巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

イグナティオスによるローマ人への手紙【AD2世紀前半】第1章~第5章――死の彼方を展望しつつ

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 目次

 

6章はココ。7章はココ。8章ー最終章はココ

訳者はしがきーーAD2世紀:十字架を忍ぶ教会

 

AD2世紀ーー十字架を忍ぶ教会


アンティオキアのイグナティオス(Ιγνάτιος Αντιοχείας, 35年頃 - 107年頃殉教)は、アンティオキア教会の牧者であり、使徒教父(apostolic fathers)の一人です。使徒ヨハネの直弟子でもあります。

彼は若い時期にイエス・キリストに信仰を持ち、ローマ皇帝がネルヴァからトラヤヌスに変わった頃(98年)に、アンティオキア教会の第二代目の司教になりました。

この時期を境に――つまり2世紀に入ると――、ローマ帝国によるキリスト者迫害は、組織的なものとなり、丸山忠孝は2世紀を「十字架を忍ぶ教会」と呼んでいます。

「1世紀の迫害はひどいものであったといっても、単発的であり思い付き的なものであったが、2世紀の迫害は明確に帝国の政策としての組織的迫害となったからである。」
古代教会史ノート5 帝国による組織的迫害――2世紀から3世紀前半より 

 

トラヤヌス帝(在位980117年)による迫害

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トラヤヌス帝

この時期には、都市・農村、年齢・階級を問わず、男女キリスト教徒がどんどん増加していきました。トラヤヌス帝とビテニアの監督プリニウスの『往復書簡』を読むと、「クリスチャンが大変な勢いで増加していますが、彼らへの訴えをどう処理したらよろしいでしょうか?」とプリニウスは皇帝に相談しています。

それに対し、トラヤヌス帝は、「積極的にわざわざ手間をかけてキリスト教徒を捜し出すことはしなくてもいいが、もし訴えられた彼らが、神々と皇帝への礼拝を拒み、棄教を拒むならば、彼らを処刑せよ」という伝達文を出しました。


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トラヤヌス帝時代のローマ帝国


イグナティオスの手紙

 

こうしてトラヤヌス帝の大迫害の時期に、アンティオケア教会のイグナティオスも捕えられ、コロッセウムの円形闘技場で野獣に裂き殺され、処刑されるべく、ローマに送還されることになりました。


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その送還途中、イグナティオスは、教会に宛て、7通の手紙を書きました。

①Προς Εφεσίους エペソ人への手紙
②Προς Μαγνησιείς マグネシア人への手紙
③Προς Τραλλιανούς トラリア人への手紙
④Προς Ρωμαίους ローマ人への手紙
⑤Προς Φιλαδελφείς フィラデルフィア人への手紙
⑥Προς Σμυρναίους スミルナ人への手紙
⑦Προς Πολύκαρπον ポリュカルポスへの手紙

今回、私が翻訳しようとしているのは、④の〔イグナティオスによる〕ローマ人への手紙です。この手紙は、はしがき、そして、それに続く比較的短い10章から成っています。

 

なんとかイグナティオスの命を救おうと、この時期、ローマの教会のクリスチャンたちが助命運動をしていたようです。それを聞いたイグナティオスは、手紙の中で、「むしろ私が殉教の道を全うできるよう祈ってほしい」と嘆願しています。


1世紀のクリスチャンの信仰がどのようなものであったのか、彼の手紙の一言一言からそれが伝わってきます。これから少しずつ訳していけたらと思っています。どうか私たちもまた、この手紙から励ましを受けることができますように!


*原文の写本には少しvariationがあるようですが、私が使っているのは、この原文です。
Προς Ρωμαίους Επιστολή Αγίου Ιγνατίου του Θεοφόρου

また現代ギリシャ語訳では、
Κείμενο σε μετάφραση στη νεοελληνική, εκδόσεις ΕΠΕ

英訳では、

1.Maxwell Staniforth, The Apostolic Fathers Early Christian Writings, Penguin Classics, 1968 [Reprinted with new editorial material by Andrew Louth, 1987]

2. The Epistle of Ignatius to the Romansを参照しています。



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の点線は、推定される、イグナティオスの送還ルートです。(一番右側にみえるAntiochからイタリアのRomeまで。)

 

 

イグナティオスによる序文

 

セオフォロスとも呼ばれているイグナティオスから、いと高き御父の威光とひとり子イエス・キリストにより、憐れみを受けている教会へ。

 

教会――それは、主のみこころにより愛され光を受けており、私たちの神であるイエス・キリストの愛により、すべてのことをなさんとしています。

 

[そして、この〕教会はローマ人の住む地域に立っていますが、それは神性と栄誉と至高なる幸いと賛美とあらゆる願いを受けるにふさわしく、そして聖いものであるとみなされるにふさわしく、愛の上に立っています。

 

また教会は、キリストおよび御父より名づけられており、私もまた、御父の子であるイエス・キリストの御名によってみなさんにごあいさつ申し上げます。

 

肉においても霊においても、主のすべての掟において一致し、神の恵みに密に満たされ、あらゆる汚れから清められているみなさんへ。私たちの神、イエス・キリストにあって非難するところなき大いなる喜びがありますように。

 

序文(原文)

Ἰγνάτιος, ὁ καὶ Θεοφόρος, τῇ ἠλεημένῃ ἐν μεγαλειότητι πατρὸς ὑψίστου καὶ Ἰησοῦ Χριστοῦ τοῦ μόνου υἱοῦ αὐτοῦ ἐκκλησίᾳ ἠγαπημένῃ καὶ πεφωτισμένῃ ἐν θελήματι τοῦ θελήσαντος τὰ πάντα, ἃ ἔστιν, κατὰ ἀγάπην Ἰησοῦ Χριστοῦ, τοῦ θεοῦ ἡμῶν, ἥτις καὶ προκάθηται ἐν τόπῳ χωρίου Ῥωμαίων, ἀξιόθεος, ἀξιοπρεπής, ἀξιομακάριστος, ἀξιέπαινος, ἀξιοεπίτευκτος, ἀξιόαγνος καὶ προκαθημένη· τῆς ἀγάπης, χριστώνυμος, πατρώνυμος, ἣν καὶ ἀσπάζομαι ἐν ὀνόματι Ἰησοῦ Χριστοῦ, υἱοῦ πατρός· κατὰ σάρκα καὶ πνεῦμα ἡνωμένοις πάσῃ ἐντολῇ αὐτοῦ, πεπληρωμένοις χάριτος θεοῦ ἀδιακρίτως καὶ ἀποδιϋλισμένοις ἀπὸ παντὸς ἀλλοτρίου χρώματος πλεῖστα ἐν Ἰησοῦ Χριστῷ·, τῷ· θεῷ· ἡμῶν, ἀμώμως χαίρειν.

  

第1章 囚人として、私はあなたがたに会いたい

 

神への祈りを通し、ついに念願であった、あなたがたとの対面が実現しただけでなく、私の求めていた以上のことさえ与えられました。

 

キリスト・イエスの囚人として、私はあなたがたにごあいさつ申し上げたいのです。――もし本当に最後まで[信仰を]全うするに値するというのが私に対する神のみこころであるなら。

 

そして、もし本当に妨げられることなく最後までわが行程を全うする恵みを得ることができるなら、出だしはよく整えられているのです。

 

しかし私はあなたがたの愛を恐れています。それがかえって私に害を及ぼすのではないかと思って。というのも、あなたがたにとってご自分の望むところを成し遂げるのはたやすいことでしょうが――もしもあなたがたが私の命を救おうとするのなら――、私にとって、神に達することはかえって困難になってしまうからです。

 

第1章原文

I
1 Ἐπεὶ εὐξάμενος θεῷ· ἐπέτυχον ἰδεῖν ὑμῶν τὰ ἀξιόθεα πρόσωπα, ὡς καὶ πλέον ᾐτούμην λαβεῖν· δεδεμένος γὰρ ἐν Χριστῷ· Ἰησοῦ ἐλπίζω ὑμᾶς ἀσπάσασθαι, ἐάνπερ θέλημα ᾖ τοῦ ἀξιωθῆναί με εἰς τέλος εἶναι.

2 ἡ μὲν γὰρ ἀρχὴ εὐοικονόμητός ἐστιν, ἐάνπερ χάριτος1 ἐπιτὑχω εἰς τὸ τὸν κλῆρόν μου ἀνεμποδίστως ἀπολαβεῖν. φοβοῦμαι γὰρ τὴν ὑμῶν ἀγάπην, μὴ αὐτή με ἀδικήσῃ. ὑμῖν γὰρ εὐχερές ἐστιν, ὃ θέλετε, ποιῆσαι· ἐμοὶ δὲ δύσκολόν ἐστιν τοῦ θεοῦ ἐπιτυχεῖν, ἐάνπερ ὑμεῖς μὴ φείσησθέ μου.

 

第2章 殉教の道から私を「救い出そう」としないでほしい

  

おべっかを使ってあなたがたの好意を得ようとする者ではなく、あなたがたと同様、私も神だけをお喜ばせしたいと願っています。というのも、神の御元に達することのできるこのような機会は、またとないからです。

 

あなたがたにしてもそうです。というのも、もしもあなたがたが[私の助命のために声を挙げるのではなく]、むしろ今、沈黙を保ってくださるのなら、さらに善い働きとしての誉れに与ることができるからです。

 

私に関し、あなたがたが沈黙してくださるなら、私は神のものとなることができます。しかしもしあなたがたが、私の肉体に対して愛を示すなら、私は、この地上でのレースを再び走らなければならなくなるでしょう。

 

ですから、祭壇がまだ整えられているこの期間に、私が神への犠牲として自らを差し出すことができるよう、どうかこれ以上のご親切をなさらないでくださるようお願いします。

 

そうすれば、愛のうちに集められ、あなたがたはキリスト・イエスを通して御父に賛美を捧げることができるでしょう。

 

そして、神はシリアの監督である私を、東[=アンティオケ]から西[=ローマ]まで遣わすにふさわしい者とみなしてくださるでしょう。この世に対して落陽し、神に向かうことは良いことです。――そのようにして、神の元に昇ることができるからです。

 

第2章原文

II
1 Οὐ γὰρ θέλω ὑμᾶς ἀνθρωπαρεσκῆσαι, ἀλλὰ θεῷ· ἀρέσαι, ὥσπερ καὶ ἀρέσκετε. οὔτε γὰρ ἐγώ ποτε ἕξω καιρὸν τοιοῦτον θεοῦ ἐπιτυχεῖν, οὔτε ὑμεῖς, ἐὰν σιωπήσητε, κρείττονι ἔργῳ ἔχετε ἐπιγραφῆναι. ἐὰν γὰρ σιωπήσητε ἀπ ̓ ἐμοῦ, ἐγὼ λόγος θεοῦ· ἐὰν δὲ ἐρασθῆτε τῆς σαρκός μου, πάλιν ἔσομαι φωνή.

2 πλέον μοι μὴ παράσχησθε τοῦ σπονδισθῆναι θεῷ·, ὡς ἔτι θυσιαστήριον ἕτοιμόν ἐστιν, ἵνα ἐν ἀγάπῃ χορὸς γενόμενοι ᾄσητε τῷ· πατρὶ ἐν Χριστῷ· Ἰησοῦ, ὅτι τὸν ἐπίσκοπον Συρίας ὁ θεὸς κατηξίωσεν εὑρεθῆναι εἰς δύσιν ἀπὸ ἀνατολῆς μεταπεμψάμενος. καλὸν τὸ δῦναι ἀπὸ κόσμου πρὸς θεόν, ἵνα εἰς αὐτὸν ἀνατείλω.

 

第3章 真のキリスト者として見いだされたい!

 

あなたがたは決して誰かを妬みの眼でみたことはなく、これまで他の人々に教示を与えてきました。そういった事が[あなたの行ないによって]確かなものとされ、あなたの教えによって[他の人々も]あなたの行ないに倣うようになることを望みます。

 

内的そして外的力により自分として願う唯一のことは、口先だけで言うのにとどまらず、[真に]意志し望むことです。そうすれば、私は名ばかりの「キリスト者」ではなく、実際にそのような者として見いだされることでしょう。

 

なぜなら、もし〔キリスト者として〕真に見いだされるなら、そのように呼ばれることにもなるでしょう。そして、もはや自分がこの世に姿を現さない時、その時、私は忠実な者とみなされるでしょう。

 

目に見えるものは何ひとつとして永遠ではありません。「見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」クリスチャンは説得〔の言葉〕によるものではなく、力によって生み出されます。

 

世に憎まれる時、クリスチャンは神に愛されているのです。なぜなら〔聖書は〕こう言っているからです。

 

「もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。」ですから「わたしとの交わりの内にとどまりなさい」と。

 

第3章原文

III
1 Οὐδέποτε ἐβασκάνατε οὐδενί, ἄλλους ἐδιδάξατε. ἐγὼ δὲ θέλω, ἵνα κἀκεῖνα βέβαια ᾖ ἃ μαθητεύοντες ἐντέλλεσθε.

2 μόνον μοι δύναμιν αἰτεῖσθε ἔσωθέν τε καὶ ἔξωθεν, ἵνα μὴ μόνον λέγω ἀλλὰ καὶ θέλω, ἵνα μὴ μόνον λέγωμαι Χριστιανὸς ἀλλὰ καὶ εὑρεθῶ. ἐὰν γὰρ εὑρεθῶ, καὶ λέγεσθαι δύναμαι, καὶ τότε πιστὸς εἶναι, ὅταν κόσμῳ μὴ φαίνωμαι.

3 οὐδὲν φαινόμενον καλόν· ὁ γὰρ θεὸς ἡμῶν Ἰησοῦς Χριστὸς ἐν πατρὶ ὢν μᾶλλον φαίνεται. οὐ πεισμονῆς τὸ ἔργον, ἀλλὰ μεγέθους ἐστὶν ὁ Χριστιανισμός, ὅταν μισῆται ὑπὸ κόσμου.

 

第4章 純粋なキリストのパンとして

 

私は、すべての教会に宛てて〔この手紙を〕書いており、すべての方々に使信を伝えますが、あなたがたによる妨げがない限り、私は自ら進んで神のために死のうと思っています。

 

あなたがたに嘆願します。どうか、時期に適わない好意を私に示さないでください。そして私が野獣のえじきとなるがままにさせてください。――これにより、私はついに神の元に到達することができるのです。

 

私は神の小麦であり、野獣の牙によってすりつぶされ、粉にされます。そうすることにより、私は純粋なキリストのパンとして見いだされることでしょう。

 

むしろ野獣をおびき寄せてください。そうすれば、そこが私の墓となり、わが肉体は跡形もなくなるので、〔死において〕眠りにつく時、私は誰にも迷惑をかけることがないでしょう。こうしてこの世は私の体(なきがら)を目にすることはなく、私はイエス・キリストの真の弟子になるでしょう。

 

私のために主に祈り求めてください。――これらの〔野獣という〕手段により、私が神への犠牲として見いだされんことを。私は、ペテロやパウロのように、あなたがたに掟を出しはしません。彼らは使徒たちですが、私は囚人です。彼らは自由人でしたが、私は今に至るまで奴隷です。

 

しかし、もしも苦しむなら、私はイエス・キリストにある自由人となり、主にあって解放された者として、やがて復活するでしょう。

 

今、私は主のために囚われの身となっていますが、この世のどんなものにも心惹かれない術を学んでいます。

 

第4章原文

IV
1 Ἐγὼ γράφω πάσαις ταῖς ἐκκλησίαις, καὶ ἐντέλλομαι πᾶσιν, ὅτι ἐγὼ ἑκὼν ὑπὲρ θεοῦ ἀποθνήσκω, ἐάνπερ ὑμεῖς μὴ κωλύσητε. παρακαλῶ ὑμᾶς, μὴ εὔνοια ἄκαιρος γένησθέ μοι. ἄφετέ με θηρίων εἶναι βοράν, δι ̓ ὧν ἔνεστιν θεοῦ ἐπιτυχεῖν. σῖτός εἰμι θεοῦ καὶ δι ̓ ὀδόντων θηρίων ἀλήθομαι, ἵνα καθαρὸς ἄρτος εὑρεθῶ τοῦ Χριστοῦ.

2 μᾶλλον κολακεύσατε τὰ θηρία, ἵνα μοι τάφος γένωνται καὶ μηθὲν καταλίπωσι τῶν τοῦ σώματός μου, ἵνα μὴ κοιμηθεὶς βαρύς τινι γένωμαι. τότε ἔσομαι μαθητὴς ἀληθῶς Ἰησοῦ Χριστοῦ, ὅτε οὐδὲ τὸ σῶμά μου ὁ κόσμος ὄψεται. λιτανεύσατε τὸν Χριστὸν ὑπὲρ ἐμοῦ, ἵνα διὰ τῶν ὀργάνων τούτων θυσία3 εὑρεθῶ.

3 οὐχ ὡς Πέτρος καὶ Παῦλος διατάσσομαι ὑμῖν. ἐκεῖνοι ἀπόστολοι, ἐγὼ κατάκριτος· ἐκεῖνοι ἐλεύθεροι, ἐγὼ δέ μέχρι νῦν δοῦλος. ἀλλ ̓ ἐὰν πάθω, ἀπελεύθερος γενήσομαι Ἰησοῦ Χριστοῦ καὶ ἀναστήσομαι ἐν αὐτῷ· ἐλεύθερος. νῦν μανθάνω δεδεμένος μηδὲν ἐπιθυμεῖν.

 

第5章 死を望みつつ

 

また、私はシリアからローマの全道程において、すでに陸上でも海上でも、日夜問わず、野獣たちとの闘いに置かれており、10匹の獰猛なヒョウ(つまり、兵卒たち)に束縛されています。

 

そして彼らは私が感謝をすればするほど、ますます横柄さを増していっています。それでもこういった虐待により、私は弟子としての訓練においてもう少し進歩することができているのかもしれません。とは言っても、それで私は義とされているわけではありません〔1コリ4:4〕。

 

ああ、自分のために用意されている本物のライオンたちを待望する者とされんことを。私が切に祈るのは、彼らが私を速やかに襲うことです。私はライオンたちをけしかけます。そうすると、手だしする気概のない臆病な獣とは違い、彼らは即座に私を食いちぎるでしょう。そして、もしそれでもライオンたちが躊躇しているのなら、その時、私は力ずくで彼らをけしかけるでしょう。

 

この点についてどうか堪忍してほしい。しかし、私は自分にとって何が最善であるのか本当に知っているのです。今こそ私は弟子とされつつあり、イエス・キリストに到達すべく、――目に見えるものであれ、見えないものであれ――何をも求めてはいない。

 

おお火よ、苦しみよ、来るならこい。野獣の群れよ、来るならこい。私の骨が砕け、関節がはずれ、手足が引きちぎられるままになれ。体中が引き裂かれるなら裂かれよ。然り、サタンのありとあらゆる邪悪な拷問よ、来るならこい。ただ我をイエス・キリストに到達させたまえ!

 

第5章原文

V.

1 Ἀπὸ Συρίας μέχρι Ῥώμης θηριομαχῶ, διὰ γῆς καὶ θαλάσσης, νυκτὸς καὶ ἡμέρας, δεδεμένος δέκα λεοπάρδοις, ὅ ἐστιν στρατιωτικὸν τάγμα· οἳ καὶ εὐεργετούμενοι χείρους γίνονται. ἐν δὲ τοῖς ἀδικήμασιν αὐτῶν μᾶλλον μαθητεύομαι, ἀλλ ̓ οὐ παρὰ τοῦτο δεδικαίωμαι.

2 ὀναίμην τῶν θηρίων τῶν ἐμοὶ ἡτοιμασμένων καὶ εὔχομαι σύντομά μοι εὑρεθῆναι· ἃ καὶ κολακεύσω, συντόμως με καταφαγεῖν, οὐχ ὥσπερ τινῶν δειλαινόμενα οὐχ ἥψαντο. κἂν αὐτὰ δὲ ἄκοντα μη· θελήσῃ, ἐγὼ προσβιάσομαι.

3 συγγνώμην μοι ἔχετε· τί μοι συμφέρει, ἐγὼ γινώσκω, νῦν ἄρχομαι μαθητὴς εἶναι. μηθέν με ζηλώσαι τῶν ὁρατῶν καὶ ἀοράτων, ἵνα Ἰησοῦ Χριστοῦ ἐπιτύχω. πῦρ καὶ σταυρὸς θηρίων τε συστάσεις, ἀνατομαί, διαιρέσεις, σκορπισμοὶ ὀστέων, συγκοπὴ μελῶν, ἀλεσμοὶ ὅλου τοῦ σώματος, κακαὶ κολάσεις τοῦ διαβόλου ἐπ ̓ ἐμὲ ἐρχέσθωσαν, μόνον ἵνα Ἰησοῦ Χριστοῦ ἐπιτύχω.