巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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キリスト教とギリシャ文化/哲学を私たちはどのように考え、どのように識別してゆけばよいのだろう?ーーA・ハルナック「ヘレニズム化説」に関する考察(by バルナバ・アスプレイ、ケンブリッジ大学)

殉教者ユスティノス著『ユダヤ人トリュフォンとの対話』(2世紀):ユスティノスとヘレニズム・ユダヤ教徒トリュフォンとが、旧約聖書の様々な箇所の解釈をめぐって交わす論争を対話篇の形で述べたもので、その序文は、プラトン主義者であったユスティノスが、キリスト教徒である老人との出会いを契機にキリスト教に回心するまでのいきさつを述べつつ、当時のギリシア哲学諸派を批判する印象深い文章となっている。(参照

 

目次

 

 

Barnabas Aspray

執筆者 Barnabas Aspray、ケンブリッジ大(神学、解釈学、形而上学)ポール・リクール研究。Barnabas Aspray — Faculty of Divinity

 

ハルナックの「ヘレニズム化説」

 

「初代教会の最大の問題は、それが、ーー聖書とはまったく関係のないーーギリシャ的思考によって影響されていたことである。」

 

冒頭の句は、神学者アドルフ・フォン・ハルナックにより、19世紀に流行となった説であり、一般に「ヘレニズム化説(“Hellenization thesis”)」と呼ばれています。

 

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アドルフ・フォン・ハルナック(Adolf von Harnack、1851-1930)。ドイツの自由主義神学者。ハルナックは初期キリスト教におけるギリシャ哲学の影響を追究し、初代キリスト教会の教理に疑問を呈した。彼はヨハネによる福音書を拒絶し、共観福音書は受け入れ、使徒信条を批判し、社会的福音を推進した。キリストの復活については、弟子達の精神的錯乱によって信じられた錯覚とまで考えた。主著は『キリスト教の本質』。アドルフ・フォン・ハルナック - Wikipedia

 

 

今日でもこの説を信奉しているクリスチャンは多数います。特に、「抽象的/緻密/時間を超越したギリシャ哲学者たちの思索」と「地上的/全体論的/歴史的な旧約聖書のアプローチ」を二つのコントラストとして対比させている聖書学者たちの間で、この説は今も人気を博しています。*1

 

聖書に対し高い見方をしている人であるなら誰でも、「われわれの神学は〔聖書以外の〕リソースからの諸影響から清められなければならない」というほぼ直観的な感覚を持っているだろうと思います。

 

また、「初期キリスト教徒たちが当時自分たちを取り巻く文化から、無意識の内に否定的な形で影響を被っていたのだ」と仮定することも決して困難なことではありません。しかし、この見解には、以下に挙げるように、いくつかの問題ある諸前提が含まれています。

 

ハルナック説 第1の前提

 

まず、この説は、「キリスト教は翻訳不可能である」ということを前提しています。つまり、ここには、神は元々ご自身をユダヤ人に啓示されたので、私たちはユダヤ的枠組みを用いてのみ神のことを考える事ができる、という思想があります。

 

前項*2で申し上げました通り、これはユダヤ主義異端の知的バージョンです。そしてこの異端は、新約聖書における最も抜本的な諸啓示の一つは、ユダヤ人の神が今や、ーー行いや思考において〔異邦人たちが〕まずユダヤ的にならなければならないという義務なしにーー万人に対しての(<万人が近づくことのできる)神となっているという事実を見落としています。

 

ハルナック説 第2の前提

 

二番目に、この説は、「聖書が明確に答えている種類の問いのみを問うべきである」ということを前提しています。聖書が明白に語っていない内容に関しては不可知的であるべきだということです。

 

ギリシャ人はヘブライ人とは異なる事柄に関心を持っていました。つまり、ギリシャ人たちは、万物の起源や目的、宇宙的諸原則や法則、また、ーー物質的なものであれ観念的なものであれーー、事物の本質や性質に関する問いを立て、それらを探求していました。

 

そしてこういった問いは、より抽象的であったため、異なる文化的諸文脈に向け、より翻訳されやすいものとなり、それゆえ、文化的に多様でありながらそれと同時に一致を保ち続ける上での共通語をキリスト教に提供しやすいという有益な側面があったと思います。

 

でもどうか誤解しないでください。私は、①新約聖書のユダヤ性の回復および、②聖典として旧約聖書をきわめて真剣に捉えること、そのどちらも非常に大切なことであると考えています。ただ私は、①と②の取り組みが、初代教会におけるギリシャ哲学の充当に関する事柄と両立不能なものだとは考えていないだけです。そこに衝突があるとは考えていません。

 

ハルナック説 第3の前提

 

三番目に、そしてこれが最も重要な点だと思いますが、この説は、「初期キリスト教における偉大な思想家たちーー教父たちーーは、今日のわれわれよりも知的に劣っており、自己認識もわれわれ程にはできていなかった」ということを前提しています。

 

ーーそう、彼ら教父たちは、子供じみた大失態をしでかしたので、2000年後の私たちが、その後始末をしてやらなければならないのです。*3

 

実際に教父研究を真剣に進めていけばいくほど分かってくるのが、ーー聖書と両立し得ない諸部分をふるい分けて取り出し、有益な部分を保持しつつーーいかに当時の教父たちが慎重にプラトンやアリストテレスの思想をフィルタリングしていたかということです。

 

アリストテレスの神とキリスト教の神は劇的に異なっているため、これらを学んだ人なら誰も、「初期キリスト教徒たちは両者を混同していた」などと言うことはできないでしょう。

 

しかしそうだからといって、例えば、四原因(four causes)*4に関するアリストテレスの分析や徳に関する彼の倫理学考察が、どれも等しく非聖書的ないしは福音に対して有害だということには必ずしもなりません。

 

 

要するに何が言いたいかといいますと、初期クリスチャンたちは馬鹿ではなかったということです。聖書が彼らの権威でありましたし、彼らは、自分たちを取り巻く文化のどの部分と〔聖書は〕両立可能で、どの部分が両立不可能であるかを識別していたということです。その結果、思想における豊かさが生み出され、クリスチャンが自分たちの信仰をよりよく理解する非常に大きな助けとなりました。

 

おわりにーー現代に生きる私たちはここから何を学ぶことができるのだろう。

 

現代を生きる私たちもまた、自分たちを取り巻く文化の持つさまざまに異なる諸側面に対面する際、初期クリスチャンたちと同様の慎重なる見極めが必要とされているでしょう。自分たちが読むもの観るものを何であれ無批判に受け入れていくなら、それは私たちの信仰の希薄化をもたらし、こうして私たちをクリスチャンたらしめている特異性が失われていきます。

 

しかしその一方、「この事に関しては聖書にはっきりと書いていないので」という理由でそれらすべてを無批判に拒絶していくなら、やがて私たちは原理主義、偏執的疑念、そして自分たち自身の文化に存在する善いもの、敬虔なるものを認めることに対する拒絶の道を進んでいくことになるでしょう。

 

おそらく私たちは、ーー識別の基盤として聖書の使信を常に用いつつーー初代教会の教父たちが、ギリシャ人の中にある良いものと悪いものを識別しようとしていたやり方から多少なりともなにかを学ぶことができるのではないかと思います。

 

ー終わりー

 

文献

-Bentley Hart, David. The Beauty of the Infinite: The Aesthetics of Christian Truth. Eerdmans, 2004. (Page 32 says: “Too often modern theologians erect a disastrous partition between ‘biblical’ faith and theology’s chronic ‘Hellenism’, as if the Bible were never speculative or as if hellenized Judaism did not provide the New Testament with much of its idiom; Hellenism is part of the scriptural texture of revelation, and theology without its peculiar metaphysics is impossible.”)

-Boersma, Hans. Heavenly Participation: The Weaving of a Sacramental Tapestry. Grand Rapids, Mich.: W.B. Eerdmans Pub. Co., 2011. (pages 33-39 discuss this issue)

-Davison, Andrew. The Love of Wisdom: An Introduction to Philosophy for Theologians. London : SCM Press, 2013. (Pages 64-67 discusss this issue)

-Thiselton, Anthony C. The Hermeneutics of Doctrine. Grand Rapids, Mich: Eerdmans, 2007. (page 34ff discusses this issue)

-Wilken, Robert Louis. The Spirit of Early Christian Thought: Seeking the Face of God. New Haven, Conn. ;London: Yale University Press, 2003.

 

関連記事

初代教会とギリシャ哲学

 

「キリストと文化」に関する考察

*1:訳注:関連記事

*2:

*3:訳注:関連記事

*4:

 

食卓を例として図式化したアリストテレス 四原因説: 質料因 (木材), 形相因 (意匠), 作用因 (大工仕事), 目的因 (食事). 参照