巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

宇宙的典礼と人生の意味ーー東方教父聖マクシモスが遺した霊的遺産(7世紀)

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「聖書のもつ謎やシンボルの意味は、神のことば(Λόγος)が受肉したという神秘のうちに全て含まれている。そればかりではない。知覚しうる限りの、可視的/不可視的被造物に隠されている意味も、この受肉という神秘のうちに含まれている。十字架や墓の神秘を理解してこそ、はじめて、人は、いっさいの事象の本質を理解することができる。さらに、キリストの復活に秘められている深い意味に導き入れられてこそ、はじめて、人は、太初に神が万物を創造したその聖意図を知るようになるのである。」

告白者マクシモス(証聖者マクシモス, 580-662)*1

 

【参考資料】教皇ベネディクト十六世の143回目の一般謁見演説 証聖者聖マクシモス

 

カトリック中央協議会(2008年6月25日)引用元

 

親愛なる兄弟姉妹の皆様。


今日わたしは後の時代の偉大な東方教父を紹介したいと思います。すなわち、修道士聖マクシモス(Maximos Homologetes; Maximus Confessor 580-662年)です。

 

聖マクシモスはキリスト教の伝統でふさわしくも「証聖者」の称号を有します。それは彼が、苦難の中にあっても、恐れを知らない勇気をもって、イエス・キリストへの完全な信仰をあかしする――すなわち「告白する」――ことができたからです。

 

イエス・キリストは真の神にして真の人であり、世の救い主であると。マクシモスは主の過ごされた地であるパレスチナに580年頃生まれました。

 

少年の頃から修道生活と、オリゲネス(Origenes 185頃-253/254年)の著作を通じて聖書を研究することを志しました。偉大な教師オリゲネスはすでに3世紀にアレキサンドリアの聖書釈義の伝統を決定づけていたからです。


マクシモスはエルサレムからコンスタンチノープルに移り、そこから、蛮族の侵入のために、アフリカに逃れました。マクシモスはアフリカで大きな勇気をもって正統信仰を擁護しました。

 

マクシモスはキリストの人性をおとしめることをけっして受け入れませんでした。キリストは単一の意志、すなわち神的意志しかもたなかったという説(キリスト単意説)が生まれていました。

 

この説は、キリストの位格の単一性を擁護するために、キリストのうちに固有の人間的意志があることを否定したのです。一見すると、キリストのうちに唯一の意志しかないことは、よいことのように思われるかもしれません。

 

しかし、聖マクシモスはすぐに、それでは救いの神秘が破壊されることになることを悟りました。なぜなら、意志をもたない人間性、すなわち意志のない人間は、真の人ではなく、不完全な人間だからです。それゆえイエス・キリストという人間は真の人でなく、人間としての苦しみを体験しなかったことになります。

 

人間として存在するとは、まさに自分の意志を存在の真理に従わせることの困難さのうちにあるからです。こうして聖マクシモスははっきりとこう述べました。

 

聖書がわたしたちに示すのは、意志をもたない不完全な人間ではなく、真の完全な人間です。神はイエス・キリストにおいて――いうまでもなく罪を除いて――真の意味で人間存在の全体を受け取りました。それゆえ人間的意志も受け取りました。そうであれば、問題は明らかです。キリストは人間か、人間でないかのいずれかです。人間ならば、意志もあります。

 

しかし、ここで問題が生じます。それは一種の二元論に陥るのではないでしょうか。理性と意志と感情の上での完全な二重人格にならないでしょうか。この二元論をどうすれば乗り越えられるでしょうか。どうすれば、人間としての完全性を保ちながら、キリストの位格としての一致を維持できるでしょうか。キリストは統合失調症ではなかったからです。

 

聖マクシモスは次のように論証しました。人間は一致した自分、すなわち、統合された自己、全体としての自己を、自分自身のうちにではなく、自分を超越し、自分自身から抜け出ることのうちに見いだします。それと同じように、人間としてのキリストも、ご自分から抜け出ることによって、神のうちに、すなわち神の子のうちに、ご自身を見いだします。

 

受肉の意味を説明するために、人間を不完全なものとしてはなりません。そのためには、自分自身を抜け出ることによって自らを実現する人間の構造を悟るしかありません。わたしたちは神のうちにのみ、自分自身を、すなわち、全体としての完全な自分を見いだします

 

ですから、おわかりのように、自分のうちに閉じこもる人が完全な人間ではありません。自分の心を開き、自分自身から抜け出る人が、完全な人間となります。そのような人こそが、神の子のうちに自己を、すなわち自らの真の人間性を見いだすのです。

 

聖マクシモスにとってこのような考えは哲学的思弁にとどまりませんでした。聖マクシモスはそれがイエスの具体的な生涯のうちに、とくにゲツセマネの苦しみのうちに実現されたと考えました。

 

イエスの苦しみ、死への不安、死を望まない人間的意志と、自らを死へとささげる神的意志の対立――このゲツセマネの苦しみのうちに、人間の苦しみの全体が、すなわちわたしたちのあがないのための苦しみが成し遂げられました。

 

聖マクシモスはわたしたちにいいます。そして、わたしたちはそれが真実であることを知っています。アダム(アダムはわたしたち自身のことです)は「否」が自由の頂点だと考えました。

 

「否」ということができる者だけが真に自由だ。自分の自由を真の意味で実現するために、人は神に「否」といわなければならない。こうして初めてついに自分自身になれる、自由の頂点に達することができるとアダムは考えました。

 

キリストの人間的本性も、このような傾向を自らのうちにもっていました。しかし、キリストはこの傾向に打ち勝ちました。なぜなら、イエスは「否」が最大の自由なのではないと考えたからです。最大の自由とは、「はい」ということです。神の意志に従うことです。

 

人は「はい」ということによって、初めて真の意味で自分自身になります。「はい」といって自分の心を大きく開くことによって、すなわち、自分の意志を神の意志と一致させることによって、初めて人は限りなく開かれたもの、すなわち「神的」なものとなるのです。

 

神のようになること、すなわち、完全に自由な者となることがアダムの望みでした。しかし、自分自身のうちに閉じこもる人は、神的なものでも、完全に自由な者でもありません。

 

自由な者となるのは、自分から抜け出て、「はい」という人です。そして、これがゲツセマネの苦しみです。「わたしの願いではなく、み心のままに行ってください」。

 

人間的意志を神的意志に置き換える――そこから、真の人が生まれます。そこから、わたしたちはあがなわれます。簡単にいうなら、これが聖マクシモスのいおうとした根本的な点です。そして、こうして彼が本当の意味で人間全体を問題にしたことがわかります。問題とされているのは、わたしたちの人生の問題そのものなのです。

 

聖マクシモスはすでにアフリカで、人間と神についてのこの考えを擁護するという問題に取り組みました。後にマクシモスはローマに招かれました。649年にマクシモスは、教皇マルチノ一世(Martinus I 在位649-653年)が招集したラテラノ教会会議で、皇帝の勅令に反対してキリストの両意説を擁護する上で積極的な役割を果たしました。

 

皇帝の勅令は「平和という善のために(pro bono pacis)」この問題を議論することを禁じるものだったからです。教皇マルチノは自らの勇気に対して高い代償を払わなければなりませんでした。

 

教皇は健康状態がよくなかったにもかかわらず、捕らえられて、コンスタンチノープルに移送されました。教皇は弾劾され、死刑判決を受けましたが、刑はクリミア地方への終身流刑に変えられました。教皇は655年9月16日、長い2年間のはずかしめと拷問の末に、この地で亡くなりました。


それから間もない662年、同じく皇帝に反対していたマクシモスも同じ目に遭うことになりました。マクシモスは繰り返し、こういい続けました。「キリストのうちに単一の意志があるということは不可能です*2。」

 

そこで、ともにアナスタシオス(Anastasios)という名の二人の弟子とともに、マクシモスは、すでに80歳を超えていたにもかかわらず、激しい拷問を受けました。

 

皇帝の裁判所は、マクシモスに異端の罪を宣告し、残酷にも舌と右手を切り落としました。マクシモスはこの二つの器官によって、ことばと著作を通じ、キリスト単意説の誤謬と戦ったからです。最後に、舌と右手を切り落とされたこの聖なる修道士は、黒海のコルキスに流刑となり、そこで、短期間の苦しみで疲れ果てた末に、82歳で没します。662年8月13日のことでした。

 

聖マクシモスの生涯が周りに描かれた、正教会のイコン(17世紀、ソリヴィチェゴドスク)出典

 

マクシモスの生涯についてお話ししながら、わたしは彼の正統信仰を擁護するための著作に触れました。とくにわたしは『ピュロスとの対論』(Disputatio cum Pyrrho)を挙げます。

 

ピュロス(Pyrros)は当時コンスタンチノープルの総大司教でした。この著作の中でマクシモスは対論の相手に誤謬を認めさせることができました。

 

実際、ピュロスは正直に、論争を次のことばで締めくくっています。「わたしは、わたしとわたしに先立つ人々のためにゆるしを願います。わたしたちは無知のゆえにこのような愚かな考えと結論に至りました。このような愚かなわざが取り消され、誤謬に陥った人々が忘れられることを祈ります」*3

 

このほかに数十の重要な著作があります。その中で際立っているのは、『秘義教話』(Mystagogia)です。『秘義教話』はマクシモスのもっとも重要な著作の一つで、彼の神学思想を体系的にまとめています。


聖マクシモスの思想は、自分の中に閉じこもった、たんなる神学的・思弁的思想ではありませんでした。なぜなら、マクシモスは常に、世と世の救いに関する具体的な現実を用いて考察を行ったからです。

 

マクシモスは、自分が苦しまなければならなかったこのような状況の中で、たんなる理論的・哲学的な言明のうちに逃げ込むことができませんでした。マクシモスは生きることの意味を探求せずにはいられませんでした。そのためにマクシモスはこう問いかけました。「自分はいかなる者か。世界とは何か」。

 

神は、ご自分の像と似姿として創造した人間に、秩序ある宇宙を一致させるという使命をゆだねました。キリストが人間をご自身と一致させたように、造り主である神は宇宙を人間と一致させました。造り主である神は、キリストとの交わりのうちに宇宙を一つにし、そこから、世のあがないに至ることをわたしたちに示してくださいました。

 

20世紀最大の神学者の一人であるハンス・ウルス・フォン・バルタザール(Hans Urs von Barthasar 1905-1988年)は、この力強い思想に言及しました。

 

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ハンス・ウルス・フォン・バルタザール*

 

すなわち、バルタザールは、マクシモスを「再興」しながら、自らの思想を「宇宙的典礼(Kosmische Liturgie)」という鮮やかなことばで示したのです。

 

イエス・キリストはいつも、この荘厳な典礼の中心で、世の唯一の救い主であり続けます。宇宙を決定的なしかたで一つにまとめる、キリストの救いのわざの力を保証するのは、次のことです。すなわち、キリストは、すべての点で神でありながら、人間としての「力」も意志も含めて、完全な意味で人間でもあるということです。


マクシモスの生涯と思想は、キリストの完全なあり方を、縮小することも妥協することもなしに、大きな勇気をもってあかししたことのうちに、力強く輝き続けます。

 

こうして彼は、真の意味で人間であるとはどういうことかを、そして、わたしたちは自分の召命にこたえて生きなければならないということを示しました。

 

わたしたちは神と一致して生きなければなりません。それは、自分と、また宇宙と一致することができるためです。そのためにわたしたちは、宇宙そのものと人類に正しい形を示します。すべてにおいて「はい」といわれたイエスは、他のすべての価値に正しい位置づけを与えることをも、わたしたちにはっきりと示します。

 

たとえば、現代において、寛容、自由、対話といった価値が擁護されるのは正当なことです。しかし、寛容が、善と悪を区別することができなければ、それは混乱し、自己破壊的なものとなります。さらに、自由が、他者の自由を尊重せず、互いの自由の共通の基準を見いだすことができなければ、それは無秩序で、権威を破壊するものとなります。対話が、何について対話するのかわからなければ、それは空しいおしゃべりになります。

 

これらの価値は皆、偉大で基本的なものです。しかしそれらの価値は、それらを一つにまとめ、本当の意味で真正なものとする基準をもつときにのみ、真の価値であり続けることができます。この基準は、神と宇宙を一つにまとめるキリストです

 

わたしたちはキリストのうちに自分自身の真実を学び、他のすべての価値をどう位置づけるべきかを学ぶからです。なぜなら、わたしたちはこうしてそれらの価値の真の意味を見いだすからです。イエス・キリストは、他のすべての価値を照らす基準です。これこそ、この偉大な「証聖者」があかししようとしたものです。

 

要するに、キリストがわたしたちに示すのはこのことです。すなわち、宇宙は典礼とならなければなりません。神の栄光とならなければなりません。礼拝することは、世を真の意味で変革し、真の意味で刷新するための出発点です。


それゆえわたしは、終わりに、聖マクシモスの著作から、根本的な意味をもつ一節を引用したいと思います。

 

「わたしたちは父と聖霊とともに唯一の子を礼拝します。初めのように、今も、いつも、世々に至るまで。アーメン」*4

 

ー終わりー

 

略号
PG=Patrologia Graeca

*強調はブログ管理人によるものです。

 

*1:Ambigua, Patrologie Graeque, 91, p.1360

*2:PG 91, 268-269参照

*3:PG 91, 352

*4:PG 91, 269