巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

アマゾン・シノドス異教儀式の背後に見え隠れするもの——女神神学(thealogy)及びエコ・フェミニズムに関する考察

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パチャママ像 (出典

 

目次

 

アマゾン・シノドス異教儀式の背景にはいかなる思想的・神学的流れがあったのか

 

「Ideas have consequences(思想には諸結果がともなう)」という金言があります。

 

昨日、多摩大学の小松加代子教授の論考「女神神学とフェミニスト神学との対話は何を示すのか——ローズマリー・R・リューサー『女神と聖なる女性性』をめぐって」(PDF)を読みました。

 

この論考において小松教授は、進歩的ローマカトリック・フェミニスト神学者であるローズマリー・R・リューサーの、「女神神学(thealogy)」を巡っての見解変遷過程を興味深く叙述しています。

 

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ローズマリー・リューサー(1936-). 女性司祭叙階を推進するフェミニスト神学者。1985年より、プロ・チョイスの団体であるCatholics for Choiceの委員を務めている。

 

パチャママ像およびアマゾン・シノドス異教儀式の背景にはいかなる思想的・神学的流れがあったのかということを考える時、(シノドスの主原動力であった)ドイツ教会司教会議の神学に少なからぬ影響を及ぼしてきたと思われるエコ・フェミニズムおよび女神神学を検証することは私たちにとって有益なことではないかと思います。*1

 

二種類の宗教フェミニスト

 

まず小松教授は、宗教フェミニストの中でも既成宗教(<キリスト教)に対する態度は大きく二つに分かれると指摘しています。つまり、ある一群の人々が、既成宗教の信者(<クリスチャン)としてとどまりつつ、その内部でフェミニズム的視点からの改革をしようと試みているのに対し、別の一群の人々は既成宗教では改革は不可能と見切りをつけ、既成宗教の枠外で宗教活動をしているというわけです。そして主に後者の人々は、「スピリチュアリティ」という新用語の中に自らの宗教性を表現しつつ、その後の「女神神学」発展の土壌を作っていくことになります。

 

「それまで宗教的であることはキリスト教徒であることと同等と考えられていた社会の中で、宗教的なものを求めて教会と衝突して悩む女性たちも多かった。そうした女性たちにとって、『スピリチュアリティ』という新しい言葉は、自分自身の宗教性を表現する象徴的言葉となった。教会に属さなくとも宗教的であり得ることを、この言葉は表現してくれたのである。そして、その宗教的であるものの表現として、魔女、キリスト教以前の自然崇拝儀式や暦なども多くの女性たちに知られるようになっていった。」*2

 

「1979年には、こうした動きを象徴するような書物の出版が相次いだ。まず、メアリ・デイリーの『ガイン/エコロジー(Gyn/Ecology)』である。デイリーは、1973年の『父なる神を超えて』以後、キリスト教は本質的に父権制的であるとして、聖書と教会の男性中心主義と訣別することを宣言する。・・このように教会を断罪し、教会から去ることを宣言し、新しい言葉や神学を創ろうと試みるデイリーの行為は、教会に疑問を持っていた女性たちに勇気を与えた。中でも、キリスト教と異なる女神信仰や魔女術に共感を覚える女性グループは、少人数のグループを構成し、それぞれ独自の儀礼を作り出していった。」*3*4

 

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メアリ・デイリー(1928-2010)*5

 

女神神学(thealogy)とは?

 

それでは女神神学(thealogy)とは具体的にどのようなものなのでしょうか。この語 thealogy の「thea(女神)」は、従来のユダヤ・キリスト教神学における「theo(神)」の女性形置き換えであり、そこにフェミニズム的意味づけが付加されています*6

 

小松教授によると、女神神学は正統な聖典などというものを持たず、教義も信条も確立されてはいません。それぞれの女神信仰者が各々女神についての概念を持っています*7。つまり、人の数だけ「女神」もまた無数に存在するということではないかと思います。

 

「神が人をご自身のかたちに創造された(God created man in his own image)」(創1:27a)という聖書の神論・人間論とは対極的に、女神神学においては、「人が神を自身のかたちにこしらえた(Man created god/goddess in man's own image)」という具合に、神--人間間の主従関係が逆転しています。

 

そのため、彼女たちの神観は一神論だったり、多神論だったりさまざまです。「すべては私がどう感じるかによるのだ」と『聖魔女術』の著者スターホークは次のように言っています。

 

「すべて私がどう感じるかによるのだ。私が落ち込んでいる時には、女神は私を助け守ってくれる。私が元気な時には、女神は私自身の力の象徴となる。それ以外の時には、私の体や世界の中の自然エネルギーとして女神を感じる。」*8

 

『女神神学入門(フェミニスト神学序論)*9』の著者メリッサ・ラファエルは、とらえどころのない女神神学ではあるけれども、共通点をあえて挙げるとすれば以下の三つであるとしています。

 

① 女神は自然である。

② 女神は少なくとも「女性の力」の集合的あるいは個人の象徴である。

③ 女神は単なる信仰の対象ではなく、存在そのものが女神であり、個の存在と分離することはできない。*10

 

①の「女神=自然」という考え方は、神と宇宙、または神と自然とは同一であるとみなす汎神論(pantheism)の一種とみてよいかと思います。尚、汎神論は、神が万物を無から創造されたとするユダヤ・キリスト教的神観と根本的に異なっています。

 

またイギリスで女神運動を始めたアスフォデル・ロングは、女神信仰の展開への素地は次の三つであると述べています。

 

① フェミニスト運動。

② ニューエイジ思想と結びついた新異教主義(New paganism)*11

③基礎となる材料としてのユダヤ・キリスト教。

 

このようにして女神信仰は、キリスト教社会だけではなく、異教主義やニューエイジ、カウンターカルチャーの影響を受け発展していきました。*12

 

尚、女神信仰とフェミニスト神学は、「キリスト教における男性中心主義を批判しそれを克服しよう」とする点で共通しているものの、「母権制社会あるいは女性中心の社会が、父権制社会の前にあった」という女神神学の見方には歴史的事実が欠如しているーーと、ローズマリー・リューサーは当初女神神学に批判的でした。

 

しかしながら近著『女神と聖なる女性性』においてその姿勢に変化が表れてきています。リューサーは序章で、この著書は女神信仰などキリスト教とは別の伝統を求める人々との歩み寄りを目的としていると述べ、最終章では、リベラルで進歩的なキリスト教徒は、ウィッカン(魔術信仰者)や異教徒の宗教的自由を擁護する義務があるとさえ主張しています。*13

 

 

さらにリューサーは、宗教フェミニストの戦略として以下三点を挙げ、どの道も正当であるとしています。

 

ユダヤ教、キリスト教の預言者的、解放のテーマを呼び起こし、現代の共同体の中でフェミニズムと共感しあえる再解釈を求めるもの。(リューサーの立場。*14.)

仏教やヒンドゥー教のように、男性神がいない、あるいは神がいない、あるいは女神がいっぱいいるというような宗教を求めることで、それらはフェミニスト・スピリチュアリティの主張になりえる。

既成の宗教体系はすべて父権制の時代に作られたとして、その再解釈をあきらめ、父権制の登場する前の時代にモデルを求め、自己と社会の新しい革新的な変革を求めて、元始に戻ろうとするもの。(女神信仰の立場。)

 

さらにエコロジーの観点と神学をつなぐという考えは、フェミニスト神学と女神神学に共通した領域であり、現にリューサーは「ウィッカン(魔術信仰者)とエコ・フェミニストには共通点がある*15」と述べています。

 

アマゾン・シノドスで盛んに用いられた「総合的エコロジー」というぼやけた概念も、ヴァチカン庭で執り行われたシャーマン異教儀式も、上述のエコ・フェミニズムや女神神学との関連で考えた時、いろいろな気づきが与えられるように思います。

 

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出典

 

アマゾン・シノドスによってお膳立てされ、サン・ピエトロ聖堂にかつぎ込まれた地母神(Mother Earth)パチャママ像。本来、真のMotherである聖母マリア様が占めるべき聖なる場所に、もの言わず、いのち生み出さず、死せる木片にすぎない裸婦オブジェが教会人たちによって迎え入れられるという、史上かつてない冒涜が天主に対しなされました。

 

「すべては私がどう感じるかによるのだ」(スターホーク)。そうです、女神信仰というのは私のフィーリング、私が自分でこしらえた‟神”概念に対する崇拝ですから、突き詰めてゆくとそれは——どんなに学術的で高尚な響きで装飾されていたにせよ——、結局は‟女神像”に投影された自我の崇拝、隠れしエゴの高揚ということになるのではないでしょうか。

 

そして聖書の神は、ご自身に向けられていないそのような種類の崇拝を「偶像礼拝」として忌み嫌われ、人々が心を低くし、悔い改め、主イエス・キリストに立ち帰るよう促しておられます。

 

21 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。

22 彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、

23 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。

24 ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。

25 彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アーメン。

ローマ1章21-25節

 

どうか私たちの神礼拝が正道に戻されることにより、不朽の神の栄光が全地に輝きますように。聖なるキリストの教会に勝利がもたらされますように。マラナタ。

 

ー終わりー

*1:ドイツ教会司教会議が過去数十年に渡り、2600万ユーロ以上の資金を「解放の神学」普及のために提供してきた事実は私たちに何を物語っているのだろう?

www.lifesitenews.com

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

*2:小松 p. 34.

*3:小松 p. 34.

*4:

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なぜGodという語を使わなくなったかという問いに対し、デイリーは「この語から男性的イメージを取り除くことは不可能だと悟ったから」と記し、次のように述べています。

「Godという語が、父権制・家父長制という死体愛を表しているのに対し、Goddess(女神)は、女性や自然における、生命に満ちた存在を肯定している。」 Mary Daly, Gyn/Ecology

また主権は神ではなく、あくまで人間にあるということを次のように説きました。

「初めにことばがあった(ヨハネ1:1)のではない。初めに、聞くという行為があったのだ。」 

「彼女、そうまさしく彼女だけが、どの位、またどんな方法で、旅路をするか(できるか)を決定することができる。彼女、そう彼女だけが、自分自身の行程の奥義を悟ることができ、他の女性たちとのつながりを発見することができるのである。」Mary Daly, Gyn/Ecology, p. xi, xiii, 424.

*5:

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『Pure Lust(清い情欲)』という著書において、デイリーは「情欲という伝統的大罪」のコンセプトを逆転させることを試みました。彼女は言います。 

「男性的情欲が、憎しみの強迫観念であるのに対し、『清い情欲』というのは『力強く、生命を肯定する力』であり、それは女性たちを『自然において、そして自己において野生と結び付ける』良いものである。だから、女性たちよ、全ての抑制を取り払いなさい。モラルや霊性や倫理という枷をはずしなさい。そしてユダヤ・キリスト教的父権制というシステムに反旗をひるがえしなさい。それが肉体的快楽(セクシュアリティ・同性愛)であれ、霊的経験(魔術・異教崇拝)であれ、あなたは自由にそこに没入することができます。」Pure Lust, p.1-3

そして次の著作では、キリストの受肉を次のように定義するところまで彼女はラディカル化していきました。

受肉=最高に理想化された男性の性的幻想。至高のキリスト教ドグマとして普及している。聖母マリアの神秘主義的〈超〉レイプであり、これは全ての事物を表している。つまり、全ての女性及び全ての事象への強姦に対する象徴的合法化である。」Mary Daly, Webster's First New Intergalatic Wickedary of the English Language, p.78

*6:小松 p. 35参

*7:小松 p. 35参

*8:小松 p. 35参。スターホーク著『聖魔女術』国書刊行会、1994年

*9:Melissa Raphael, Introducing Thealogy (Introductions in Feminist Theology), 1999.

*10:小松 p. 36参。

*11:小松教授はNew paganismを「新ペイガニズム」と表記された上で次のような注釈をしておられます。「paganismは異教主義などと訳されることもあるが、ユダヤ・キリスト教から見た否定的な意味を示すことが多い。本論文では、マーガレット・アドラーと同様に、ユダヤ・キリスト教に対するものと等しく、宗教的な実践をしている人たちをペイガンと呼ぶことにした。ペイガニズムとニューペイガニズムを区別することもあるが、ここでは、ユダヤ・キリスト教以前の宗教に基づくと考えられている自然宗教(nature religions)を指すものとする。」

小松教授の立っておられる見地に敬意を示しつつも、私は「ユダヤ・キリスト教から見た否定的な意味を示す」いわゆる従来の意味における「異教主義」という訳語を引き続き本ブログ内で使っていきます。

*12:小松 p.37参。

*13:小松 p. 42参。

*14: 

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リューサーは、「女性教会」(フェミニスト典礼コミュニティー)という新しい女性共同体を提案・創設しています。新入会者のイニシエーションでは、例えば、会衆一同次のように連祷し、「父権制」という悪しき力や権勢を追い払います。
「われわれ人類を腐敗させた力よ。男たちを支配の道具と変貌させ、女性たちを恭順の道具となさしめた力よ、われわれから去れ!」
そして各フレーズごとに鈴が鳴らされます。祓魔(ふつま)式が終わると、新入会者の舌に塩が塗られます。そして一同は外の庭にあるプールに厳かに進み出ます。新入会者はそこで真っ裸になり、プールの中に入ります。そしてそこで三回、身を沈めるのです。(これが「洗礼」の儀式。)
またエウカリスチアにおいて、リューサー女史は、「リンゴの祝福」という儀式を加えています。その理由を女史はこう説明しておられます。
「この無垢にして良い果物は、馬鹿げたことに、悪のシンボル、そして悪の源として、女性を非難するものへと変わってしまったからです。」
さらに儀式のマニュアルには次のような説明がなされています。
「リンゴの祝福:これは意識高揚のためのリンゴです。偽りの意識を私たちの目から落としましょう。こうして私たちは真偽および善悪を正しく名づけることができるようになるのです。」

*15:小松 p. 43参照. Rosemary Radford Ruether, Goddesses and the Divine Feminine: A Western Religious History, p.296-297.

www.religion-online.org

ローズマリー・リューサー著『ガイアと神——大地の癒しに関するエコ・フェミニスト神学』(1994年)

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↑ ガイア女神