巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

原理主義でもない、懐疑主義でもない、リベラル主義でもないポスト近代における公同的伝統キリスト教への展望【ジェームズ・K・A・スミス選集】

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目次

  • 痛みと傷からの再生――原理主義でもない、イマージング風リベラル主義でもない公同的キリスト教への模索と探求(回想)
  • 著書『どうしたらセキュラー(secular)にならないでいることができるか?ーーチャールズ・テーラーを読む』【インタビュー】
  • 公共圏内での信仰のスペース【ポスト近代と福音宣教①】
  • デリダの 「ポスト近代宗教」 の中に存在する深い内的緊張ーーポストモダン的グノーシス主義の内実【ポスト近代と福音宣教その②】
  • 21世紀におけるキリスト教の形態【ポスト近代と福音宣教その③】
  • 〈宗教センター〉としてのショッピング・モール、世俗liturgy、そして対抗文化造形としてのキリスト教礼拝
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わが魂は主を渇望し、涙の中でこの御方を慕い求めます。(アトス山の長老聖シルアン)

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Archimandrite Sophrony, St Silouan the Athonite, Part II. The Writings of Staretz Silouan(一部拙訳)

 

わが魂は主を渇望し、涙の中でこの御方を慕い求めます。

ああ、汝を求めること以外にいったい何ができるというのでしょう。なぜなら汝がまず私を求め、私を探し出し、聖神(聖霊)にある喜びを与えてくださったからです。こうしてわが魂は汝への愛に没入していきました。

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観想的生について(ライサ・マリタンの霊的日誌より)

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出典

 

The Journal of Raïssa Maritain, p.215-216(拙訳)

ルーズ・リーフに書き留められたものをライサの死後、夫のジャック・マリタンが整理・編集。このメモ書きには日付はない。1936年から1939年の間に書かれたもの。

 

 

「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩46:10)

Vacate et videte...

 

観想的生という召命。

その人は静まらなければならない――〔観想をさまたげる〕あらゆる忙事を後にして。

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ふるさとの訛なつかし

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元プロテスタント教会ユースパスターでカトリックに改宗されたキース・ネスター氏が、「カトリック教会に対するプロテスタント信者の誤解ベスト5」を身振り手振りを交え、真に迫って解説しておられます。

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告白者聖マクシモス、フィリオクゥエ、そして教皇制――Proof Textから橋渡し役へ(by エドワード・シィチェンスキー教授)

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Daniel Haynes ed., Andrew Louth, FBA., A Saint for East and West: Maximus the Confessor’s Contribution to Eastern and Western Christian Theology, 2019.  Chapter 2. Edward Siecienski, Saint Maximus the Confessor, the Filioque, and the Papacy From Proof Text to Mediator(一部拙訳)

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驚くばかりの恵みなりき――「恵み」再発見の旅

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出典

 

昨日の説教箇所は第二コリント12章の「わたしの恵みはあなたに十分である」という箇所でした。私の通っている修道会所属のギリシア正教会では、説教は領聖(聖体拝領、聖餐)の直前になされます。

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