巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

魂〔花嫁〕の憧憬(by ニュッサの聖グレゴリオス、『雅歌注解』)

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1 わたしは夜、床の上で、わが魂の愛する者をたずねた。わたしは彼をたずねたが、見つからなかった。わたしは彼を呼んだが、答がなかった。

2 「わたしは今起きて、町をまわり歩き、街路や広場で、わが魂の愛する者をたずねよう」と、彼をたずねたが、見つからなかった。

3 町をまわり歩く夜回りたちに出会ったので、「あなたがたは、わが魂の愛する者を見ましたか」と尋ねた。

4 わたしが彼らと別れて行くとすぐ、わが魂の愛する者に出会った。わたしは彼を引き留めて行かせず、ついにわが母の家につれて行き、わたしを産んだ者のへや にはいった。

5 エルサレムの娘たちよ、わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、あなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すこと も、さますこともしないように。雅歌3章1-5節

 

魂〔花嫁〕は、愛する人のことばを聞いて外に出ます。しかし捜し求めても、その人は見つかりません。愛する人の名を呼んでも、その人のもとにたどり着くことはできません。そして花嫁は、夜回りたちから教えられるのです。愛する人は手の届かぬ所にいて、彼女は捉えがたきものを恋い焦がれているのだと。こうして花嫁は、恋い焦がれるものを捉えられない失望の思いによって、いわば打ちのめされ、傷ついてしまいます。麗しき人を恋い焦がれる思いは、満たされることも充足されることもないことを知ってしまうのです。

 

しかし、その悲しみの被衣(かずき)も、ひとつのことを知ったとき取り除かれます。絶えず探求し続けること、決して上昇をやめないこと、これこそが、恋い焦がれるものの真の享受に他ならないのだ、恋い焦がれる思いが満たされるその場所ではさらに上なるものを恋い焦がれる思いが常に生ずるのだ、このことを知った時です。

 

このようにして、失望の被衣は引き裂かれます。花嫁は、愛するものの麗しさが際限なきものであり、捉えがたいものであることを知ります。愛するものの麗しさが永遠に増し加わってゆくことを見いだします。こうして花嫁は、さらに激しい憧れの想いに身を焦がしつつ、エルサレムの娘たちを介して、想いのたけを愛するひとに伝えるのです。「わたくしは、神の特別の矢を心に打ち込まれ、信仰の的を貫いて打ち込まれ、愛の矢で深手を負っています」(雅歌5:8)と。そして、愛こそが神なのです。(ヨハネ4:8)。

ニュッサの聖グレゴリオス『雅歌注解』第12巻