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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ディダケー(12使徒の遺訓:Διδαχή των Δώδεκα Αποστόλων)第1章 いのちの道①

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ディダケー(十二使徒の遺訓、コイネーギリシア語: Διδαχή)は、「教え」を意味する、初期キリスト教の文書です。

 

十二使徒の教えと伝えられていますが、多くの学者によって1世紀後半から2世紀初頭に成立した文書と考えられています。(参照:ココ

 

ギリシャ語本文は、このサイトから転載しています。また、本文の日本語訳及び章タイトル名はブログ管理人によるものです。

 

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 1873年に発見されたディダケ―写本のタイトル部分(引用元

 

 

第1章 いのちの道

Α'

1. δοὶ δύο εἰσί, μία τῆς ζωῆς καὶ μία τοῦ θανάτου (Ἱερ. 21,8),
διαφορὰ δὲ πολλὴ μεταξὺ τῶν δύο ὁδῶν.

二つの道が存在する。―《いのちの道》と《死の道》であり、両者の違いは大きい。

 


2. Ἡ μὲν οὖν τῆς ζωῆς ἐστιν αὕτη·
πρῶτον ἀγαπήσεις τὸν Θεὸν τὸν ποιήσαντά σε,
δεύτερον τὸν πλησίον σου ὡς σεαυτόν (Ματθ.22, 37-39 Σοφ.Σειράχ 7,30
πάντα δὲ ὅσα ἐὰν θελήσῃς μὴ γίνεσθαί σοι,
καὶ σὺ ἄλλῳ μὴ ποίει (Τωβίτ 4,15).

《いのちの道》とはこれである。まず、あなたを創造された神を愛すること、そして二番目に、自分自身のように隣人を愛することである。さらに、あなたが他の人にしてほしくないことを、他の人にしないことである。

 


3. Τούτων δὲ τῶν λόγων ἡ διδαχή ἐστιν αὕτη·
«εὐλογεῖτε τοὺς καταρωμένους ὑμῖν
καὶ προσεύχεσθε ὑπὲρ τῶν ἐχθρῶν ὑμῶν» (Ματθ. 5,44-46 Λουκ. 6,27-28),
νηστεύετε δὲ ὑπὲρ τῶν διωκόντων ὑμᾶς·
ποία γὰρ χάρις, ἐὰν φιλῆτε τοὺς φιλῶντας ὑμᾶς;
Οὐχὶ καὶ τὰ ἔθνη τὸ αὐτὸ ποιοῦσιν;
Ὑμεῖς δὲ φιλεῖτε τοὺς μισοῦντας ὑμᾶς (Ματθ, 5,46),
καὶ οὐχ ἕξετε ἐχθρόν.

さて、こういった言葉の説かんとするところはこれである。

あなたを呪う者を祝福し、自分の敵のために祈り、あなたを迫害する者のために断食をしなさい。

自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の得るところがあるだろう。異邦人でも、同じことをしているではないか。

しかしあなたは自分を憎む者を愛しなさい。そうすれば、あなたには敵がいなくなるであろう。

 

4. Ἀπέχου τῶν σαρκικῶν καὶ σωματικῶν ἐπιθυμιῶν (Α' Πέτρ. 2,11)·
ἐὰν τίς σοι δῷ ῥάπισμα εἰς τὴν δεξιὰν σιαγόνα,
στρέψον αὐτῷ καὶ τὴν ἄλλην, καὶ ἔσῃ τέλειος·
ἐὰν ἀγγαρεύσῃ σέ τις μίλιον ἕν,
ὕπαγε μετ’ αὐτοῦ δύο·
ἐὰν ἄρῃ τις τὸ ἱμάτιόν σου,
δὸς αὐτῷ καὶ τὸν χιτῶνα·
ἐὰν λάβῃ τις ἀπὸ σοῦ τὸ σόν, μὴ ἀπαίτει (Ματθ. 5,39-41
οὐδὲ γὰρ δύνασαι.

肉的なむさぼり、かつ情欲を避けなさい。もし誰かがあなたの右の頬を打ったなら、左の頬をも向けなさい。そうすれば、あなたは完全な者となる。

あなたに1ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに2ミリオン行きなさい。

もし誰かがあなたの下着を取ったなら、あなたの上着をもやりなさい。もし、誰かがあなたの所有物を奪ったのなら、それを返すように強いてはならない。というのも、それはあなたにはできないことだからだ。

 


5. Παντὶ τῷ αἰτοῦντί σε δίδου καὶ μὴ ἀπαίτει (Λουκ. 6,30)·
πᾶσα γὰρ θέλει δίδοσθαι ὁ Πατὴρ
ἐκ τῶν ἰδίων χαρισμάτων.
Μακάριος ὁ διδοὺς κατὰ τὴν ἐντολήν·
ἀθῷος γάρ ἐστιν.
Οὐαὶ τῷ λαμβάνοντι·
εἰ μὲν γὰρ γὰρ χρείαν ἔχων λαμβάνει τις,
ἀθῷος ἔσται·
ὁ δὲ μὴ χρείαν ἔχων δώσει δίκην,
ἱνατί ἔλαβε καὶ εἰς τί·
ἐν συνοχῇ δὲ γενόμενος ἐξετασθήσεται περὶ ὧν ἔπραξε, καὶ οὐκ ἐξελεύσεται ἐκεῖθεν,
μέχρις οὗ ἀποδῷ τὸν ἔσχατον κοδράντην (Ματθ. 5,26).

誰であれ求めてくる者には与え、拒んではならない。なぜなら、御父は御自身の賜物をすべての人に与えようと望んでおられるからだ。

掟に従って、人に与える者は幸いである。なぜなら、その者は潔白とされるから。

悲しいかな、それとは反対に、ものを受け取る者は。というのも、もし困窮した状態でものを受け取るなら、その人に咎はない。

しかし困ってもいないのにむやみに受け取るような人は、「なぜそれを受け取ったのか」そして「何の目的でそれを受け取ったのか」に関し、申し開きをしなければならない。

さらに保留の身となったこの者は、これまでしてきた行ないに関する取り調べを受け、最後の硬貨を返済するまで釈放されることはない。

 


6. Ἀλλὰ καὶ περὶ τούτου δὲ εἴρηται·
Ἱδρωσάτω ἡ ἐλεημοσύνη σου εἰς τὰς χεῖράς σου,
μέχρις ἂν γνῷς, τίνι δῷς (Σοφ. Σειράχ 12,1).

これに関して、次のような言い回しがある。「誰に与えるかを本当に決めてしまうまでは、施し用のお金は自分の手の中に(汗がにじむまで)じっと握っていよ。」