目次
- 聖書論とキリスト論
- 神的エネルゲイアーー「ロゴイ(logoi )」
- シネルギア(協働;synergy)に関する正教理解
- 神のエネルゲイアと終末(eschaton)
- 聖書の霊感
- 聖書の歴史的信憑性
- 第一番目の欠陥――神の包括的摂理に関する理解不足
- 第二番目の欠陥――万人救済説の偽
- 包括的霊感
- キリスト論と無誤性は対立ではなく相補的
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Fr. John Whiteford, Allegorical Interepretations of Scripture?, Orthodox Christianity, 2015(拙訳)
最近、当該サイトにおいて、私たちはジョン・A・ペック神父「聖書における四通りの意味(The Four Senses of Scripture)」という記事を掲載しました。本記事においては、ジョン・ホワイトフォード神父が、その中でも特に、――さまざまな西方キリスト教諸伝統に属している多くの現代クリスチャンによってしばし拒絶されていますが――新約聖書および教父的伝統において用いられているこのアレゴリカル(寓意的、寓喩的)解釈における意味について言及しています。
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1 わたしは夜、床の上で、わが魂の愛する者をたずねた。わたしは彼をたずねたが、見つからなかった。わたしは彼を呼んだが、答がなかった。
2 「わたしは今起きて、町をまわり歩き、街路や広場で、わが魂の愛する者をたずねよう」と、彼をたずねたが、見つからなかった。
3 町をまわり歩く夜回りたちに出会ったので、「あなたがたは、わが魂の愛する者を見ましたか」と尋ねた。
4 わたしが彼らと別れて行くとすぐ、わが魂の愛する者に出会った。わたしは彼を引き留めて行かせず、ついにわが母の家につれて行き、わたしを産んだ者のへや にはいった。
5 エルサレムの娘たちよ、わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、あなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すこと も、さますこともしないように。雅歌3章1-5節
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Micahel Lofton, A Call to Use Equal Weights, Reason and Theology, 2019.(拙訳)
「偽りの天秤を主は厭い、十全なおもり石を喜ばれる。」箴言11章1節
聖書はしばし、商いにおいて私たちが均等なおもりや測定器を使用する必要性について語っています。私たちが実直であるためにです。これは無くてはならない大切な掟です。というのも、人は、より多くの利潤を得ることに目がくらみ、品物の重さを計るはかりを変えたいという誘惑に陥りやすいからです。主はそのような不正直さを嫌悪され、イスラエルの民とご契約を確立された際、民により高次の倫理基準(実直さ)を要求されたのです。
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