目次
- 訳者はしがきーーAD2世紀:十字架を忍ぶ教会
- イグナティオスによる序文
- 第1章 囚人として、私はあなたがたに会いたい
- 第2章 殉教の道から私を「救い出そう」としないでほしい
- 第3章 真のキリスト者として見いだされたい!
- 第4章 純粋なキリストのパンとして
- 第5章 死を望みつつ
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礼拝の中における信仰の良心を守るべく、山中での集会を余儀なくされた英国の非国教徒たち。17世紀。(引用元)
Greg Price, Foundation for Reformation: The Regulative Principle of Worshipより抄訳
キリスト教会は、これまで何百年に渡り、礼拝に関する二つの根本的な問いを巡って議論し続けてきました。
最初の問いは、「いかにして神は礼拝をお受けになるのか?」です。つまり、神に礼拝を捧げるにあたり、何が適切にして主に受け入れられるあり方なのかという問いです。地上の諸王に関してでさえ、彼らに謁見する際には、なにがしかの「儀典・作法("protocol")」が守られなければなりません。
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R・B・カイパー著、山崎順治訳『聖書の教会観―キリストの栄光のからだ―』より抜粋
The Glorious Body of Christ: Unity and Division by R. B. Kuiper (1886-1966)
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キリストの教会の霊的一致は、否定できない現実です。それは一つのからだ、すなわちキリストの神秘的な唯一のからだです。
この霊的個体性である一致を破るものは何もありません。ほとんど無数に近い分派と教派に分かれた、外見的に絶望的な教会の分離ですらも、それを破ることはできません。一方、教会の現在の分割が、その一致をはななだしく〈不鮮明〉にしていることも認めなければなりません。それは、悲しい事実です。教会は、この悪をいやすために、打って一丸となって努力すべきではないでしょうか。
これに対して、要約すると三つの姿勢があります。それは、①極端な教派主義(Extreme Denominationalism)、②極端な合同主義(Extreme Unionism)、③現実主義的理想主義(realistic idealism)の三つです。
続きを読むR・B・カイパー著、山崎順治訳『聖書の教会観―キリストの栄光のからだ―』より抜粋
The Glorious Body of Christ: Unity and Diversity by R. B. Kuiper (1886-1966)
R.B. Kuiper
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数年前、ウェンデル・ウィルキーが「世界は一つ」と題するベスト・セラーとなった書物を書きました。それは、全世界の平和共存を説いていました。彼の願望は、まことに賞賛に価するものでしたが、その著は単純すぎて、皮相的な楽観主義のそしりを免れませんでした。彼は、全般的に言って、人間性の腐敗を十分に認識していません。特に、マルクスの共産主義の無神論を考慮に入れていません。今日、世界は一つになることから遠く離れています。聖書は、神が新天新地をたてられる時まで一つになることはない、と語ります。
キリスト教会の現状も、ほとんど世界のそれと同じように、哀れな有様に見えます。すべて見たところ、それは、内輪もめして引き裂かれた家のようです。ポーチから落ちて、粉々に砕けた、美しい植木鉢のようです。爆撃で破壊され、がれきの山となってしまった大建築のようです。
信じられないと思われるかもしれませんが、イエス・キリストの教会は、現実に一つです。
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先日の記事に関し、親愛なる姉妹の方から、次のような真摯なご質問を受けました。
「私の母教会もワーシップによる賛美のみを歌っていたので、私は讃美歌を全く知らないのです。ワーシップは全て駄目なのでしょうか?ワーシップの部類は全てNGだと思われますか?やはり讃美歌を覚えて賛美歌のみを歌った方がいいのか思案しています。けれど旧約聖書のどこかに『新しい賛美を歌え』というような言葉があって、ワーシップの中にもセーフのものもあるのではないかとも思います。その線引きはどのようにしたらいいのか教えて頂けたら嬉しいです。」
主に喜ばれる礼拝がどのようなものであるかを探求していらっしゃる兄弟姉妹のみなさんと共に、このように共に問題に向き合い、考察し、タックルすることができる恵みを感謝します。
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