巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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ヘブル的ルーツ運動(HRM)の歴史観とキリスト教会史における神の憐れみ

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出典

 

ヘブル的ルーツ運動(Hebrew Roots Movement)の教えを信奉している方々は土曜安息日(シャバット)、過越や仮庵の祭り、レビ記の食物規定の掟等を重要視し、それらを遵守しておられます。この運動に関わっておられる方がブログ記事の中で次のような説明をしておられました。

 

「現代は、異邦人だけが集うキリスト教会と言う場所やグループに日曜日に行き、日曜日礼拝をし、そして日曜礼拝で席上献金をし、プレイズや賛美を歌い、月の最初の日曜日に種ありパンで聖餐式をし、子供が生まれれば、カトリックなら幼児洗礼をし、そして割礼など男の子には施さない。

 クリスマスや、イースターだけを祝い、シャバット、新月、過越や仮庵の祭りなど祝う事もしなくなった。今は恵の時代で律法は廃れたので、ただ信じるだけでそれで良いのである、神の言葉を生きる必要などないと言う教えが主流で、当然のごとく語られる教え。

 律法を生きる人は神の恵を無駄にした生き方をしてしまうので神の教えなど生きなくて良いのですと諭されます。神の教えを生きる事を律法主義などとも定義して、モーセの五書の話をしようものなら、”律法にもどるのか!”とか、信じたらユダヤ人やめなさいと言う教えまでされている。」(引用元

 

上の記事を読んで思わされたのは、ヘブル的ルーツ運動(HRM)は、ルターの提示した極端すぎる二分法(「律法」に反立するところの「恵み」、「信仰」に反立するところの「行ない」、旧約の「モーセ」に反立するところの新約の「イエス」等)およびそこから派生してきた様々な釈義的ジレンマや逸脱に対する一種の矯正・反動ムーブメントではないだろうかということです。*1

 

ですから例えば、「今は恵の時代で律法は廃れたので、ただ信じるだけでそれで良いのである、神の言葉を生きる必要などないと言う教えが主流で、当然のごとく語られる教え。律法を生きる人は神の恵を無駄にした生き方をしてしまうので神の教えなど生きなくて良いのですと諭されます。」という箇所などは、ハイパー・グレースの異端教理等を(正当にも)問題視していると思います。

 

「イエシュア =救い主を信じる人が1世紀に初めて出現したのではないからです。何故なら、太古からトラー、預言書を理解していた人達は、アヴラハムがまだ見ぬイエシュアを未来に見て喜んだとある通り信仰により、同じイエシュア=救いを受けて生きていた古代の残りの民は存在しているからです。ルツも異邦人であるけれど、同じイエシュアを内側に受けていた、新生体験をしたと言うことはメシアを理解していたと言う事実があるのです。太古も現代も同じイエシュア=同じ神、キリストは昨日も今日も永遠に同じだからです。」(同上)

 

上の箇所は、旧新約の啓示の連続性/非連続性・漸進性・有機的一体性についての考察であり、旧約と新約の啓示間の非連続性が強調されがちな現代風潮に対し、「いや、旧約と新約の間には深い連続性がある」ということを筆者の方は指摘しておられます。この指摘は確かにそうで、カトリック/正教神学者や改革長老派系の神学者の方々もこの点をしっかり押さえておられると思います。*2

 

また「ユダヤ人のイエシュア信者は、異邦人信者からもユダヤ人からも拒絶され辛い立場に立たされて行ったのです。」という筆者の方の指摘も部分的に的を射ていると思います。現在でもユダヤ教の背景を持つ方がクリスチャンになった場合、文化的にもコミュニティー的にも彼らの多くは適応に苦労している場合が多いと聞きます。カトリックや正教に改宗されたユダヤ人クリスチャンたちの多くも、(ユダヤ人への愛に献身している)福音主義宣教団体の兄弟姉妹のコミュニティーに助けられ居場所を見出すことができたと証言しています。過去にキリスト教会が関わったユダヤ人迫害の歴史の事実に向き合い、悔い改めと愛と和解の精神をもち、ユダヤ人の方々に福音を分かち合ってゆくことの大切さを教えられます。

――――――

 

しかしながらHRMは、――プロテスタンティズムを含めたすべてのキリスト教宗派がヘブル的ルーツから逸脱し背教教会となり間違った教えを説いていると考えていますが――、皮肉なことに、自身の教会観、聖書観、歴史観が実際には深くプロテスタンティズム(特に原理主義的プロテスタンティズム)に根付いているということにはほとんど自覚がないという特徴を持っていると思います。

 

「さて2世紀以降の出来事に戻りますが、ローマ帝国の支配下、ユダヤ人、異邦人、イエシュア信者達皆同様に、イスラエルの神の教えを生きる、教える、シャバットや祭りを祝うことに対して猛烈な迫害、弾圧がかけられ続けて行きました。異邦人イエシュア信者達は2世紀に入ると、ユダヤ人から完全に切り離されて行き、いや自らユダヤ人と決別して行き、そしてパウロや使徒達の弟子達ともコンタクトを切り、今度はヘブライの書、トラーを深く知らない、先祖代々神のトラーに生きる事に根付かない背景の西洋教父達=ギリシャローマヘレニズム思想の教育を受けた人達を仰ぎ、リーダーとしたのです。」(同上)

 

さてここに入ると例の ‟背教ナラティブ” が登場してきます。背教ナラティブというのは、

.かつて純粋に聖書的な初代キリスト者たちの教会が存在していた。

          ↓

.しかしながら○○という間違った教えに汚染され、教会は背教した。

          ↓

.逸脱してしまった教会を正道に戻すべく、神が△△という回復教会・運動を起してくださった。

というストーリー(歴史観)のことを指します。

 

背教がいつ起こったかという時期特定は教派や運動によって異なります。ディスペンセーション主義のジョン・ネルソン・ダービーやモルモン教の場合ですと、使徒時代の直後にはすでに教会は背教(崩壊)していたとされています*3。他方、「4世紀のコンスタンティヌス帝の時期以降キリスト教会は逸脱し始めた」と背教の時期を4世紀頃に定める教派もあります。上記の筆者の場合は背教時期を「2世紀」としておられます。そして背教ナラティブの中では必ず、「背教をそそのかした悪の元凶たち」が特定されます。ヘブル的ルーツ運動の中ではその悪の元凶は、「西洋教父達」だとされています。

 

それによると彼ら‟西洋教父達”は「ヘブライの書、トラーを深く知らず」「先祖代々神のトラーに生きる事に根付かない背景」を持つ「ギリシャローマヘレニズム思想の教育を受けた人達」です。そしてここから、聖書的で正統な「ヘブライ的思考」に反立するところの非聖書的で偽りの「ギリシア的思考」というダイコトミーが大々的に提示されることになります。*4

 

この運動に関わっておられる方々の心の動機自体は真摯だと思いますが、はっきり申し上げますと、こういった極度に単純化された歴史観は、キリスト教一千年期に渡って東西のキリスト者たちが殉教の血を流しながら一歩一歩乗り越えていった教義的積み重ねの歴史に対する誤解および(無意識的)傲慢だと思わざるを得ません。(繰り返しますが、HRMの方々の心の動機自体を疑問視しているわけではありません。人の心は深くその全貌は神様だけがご存知です。)

 

ヘブライ思想とギリシア思想の融合と相剋はキリスト論を巡る何百年に渡る論争史の中にも見て取ることができます。行き過ぎが有ったり、異端諸説が現れたり、どろどろの帝国史とも絡み合いながら、歴代のキリスト者たちは先の見えない混沌の中をキリストの啓示の光を仰ぎながら必死で進んできたのです。

 

ネットで無限に資料を観覧できる現代の私たちが過去に生きた人々の欠落や迂回を指摘するのはそれなりに容易なことだと思います。ですが、その時代、その時代に私たちの先人たちは非常に難しい諸問題に直面し、悩みました。そして有限性や人間的弱さを抱えながらも、その時代に最も脅威となっていた諸異端と対峙し、著述を記し、公会議を開き、後代のキリスト者へと十字架の灯火をバトンタッチしてくれたのです。教会史は人間的間違いや過ちで満ちています。そしてそれと同時に教会史は、そんな不完全で罪深い人間たちを神が赦し、御霊を通して教会が存続されていった驚くべき恵みの物語でもあります。

 

教会史はまたキリスト者一人一人の弱くも懸命なる生の歴史でもあります。私たちはそれぞれが個でありながら、それと同時にキリストのいのちの中で時空を超え、互いにつながり、結び合わされています。旧約と新約がキリストの到来を境に非連続的要素を持ちつつも尚有機的に織り合わされているように、集合的教会史そして個としての歴史も、混沌や失敗、悲劇や喪失を帯びつつ尚、神の赦しと憐れみの中で互いに紡ぎ合わされ、有機的ないのちの流れとして、歴史の終末および完成に向かっていることを思います。マラナタ、主よ来たりませ。

 

ー終わりー