木から枝をへし折ってみなさい。折られた枝からはもはや芽が出てこれなくなります。…

剥がされた神秘ーーなぜカトリック女性のベール不着用により「パンドラの箱」が開かれてしまうのかについて

「キリストの現存ーー。それゆえに私たちはベールを被ります。」カトリック・サイトVeils by Lilyより 目次 はじめに シンボル観 祈りのベールを実践し始め、自分の内に起された変化 対等主義から相補主義への移行 バプテスマやユーカリストにおける「シンボ…

典礼の中に現前される永遠なるキリストーー古ローマ詠唱詩篇 LXX109篇(Dixit Dominus Domino meo)再訪

出典 汝に向かい、海原は荘厳な栄光をささげ、汝の御前にあって、深淵は黙し動かない。 V.N.ウトレネフ神父

典礼の源流をたどった先にあるものーー古ローマ詠唱詩篇 LXX90篇(Qui habitat in adiutorio Altissimi)再訪

出典 典礼の源流をたどった先に、 東西の一致があり、 霊性の回復があり、 和解がある。 古ローマ詠唱 詩篇91篇(LXX90篇)Qui habitat in adiutorio altissimi 詩篇91篇(LXX90篇)ーーいと高き方の隠れ場に住む者は全能者の陰に宿る ラテン語…

典礼の聖と永遠ーー古ローマ詠唱(inveni David servum meum)再訪

出典 「『歌』と『ことば』の尊い結びつきが教会の祈りです。『神の民』と『神のことば』の交わりです。歌は聖なる時間を『見えるもの』とします、、礼拝の一つ一つが『絶えざる祈り』の永遠の動きへの歩みです。」セルゲイ・グラゴレフ神父

「実存的」無神論者と神への欣求(by セラフィム・ローズ、ロシア正教修道士)

出典 無神論ーー一見したところ不正にして無慈悲にみえる神に対する憎悪心に燃えた真の‟実存的”無神論ーーは、一つの霊的状態である。それは、真の神を捉えんとするリアルな苦闘である。自らをアンチクリストと呼んでいたニーチェは、それにより、キリストに…

教会というのは民主制(democracy)なのだろうか?(by ブライアン・クロス、マウント・マースィー大学)

目次 執筆者について 「もしも教皇が~~するなら。。」 カトリック、プロテスタント、それぞれがかけている「眼鏡」 プロテスタント・パラダイムとは何か? 「質料」ではなく「形式」によって定義されたものとしての教会観 カトリックの教会観 個人主義およ…

私の辿ってきた道ーー元無神論哲学者ランダ・チェルヴィン女史の信仰行程【後篇】

【前篇】はココです。 目次 ヒルデブラント夫妻との出会い フォーダムの大学院にて ヨーロッパでの夏季講習 奇跡 転換点 永遠へのルート

私の辿ってきた道ーー元無神論哲学者ランダ・チェルヴィン女史の信仰行程【前篇】

Ronda Chervin, Ph.D.(1937-) 目次 特異な家庭に生を受けて 「愚鈍な」祖母の祈り 両親の離婚 初めて聴いた聖なる音楽 近所のカトリックの子たち 人生の目的 サルバドール・ダリの絵画 G・K・チェスタトン、カール・アダム等を知る ダリの「最後の晩餐」

カスィアの讃歌

出典

シスマ(schism/教会分裂)というのはそもそも正当化され得るものなのだろうか?(by ブライアン・クロス、マウント・マースィー大学)

出典 シスマ シスマ(ラテン語: Schisma)とは、「分裂」を意味する語で、宗教史上、宗教団体の分裂を指します。元々古典ギリシア語で、(布などを)引き裂くこと、あるいは、その裂け目を意味する "σχίζω" に由来しています。離教、教会分裂とも訳されます…

統一協会の方との対話を通して考えたこと

何が真で、何が偽なのだろう?(出典) 目次 ポスト近代宗教とグノーシス主義 神の男性イメージ、女性イメージという統一協会見解 何をもってある解釈体系が真とされ、あるいは偽とされるのか?

虚無、メタノイア、絶望、そして希望(by シナイ山のヨアンネス、7世紀)

シナイ山(6世紀シリア生まれのヨアンネス・クリマコスは、この山で祈りに専心していた。)出典 たしかに人間は自力により合一を成し遂げ、自らの主人となり、己のみに依拠しようと望んできた。しかしそれはルシファーのそれにも似た賭けであり、ついには我…

兄弟たちよ。われわれの歳月は永久的なものだろうか?(by アウグスティヌス、4世紀)

兄弟たちよ。われわれの歳月は永久的なものだろうか?いや、それらは日に日にすべり去っていっているではないか。かつてそこにあったものは、もうない。来たらんとするものは未だここに有らず。前者は過ぎ去り、後者はやって来るも、また己の時に消え去って…

使徒的書簡「東方の光(Orientale Lumen)」(by ヨハネ・パウロ二世、1995年)【英文】

「あらゆる善の中でも至高善である『一致』が、あなたにとっての最大の関心となるよう専心しなさい。」ーーアンティオケの聖イグナティオス(『聖ポリュカルポスへの手紙』2世紀) Inside the 1,500 year old church at the Syrian Orthodox monastery of M…

典礼ーー「神の王国」の体験(by オリヴィエ・クレマン、パリ聖セルギイ正教神学院)

出典 目次 著者について 典礼ーー「神の王国」の体験 イコン イコンのキリスト論的な意味 永遠の像 聖堂の装飾とその象徴的意味 「心のうちの修道生活」

私の辿ってきた道ーージョセフ・ジョンソン師の信仰行程

目次 バプテスト信者の家庭に生まれる カリスマ派の教会へ移る 深みに漕ぎ出すーーユダヤ的キリスト教との出会い 魂の暗夜ーーブルトマン、ティリッヒ、バルトへ 再び深みへ漕ぎ出すーー宗教改革そして改革派信仰へ キリスト教学校の教師として 長老教会の牧…

「君だって同じじゃないか。カトリックの立場も結局『ソロ・スクリプトゥーラ』を免れていない。」という反論について(by ブライアン・クロス& ニール・ジュディッシュ)【その7】

「権威」というのはどこから来ているのだろう?(出典) 目次 全体の総目次 第5章.反論とそれに対する応答 A. 反論:「君だって同じじゃないか(Tu Quoque)。カトリックの立場も結局『ソロ・スクリプトゥーラ』を免れていない。」 カトリックとプロテスタ…