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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

愚弄される「神の子イエス」と、敬われる「預言者イエス」

イスラム教徒の方々と接していて、「ああ、太刀打ちできない」と心に呻きを感じることが最近ますます多くなってきました。何に太刀打ちできないと感じているかといいますと、それは、聖なる神に対する彼らの真正なる恐れと畏敬の念に対してです。

 

私たちキリスト者にとってイエスは偉大なる神の御子です。その一方、イスラム教徒にとっては、イエスは預言者の一人に過ぎません。しかしながら現実を見ますと、皮肉なことに、近年、「神の子イエス」と「イエスのみことばの権威」が、神の民であるクリスチャンの間でないがしろにされ、ますます軽視傾向にあるのに対し、「預言者イエス」は、依然として非キリスト教徒(ムスリム)の間で重んじられ敬意をもって取り扱われています。

 

神を畏れるイスラム教徒は、敬意を込め、イエスの名の前に必ず尊称hazratをつけ、「ハズラテ・イッサー」と呼びならわします。そしてたといその人自身はクリスチャンでなくても、預言者イエスのことが書かれている聖典だからということで、彼らの多くは聖書を部屋の中で一番高く清潔な場所に置こうと努め、聖書を開く前にもうやうやしく本の扉に口づけします。

 

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میلاد حضرت عیسی ابن مریم سلام الله علیه مبارک

イスラム教のサイト。マリヤの子ハズラテ・イッサー(hazrat-e Issa b'n Maryam)に関する記事ですが、「預言者イエス」に対する非常におごそかな敬意が文面全体に表れています。(引用元

 

 

その一方、「神の子イエス」とイエスのみことばは、ミュージカルや礼拝の場で公然と愚弄され、権威を侮る神学者たちによって改変され、好き勝手にあしらわれています。

 

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Hosanna! Jesus Christ Superstar Revival. ブロードウェイのミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」(引用元

 

 

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 Crucified Christa embodies female Christ. エドウィナ・サンディーズによる女性イエス("Christa”) の十字架像(引用元)*インタビュー記事はココ。関連記事:次なるステップ――「神、われわれの御母!」【福音主義教会の大惨事】 - 巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

 

 

"How Great is Our God"などの作曲で有名なCCMゴスペル・シンガー Chris Tomlinの賛美コンサートの様子

 

イザヤ52:5b

わたしの名は一日中絶えず侮られている

 

ここの「侮られている」は七十人訳でβλασφημειται(<βλασφημω, blasphémeó)と訳されており、英語のblasphemy(神への冒涜、冒涜的な言動)はこのギリシャ語に由来しています。

 

blasphémeó

① ののしる、悪口を言う、悪駕する、侮辱的な言葉を浴びせる。

② (神または聖なるものへの罵りの形で)冒涜的な言葉を吐く、(神を)冒涜する、(神をけがす)〔織田〕

  

新約聖書の中でも、この語 blasphémeóは頻用されています。

 

マタイ27:39

道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって(ἐβλασφήμουν)言った。

 

マルコ3:29

しかし、聖霊をけがす(βλασφημήσῃ)者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。

 

ルカ22:63-65

さて、イエスの監視人どもは、イエスをからかい、むちでたたいた。そして目隠しをして、「言い当ててみろ。今たたいたのはだれか。」と聞いたりした。また、そのほかさまざまな悪口をイエスに浴びせた(βλασφημοῦντες)。

 

ローマ2:24

これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている(βλασφημεῖται)。」と書いてあるとおりです。

 

1テモテ1:19,20

ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。その中には、ヒメナオとアレキサンデルがいます。私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないこと(μὴ βλασφημεῖν)を、彼らに学ばせるためです。

 

イスラムの脅威がさかんに叫ばれています。しかし私はイスラムの脅威よりもむしろ、キリスト教会「内」のblasphemyに一層の脅威を覚えています。

 

なぜなら、外からの攻撃に対しては、ヨシャパテ王のように(2歴代誌20章)、ヒゼキヤ王のように(2列王記19章)、私たちは主なる神に助けを求め、「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである」(2歴20:15b)という神の力強い御約束と御手に寄り頼むことができるのに対し、神の民の、主に対するblasphemy行為は常に私たちを敗北と荒廃そして敵からの蹂躙・略奪に追いやることが聖書に明示されていると思うからです(士師記等参照)

 

神のご人格や属性に対する低い見方、フラットで浅く、神への恐れに欠く霊性やエンターテイメント化した不遜な礼拝は、キリスト教会を内側から弱体化させ、こうして主の契約の箱が陣営にあったにもかかわらず、「神を恐れる」ペリシテ人によって無残に打ち負かされたイスラエルの民の惨劇が現代にも繰り返されるのではないかと私は憂い恐れています。

 

 

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1サムエル記4:5-11

5 主の契約の箱が陣営に着いたとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。

6  ペリシテ人は、その歓声を聞いて、「ヘブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう。」と言った。そして、主の箱が陣営に着いたと知ったとき、

7  ペリシテ人は、「神が陣営に来た。」と言って、恐れた。そして言った。「ああ、困ったことだ。今まで、こんなことはなかった。

8  ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれよう。これらの神々は、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。

9  さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」

10  こうしてペリシテ人は戦ったので、イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた。そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。

11  神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ。

 

新改訳聖書の註解には、「神の箱が奪われること」すなわち、神の臨在の象徴が奪われることは、神の保護、祝福、契約も取り去られることを意味した、と記されています。

 

どうか私たちの教会の聖所が清められ、三位一体の神および聖書のみことばに対する畏敬と崇敬の念が回復されますように。主の聖なる御名があがめられますように。

 

エゼキエル36:21-23(汚された主の名の回復)

21 わたしは、イスラエルの家がその行った諸国の民の間で汚したわたしの聖なる名を惜しんだ

22  それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。イスラエルの家よ。わたしが事を行なうのは、あなたがたのためではなく、あなたがたが行った諸国の民の間であなたがたが汚した、わたしの聖なる名のためである

23  わたしは、諸国の民の間で汚され、あなたがたが彼らの間で汚したわたしの偉大な名の聖なることを示す。わたしが彼らの目の前であなたがたのうちにわたしの聖なることを示すとき、諸国の民は、わたしが主であることを知ろう。――神である主の御告げ。――