目次
- ミサの犠牲に対するルター及びカルヴァンの諸反論
- ルターのミサ理解
- ①サクラメント定義からの議論
- ②「ミサにおける犠牲というのは、毎回のミサの中で繰り返しキリストが殺されるということを意味している」という反論について
- ③「ユーカリストは犠牲というよりは祝宴である」という反論について
- ④「ミサの犠牲はカルバリーから私たちの注意を逸らす」という反論について
- 結語:祭司制と犠牲
目次
イタリア、ローマ
"Alleluia; venite exultemus Domino iubilemus Deo salutari nostro. Praeoccupemus faciem eius in confessione et in psalmis iubilemus ei."(ラテン語ウルガタ訳)
アレルヤ。さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救の岩にむかって喜ばしい声をあげよう。われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。(LXX 詩篇94篇1、2節、口語訳)
アレルヤ。われらヱホバにむかひてうたひ すくひの磐にむかひてよろこばしき聲をあげん。われら感謝をもてその前にゆき ヱホバにむかひ歌をもて歓ばしきこゑをあげん。(文語訳)
続きを読む祭壇(出典)
Vern Sheridan Poythress, Understanding Dispensationalists,
Westminster Theological Seminary, PA, 1986(インターネットにて公開)