巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

総体としてのノヴス・オルドは現在、テンプレートの次元においてプロテスタントに変換されつつあるだろうか。【現代カトリックとCCMロック礼拝】

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礼拝の本質について共に考え祈ることができたらと思う。(写真

 

元来、福音主義教会でキリストに導かれた者として、私は同胞愛を込め、カトリック、プロテスタント双方の兄弟姉妹に向けこの記事を書いています。本記事が考察やさらなる探求のための助けになるなら幸いです。さて下は、プロテスタント賛美ワーシップのビデオです。

 

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私はこの集会にかかわっている兄弟姉妹の心の動機や信仰のことは申し上げておりません。おそらく皆さん、本当に主イエスを愛する真摯な信仰者なのだろうと察します。

 

しかしながら神礼拝の本質をみつめる時、私たちはプロテスタンティズムに内蔵されている一つの致命的欠落部分に直面せざるを得ないと思います。それは、いのちの源である合法的ユーカリスト(エウカリスチア)の不在です。

 

元賛美リーダーのレス・ラムキン氏が述べているように、現代プロテスタント礼拝にみられる「プレイズ&ワーシップ」は、まさしく、その欠落部分を補うべく60-70年代に発生してきた(聖体拝領に置き換わるところの)「ミュージックによる新サクラメント」という側面を持っていると思います。*1

 

しかるに、そういった現代プロテスタンティズムの後に続けとばかりに、ノヴス・オルド現代カトリック諸教会が同様のCCMロック礼拝をミサに取り入れているというのは一体どういう訳なのでしょうか。 *2

 

カトリック教会の新ミサにはエウカリスチアがなんらかの形で「不在」なのでしょうか。そう考えない限り、この現象に説明がつかないように思われます。あるいは、総体としてのノヴス・オルドは現在、加速度的に、テンプレートの次元においてプロテスタントに変換されつつあるのでしょうか。

 

もしそうなのだとしたら、上記のプロテスタント・ワーシップの様子は、十年後のミサ風景になっているのかもしれません。

 

ー終わりー