「仮にズィズィウーラスの分析が正しいとするのなら、神的モナルキア*1に関する決定的重要性に関しなぜ正教がかくまで力点を置いているのかをよりよく理解できると思います。 それは、自然の必然(necessities)の上に存在する神の自由を保証し、無限にして永遠なる愛のうちにおける三位一体の一致を確立します。それゆえ、正教は、フィリオクェ問題に関し断固として妥協することを拒んでいるのです。」*2
三位一体論における「御父のモナルキア」教説に関し、哲学者であり東方正教徒であるボウ・ブランソン教授が非常に内容の充実した講義シリーズをしておられます。講義は主として、スタンフォード哲学百科事典の編者の一人であるユニタリアン主義プロテスタント神学者デール・タギーの三位一体論論駁に対する反証という形をとっていますが、内容はそれだけにとどまりません。
ニュッサの聖グレゴリウスの三位一体論および彼によるエウノミオス論駁・アリウス主義論駁の文脈から、御父のモナルキア教説を詳説しつつ、それが聖アタナシウス、聖バシレイオス等、教父たちの一貫した三位一体理解であったことを明証しています。フィリオクェ問題についても丁寧かつ包括的説明がなされています。また、カトリック教会との近年の対話における「御父のモナルキア」の取扱いといった興味深いテーマにも触れています。さらに、御父のモナルキアがしっかりと教説されることで、対イスラム教徒福音宣教や弁証においてもいかに建設的な実が結ばれつつあるかを見て取ることができます。*3
↓アリウス主義の神学的誤謬*4
↓三位一体論とギリシア教父学
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*1:monarchyの訳語の例:独一性、単一根源、単独支配、独元、源泉の一性、専制君主制、唯一源初、唯一原因性
*2:Fr. Aidan Kimel, The Importance of the Monarchy of the Father according to John Zizioulas. 「神格には単一原因(one cause)しか存在し得ません。ーーそれは父なる神です。『御父は御子および御霊の源である』と単に是認するだけでは十分ではなく、『御父は単一にして唯一の始原因(initiating cause)である』と宣言することもまた必要です。『原因という語が、御父に適用されるとき、それは自由にして、自発的、そして人格的主体を指し示しています。一方、源とか原則とかいった言語は、より自然的、ゆえに非人格的心象を伝えていると言えます。John Zizioulas, “One Single Source”』 三位一体神に関する教会の形成過程をいかに発展させるにしても、私たちは、御父のモナルキアを破棄したり、それに妥協を加えたり、あるいは軽視したりすることはできません。」
*3:モハンマド・ヒジャーブと三位一体論――ジョシュア・スィジュワデ教授、ボウ・ブランソン教授、ルイスの鼎談
*4:参照