巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

女性叙階問題は、究極的にはキリスト論に帰結する。(by マリア・マディス)

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Maria Madise、ヴォイス・オブ・ザ・ファミリー

 

Catholic woman warns against female ordination: an ‘attack’ on Christ’s relationship with His Church, Oct, 2019(拙訳)

 

女性叙階を推進しようとする動きは、——アマゾン・シノドス過程の当初より見受けられたカトリック信仰に対するその他の諸攻撃と比べても——、特に憂慮すべきものです。

 

一連の動きが不穏である理由は、これが私たちの母なる教会の倫理的・教義的健全性に対する攻撃であるにとどまらず、教会の「御子との関係」そのものに対する攻撃だからです。御子は私たちの救いの土台です。

 

聖伝は女性叙階を認めておらず、聖書は女性叙階を拒絶しており、教会法はそれを禁止しており*1、歴代の教皇たちもその可能性を排除してきたという事実によって私たちは教導されるべきです。キリストは人の子(son of man)として地上に来られ、ご自身の働きを、in Persona Christi(=キリストの位格において)確立されました。

 

そして主の御働きのために叙階された使役者たちは全員が男性でした。この御計らいは女性たちを「排除」するためではありませんでした。現にここローマは、教会史において決定的に重要な役割を果たした多くの女性たちを記念するもので満ち溢れています。彼女たちの幾人かは教皇や皇帝たちの相談役を務め、ある女性たちは殉教の血を流してまでも教会の敵に抵抗し続けました。

 

またキリストは地上において乙女マリアという一人の女性に親密な形で「制約」されることをお選びになりました。

 

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出典

 

仮に女性司祭というのが神の御意図であったのなら、乙女マリアをおいて他のどの女性が、叙階者としての主の御働きを共有する最良のパートナーであり得たでしょう。しかし女性たちに対する神の御計画はそれとは異なるものでした。乙女マリアは主ご自身のかたちに従い形づくられ、教会の中で彼女は永遠にいたる位置づけにあります。

 

あらゆる時代のあらゆる女性は、キリストの花嫁として、主とのもっとも美しく全き結合へと召されています。人間の婚姻は二者の間でなされるものであり、片方だけが自分自身と婚姻関係に入ることはできません。

 

ですからキリストの花嫁として召されている私たち女性はキリストのペルソナにおける(in Persona Christi)聖職を担うことは決してできません。私たち女性は助祭に「叙階」されることもできません。なぜなら、叙階聖職におけるその他すべての任職は大祭司の型に沿って形成されているからです。

 

一方、女性はキリストの花嫁として召されており、貴婦人(Lady)の役割——教会の型——に沿い造られています。教会はいのちを与え、魂をかき抱く実り豊かな母であり、主のために生まれた魂の養い手です。*2

 

人間の婚姻は現在、世界中で攻撃の的になっています。それはトランスジェンダーやホモセクシャル・アジェンダにより激しく襲撃されています。そして教会の女性たちに叙階職を与えようとする提案は——キリストと教会の間における超自然的婚姻への諸攻撃——へと私たちを向かわせており、それは聖なるものに対する冒涜(desecration)です。

 

ー終わりー

 

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*1:『カトリック教会のカテキズム』1577項

1577 「洗礼を受けた男子のみが聖なる職階に有効に叙せられることができます。」イエスは十二人の使徒団を形成するために男子を選びましたし、使徒たちが自分たちの任務の後継者となる協力者たちを選んだときも同様でした。司祭たちが祭司職で結ばれている司教団が、キリストの再臨のときまで十二使徒団を再現し、具現するのです。教会はキリストご自身によるこの選択に従う義務があると考えています。したがって、女性が叙階されることはありえません。

*2:管理人注:「教会はいのちを与え、いのちを育む。」それゆえに古代よりキリスト教会は一貫して堕胎に反対してきたのです。 

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