おさなごのような心で、
あなたの心を喜ばせ、広げ、鎮めることのできる
あらゆるもののために
〈場所〉をおつくりなさい。
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「御子の十字架は、あらゆる側面において、あらゆる痛みにおいて、母なる心を刺し通す両刃の剣となります。両者の悶絶は等しく計り知れないものです。唯一の違いは、動的にして、自発的、そして自ら進んでの御子の受容が、母においては静的、不可避的な共受容(co-acceptance)となったことです。」パリの聖マリヤ*1*2
*1:Skobtsova, Essential Writings, 68.
*2:パリの聖マリヤ。
1891年ラトヴィア生まれ。ロシア革命時に亡命。亡命者、貧しい者、孤独な者に奉仕。第二次世界大戦時にはナチス占領下のフランスで、ユダヤ人達を助け続けたが、ついにゲシュタポに捕えられる。ラーフェンスブリュック強制収容所に送られ、1945年、ガス室にて殺害された。2004年、コンスタンディヌーポリ総主教庁の聖シノドにより列聖。記憶日は7月20日。参照。
聖トマス・アクィナス(出典)
Andrew Louth, The Dumb Ox and the Orthodox: A Review of Orthodox Readings of Aquinas by Marcus Plested, First Things(抄訳)
Marcus Plested, Orthodox Readings of Aquinas, Oxford University Press, 2012
ギリシャ人はラテン文化にはなんら関心を持っていませんでした。古典期がそうでしたし、その傾向は教父たちにも継承されました。(但し、ギリシャ人たちの、大聖グレゴリウスに対する関心は例外。)
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