巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

キリスト教正統性の問題と福音主義(by ダグラス・M・ボウモント他)【その3】

その1】【その2】からの続きです。

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十二使徒と教会出典

目次

 

Douglas Beaumont, ed., Evangelical Exodus: Evangelical Seminarians and Their Paths to Rome, Appendix 2, Facing the Issue of Christian Orthodoxy, 2016(抄訳)

 

教会(Church)が正統性を決定した。

 

主は私たちに「書物」を残したのではなく「教会」を建てられた。

 

昇天された時、イエスは私たちに「完成された一冊の本」を遺されませんでした。いいえ、そうではなく主は「教会」をお建てになったのです。イエスはご自身が教会を建て、ハデスの門もそれには打ち勝てない*1と言っておられます。それゆえ、教会が消滅することはあり得ず、故に、信仰に関わるものに関し偽を説くこともできません。

 

聖書正典(canon)それ自体、ーー全地公会議での諸決定や正統諸信条と共にーーその教会が生み出した産物です*2。それゆえ、教会は2000年以上に渡り、正統性の保護者であり続けました。事実、キリスト教の使信は、口伝で(永続的に口伝のみで!)伝達されることさえ可能です*3。なぜでしょうか?以下に理由を挙げます。

 

一番目の点

 

まず第一に、仮にそのような状況が発生したとして、そこに本質的に問題をはらむようなものは存在しません。素朴な思考実験によってもそれは明らかです。

 

例えば、ある無神論世界の独裁者が現存するすべての聖書を破壊し尽くすことに成功し、さらに、策を練りに練った挙句、今後いかなる種類の付加的テキストも作成できないよう仕向けたと仮定してみてください。

 

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出典

 

さあ、それでキリスト教はこの地上から姿を消すことになるのでしょうか。人はもはや救いをもたらす福音へのアクセスを絶たれてしまったのでしょうか。否、そんなことはありません。ですから、少なくとも理論上、次の二つの命題が同時に真であることが可能なわけです。1)キリスト教が存在する。2)聖書が一冊も存在しない。

 

二番目の点

 

二番目ですが、上記に挙げた理論が現実世界の中で真であることが証左されています。福音を受け入れることは救われるための必要条件であり*4、このメッセージは当初、成文の形では伝達されていませんでしたが*5、それにも拘らず、それを聞いた人は信じ、救われました*6。それゆえ、キリスト教は成文メッセージに先行していました。

 

三番目の点

 

それから三番目ですが、キリスト教が新約聖書という書物に先行していたのは歴史的事実です。通常、最初期の新約文書は、AD40年代の中盤から後半にかけて書かれたと考えられています。(最初の書がマタイの福音書であったのか、ヤコブの手紙であったのか、それともパウロによるガラテヤ人への手紙であったのかは討議されています。)

 

これが意味するのは何かと言いますと、キリストの死およびペンテコステが遅い年代のAD33年であったとしても、「教会の始まり」と「一番最初の新約文書」の間に少なくとも10年間のギャップがあったということです。それに加え、パウロの諸文書は、その当時すでに存在していた諸教会に宛てられた手紙だったという事実も挙げられます。

 

また、送付や配布により時間がかかったという当時の状況をも考え合わせますと、教会が自分自身の(新約)聖書を所有することなく前進していかねばならない期間がそれなりに長く続いていたのではないかとも考えられます。

 

四番目の点

 

四番目の点は、クリスチャンが新約聖書を所有することなくこれまで存在し、存在し続けていることです。新約聖書が執筆され始めた時でさえ、その内容物は一般信者の所持するものではありませんでした。

 

送付や配布によるタイムラグに加え、写本というのは人々が容易にアクセスできるものではありませんでした。さらに、新約聖書が書かれた時分、人口の大部分は文字の読み書きができませんでした。1500年後になってやっと、印刷機の発明により、聖書は広範囲に識字層の間に行き渡るようになりました。(それ故、これはただ単に古代、中世、宗教改革時代の問題ではないのです。)

 

今日においても、聖書が禁じられ、あるいは自国語でのアクセスが不可能な国々や地域においてさえも、そこで多くの人が信仰を持ちクリスチャンになっています。もちろんこういった聖書禁令はキリスト教にとっての障害ではありますが、致命傷的なものではありません。

 

ですから、たとい懐疑論者が、聖書が信用できない書であることを示すことに成功したとしても、そうしたところで彼はたいした地歩を得られません*7。ーー少なくとも彼がその‟信用の置けなさ”をキリスト教それ自体に対する攻撃として使っているならです。なぜなら、たとい私たちが聖書全体を放棄しなければならないことになったとしても、キリスト教は依然として生き続けるからです。*8

 

重要な点は、最初期のこの時期、教会をつづけて前進させていたのは、教会自身の教えーーつまり正統性だったということです。そしてそれは数多くのソースの中に見い出され得ます。

 

*信仰の規則(例:ローマ1:3-4、1コリ11:23-36、1コリ15:3-5、1ペテロ3:18、1ヨハネ4:2)

*教義問答的指導(ディダケー〔AD1世紀〕)

*説教メッセージ(1クレメンスの手紙、2クレメンスの手紙〔AD95-97〕)

*Postー新約聖書書簡(イグナティオスの手紙〔AD98-117〕)

*洗礼による信仰告白(古ローマ信条〔2~3世紀〕)

*聖書注解(テオフィロス、ディアテッサロン〔2~3世紀〕)

*典礼的行為および言語(聖ヤコブの典礼、聖大バシレイオスの典礼〔4世紀〕)

*全地公会議、正典、諸信条、および諸定義(5世紀まで)

 

使徒行伝15章でのエルサレム公会議から今日に至るまで、教会は常に、権威的教会公会議を開催することにより、正統教理を決定してきました。そしてそこから私たちは諸信条(Creeds)や聖書正典を受け取ってきました。

 

正統性をセーフガードする上で教会(Church)に信頼を置いていない人の抱える難点は、ーーその人が採用している独自の手段が彼自身の目にどんなに合法的に映っているとしてもーー、結局のところ、それもまた往々にして、教会自身から生み出された産物である場合が多いということです。

 

聖書正典を規定するに当たり、教会が誤謬から守られてきたのならーー、正統諸信条を作成したり、全地公会議を開催したりした際にも教会は誤謬から守られてきたのではないでしょうか。*9*10*11 

 

しかしここで明記しておかねばならないのは、上記の論点が聖書の使用、デボーションや擁護を放棄するよう私たちに言っているわけでは決してない、ということです。むしろ、それが示しているのは、神はご自身の諸真理を多くの方法で伝達すべく教会を用いてこられたということです*12

 

聖書は勿論、神ご自身の霊感された言葉として至高の位置を保持していますが、ーー正統性を決定するに当たり、聖書のみでは不十分であるということです。聖書がその諸目的において不十分なのではなく、むしろそういった事〔=正統性の決定行為〕聖書元来の存在目的ではないということです。それに聖書自身、自らが正統性決定のために存在しているとは主張していません。

 

人間に対する神の御配慮と教会

 

聖書は、一冊の書物として、解釈されなければなりません。私たちが自分たちの主観的解釈と正統的キリスト教諸教理を混同することのないよう、神は私たちにご自身の教会を与えてくださっています。すなわち、キリストの御体です。*13

 

それは信仰において一致し、教義的誤謬から守られ、範囲において普遍的であり、使徒継承という歴史的事実によって客観的に特定が可能です。教会の導針の下、人は私的諸解釈に振り回される必要はなく、また、各世代ごとに(or 個人ごとに)キリスト教を再定義しなければならないと感じる必要もありません。

 

真摯なる真理の探究者にはその求めの中で多くの助けが与えられます。そしてそれらの介助を私たちは、「真理の柱また土台*14*15」である教会を通し働くものとして信頼することができます。*16

*1:マタイ16:18

*2:ヨハネ16:13、参:1コリ11:2、2テサ2:6、3:15、2テモテ2:2

*3:

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エウセビオスは『教会史』の中で次のように言っています。「こういった偉大にして真実なる神の人たちーーそう、キリストの使徒たちのことであるーーは、世界中に天の御国に関する知識を宣布したのだが、彼らは成文化された書物を作成することにはほとんど関心を持っていなかった、、、パウロにしても、ごくごく短い何通かの書簡しか書いていない。主の弟子たちの中で唯一マタイとヨハネが成文化された書を私たちに残しているが、伝統が言うところによれば、彼らは必要性にせまられ書かざるを得なかったということである。」Eusebius, Church History 24.

*4:1コリント15:1-5

*5:1コリント15:1

*6:=キリスト教会の一員になりました。1コリ1:2

*7:訳注:懐疑論者バート・D・アーマンと神学者リチャード・ボウカムのディベート:「福音書は目撃者証言を基盤にしているのか?」

*8:福音主義弁証家であるゲイリー・ハーバーマスがキリストの復活の歴史性を擁護するに当たり、興味深いメソッドを用いています。彼はそれを最小事実アプローチ(Minimal Facts approach)と呼んでいます。ハーバーマスはイエス・キリストが死から蘇ったという自らの主張をサポートする上で、(キリスト教、世俗の)学術的に最も信頼されている資料だけを用いることに同意しています。さらにそれを実行するに当たり、彼は福音書、パウロの書簡の多くの部分、それから、歴史家たちの間で普遍的に‟真正なるステータス”を得ていない幾つかの新約文書を回避しています。こうして残された最小限の諸事実だけを用い、ハーバーマスはキリストの復活が尚も、データに関する最良の説明であるということを論じているのです。

 

↑「イエスの復活についての公開討論」無神論者アンソニー・フルーと有神論者ゲイリー・ハーバーマスの対話

これは優れたアプローチであり、彼の仲間であるマイケル・リコーナも同様の方法で大健闘しています。仮に私たちがこの最小事実アプローチを、「聖書の中のどんな内容にも依拠しない」という荒唐無稽な極端に持っていったとします。その際、キリスト教に何が残るのでしょうか。そう、結局、ほとんど全てが残るのですーーなぜなら、それは教会の伝統の中に全て見い出されるからです。

*9:"Essential Doctrines of the Christian Faith"の論考の中で、ノーマン・ガイスラーは、自らの方法論が教会が実際に用いてきたそれとは異なっていることを認めています(彼はそれを‟歴史的アプローチ”と呼んでいます。)そしてこの方法論を採用する代わりに、彼は自らの作成した本質的教理一覧表を「歴史的アプローチによって見い出されたリスト」と比較した際、同一の基本諸教理が表出してきた、と述べ、自らの結論を擁護しようと試みています。確かに彼の一覧表事項の多くが諸信条の中に表れていることは事実ですが、しかし、その逆は然りではないのです。まず第一に、ガイスラーは時折、信条の中の一フレーズ(or一単語)を、ある一教理全体と同等のものとして取り扱っています。(例えば、"I believe"という一語を、救いのための信仰の必要性に関する教理と同一視しています。)二番目に、ガイスラーは信条の中における多くの告白事項を省いています。(例えば、単一の復活、単一の可視的教会、使徒信条、バプテスマによる再生)。そしてこれらの中の幾つかは諸信条の中でも特に救済論に関わるものです。(例:ニケア信条の「罪のゆるしのためのバプテスマ」や、アナタシオス信条の中における、諸信条の内容に対する信仰が救いのために必要である、といった内容です。)ここで私たちが問わなければならないのは次の問いです。「なぜ私たちは選り好み的に、諸信条の一部のみに信頼を置かねばならないのだろうか?」なぜなら、そうすることはとりもなおさず、こういった相対的支持を‟歴史的メソッド”から‟神学的循環論法”へと還元させてしまうことを意味するに他ならないからです。

*10:訳注:関連記事 カード氏(モルモン教徒)とモーラー氏(改革派バプテスト)との間の公開ディベート.

*11:訳注:

*12:1テモテ3:15-16

*13:レランスの聖ヴィンセントは次のように記しています。「ある人が異端者たちに次の質問をしたとする。『君は僕がカトリック教会の普遍的な古代信仰を打ち捨てるよう言っているが、その根拠は何か?』それに対し、相手は即答する。「なぜなら、ここに~~と書いてある。。。」こう言いながら、彼は何千という証し、何千という実例、律法/詩篇/使徒/預言者たちからの何千という引用を引き合いに出してくるだろう。そしてそれらはいずれも新奇にして誤った原則でもって解釈が施されており、不幸な魂はカトリック信仰の高嶺から異端という深淵の奥底に落ち込んでしまうかもしれない。、、異端者たちもまた聖書に訴えているのだろうか?勿論、そうである。それも大変な熱心さで。彼らは自らの主張をことごとく聖書の言葉の下にかくまおうとする。そして彼らの書き物は新約や旧約からのもっともらしい引用句で埋まっているのである。」Saint Vincent of Lerins, Commonitory 25.

*14:1テモテ3:15

*15:訳注:

*16:訳注: