巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

イグナティオスによるローマ人への手紙【AD2世紀前半】第1章~第5章――死の彼方を展望しつつ

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 目次

  • 訳者はしがきーーAD2世紀:十字架を忍ぶ教会
  • イグナティオスによる序文
  • 第1章 囚人として、私はあなたがたに会いたい
  • 第2章 殉教の道から私を「救い出そう」としないでほしい
  • 第3章 真のキリスト者として見いだされたい!
  • 第4章 純粋なキリストのパンとして
  • 第5章 死を望みつつ

 

6章はココ。7章はココ。8章ー最終章はココ

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宗教改革の土台――礼拝における規制原理(Regulative Principle of Worship)について

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礼拝の中における信仰の良心を守るべく、山中での集会を余儀なくされた英国の非国教徒たち。17世紀。(引用元

 

Greg Price, Foundation for Reformation: The Regulative Principle of Worshipより抄訳

 

 

キリスト教会は、これまで何百年に渡り、礼拝に関する二つの根本的な問いを巡って議論し続けてきました。

 

最初の問いは、「いかにして神は礼拝をお受けになるのか?」です。つまり、神に礼拝を捧げるにあたり、何が適切にして主に受け入れられるあり方なのかという問いです。地上の諸王に関してでさえ、彼らに謁見する際には、なにがしかの「儀典・作法("protocol")」が守られなければなりません。

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キリスト教礼拝のあり方はそもそも誰が、何を基準に決めるのでしょうか。――私の探求

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Puritan Worship(引用元

 

キリスト教礼拝のあり方はそもそも誰が決めるのでしょうか。神(ロゴス)でしょうか、それとも、人間でしょうか。そして何を基準にそれらは決定・是認・導入、あるいは拒絶されるのでしょうか。また、導入されたものが、信者の良心につまずきを与える時、個人や教会はどのような対応をすることが望ましいのでしょうか。

 

自分の人生の中、そして周囲で起こっているさまざまな出来事を通し、私の中でこういった素朴な問いが芽生えてきました。

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キリストの栄光のからだ ②――その「一致」と「分離」(R・B・カイパー)

 

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R・B・カイパー著、山崎順治訳『聖書の教会観―キリストの栄光のからだ―』より抜粋

The Glorious Body of Christ: Unity and Division by R. B. Kuiper (1886-1966)

 

目次

  • 極端な教派主義(Extreme Denominationalism)
  • 極端な合同主義(Extreme Unionism)

 

キリストの教会の霊的一致は、否定できない現実です。それは一つのからだ、すなわちキリストの神秘的な唯一のからだです。

 

この霊的個体性である一致を破るものは何もありません。ほとんど無数に近い分派と教派に分かれた、外見的に絶望的な教会の分離ですらも、それを破ることはできません。一方、教会の現在の分割が、その一致をはななだしく〈不鮮明〉にしていることも認めなければなりません。それは、悲しい事実です。教会は、この悪をいやすために、打って一丸となって努力すべきではないでしょうか。

 

これに対して、要約すると三つの姿勢があります。それは、①極端な教派主義(Extreme Denominationalism)、②極端な合同主義(Extreme Unionism)、③現実主義的理想主義(realistic idealism)の三つです。

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キリストの栄光のからだ ①――その「一致」と「多様性」(R・B・カイパー)

R・B・カイパー著、山崎順治訳『聖書の教会観―キリストの栄光のからだ―』より抜粋

The Glorious Body of Christ: Unity and Diversity by R. B. Kuiper (1886-1966)

 

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R.B. Kuiper

 

目次

  • 一つの教会
  • 多くのかたち

 

数年前、ウェンデル・ウィルキーが「世界は一つ」と題するベスト・セラーとなった書物を書きました。それは、全世界の平和共存を説いていました。彼の願望は、まことに賞賛に価するものでしたが、その著は単純すぎて、皮相的な楽観主義のそしりを免れませんでした。彼は、全般的に言って、人間性の腐敗を十分に認識していません。特に、マルクスの共産主義の無神論を考慮に入れていません。今日、世界は一つになることから遠く離れています。聖書は、神が新天新地をたてられる時まで一つになることはない、と語ります。

 

キリスト教会の現状も、ほとんど世界のそれと同じように、哀れな有様に見えます。すべて見たところ、それは、内輪もめして引き裂かれた家のようです。ポーチから落ちて、粉々に砕けた、美しい植木鉢のようです。爆撃で破壊され、がれきの山となってしまった大建築のようです。

 

一つの教会

 

信じられないと思われるかもしれませんが、イエス・キリストの教会は、現実に一つです。

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「CCM賛美に問題があるのなら、ワーシップの部類は全てNGなのでしょうか?」というご質問を受けて。――礼拝賛美についての一考察

目次

  • はじめに
  • 賛美の本質 
  • 踊り
  • 線引きと識別
    • 立場① Yes, Music is Amoral(=音楽は道徳性とは無関係である)の代表的見解の一例
    • 立場② Music is Moral(=音楽は道徳性と関係がある)の代表的見解の一例
  • おわりに
  • 追加資料
    • Music and Your Church(音楽と教会)
    • The Rhythm of Rock(ロックのリズム)
  •  関連記事
  • 追加資料2
    • Syncopated Dance Rhythm(シンコぺートされたダンスのリズム)
    • Unresolving Chord Cadence(宙に浮いた音楽コード)
    • Sensual Vocal Styles(肉感的ボーカル・テクニック)
    • Electronic Modulation(エレクトロニックな転調)
    • The Rise and Fall of the Intensity of the Music(激しい上がり下がり)
    • Repetition(反復)
    • WARNINGS ABOUT ADAPTING CONTEMPORARY PRAISE MUSIC INTO FUNDAMENTALIST CHURCHES
    • PLENTY OF EXCELLENT SACRED MUSIC AVAILABLE

 

 

先日の記事に関し、親愛なる姉妹の方から、次のような真摯なご質問を受けました。

 

「私の母教会もワーシップによる賛美のみを歌っていたので、私は讃美歌を全く知らないのです。ワーシップは全て駄目なのでしょうか?ワーシップの部類は全てNGだと思われますか?やはり讃美歌を覚えて賛美歌のみを歌った方がいいのか思案しています。けれど旧約聖書のどこかに『新しい賛美を歌え』というような言葉があって、ワーシップの中にもセーフのものもあるのではないかとも思います。その線引きはどのようにしたらいいのか教えて頂けたら嬉しいです。」

 

はじめに

主に喜ばれる礼拝がどのようなものであるかを探求していらっしゃる兄弟姉妹のみなさんと共に、このように共に問題に向き合い、考察し、タックルすることができる恵みを感謝します。

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