巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

わが魂は主を渇望し、涙の中でこの御方を慕い求めます。(アトス山の長老聖シルアン)

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Archimandrite Sophrony, St Silouan the Athonite, Part II. The Writings of Staretz Silouan(一部拙訳)

 

わが魂は主を渇望し、涙の中でこの御方を慕い求めます。

ああ、汝を求めること以外にいったい何ができるというのでしょう。なぜなら汝がまず私を求め、私を探し出し、聖神(聖霊)にある喜びを与えてくださったからです。こうしてわが魂は汝への愛に没入していきました。

 

おお主よ、汝は私の嘆き悲しみ、そして涙をご存知です。・・・汝がご自身の愛でもって私を引き寄せてくださらなかったのなら、私は自分が今そうしているように汝を渇仰することはできませんでした。しかし今や御霊により汝を知り、汝がわが神でありわが主であることをわが魂(たま)は喜んでいます。そして涙のうちに汝を慕い求めてやまないのです。

 

おお慈愛深い主よ、汝はわが失敗、わが苦悩をご存知です。へりくだりの内に私は汝の憐れみを乞い求めます。聖霊のご恵みを罪深きわが身に注いでください。

 

神の御恵みは愛するこの御方を愛する力を私にくださいました。そして今や魂は、絶え間なく祈るよう誘(いざな)われ、一瞬たりとも主を忘れることができません。おお主よ、汝はご自身の罪深いしもべをお忘れにならないだけでなく、御栄光の内より憐れみをもって私を見、計り知れないかたちでご自身のことを私に顕してくださっています!

 

いつも私は汝を傷つけ、汝を悲しませています。そうであっても尚、私は汝の元に立ち帰るより他ありません。・・柔和でいとも優しい汝のまなざしにわが魂は捕えられました。

 

汝を想うことでわが魂はあたためられます。そしてわが魂は汝の内に憩うことより他にこの地上にいかなる平安も見い出さないのです。それゆえ私は涙に明け暮れ汝を探し求め、また汝を見失ってしまい、そして後再び汝の内に喜びを見い出します。しかし嗚呼、汝はご自身の御顔をみせてくださいません。それゆえ、わが魂は昼となく夜となく汝を慕い求めてやまないのです。

 

おお主よ、ただひたすら汝のみを愛することができますように。汝は私をお造りになり、聖なる洗礼を通しこの者を照らし、罪を赦し、もっとも聖き汝のご聖体とご尊血に与る恵みを与えてくださいました。そしてたえず汝の内に宿ることができるようにしてくださいました。おお主よ、アダムの悔悛および汝の聖なるへりくだりを私たちに与えたまえ。

 

わが魂はこの地で恋い焦がれ、天にあるものを慕い求めています。

主はご自身のおられるところに私たちを引き上げてくださるべくこの地上に来てくださいました。――私たちの救いのためにこの地上で主に仕えてくださった御聖母および主につき従う弟子たちと共に。

数々の罪にもかかわらず、主は私たちを上の方に召しておられます。

 

私はこの地上で長く生きてきました。その間、多くのことを見聞きしてきました。わが魂を喜ばす多くの音楽も聴いてきました。そして思ったのです。地上の音楽がこれほどまでに甘美なのだとしたら、御受難の主を称える聖霊における天的合唱はいかばかりの喜びを魂にもたらすのだろうと!

 

私たちは地上で長い間生き、地上の美を愛しんでいます。――大空、太陽、愛らしい庭、海、川、森、牧場、音楽、、そしてこの地上におけるあらゆる美を。しかし魂が主イエス・キリストを知るに至ったとき、彼はもはや地上のいかなるものに対しても渇望することはなくなるでしょう。私は為政者たちの栄光を見てきました。しかし、魂が主を知るに至ったとき、この世の王たちのあらゆる栄華はささいなものとなり、魂は絶えず主を慕い求めるようになります。そして昼となく夜となく、ああ、目に見えないこの御方をどうにかして見たい、触知することのできないこの御方にどうにかして触れたいと渇仰するようになるのです。

 

おお恵み深き主よ、汝の恵みをこの地上にいるすべての人々に注いでください。彼らが汝を知ることができるように。実に汝の御霊なしには人は神を知ることができず、汝の愛を理解することもできないからです。