巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

カトリック改宗か正教改宗かの最終判断はやはり一筋縄ではいかない。(その2)

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さあ、どちらに向かうべきか。参ったなあ。どうしよう。(出典

 

Pints With Aquinas #194 | Fr. Michael O'Loughlin, 2020. (コメント欄抄訳)

 

 

ジョセフ・トゥイーデール:東西教会の再統合に関し、正教徒として、正直に申し上げます。現在のローマが正教内部の裁定に関わることに私たち正教クリスチャンが信頼を置くことは非常に困難であると。さらに最近のパチャママ騒動や性的虐待スキャンダルの多発でその溝は一層深まりました。私たちも再統合を望んでいますが、統合するなら、健全な教会と統合したいです。

 

ケニー・ホワイト:正教会の洗礼準備生になることを真剣に考えている者として一言シェアさせてください。求道者の立場から現在の正教会とローマ・カトリック教会をみた場合、前者が後者よりも桁違いに健全であるとはちょっと言えない気がします。東方正教会は本来一つにまとまっているべきなのでしょうが、実際には一致からはほど遠いところにあります。そしてこの一致のなさが、ローマ教会と正教諸教会との対話進展の大きな障害になっていると思います。米国ではそれなりに皆が皆に対してフレンドリーですが、海外でもそうであるかといったら必ずしもそうであるとは言えません。東方正教は全正教公会議を開催することすらできません。なぜなら、ウクライナが参加するなら、ロシア正教会は参加を拒むからです。こういった種類のことで私は心を悩ませており、それが東方正教会改宗への私の情熱を冷却させる一因となっています。

神学や伝統のラインで考えますと、私は東方キリスト教伝統の方にずっと愛着を覚えています。実際、正教の霊性により私はとてつもない祝福を受けています。でも、教会論的にどうかと言われたら・・・・うーん、ちょっと分かりません。教皇を取り巻く状況は滅茶苦茶ですが、セルビアをはじめとする多くの場所においても主教のことで問題があります。米国内においてでさえ、「一都市に一主教」という教会法令があるにも拘らず、中型都市である私の街には5つ以上の教会管轄区が混在するのです。他の人々により、「きれいに統合された生き生きした正教会」という美しいイメージを吹き込まれてきましたが、表面下にあるものを凝視する中で、私は思ったのです。私たちは幻惑から目覚め、再統合を妨げるものとして正教側にも失敗があることを潔く認めるべきだと。

ええ、勿論、ローマは混乱しています。その有様は惨憺たるものだといっても過言ではないと思います。しかしそうだからといって、東方正教側のホームが、均衡とれ一つにまとまった美しいおとぎの国であるかというとそうではありません。私は新参者であり、無知な者ですが、私たちは東西どちら側にいても再統合に向けた自分たち自身の役割を自省的に捉え、そこを強調することがとても大切だと思います。「まず自分の目から梁を取のけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からもちりを取り除くことができます」(マタイ7:5)。

最終的にどちらの教会に落ち着くことになるのか今のところ分かりませんが(おそらく東方正教になるとは思いますが。。)、どちらに改宗するにしても、私は東西教会の和解に心を砕いている司教の元で信仰生活を送れたらと思っています。無意味な相手の揚げ足取りと内紛の苦味はプロテスタント時代にもう十分すぎるほど味わってきましたのでもう勘弁してほしいです。ですから将来の行先では、それがどんなに困難かつ不可能な試みにみえても、一歩一歩和解に向けた諸解決を探求し、それに尽力している教区の一員になりたい、そう願ってやみません。


ー終わりー

 

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