巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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宗教改革者たちとトマス・アクィナスーーカール・トゥルーマン教授へのインタビュー【改革派内での新しい動き】

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出典

 

目次

 

 

トゥルーマン教授の微妙な位置

 

カール・トゥルーマン師は、保守的な改革長老派の教会史家であり、つい最近までウェストミンスター神学校で教鞭をとっておられました。昨年より、グローブ・シティー・カレッジで教えておられます。*1

 

彼はなぜ自分が昨年、ウェストミンスターを辞職したのかという理由については何も言っていませんが、First Things誌などへの投稿内容から推測するに、おそらくトゥルーマン教授の「マーサーズバーグ神学*2」(=高教会的カルヴィニズム)的志向が同神学校内で摩擦を生じさせたのかもしれません。

 

この点、改革長老派ワールドにおけるトゥルーマン師の微妙な位置は、ピーター・ライトハート師のそれに類似しているのだろうと思います。*3

 

19世紀半ばに米国で興ったマーサーズバーグ神学は、同じく19世紀にオックスフォード大学を中心に起ったイギリス国教会内の刷新運動であるオックスフォード運動(<アングロ・カトリシズム)の「ドイツ改革派版」であると言われています*4

 

実際、マーサーズバーグ神学運動の中心人物の一人である著名な教会史家フィリップ・シャフは、オックスフォード運動の中心人物の一人で、ヘブライ語・教父学の権威でもあったエドワード・ピュージー(1800-1882)とも交友があったようです。*5

 

ひと言でいうと、トゥルーマン教授の立っておられる神学的ポジションは、保守改革派の中ではかなり「カトリック色」の強い、リトルジカルで高教会的な性格をもつ、ぎりぎりの「国境地帯」に位置しているのだろうと思います。

 

(ライトハート師は、こういった立場のことを、「宗教改革的公同主義(Reformational catholicism)」と呼んでおられます*。そしてこの地帯も、ビザンティン・カトリシズム**と同様、「宗教改革的公同性」の内側視点でみると「包括的」であるとされ、逆に外側からの改革派視点でみると、「微妙」、「トリッキー」、「あやしい」という否定的評価を受けがちなのかもしれません。)

 

ルターの信仰義認論、「パウロ研究による新しい視点」

 

〔4:28~〕の所で、インタビュアーがトゥルーマン教授に次のような旨の質問しています。

 

「『パウロ研究による新しい視点』は結局、『ルターの信仰義認論は間違っていた』ということを言っているわけですよね?あなたは先程、16世紀宗教改革の二大焦点は、①権威(教会論)、②信仰義認論、であるとおっしゃっていました。仮に、『新しい視点』の主張するように、宗教改革者の信仰義認論が間違っていたとしたら、それでも尚、私たちは、16世紀に起こった宗教改革を正当化して差し支えないのでしょうか。(それとももはや正当化は難しいのでしょうか。)」*6

 

それに対し、トゥルーマン教授は苦笑いしながら、彼の友達である元福音主義神学会会長フランク・ベックウィズ教授が最近カトリックに帰還したのは、まさしく①と②の問題でもはや宗教改革の正当性を立証できなくなったからであり、ベックウィズは「君の説明のせいで僕はカトリックに転向する羽目になってしまった」とカール教授を責めている(笑)と言っていました。*7

 

聖書の正典問題

 

また、〔7:00~〕の所からは、聖書の正典性に関するディスカッションが始まります。*8

 

トゥルーマン教授は、16世紀当時の宗教改革者たちは、アポクリファ(外典)に関し、現在のプロテスタント信者たちよりも柔軟な態度をとっていたということを指摘し、例として、ルターが『奴隷意志論』の中で、シラ書などを自由に引用していること等を挙げています。

 

また、聖書の無誤性についてのシカゴ声明*(The Chicago Statement on Biblical Inerrancy, 1978)においても中心的役割を果たした故R・C・スプロール師が、「聖書は無謬の文書によって成り立つ誤りを免れない選集(“Scripture is a fallible collection of infallible documents”)*9」と言っていたことに関し、どう考えますかという問いをインタビュアーが出しています。*10

 

それに対し、トゥルーマン教授は実に率直な感想を述べておられました。彼は、こういったプロテスタントの正典論は非常に問題を含んでいると思う、と述べた後、「私たちプロテスタントは自分たちの正典論に何も問題がないかのようなフリをするのではなく、やはりここには考慮すべき大きな問題があるということを正直に認めるべきだと思う」とおっしゃっていました。

 

そしてこの問題に関し、自分は「落胆したプラグマティスト(disappointing pragmatist)」であると言っていました。「でも、教皇制のプラグマティズムを受け入れるよりは、正典問題のプラグマティズムを受け入れる方がまだましか。」と考えておられるとのことでした。

 

「教皇制のプラグマティズム」

 

「教皇制のプラグマティズム」という点に関し、彼は、保守的なカトリックの友人たちが、ここ数年、よりsober(慎重)な見方をするようになってきているようだと言っていました。インタビュアーもそれに呼応し、「現教皇制の下では、いかなるカトリック教徒であれ、以前のようなウルトラ・モンタニストであることはもはや不可能だと思います。」と同意していました。*11

 

また〔14:30~〕の部分で、カトリック弁証家のエリック・イバラ師が、「私たちカトリック教徒には、認識論的確実性(epistemic certainty)に対する渇望欲があると思います。そしてそういった認識における確実性がプロテスタンティズムにはないということを指摘したがるのですが、〔カトリック教会内での見解の不一致や現在の混乱状況を鑑みても〕ある諸事項においては、私たちの内にもまたプロテスタント認識問題に類似した問題が見い出されると思います。」と自己省察しておられました。

 

宗教改革者たちとトマス・アクィナス

 

さて、私が一番興味をもったのが、次に挙げる「宗教改革者とトマス・アクィナス」のトピックでした。〔20:00~〕

 

保守福音主義内でも、R・C・スプロール師やノーマン・ガイスラー師といった著名なトマス主義者たちを通し、トマス・アクィナスへの関心は近年ますます高まっていると聞いています。

 

16世紀ー17世紀の宗教改革者たちの著述研究を通し、トゥルーマン教授は、改革者たちの表向きの否定とは裏腹に、実際には、トマス・アクィナスは彼らに影響を与え続けていたということを語っています。特に17世紀に入り、新教の合併、統合、弁証に取り組む際、彼らは形而上学的ソースが不可欠であることに気づきました。

 

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ジョン・オーウェン(1616 -1683)

 

著名な17世紀ピューリタンであるジョン・オーウェン*12がいかにしばしトマス・アクィナスを引用しているかを知り、トゥルーマン教授の目は開かれたそうです。

 

また三位一体論擁護、反ペラギウス主義論戦においても、改革者たちはトマスの『神学大全』を援用していました。また、近年、教父文書に対する改革派牧師・信徒たちの間の関心の高まりについても教授は触れ、来年、カレッジ内で、大聖グレゴリウス(540-604)の文書を読む読書会が発足するそうです。(牧会者の役割に関するテーマで。)

 

さらに、人格の崩壊、中絶の政治化等のグローバルな倫理問題に直面している現在、私たちプロテスタント信者は、トマス・アクィナスの徳倫理学(virtue ethics)にもっと注目すべきであると教授は言っています。インタビュアーもそれに呼応し、中世期のビザンティン・トマス主義者たちもまた、アクィナスの徳倫理学を重用していた事実を挙げていました*13

 

非常に勉強になるインタビュー内容でした。感謝します。

 

ー終わりー

 

追記:インタビューの中で、トゥルーマン教授は、同僚のピーター・ライトハート師に関し、次のように言っていました。「まだピーターに直接訊いたことはないのですが、、彼のサクラメント観が実際どうなのかちょっと不明瞭、、、私がピーターに訊きたいのは、なぜ彼はカトリックでなく今もなおプロテスタントなのだろうという問いです。」

 

「なぜ彼はカトリックでなく今もなおプロテスタントなのだろう?」この問いは、〈国境地帯〉で真理を追究しているトゥルーマン教授自身の、人生を駈けた問いであり、叫びなのかもしれません。

 

ーーーーー

*1:

*2:「近年、若い世代にみられる伝統的liturgy回帰の動き*と平行し、マーサーズバーグ神学(高教会的カルヴィニズムとして19世紀半ばに起こった運動)に対する新たなる関心と復興の兆しがみえています。 

こういった動きは、ケイス・マティーソン著『あなたのために与えられたーー主の晩餐に関するカルヴァンの教理を再生する, Given For You: Reclaiming Calvin’s Doctrine of the Lord’s Supper』(2002)、W・ブラッドフォード・リトルジョン著『マーサーズバーグ神学と改革派公同性の探求,The Mercersburg Theology and the Quest for Reformed Catholicity』(2009)、ジョナサン・G・ボノモ著『受肉とサクラメントーーチャールズ・ホッジとジョン・ウィリアムソン・ネヴィンの間のユーカリスト論争をめぐって, Incarnation and Sacrament: The Eucharistic Controversy between Charles Hodge and John Williamson Nevin』(2010)などに顕著です。」引用元

*3: 

*4:

D.G. Hart, John Williamson Nevin: High-Church Calvinist (American Reformed Biographies), 2005.

*5:同上。

*6:

*7:

*8:

*9:R.C. Sproul, Essential Truths of the Christian Faith, Wheaton, IL: Tyndale House (1992), p. 22.

*10:関連記事

*11: 

 

Pope Francis and the Liberal Agenda - Round Table Discussion - YouTube

 


*12:

Carl R. Trueman, John Owen: Reformed Catholic, Renaissance Man (Great Theologians).

*13: