巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

用語の再定義、BOBO理論、「ヘレニズム的思考」によって汚染された正典、「ヘブライ的思考」 のレンズ。【ヘブル的ルーツ運動(HRM)検証】

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レンズの種類によって客体が違って見えるんだね。(中性密度と偏光子)出典

 

目次

 

Hebrew Roots Movement – Messin’ With the Word | Joyfully Growing in Grace(抄訳)

 

用語の再定義

 

前稿でも触れましたが、もう一度繰り返しておきたいと思います。ーーヘブル的ルーツ運動(HRM)やその他もろもろの異端的諸運動に関し私たちが理解しておかなければならないことは、彼らが用語の再定義(re-definition of terms)を行なおうとしているという点です*1。そして一旦その作業が完成すると、再定義化された諸用語が疑わしい教義を滋養する温床となっていきます。

 

そしてこれがカルト宗教の用いる常套手段でもあります。カルト宗教はまず、あなたが現在持っている知識が真ではない、あるいは‟充分ではない”ということをあなたに信じさせるべく説得してきます。そしてあなたを説得した上で、今度は、以前には ‟隠されていた” 情報に基づく斬新なる啓示をあなたに提供してくるのです。

 

BOBO理論の登場

 

これを成し遂げる上で、HRMはまず、キリスト教会の草創期から今日に至るまで私たちが手にし受け継いできた聖書の正典(canon of Scripture )に関しあなたに不信感と疑いの念を植え付けてきます。

 

しかし考えてもみてください。つい最近HRMが登場してくるまで、この2000年余りに渡り、歴代キリスト教会は誰も聖書正典を正しく取り扱うことができていなかったのだと!(⇒BOBO理論ーー訳注*2

 

そしてこの前提でいくと次のような論理的結論が導き出されます。つまり、キリスト初臨以来、今日に至るまで誰も正統なる正典を持てていなかったということは、すなわち、「神はご自身の教会のために御言葉を保持してこなかった。そして歴代に渡ってずっと教会がよろめきつまずくままに放置してこられた」という事を意味しています。

 

「ヘレニズム思考」に汚染された西洋教父たちにより編纂された欠陥ある聖書正典!?

 

ヘブル的ルーツ運動にしても聖なる御名の運動(Sacred Name movement)にしても、そこには、「ヘブライ的思考」というレンズおよびヘブライ語を通し聖書を理解することを非常に強調してくる特徴点があります。

 

信奉者の大半は、①新旧約聖書共に、聖書全体は元々ヘブライ語で書かれていた。②新約聖書はオリジナルのヘブライ語からギリシャ語に翻訳された。という二点を信じています。その結果として、HRMの見解においては、新約聖書の文書群は、「ヘレニズム的思考」によって汚染され毒されているのです。

 

そして律法遵守者たちによると、私たちが受け継いできた(‟堕落した教父たち” によって編纂された)聖書の正典、および、毒され汚染されたリソース元から翻訳された英語聖書は、到底正確な訳ではあり得ないとされています。

 

そうは言いつつも、今も尚、一般の翻訳聖書を使い続けている律法遵守者たちもいますが、彼らはやはり不信感を抱きつつそれらの聖書を読んでいます。そしてしばし、‟欠陥のある”聖書テキストを本来のあり方できちんと理解すべく、彼らは外部の注解書やHRMの視点に依拠しています。

 

一般標準聖書に対する疑念ゆえに、HRMの人々は、新しい‟翻訳聖書”を作成しています。例えば、“Restoration Scriptures”,  “The Hebraic Roots Version”,  “Ancient Roots Translinear Bible”, そして “Complete Jewish Bible”.等がその代表的なものです。

 

The Restoration Scriptures – True Name Edition Study Bible by Rabbi Moshe Koniuchowski (aka Marshall Koniuchowski) 個人訳

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The Hebraic Roots Version Scriptures by James Scott Trimm(個人訳)

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Ancient Roots Translinear Bible by A. Frances Werner(個人訳)

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Complete Jewish Bible by David Stern(個人訳)

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こうして従来の聖書正典に疑いが投げかけられ、‟新しい” 聖書が導入されますと、HRMの指導層および信徒たちの内部において、さらなる教理的欺瞞への戸が大きく開け放たれていくことになります。

 

興味深いのは、この領域(つまり聖書に関する取り扱い)において、ヘブル的ルーツ運動は、モルモン教やエホバの証人のメソッドと類似しているということです。というのも、モルモン教にせよエホバの証人にせよ、従来のカノンの中に(彼らが見るところの) ‟誤り” を ‟修正しつつ”、それぞれが独自のバージョンの聖書訳を持っているからです。

 

ここで留意しなければならないことは、ヘブル的ルーツ運動に関与する人々によって普及・促進されている聖書の各種 ‟新” バージョンは、たいがいの場合、個人訳であるということです。この点は重要です。

 

というのも、信頼性の高い聖書訳というのは通常、言語学者・聖書学者たちで構成される翻訳委員会の合同作業によって訳が進められているからです。

 

そして委員会は、そのグループ内で全般的監修および説明責任(accountability)を負っています。他方、HRM系列の各種 ‟新” バージョンの翻訳者名をリサーチしていきますと、彼らの学術性やメソッドに深刻な問題があることが分かってきます。

 

聖書を「ヘブライ的思考」のレンズおよびヘブライ語を通して理解することの重要性というHRMの強調点に関して

 

律法遵守の人々は「いかに初代教会は礼拝を捧げていたのか」という点に関し、使徒の働きをよく引用します。しかし聖なる御名の運動やヘブル的ルーツ運動のレンズを通して読み進めていく時、使徒2章が私の目に飛び込んでこざるを得ません!

 

もう一度繰り返しますが、HRMの思考回路でいくと、聖書を真に理解するためには、あなたはヘブライ語及び「ヘブライ的思考」を身に着けなければなりません。

 

そうしますと、次のような結論に至るのが理に適っていると思います。つまり、この世界にヘブライ語で御言葉が伝達されるのが神の御意図であったのなら、使徒2章のあのペンテコステの場こそ、そのことをクリアーに顕示する最善の時であり、最高の場であったに違いないということです。

 

しかしながら、神の備えはそうではありませんでした。御霊により、それぞれの国のそれぞれの人々が、自分の国のことばで福音を聞いたのです!

 

さらに興味深いのは、使徒2章には「エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが天下のあらゆる国から来て」(5節)と書いてあることです。ペンテコステの日のあの場でヘブライ語に通じていた人々がいたとすれば、それはまさしくこの一群だったでしょう!

 

新約聖書が「敬虔なユダヤ人」と言及する時、それが意味しているのは、ユダヤ教に非常に忠実(ultra-faithful)であり、そして彼らはヘブライ語を知っていたということです。にも拘らず、神は福音が彼ら自身のそれぞれの言語で確実に聴取できるよう取り計らってくださいました。

 

それゆえ、神がご関心を抱いておられるのは、福音伝達をする上での言語ではなく、福音そのものが伝えられる、その事に心を砕いておられるのだということが分かるかと思います。

 

また「聖なる御名」に関してですが、私にとってはGodはGodであり、 Jesusは Jesusです。つまり、神は私たちが誰について(誰に向かって)語り呼びかけ祈っているのかちゃんとご存知だということです。英語ではGodとかJesusなどの語が、神という方の本質を表象したものです。

 

そして先ほどお読みしました使徒2章からも分かるように、神は私たちの間に、たとい神称におけるカタカナ語の多様性(イエス、イエシュア、マシハ、イイスス等)があったとしても、それを問題にしてはおられないということが分かります。

 

ー終わりー

*1:

*2: