巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

プロテスタンティズムと「伝統」ーーその努力とジレンマについて(by ブライアン・クロス、マウント・マースィー大学)

Assumption of St John the Evangelist

聖ヨハネの昇天、Taddeo Gaddi (1348-1353) Collezione Vittorio Cini, Venice、出典

 

目次

 


ブライアン・クロス(Bryan Cross)。マウント・マースィー大学宗教哲学部哲学科助教授。ミシガン大学(B.S.)、カベナント神学校(M.Div.)、セイント・ルイス大学(Ph.D.)

 

はじめにーー教会はまたたく間に背教に陥ったのでしょうか?

 

聖エイレナイオスとアレクサンドリアの聖クレメンス(2世紀)によると、使徒ヨハネがパトモス捕囚から戻ってきた後、ヨハネは「トラヤヌスの時まで」エペソにとどまっていたとされています。

 

トラヤヌスはAD98年に皇帝になりました。伝承によると、聖ヨハネは、12使徒の中で最後に亡くなった人といわれています。さて、御使いが彼のたましいを天に運んでいった時、その後またたく間に、教会は異端と背教に陥ってしまったのでしょうか?*1

 

ジレンマ

 

モルモン教宣教師たちの訪問を受ける。

 

改革派神学校を卒業して数週間経ったある日、二人組のモルモン教宣教師たちがわが家のドアをノックしてきました。妻が彼らを迎え入れ、私たちは会話を始めました。しかしその日はあまり時間がなかったので、翌週また彼らと会話を続けることにしました。その結果、その年の夏一杯、彼らは毎週のようにわが家を訪れることになったのです。

 

折しも自分は、神学校で4年間の正規教育を修了し、聖書学、ギリシャ語、ヘブライ語の訓練を受けてきましたので、10代のこの宣教師たちにモルモン教の非を悟らせることはわけないだろうと考えていました。要は聖書からのがっしりした釈義的議論により、モルモン主義が誤りであり、私たちの理解しているところの福音こそが真であるということを彼らに明示することができると私は内心自信を持っていたのです。

 

しかしながら彼らモルモン教宣教師たちとの議論は次のような展開になっていきました。私が「あなたがたの教えは聖書と食い違っています」と指摘すると、彼らはモルモン経典に自分たちの正しさの根拠を置いた上で反論してきました。

 

そこで私は「モルモン経典自体が聖書と矛盾している」と彼らに反論しました。しかし、彼らはモルモン経典を「通して」聖書を解釈していました。つまり、モルモン経典の光に照らして聖書を読み、解釈しているということです。

 

そして彼らは、12使徒の死後直後に(もしくは最後の使徒ヨハネの死の前にすでに)教会は完全なる背教状態に陥ったと主張していました*2

 

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モルモン教の教本『大いなる背教 The Great Apostasy』

 

それによると、真の福音は北アメリカに保持されており、かの地をイエスはあらかじめ訪れ、当時そこに住んでいた特定の人々に福音を宣べ伝えておきました。

 

それゆえに、モルモン教徒によると、聖書はーー初代教会の教父たちの教えや実践からではなくーージョセフ・スミスが回復させたこの付加的啓示の光に照らして理解・解釈されなければならないとされています。

 

Walter Rane's painting of Joseph Smith receiving the priesthood from the ancient apostles, Peter, James and John

使徒ペテロ、ヤコブ、ヨハネから祭司職を授かったとされるジョセフ・スミス(出典

 

なぜなら、彼らの見解の中では、「初代教会の教父たちは、キリストの教えの中に、混合主義的な様式で、ギリシャ哲学および異教儀礼を取り入れたことにより、キリストの教えを腐敗させた」とされているからです。

 

それゆえに私たちの対話は時として、「なぜ私たちは初代教会の教父たち以上にモルモン経典に信頼を置かなければならないのか?」「初期教父たちがキリストの教えを腐敗させたということをあなたはどのように立証できますか?」等の、根本的な問いにまで及びました。

 

それでは、プロテスタントである自分はどうなんだろう?

 

そしてその時、プロテスタント教徒である自分もまた、モルモン教の立場を論駁するべく自分の立場を擁護する上で、初代教会の教父たちや各種公会議に、原則立った方法で(in a principled way)訴えることができないという事実に気づかされました。

 

もちろん、その当時、私はニカイア公会議での三位一体論、それからカルケドン公会議におけるキリスト論に同意していましたが、しかし自分もまたモルモン教徒と同じように、「使徒たちの死後、教会はさまざまな誤謬に陥り始めた。その傾斜は最初は小さなものであったが、漸進的にそれはより深刻化していった」という教会観を持っていました。

 

ですから私は、「教父たちが言うことは何であれ、〔自分自身の解釈による〕聖書によってすべて吟味されなければならない」と思っていました。

 

初代教会はどこで道を誤ったと自分は考えているのだろう?

 

それでは初代教会がどこで道を誤ったと自分は考えていたのでしょうか。初代教会がギリシャ哲学の影響を受けていたというモルモン教徒たちの意見に私は同意していました。*3

 

教会は、三位一体や受肉の教理を説明し擁護すべく、homoousious、hypostasis、physisなどの用語と共にギリシャ哲学を用いていたのではないでしょうか。もちろん、私は三位一体や受肉の教理が真であることを信じていましたが、そういったギリシャ的観念の使用は私を不穏にさせました。なぜならそれは潜在的シンクレティズムを意味しているのではないかと思ったからです。

 

私の尊敬するプロテスタントの友人たちの中には、ニカイア信条の一部に疑問を投げかけ、それらを、聖書外且つギリシャ哲学に基づくものとして拒絶している人々もいました(例:キリストが “eternally begotten” という部分等)。

 

ギリシャ哲学はアレクサンドリアにおいてかなり影響力を持っていたということを知っていましたし、かの地において解釈における寓喩的メソッドが導入されたと信じていました。そしてこのメソッドこそが、福音からの教会逸脱の元凶であり、それに続く宗教改革の必要性を呼び起こした一要因であると思っていました。*4

 

その当時私は、初代教会というのは、完成されたキリストの御業に対する理解から逸脱し、サクラメントというーー異教主義から取り込んだーーマジカルな観念を取り入れるに至ったと考えていました。

 

そしてそれゆえに、古代信条を書いた教会監督(司教)たちは、バプテスマを罪の赦しとして取り扱い、パンと葡萄酒が本当にキリストのからだと血になると信じるに至り、アガペー(愛餐)を ‟ユーカリスト的犠牲” に変質させたのだと考えていました*5。そして、彼ら教父たちは「聖書のみ」への忠実性を失ってしまったがゆえに、堅信式、結婚式、悔悛、叙階式をサクラメントとして取り扱うに至ったのだと。

 

「聖書のみ」の観点からみれば、こういった一連の「付加物」ーー例えば、煉獄、独身制の高揚、神秘主義、修道院制、禁欲主義ーーなどは皆、異教主義から来たものであり、それゆえに、それらによって教会および福音の純粋性が腐食されたのです。ーーちょうど、旧約聖書のイスラエルの民が諸国の神々を拝む売春婦たちと戯れたように。

 

教会は2世紀以前の時点ですでに正統性からの逸脱を始めており、逸脱のペースはーーこのナラティブによるとーーコンスタンティヌス帝がキリスト教を帝国の公認宗教にしたことで加速度を上げていきました。*6

 

キリストは「わたしの国はこの世のものではない」と仰せられました。しかし、カトリック教会はそれを地上的な国に変質させようとしているように私には感じられました。そしてその中にあって、司教や教皇たちは、自分たちが君主的大権を握っていると思っていました。

 

ですから「最後の使徒ヨハネが亡くなる前の時点ですでに、大規模な背教が教会を飲み尽くしていた」とのモルモン教徒の主張に対し、私は彼らのその主張を反駁する基盤/根拠を持っていませんでした。

 

モルモン教徒たちは、「真の福音は、ジョセフ・スミスにより、19世紀初頭に回復された」と信じていました。それに対し、改革派プロテスタントである私は、「真の福音はマーティン・ルターによって16世紀初頭に回復された」と信じていたわけです。

 

しかし(いまいましいことに)私たちは共に、教父および公会議は信頼ならず、それ自身としては権威を持つものではないと考えている点では同類でした。

 

そしてその夏、二人のモルモン教宣教師と会合を重ねていく中で、私は気づいたのです。ーー初期教父たちや全地公会議に関する取り扱いという点に関しては、自分自身と、わが家の居間に腰かけているこの二人の若いモルモン教宣教師たちの間になんら「原則上 principled」の相違点はないということを。*7

 

カード氏(モルモン教徒)とモーラー氏(改革派バプテスト)との間の公開ディベート

 

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これと同じ問題が、2007年にBeliefnet.com主催で行なわれた公開ディベートにおいても顕示されていました。これは、「はたしてモルモン教徒はクリスチャンか?」という議題を中心に、オルソン・スコット・カード氏(モルモン教徒)と、アルバート・モーラー氏(改革派バプテスト、南部バプテスト神学校学長)が討論するプログラムでした。

 

モーラーは正しくも、モルモン主義は、‟伝統的キリスト教オーソドクシー(traditional Christian orthodoxy)” とは相入れないと指摘し、次のように述べています。

 

「モルモン教に教えによれば、教会は使徒たちの死後堕落し、‟悪魔の教会”になったとされています。そうした上で、モルモン主義は、『1820年代になり、預言者ジョセフ・スミスを通して真の教会が回復された』と主張しています。そして、回復されたこの教会が、王国および唯一の正しい祭司制に対する鍵を与えていると、モルモン教神学は主張しています。

 

何がキリスト教で何がそうでないのかを判断するための客観的基準を私たちは持っており、それは、まさしくカード氏およびモルモン主義が拒絶するところの、‟伝統的キリスト教オーソドクシー” です。*8」モーラー氏は次のように続けています。

 

「キリスト教は‟伝統的キリスト教オーソドクシー(traditional Christian orthodoxy)”という観点によって正しく定義することができます。それゆえ、何がキリスト教で何がそうでないのかを定義するための客観的基準を私たちは持っているわけです、、ひとたびこれが明確にされると、回答は不可避なものになります。

 

 さらに、回答は、(モルモン教が否定している)キリスト教オーソドクシーの構造からだけでなく、モルモン主義自体の中心的主張ーーつまり、真の信仰は19世紀アメリカにおいてジョセフ・スミスを通して回復され、ポスト使徒時代の教会によって是認されたキリスト教オーソドクシーの構造全体が堕落し虚偽であるとの主張ーーによっても明確にされます。

 

 言い換えますと、モルモン主義は、はなから伝統的キリスト教オーソドクシーを否定しておりーーこの拒絶がモルモン主義の存在を形づくるロジックそのものです。現代におけるモルモン教の広報活動の中でこのロジックが直接的に提示されることはまずないと思いますが、それでも、これこそがモルモン経典およびモルモン思想構造の論理であり使信そのものである事実は頑として動きません。モルモン主義はそれ自身の存在に賭けて、キリスト教オーソドクシーを拒絶しており、歴史的キリスト教を虚偽の信仰であると明確にみなしています。」*9

 

「あなたは‟悪魔の教会”の一員ですか?」(モルモン教のサイトより)

 

‟伝統的キリスト教オーソドクシー”

 

モーラーは何がキリスト教で何がそうでないのかを判別するための「客観的基準」を私たちは持っていると言っています。そしてその客観的基準とは ‟伝統的キリスト教オーソドクシー”です。しかしこれは微妙に問いを棚上げしています。ーー‟伝統的キリスト教オーソドクシー” であるとみなされるための客観的基準というのはそもそも何なのでしょうか?

 

モーラーは、それを、初期の各信条、それから最初の4つの全地公会議に訴えています。ですから、おそらく彼の頭の中では、‟伝統的キリスト教オーソドクシー”を計るためのおおよその切断ラインは5世紀の終り頃に置かれていると思われます。

 

しかし ‟伝統的キリスト教オーソドクシー” の分断線を5世紀に置くことは、それを1世紀に置くことと同じ位、アドホック(その場しのぎ)なものではないでしょうか。もしも誰かが「教会は異端ないしは背教に陥った」と考えているのなら、それが最初の1世紀に始まったと考えようが、‟教会の背教” は最初の500年にはまだ始まっていなかったと考えようが、結局両者共に、原則立った根拠principled reason)とはなっていないのではないでしょうか?

 

さらに、キリスト教伝統の最初の5世紀は、モーラーが拒絶している各種信条や実践で溢れています。例えば、モーラーが正統的伝統の一部として取り扱っている「ニカイア(ニケア)信条*10」を作成した司教たちは、AD325年にニカイアで開催された第一回全地公会議および、AD381年にコンスタンティノープルで開催された第二回全地公会議に出席しています。

 

しかしながら、モーラーを始めとするバプテスト教徒は、これらの司教たちが皆信じ、実践していた使徒継承(apostolic succession)の教理および教会政治形態における監督/司教制(episcopal form)を拒絶しています。*11

 

バプテスト教徒は、バプテスマによる新生に関しキリスト教信仰に肝要なものだとこれらの司教たちが信じ教えていたこと(‟罪の赦しのための一つのバプテスマ*12.”)を拒絶しています。また、ニカイア公会議(AD325)でのカノンの多くは、バプテスト教徒の視点からみるとそれこそ理に適わないものとみなされるでしょう。

 

モーラーは、マリヤが「テオトコス(神の母)」と宣言したエペソでの第三回全地公会議に対して批判的であり、この宣言は、「カトリック教会に悪影響を及ぼした*13」と言っています。

 

また彼は、第4回全地公会議(カルケドン、AD451)で教示されたキリスト論は受け入れている一方、マリヤの永続的な処女性を是認した*14*15第5回全地公会議(コンスタンティノープル、AD553)に関してはこれを拒絶し、「これにより、ローマ・カトリック神学および敬神はますます聖書から離脱していくようになり、人間の作り出したイノベーションに向かっていった」と述べています*16。そして彼はイコノクラスムの糾弾を含んだ第7回全地公会議(ニカイア、AD787)を拒絶しています。*17

 

深刻なジレンマ

 

ここでの問題は、モーラーが ‟キリスト教オーソドクシー” の基盤として訴えている「伝統」に関し、彼の立場が深刻なジレンマに直面していることではないかと思います。

 

一方において、彼は、初代教会の伝統を拒絶することができません。なぜならそうしたなら、彼自身の立場を ‟伝統的キリスト教オーソドクシー” としてみなすことに失敗してしまい、そうなると、‟クリスチャン”としてみなすことに失敗してしまうことになります。というのも、彼はまさにこの議論を用いて、モルモン教徒はクリスチャンではないということを主張しているからです。

 

しかし他方、モーラーは初代教会の伝統を受容することができません。なぜなら、上述したように、多くの重要な点で、これらの伝統は彼自身のバプテスト神学とかみ合っていないからです。

 

それではモーラーはどのようにこのジレンマに対処しているのでしょうか?ーーそうです、ここで彼はえり好み(pick-and-choose)アプローチを採り入れています。このアプローチは、〔初代〕教会が言ったりしたりした事の中で、彼自身の聖書解釈とマッチする(or少なくとも両立可能な)部分に限って、これを ‟伝統的” とみなすことにより、明白にではありませんが方法論的に上記のジレンマを回避しようと試みています。

 

そしてこのアプローチにより、何であれ教会史の中でその人が同意するものが ‟伝統” とみなされます。(例えば、ニカイア信条やカルケドン公会議でのキリスト論等)

 

何によって「権威的なもの」とみなされるのだろう?

 

伝統に対する、こういったpick-and-chooseアプローチが表示しているのは、全地公会議がなにかを決定的に宣言しているという事実が、モーラーにとってそれを「権威的なもの」にしているわけではないということです。そうではなく、モーラーにとってそれが「権威的なもの」になっているのは、それが彼自身の聖書解釈に合致しているからです

 

ですから、伝統の中で彼の目に聖書外ないしは聖書に相反しているようにみえるものに遭遇したなら、彼をそれを拒絶します。それゆえに、伝統は権威的なあり方では彼の解釈を誘導していません。彼の解釈が、伝統とみなされるものを選出し、そうした後に、その伝統が彼の解釈に知識を与えるのです。

 

こういったえり好み(pick-and-choose)アプローチの抱える問題は、その人が同意し、‟権威的” だとみなす言明だけを、教父や公会議決議の中から取捨選択する限りにおいて、それは所詮アド・ホックなもの(その場しのぎなもの)でしかないという点にあります。

 

この方法により、モーラーは特殊な申し立てをしています。つまり、彼は「モルモン教徒たちがえり好み的にキリスト教伝統を拒絶している」という理由でモルモン主義を批判している一方、彼自身もまた、えり好み的にキリスト教伝統を拒絶しているのです。

 

原則に則った基準

 

ですから、‟キリスト教オーソドクシー” のための基準が基準とされるためには、何が伝統とみなされ、何がそうとみなされないのかについての区別が、原則に則ったものにならなければなりません(must be principled)。

 

しかしながらモーラーの神学には、こういった区別のための原則に基づいた基盤のための観念的余地がありません。その結果、モーラーの ‟伝統” 識別は、言ってみれば、弓の射手がーー自分がすでに弓を撃ち込んだスポットの周りに標的の図を描こうとする様に似ています。

 

ですからジレンマは次のようになります。ーー①彼は伝統に対するアドホックな訴えをし、それゆえに特殊な申し立てをするという誤謬を犯してしまう。もしくは、②伝統に対する訴えを彼は放棄する。そしてそれゆえに、ーーバプテスト教徒とモルモン教徒がそれぞれ、特定の伝統が聖書とかみ合っているか、もしくはそれは不敬虔なる付着物にしかすぎないのかを決定するための方法論ーーの間に、モーラーが原則的区別を置こうと試みたものが失われてしまいます。

 

「正典(カノン)が正しい」と信じるための基盤がむしばまれる

 

Related image

新約聖書の正典化プロセス(4.4 The Canon of the New Testament - Evidences for Christianity

 

伝統に対するこういったアド・ホックなアプローチの含意するさらに深刻な内容は、それが、「聖書の正典(canon)は正しい」と信じるための基盤をむしばみ、弱体化させてしまうことにあります。

 

考えてみてください。もしも教会がそれほど多くの教理や実践において誤ちに陥ってしまったのだとしたら、それなら、教会が正典を正しく編纂することができたと信じるための基盤が何もないということになってしまいます。

 

「教会は正典を正しく編纂することができた」と信じると同時に、「教会はそれと同じ時期に数多くの他の事柄において誤りを犯していた」と信じることはなんともアド・ホックなことです。*18

 

その場合、どうなるでしょう?そうです、私たちはどの伝統が自分たちの解釈とかみ合っていて、どれがそうでないのかを決定すべく、正当に自分たちの聖書解釈を用いることができなくなってしまいます。というのも、結局私たちにはどの書が聖書なのか見当がつかないからです。

 

またそれと同じ理由で、私たちが聖書のどの書がそこに属しているのかを決定すべく、自分たちの聖書解釈を用いることもできなくなってしまいます。なぜなら、そうなってしまっては、まさに私たちに見当のつかないものーーつまり、カノン(正典)を前提することになるからです。

 

その結果、教会は歴史の初期の時点でオーソドクシーから逸脱したということを主張し、そのことを示すべく聖書を用いようとする人々は、逆に、その人たちの手の中に置かれているその本が「正典的に無謬である」という彼らの保証のための基盤そのものをむしばみ、弱体化させています。

 

そうなると彼らは、正典の妥当性を立証するべく、①批評的学術性に依拠するか、もしくは、②その根拠を聖霊から来たある種の ‟内なる声” に置かざるを得なくなります*19。そうしない限り、彼らは、初代教会の伝統を評価すべく正典を用いることができません。

 

ー終わりー

*1:訳注:関連記事

*2:訳注:関連記事 

*3:訳注:関連記事

*4:訳注:関連記事

Origen and Allegory | Introduction to "History and Spirit" | Henri de Lubac | IgnatiusInsight.com

*5:Cf. Didache 14; 1 Clement 44; St. Justin Martyr, Dialogue with Trypho, 41; St. Irenaeus, Against Heresies IV.17; St. Cyprian, On the Lapsed, 26; St. Cyril of Jerusalem, Catechetical Lectures V.18. 

*6:In fact it was Emperor Theodosis who did this in AD 380.

*7:Of course there are very important theological differences between Protestantism and Mormonism. And for this reason Protestantism is much closer to Catholicism than is Mormonism, and has much more common ground with regard to our shared understanding of Scripture, common doctrines and common baptism. The doctrinal differences between Mormonism and Protestantism are significant enough that the Catholic Church does not recognize Mormon baptisms as valid baptisms, though it does recognize Protestant baptisms as valid. See Congregation for the Doctrine of the Faith, “Reponse to a ‘Dubium’ on the validity of baptism conferred by The Church of Jesus Christ of latter-day Saints, called Mormons,” June 5, 2001.

*8:R. Albert Mohler, Jr., The “Church of the Devil”?, beliefnet (July 5, 2007), available here.

*9:R. Albert Mohler, Jr., Mormonism Is Not Christianity, beliefnet (June 28, 2007), available here

*10:訳注

*11:One might object that Catholics too are not bound by what was not explicitly contained in the conciliar decrees, and thus that Mohler’s position is in this respect no different from that of Catholics. But Catholics are not only bound by the formal definitions of popes and ecumenical councils. Catholics are also bound by what is called the ordinary and universal Magisterium. Pope John Paul II stated that the ordinary and universal Magisterium is the “normal expression of the infallibility of the Church.” Discourse to the Bishops of the 2nd Ecclesiastical Region of the United States, in L’Osservatore Romano, p. 18 (54) (Jan. 22, 1989). The teaching of the Church was infallible prior to the First Ecumenical Council in Nicea in AD 325  by way of the ordinary and universal Magisterium. Lumen Gentium speaks of the ordinary and universal Magisterium as follows:

They [the bishops] nevertheless proclaim Christ’s doctrine infallibly whenever, even though dispersed through the world, but still maintaining the bond of communion among themselves and with the successor of Peter, and authentically teaching matters of faith and morals, they are in agreement on one position as definitively to be held. ( Lumen Gentium, 25. ) 

Doctrines such as apostolic succession and episcopal government were not merely held by all the bishops. Those doctrines were universally taught by the bishops as definitively to be held by all the faithful. And therefore the doctrines of apostolic succession and episcopal government fall under the ordinary and universal Magisterium, and are therefore both infallible and binding on all Catholics. And thus Mohler’s selective approach to the doctrines held by the bishops of the Council of Nicea is not equivalent to that of Catholics.

*12:Nicene Creed.

*13:R. Albert Mohler, Jr., Blessed Art Thou Among Women: The New Debate Over Mary, available here.

*14:CHURCH FATHERS: Second Council of Constantinople (A.D. 553)第2章

*15:訳注:マリヤの永続的な処女性に対するルター、カルヴァン、ツヴィングリ、ウェスレーの見解についての一次資料。

*16:Mohler, supra note 6.

*17:訳注:イコノクラスム(聖像破壊論争)に関する両サイドの歴史資料提供。

イコン/聖像支持派。「カルヴァン VS イコンーージャン・カルヴァンは間違っていたのか?」という記事の中で、東方正教会のアラカキ師は、エウセビオスの『教会史』の中の一次資料を提示しつつ、イコン/聖像が歴史的に許容された慣習であったということを示そうとしています。(第7巻18章部分を以下抜粋)

Chapter 18. The Statue which the Woman with an Issue of Blood erected. 

  1. Since I have mentioned this city I do not think it proper to omit an account which is worthy of record for posterity. For they say that the woman with an issue of blood, who, as we learn from the sacred Gospel, received from our Saviour deliverance from her affliction, came from this place, and that her house is shown in the city, and that remarkable memorials of the kindness of the Saviour to her remain there.
  2. For there stands upon an elevated stone, by the gates of her house, a brazen image of a woman kneeling, with her hands stretched out, as if she were praying. Opposite this is another upright image of a man, made of the same material, clothed decently in a double cloak, and extending his hand toward the woman. At his feet, beside the statue itself, is a certain strange plant, which climbs up to the hem of the brazen cloak, and is a remedy for all kinds of diseases.
  3. They say that this statue is an image of Jesus. It has remained to our day, so that we ourselves also saw it when we were staying in the city.
  4. Nor is it strange that those of the Gentiles who, of old, were benefited by our Saviour, should have done such things, since we have learned also that the likenesses of his apostles Paul and Peter, and of Christ himself, are preserved in paintings, the ancients being accustomed, as it is likely, according to a habit of the Gentiles, to pay this kind of honor indiscriminately to those regarded by them as deliverers.(引用元

イコン/聖像反対派。下のVTRの中で、改革派のダグラス・ウィルソン師は、ヒエロニムス書簡集の中の一次資料を提示しつつ、イコン/聖像が歴史的に許容された慣習ではなかったということを示そうとしています。

 

Letter Li. From Epiphanius, Bishop of Salamis, in Cyprus, to John, Bishop of Jerusalem. 

ヒエロニムス書簡集ーー書簡51.キプロスにあるサラミス司教であるエピファニウスからエルサレム司教であるヨハネへ』(ウィルソン師が取り上げているのはこの書簡の9項の部分。以下そのくだりを抜粋します。) 

9項。Moreover, I have heard that certain persons have this grievance against me: When I accompanied you to the holy place called Bethel, there to join you in celebrating the Collect, after the use of the Church, I came to a villa called Anablatha and, as I was passing, saw a lamp burning there. Asking what place it was, and learning it to be a church, I went in to pray, and found there a curtain hanging on the doors of the said church, dyed and embroidered. It bore an image either of Christ or of one of the saints; I do not rightly remember whose the image was. Seeing this, and being loth that an image of a man should be hung up in Christ's church contrary to the teaching of the Scriptures, I tore it asunder and advised the custodians of the place to use it as a winding sheet for some poor person. They, however, murmured, and said that if I made up my mind to tear it, it was only fair that I should give them another curtain in its place. As soon as I heard this, I promised that I would give one, and said that I would send it at once. Since then there has been some little delay, due to the fact that I have been seeking a curtain of the best quality to give to them instead of the former one, and thought it right to send to Cyprus for one. I have now sent the best that I could find, and I beg that you will order the presbyter of the place to take the curtain which I have sent from the hands of the Reader, and that you will afterwards give directions that curtains of the other sort -- opposed as they are to our religion -- shall not be hung up in any church of Christ. A man of your uprightness should be careful to remove an occasion of offence unworthy alike of the Church of Christ and of those Christians who are committed to your charge. Beware of Palladius of Galatia -- a man once dear to me, but who now sorely needs God's pity -- for he preaches and teaches the heresy of Origen; and see to it that he does not seduce any of those who are intrusted to your keeping into the perverse ways of his erroneous doctrine. I pray that you may fare well in the Lord.

*18:One would be left trying to establish the inerrancy of the canon by way of critical scholarship. That seems quite impossible, because it would require establishing both a clear and objective standard for canonicity and discovering clear objective criteria within each canonical book for its own canonicity. For principled reasons both of those seem impossible to attain for every book of the Protestant canon, and would seemingly lead to a smaller canon than the Protestant canon.

*19:訳注:関連記事