巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

知ることについて(認識論 epistemology)

悩める神学生たちへの励ましの手紙――現代正教神学の諸潮流をどう捉えればいいのか?【マシュー・ベーカー神父遺稿集】

Fr. Matthew Baker (♰2015), Ways of Modern Orthodox Theology, Letter to Students of St Tikhon's Seminary, September 20, 2014, in Faith Seeking Understanding (2021) 拙訳 確かに考えさせられることが多いですね。 聖伝についての説明を誰かから聞く…

原理主義でもない、懐疑主義でもない、リベラル主義でもないポスト近代における公同的伝統キリスト教への展望【ジェームズ・K・A・スミス選集】

目次 痛みと傷からの再生――原理主義でもない、イマージング風リベラル主義でもない公同的キリスト教への模索と探求(回想) 著書『どうしたらセキュラー(secular)にならないでいることができるか?ーーチャールズ・テーラーを読む』【インタビュー】 公共…

ニワトリはどうして道を横切ったの?〔プロテスタント・愉快なジョーク篇〕

ニワトリがなぜ道を横切ったのか、――彼のその動機がいちいち問いただされない世界を僕は夢見ている。

どの教会会議が全地公会議(Ecumenical Councils)であるのか、私たちはどのようにして知ることができるのだろう?

第七回全地公会議 目次 「どの教会会議が全地公会議であるのかを私たちはどのようにして知ることができるのか?」 指摘例1 指摘例2 指摘例3 指摘例4 所感

カトリック改宗か正教改宗かの最終判断はやはり一筋縄ではいかない。(その3)

出典 私:あのね、この前、東方正教の某神父様から心のこもったメッセージをいただいたの。私が「以前の愛」――ローマ・カトリシズムという異端――にUターンしてしまうのではないかと危惧され、「悪しき者(=サタン)にあなたが惑わされることのないようお祈…

思索と内省と

「聖ユスティン・ポポヴィッチは言う。――神学理論というものは、その理論の〈体験〉をまず第一に必要としている。それ無しの単なる理論は、偽装した無知蒙昧に他ならない。」 ある隠遁士がこう言った。その瞬間、わが心に光が射し、私は自分の愚かさの真実を…

真理は単純だろうか、それとも複雑難解だろうか。

某正教修道院で一人の修道士の方と話をしました。この方は私の霊的旅路を評し、一言、「真理というのはね、単純なんだよ。単純。」とおっしゃいました。どういう意味だろうと思案していたところ、「あなたが正教に導かれるようになったきっかけ自体は、煩雑…

三位一体は人間の思索の根本的な成立条件であり、また終局である。(V・ロースキィ)

目次 三位一体は人間の思索の根本的な成立条件であり、また終局である。 東西の三位一体論の違い――東方は「三」から「一」へ。西方は「一」から「三」へと思索を展開する。 東方の三位一体論――「父は三位に共通な神性の源泉であって、子と霊を生む」という教…

「永遠の哲学」(Perennial philosophy)、新プラトン主義【ニューエイジ、エキュメニズム運動の思想源流】

東方正教会のデイビッド・P・ハリー氏がPerennial Philosophy vs Logos Spermatikos(永遠の哲学 vs ロゴス・スペルマティコス)という講義の中で、現代のニューエイジ、エキュメニカル運動等の思想系譜を概説しています。

福音派神学生Fさんへのレター

Fさん、こんにちは。現在、エウカリスチア(聖餐)におけるキリストの現存に関し、それからマリア教義に関し、カトリック教会の教理を真剣に検討なさっているということをお聞きしました。

列車の中の神学——マルチ信仰談義【シリーズ④ 倫理性について】(by マイケル・ロフトン)

【シリーズ① 永遠の刑罰について】【シリーズ② 聖書正典について】【シリーズ③ 教導権について】からの続きです。 出典 Michael Lofton, Theology on a Train: A Multi-Faith Dialogue, Jan, 2019(拙訳) ルーテル派信者:確かに私たちは教義上の諸問題を抱…

列車の中の神学——マルチ信仰談義【シリーズ③ 教導権について】(by マイケル・ロフトン)

【シリーズ① 永遠の刑罰について】【シリーズ② 聖書正典について】からの続きです。 出典 Michael Lofton, Theology on a Train: A Multi-Faith Dialogue, Jan, 2019(拙訳) 教導権(Magisterium)について 東方正教徒:私やオリエンタル正教の友は、あなた…

列車の中の神学——マルチ信仰談義【シリーズ② 聖書正典について】(by マイケル・ロフトン)

【シリーズ① 永遠の刑罰について】からの続きです。 出典 Michael Lofton, Theology on a Train: A Multi-Faith Dialogue, Jan, 2019(拙訳) 聖書正典(The Canon of Scripture)について 無神論者:ほほぅ、あなたがたは同じ聖書を用いているにもかかわら…

伝統と暗黙(Tradition and Tacit)ーーアンドリュー・ラウス、ダラム大学

神秘、伝統、、わがたましひは黙してただ神をまつ。(出典) 目次 はじめに アンドリュー・ラウス著「伝統と暗黙」 「伝統」を巡るカトリックとプロテスタントの論争 交わり(fellowship; κοινωνία) 典礼(liturgy) 発話を超える事実ーーthe inarticulate…

私たちに語りかけてくる伝統とは何か?

目次 「ガダマーの解釈学についてーーディルタイとの連続性と相違性ーー 」を読んで ディルタイ 「解釈学的循環」 「客観的精神」 歴史的な存在としての人間 先行判断 私たちに語りかけてくる伝統 地平の融合 開かれた態度で過去のテクストとの思索的対話を…

「折衷的」越境は可能かな?ーー国境地帯での友との対話。【カトリック、正教、プロテスタント】

目次 正教会の結婚と避妊の教え 宣教の働きにおける福音主義について 「折衷的」であることをめぐって 理論と現実のギャップと不調和 「教会」を信じるか、あるいは懐疑主義か 過激派弁証家たちのレトリックに翻弄されないために 正教改宗の可能性と折衷性

賛成するにしても反対するにしても相手の見解をできるだけ正確に理解する努力が必要だと思う。

これからもよろしくネ。(出典) 「なぜプロテスタント教会が必要なのか?(対ローマ・カトリック教会)」という記事を読ませていただきました。筆者の方はプロテスタント教会の教職者でいらっしゃいます。

宗教改革者たちとトマス・アクィナスーーカール・トゥルーマン教授へのインタビュー【改革派内での新しい動き】

出典 目次 トゥルーマン教授の微妙な位置 ルターの信仰義認論、「パウロ研究による新しい視点」 聖書の正典問題 「教皇制のプラグマティズム」 宗教改革者たちとトマス・アクィナス

トマス・アクィナスの解釈学とプラトン主義的伝統(by ピーター・クリーフト 、ボストン大学)

出典 目次 「聖書」と「自然」ーー二つの書 「聖書および自然は、signで溢れている」 脱構築主義との対照 アナロギア(類比) 創造(Creation)

神的闇(Divine Darkness)

至高なる三一なるもの、 あらゆる本質、 知識、 善を超越しているもの、 神的智慧への先導者よ、 汝の神秘的知という最高峰へと われわれの道を導きたまえ。

東方の文脈で「scholastic...」という表現がなされる時、それは具体的に何を意味しているのだろう?【東西キリスト教と理性】

東方正教のビザンティン学者であるアンドリュー・ラウスが「アクィナスと正教の関係」について書評を書いており、大変興味深く読ませていただきました。

「アンダーソン型」病理の分析と治癒

「アンダーソン型」病理を対岸の火事視していいのだろうか? 独立バプテスト教会のスティーブン・アンダーソン牧師の教説をマイケル・ロフトン師が分析しています。

「字義通りの解釈」という思想と、人間観(anthropology)の考察

実験室(出典) 19世紀に英国で興ったディスペンセーショナリズムというプロテスタントの一潮流があります。 ディスペンセーショナリズムは、当時猛威を振るっていたキリスト教リベラリズムに対抗する敬虔運動としての肯定的側面を持っている一方、その聖…

「頭」と「心」の乖離をどうしたらいいのだろう?ーーデイブ・アームストロング師とテーラー・マーシャル師の論争を概観して

目次 デイブ・アームストロング師とテーラー・マーシャル師の意見の対立 調和のない二つの異なる声 忘れられない一言

分からないながらも最善を尽くそうと思う。

出典 目次 「あなたは悪魔の罠に陥っている。」 「聖霊が、あなたや私をそれぞれふさわしい所に置いてくださいます。」 聖霊は「真理の霊」 フォーラムでの体験 おわりに

良き師の思い出

出典 以前の記事の中で少し触れましたが、私はこれまで正式な神学教育をほとんど受けてきていません。望んでいてもその機会に恵まれなかったためでしょうか、私は常に師に飢え渇き、訓育の場に飢え渇いていました。

「われ」と孤独ーー孤独と社会性(by ニコライ・ベルジャーエフ)

出典 ベルジャーエフ(氷上英廣訳)『孤独と愛と社会』(白水社)p.129-135一部抜粋 私はわが身のもとに落ちつくことができない。私自身の実存の世界に安んじることができない。私は人間たちを、他の、縁のない世界のものと見、私の世界のものではないと感じ…

「まなざし」をもつ信仰ーー聖画像の深遠性と内的感覚の開示(by ヨーゼフ・ラッツィンガー)

イタリア、ラヴェンナ(出典) 「聖画像は礼拝時に起こることと内的につながっています。歴史はキリストにおいて秘跡となり、キリストは秘跡の源泉です。それゆえ、キリストの聖画像は宗教絵画芸術の中心です。キリスト聖画像の中心は過越秘儀です。過越に焦…

私の辿ってきた道ーーライサ・マリタンの信仰行程

Raïssa Oumansoff Maritain (1883-1960). ロシア生まれのユダヤ人カトリック女性思想家。十歳の時、家族と共にフランスに移住。ソルボンヌ大卒。哲学者ジャック・マリタンの妻。

懐疑主義を乗り越える。ーー21世紀キリスト教弁証と聖トマス・アクィナス

...トマス・アクィナスは、キリスト教信仰と理性の間には自然な調和があることを示しました。これこそがトマスの偉大な業績です。トマスは、二つの文化が出会った時代に(当時、信仰は理性の前に降服しなければならないように思われていました)、二つの文化…