巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「死の接吻」――女性按手、自由主義神学、教勢の衰退、そして神の聖意図

f:id:Kinuko:20210922161605j:plain

牧師按手礼を受ける3人の女性(写真:サドルバック教会のフェイスブックより)出典

 

「率直に言って、(自由主義神学を採用した教団には)男性はそれほど多く残っていません。実際に、そういった教会にはあまり人が残っていないのです。自由主義神学は、あらゆる教会や教団にとってまさに死の接吻です。彼らに残されたのは、社会正義活動と(教団の)延命的な維持だけです」

南部バプテスト神学校のモーラー学長

 

リック・ウォーレン牧師が牧会する米国の著名なメガチャーチ、サドルバック教会で3人の女性が按手礼を受け牧師となったことについて、南部バプテスト神学校のアルバート・モーラー学長が、「同教会が加盟する南部バプテスト連盟(SBC)の教義に反する」として、SBCに対し教義の再確認を求めたという旨の記事を読みました。

 

20世紀中盤以降のプロテスタント各教団教派における「女性司祭/女性牧師容認」への動きと、「教団指導者の神学リベラル化」の間には緊密なる相関性があることが社会学的にもすでに実証されています*1。この点に関し、西明石教会(高丘)のマイリス・ヤナツイネン師は次のように指摘しておられます。

 

 「女性牧師賛成論者は、ふつう、この矛盾する二つのうちの一方を無視します。つまり、神の御言葉の一部は、当時の人だけのために書かれたものである、と言って解決しようとするのです。このように、一部分だけでも聖書の言葉を否定すれば、私たちの教団の今までの聖書観は変わってしまいます。今まで信じてきた聖書の言葉は、最初から最後まで、絶対的な神の言葉であるはずです。否定の道に踏み込めば、どのような御言葉も、相対的なものとして受け取るようになる危険が待っています。北欧には、こういう例が十分あります。女性教師を認めると、次には同性愛の結婚を認めるべきであるという圧力がかけられるのです。それに対するパウロの禁止も、当時だけのものであると考えられていきます。」*2

 

一度崩れ出したら、もうこの土砂崩れは止まらない、いや、止まらないどころか、この濁流はそれ以外の歴史的正統教理をも巻き込みそれらを次々に相対化し抹殺しつつ、教団生命が完全に死に絶えるまで暴走を続けていく――。それゆえに、モーラー学長は、自由主義神学を採用した教団には「自由主義的なプロテスタント教義の女性化」がもたらされ、それは彼らにとって「死の接吻」のようなものだったと指摘しています。

 

「率直に言って、(自由主義神学を採用した教団には)男性はそれほど多く残っていません。実際に、そういった教会にはあまり人が残っていないのです。自由主義神学は、あらゆる教会や教団にとってまさに死の接吻です。彼らに残されたのは、社会正義活動と(教団の)延命的な維持だけです」*3

 

実際、こういった「死の接吻」を受けた諸グループは、数世代を経た後、ついにはキリスト教そのものから逸脱し、異教混合宗教への道を辿っていっています。*4 

ヴォイス・オブ・ザ・ファミリーのマリア・マディス女史が指摘しておられるように、女性叙階問題は、最終的にキリスト論に帰結する神学的イシューです*5。それゆえ、「教会に男性が少ないから」「リーダーシップのある賜物を持つ女性たちを是非牧師に用いるべき」といった実用主義的懸念は、キリスト論という根幹教義の正統性をめぐる議論の下に置かれるべきであって、それらが逆転してはならないと思います。言い換えれば、それらが逆転してしまった時点で、その教団の教会としての健全性はすでに失われてしまっているということがいえるのではないかと思います。

 

ただ、こうした不吉な流れゆえに、これまで各教団教派内部の保守マイノリティーとして孤立無援の状態で一人善戦してこられたプロテスタント聖職者たちの多くが、最終的に伝統諸教会(カトリック、東方正教会)改宗への道へと導かれていっている事実があります。ある意味において、これまでバラバラに散らばっていた各教団教派の勇士たちが一つのコミュニオンに集められ、これからは共に戦っていくという、神の深遠なる聖意図がここには働いているのかもしれません。みこころがなりますように。*6

 

ー終わりー

*1: 

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

*2:聖書から見た教会における女性の立場 - Glad Tidings Bible Studies Questions for Evangelistic Groups

参照:「SBCの加盟教会の牧師に、女性が一握り以上いた時代はありませんでした。しかし、プロテスタントの主流派教団は、第二波フェミニズムによる要求と、解放の神学による衝動という2つの大きなエネルギーに突き動かされて、女性牧師や女性司祭の任命にまい進したのです。どちらの場合も聖書が主な障害となりましたが、これら主流派教団の信条は自由主義神学によってすでに妥協的なものとなっていたため、聖書に基づいた議論は除かれ修正主義的な議論が展開されました。この聖書を転覆させる方策もまた、具体的に2つの形を取りました。キリスト教徒が聖書を2千年近く誤って読んできたとするか、あるいは、聖書は家父長制と抑圧に絶望的に陥っており、聖書の著者はまったく間違えていたとするか、のどちらかの主張が提示されたのです」出典

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

*3:同記事

*4:japanesebiblewoman.hatenadiary.com

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

*5: 

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

The Christology of Feminismenergeticprocession.wordpress.com

*6:南部バプテスト神学校モーラー学長と、東方正教会論者ロッド・ドレハー氏の対談

www.youtube.com

長老派教団内部での女性牧師問題をきっかけに東方正教へ改宗し、司祭になられたジョサイア・トレンハム神父の証

www.youtube.com