巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「ローマの首位性」に関して――カトリック教徒と正教徒の友好的話し合い

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Peter Gilbert, De unione ecclesiarum(コメント欄抄訳)

 

ヴェリタス(カトリック):カトリック教徒としてあなたにお訊きしたいことがあります。それは、ローマの首位性に関することです。

教皇ヨハネ・パウロ二世『回勅 キリスト者の一致(Ut Unum Sint)』に応答する形で書かれた正教神学者オリヴィエ・クレマン著『You Are Peter: An Orothodox Theologian's Reflection on the Exercise of Papal Primacy』のことも話題になっていますね!ぜひ購入して読んでみたいと思っています。ローマの首位性に関する問いは複雑に入り組んでいます。それで、あなたはこのテーマに関しどう考えておられるのかお聞きしたいと思ったのです。

 
ピーター・ギルバート教授(東方正教):ローマの首位性に関する私の見解ですか。そうですね、おそらくお気づきになっていると思いますが、ブログ上では私はこのテーマを慎重に避けようとしています。あなたがおっしゃるように、これは非常に重大な問いです。

正教クリスチャンとして、私は東西諸教会の間で現在進行中の対話が将来、なんらかの形における合意をみること――そこに望みを託そうとしています。そうして後、私たちの間のコミュニオン回復の道が許されることでしょう。「初代教会におけるローマ司教の立場は、ただ単にprimus inter pares(first among equals)に過ぎない。それは聖公会内におけるカンタベリー大主教のモデルのようなものだ」と主張している人々がいますが、この主張は歴史的な観点からみて忠実とは言い難いですね。

初代教会の歴史において、ローマの司教が全教会を代表する形で有効な権威を行使した重要なケースが多々あります。教会の教えを保持すべく決定的な方法で権威を行使したわけです。また、ローマ教会の権威に関し、東方教会の多くの聖人たちからの重要な証言も残存しています。例えば、証聖者マクシモスやストゥディオスの聖テオドロスなどが挙げられます。*1

しかしその一方で、多くの初代教会聖人たちがローマの諸決定や諸政策に対し異議を唱えている証拠もまた残存しています。それゆえ、「当時の教皇権威に対する捉え方」と、「現在のローマ教会のコミュニオン内で行使されている教皇権威に対する捉え方」は全く同一というわけではないとある人は考えることでしょう。異端洗礼の合法性を巡る、聖キプリアヌス(および聖フィルミリアヌス)と、教皇ステファノスとの間の不合意もその一例です*2。東方の教会状況に関する教皇ダマスス一世のアプローチに対する聖バシレイオスの不穏もそうです。

イオアンネス・ベッコスの事例においてさえ私たちは、西方伝統の中にも、ギリシア・キリスト教伝統の中に提示されているものと同じ基本信仰を見る意思を見ます。つまり、教会秩序と共に、そこにはキリストにおける基本的平等性(二つの諸伝統における等しい合法性)があるということです。リヨン公会議(Union of Lyons)の時期、フィリオクェ条項をニカイア・コンスタンティノープル信条に書き加えるよう、そして種なしパンをユーカリストに用いるようギリシア人たちを説得しようとする教皇たちがいました。が、ベッコスは、丁重に、しかしきっぱりと教皇に向かい「否」と返答しました。

正教クリスチャンとして、教会の現状況がアブノーマルであり機能障害に陥っていることを認めます。とは言え、ローマと合同したさまざまな東方諸教会(帰一教会)の歴史もまた、それが果たして機能障害の治癒として神が本来御意図された方法なのだろうかと首をかしげざるを得ないのです。その意味において、私はバラマンド宣言(Balamand Declaration)に同意しています。――つまり、メソッドとしての帰一主義(uniatism)は、キリスト教界分裂問題を解決するものとして教会が求めている回答ではあり得ないということです。(そしてこれは正教版の帰一主義にも適用されるでしょう。すなわち、私たちが‟西方典礼”を開設すれば全ては正常に戻るだろうという考えです。)*3

 

願わくば、諸教会が取り組んでいる神学的会話が真剣かつ本質を追及するものとされ、そしてそれに従事する私たちが、教会に対するキリストのみこころを求めること、そしてそこから真の実が結ばれること――これらが神の目にどれだけ重要な任務であるかを私たち一人一人が自覚することができますように。

 

ー終わりー

 

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*1:ブログ管理人注: Brian E. Daley, “Position and Patronage in the Early Church: the Original Meaning of ‘Primacy of Honour’,” Journal of Theological Studies 44 (1993). 

*2:ブログ管理人注:David Heith-Stade, Receiving converts in the Orthodox Church: A historical-analytical study of eighteenth century Greek canon law.

*3:ブログ管理人注:

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