巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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トマス・アクィナスと正教ーーマークス・プレステッド著『Orthodox Readings of Aquinas』書評(by アンドリュー・ラウス、ダラム大学)

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聖トマス・アクィナス(出典

 

www.firstthings.com

 

Andrew Louth, The Dumb Ox and the Orthodox: A Review of Orthodox Readings of Aquinas by Marcus Plested, First Things(抄訳)

 

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Marcus Plested, Orthodox Readings of Aquinas, Oxford University Press, 2012 

 

ギリシャ人はラテン文化にはなんら関心を持っていませんでした。古典期がそうでしたし、その傾向は教父たちにも継承されました。(但し、ギリシャ人たちの、大聖グレゴリウスに対する関心は例外。)

 

しかし13世紀の終盤、変化が起こるようになります。1274年の第二リヨン公会議で協議された再統合をビザンツ側が明白に拒絶した後、ミカエル8世パレオロゴスは、ギリシャ人たちにラテン神学についての情報を教唆すべく、アウグスティヌスの『三位一体論(De Trinitate)』翻訳プロジェクトを開始します。

 

翻訳者はまたボエティウスの『哲学の慰め(De Consolatione Philosophiae)』、それからオヴィディウスの作品も何篇か訳しましたが、そこから見て取れるのは、ギリシャ人の間におけるラテン文化に対する純粋なる関心です。

 

皇帝によって開始されたこのプロセスはその後も続き、瞬く間に拡大していきました。その中でも最も顕著な例は、トマス・アクィナスに対するビザンツ人の関心です。

 

1354年にまずトマスの『対異教徒大全(Summa Contra Gentiles)』が翻訳され、その後、『神学大全(Summa Theologiae)』の大部分、幾つかのquaestiones、opuscula、そしてアリストテレス註解書が翻訳されていきましたが、これら全ては、アクィナスに関する解説や論評、反論を含んだ著述群によって裏付けられています。

 

そしてこのプロセスはビザンツ帝国の終焉時(1453年)まで続きました。以上が、マークス・プレステッドの高尚なる本著書の核心であり、未だ不完全にしか概説されていない研究領域における彼の厖大なる博識と研究の結実がこの書の中に如何なく表されています。

 

プレステッドの語りはやや趣を異にしています。彼はーー「ビザンティン・スコラ学」と呼ぶところの文脈の中にーーアクィナスを位置させることを望んでいます。つまり、論理や議論を用いつつの、神学諸問題に関する造形深い分析の伝統のことであり、彼はその伝統を8世紀の教父ダマスコの聖ヨアンネスの著作『知識の泉』に辿っています。

 

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ダマスコの聖ヨアンネス

 

聖ヨアンネスは元々イスラム教カリフに仕官する役人でしたが、その後エルサレム近郊で修道僧になり、生涯を祈りと学術に捧げました。

 

プレステッドは、この伝統をさらに、フォティオス1世 (9世紀の偉大なコンスタンディヌーポリ総主教)や、ミカエル・プセルロス(11世紀における「哲学者たちの執政官」)などといった偉大な学者たちに辿っています。

 

これらは確かに学術性の非常に高い伝統でしたが、中世盛期のスコラ学の様相とは大きく異なっています。中世盛期のスコラ学は、三段論法式論拠を用いつつ組織的に神学を提示していくための鋭敏さ、といったもの以上のものです。

 

中世スコラ学は大学機関の成長から生まれた産物であり、それは、学生たちを巡り、教師たちの間に激しい競合を生みました。競合は質問(quaestio)を通し進められ、教師は自分の諸見解に対する諸反論・挑戦(“questions”)を受け付けた上で、それらの問いに対し高度な学識と議論をもって応答していくのです。

 

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中世の大学の授業風景(出典

 

しかし当時、大学もほぼ皆無であり、制度的競合もなかったビザンティン東方世界にはそれに匹敵するようなものはありませんでした。ですがここで、プレステッドは正しくも、アクィナスがギリシャ神学(特に彼のキリスト論において)、及び、ダマスコの聖ヨアンネス、ディオニュシオス・アレオパギテスに帰されている著述群に恩恵を受けていることを明確に示しています。

 

ギリシャ神学に対するこの関心は、他のどのスコラ学者よりもアクィナスの内に際立っています。プレステッドはまた、グレゴリオス・パラマスが神学諸事項において理性を用いることを擁護していた事実に注目しています。

 

称賛すべき本書の諸特徴の一つは、著者はこのように、東方と西方が共有しているものに対しこまやかな配慮をしていることです。著者のストーリーは魅力的で、東方・西方伝統それぞれの神学者たちに多くの新鮮な驚きを与えることでしょう。

 

(ビザンツ帝国崩壊一世紀前の)東方ビザンティン世界におけるアクィナスへの関心は、西洋と並行してはいませんでした。というのも、西洋においては、ドゥンス・スコトゥス及びウィリアム・オッカムによる攻撃、哲学分野における唯名論の勃興、そして神学における‟二権力”教説によってトマスの合理的形而上学が解体されたことにより、トマスの人気は当時すでに下り坂になっていたからです。

 

その後、1879年になってようやく、教皇レオ13世の回勅『アエテルニ・パートリス』により、カトリック神学者、共通博士(Doctor communis)としてのトマスの位置づけが確証されました。

 

なぜトマスに対するこういったビザンツ側の関心があったのでしょうか。それに対しプレステッドは推測していません。彼は事実に着目した上で、ビザンツ思想家たちのアクィナスへの取り組みに関する詳細事実を提供しています。そしてこれらの事実は、これまで一般的に受容されてきた見識に動揺を与えることでしょう。

 

後期ビザンティウムの知的世界全域に渡り、トマスへの熱い関心がみられましたが、それはいわゆるヘシュカスト論争(祈りの中で、ーー特にイイススの祈りを用いた祈りを通しーー、神格における非被造の光にかんする純粋なる経験に与ることが可能であるとするアトス山修道士たちの主張を巡っての論争)を経、破砕しました。

 

プレステッドが指摘しているように、ヘシュカスト論争は、ビザンツ舞台にトマスが出現する以前にすでに解決されていました。近年、正教のある一角において、アクィナスおよびグレゴリオス・パラマス(ヘシュカスムの主要な神学的擁護者)に敵対する動きがありますが、14世紀においてはそのような事はありませんでした。実に、ニコラス・カバシラスやニケアのテオファネスといった卓越したパラマス支持者たちは、アクィナス神学の諸要素を熱心に用いていたのです。

 

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聖ニコラス・カバシラス

 

アクィナスに対する正教の関心はビザンツ帝国崩壊後も衰退することはありませんでした。オスマン帝国統治期、ビザンツ人のトマスへの取り組みは間接的である場合もありました(西洋におけるトマスに関する知識の大半もまたこの時期、間接的なものでした)。プレステッドは、今日ほとんど忘れ去られている思想家たちーー例えば、クルスーラス、ダモドスーーに言及しており、彼らは天使博士トマスに対する純正なる知識および理解を示していました。

 

著者は19世紀以前の、トマスに対するロシア人の取り組みについて概説した後、19世紀より始める現代期へと移っていきます。二、三の著作はあまり詳しい取扱いを受けていませんが(例えば、Olga Meerson やMyroslaw I. Tatarynの著作)、概して彼は現代期に関し、鋭利なる検証をしています。

 

20世紀に入ると、正教思想家たちの間における驚くべきアクィナス受容は減退していきます。こうして、アクィナスこそが、西洋における様々な ‟破綻” の元凶だという見方になっていきました。ーー偏狭にして法的合理主義、人間の神理解に対する傲慢な自信等。

 

プレステッドは終章において、正教徒たちが自らの伝統に対する自信を回復するよう呼びかけています。それにより、より良き理解と情熱をもってアクィナスに応答し、彼の神学的業績に取り組むことが可能とされるためです。

 

ただこの部分はやや不明瞭です。おそらくそこを掘り下げるにはさらにもう一冊別の本を必要としているのでしょうし、おそらく彼は続編を念頭においていると思います。次なる著述を待望しています。

 

ー終わりー

 

「教会は、全世界に広がっていても、一つの家に住んでいるかのように、注意深く使徒の信仰を守る。ただ一つの魂、同じ一つの心をもっているかのように、この真理を信じる。ただ一つの口をもっているかのように、完全に一致しながら、この真理を告げ知らせ、教え、伝える。世界のことばが違っても、伝承の力は唯一、同じである。ゲルマニアに創立された教会が、違う信仰を受けるわけでも、伝えるわけでもない。イスパニア、ガリア人や東方の民の間、エジプト、リビアに創立された教会でも、世界の中心の地域に創立された教会でも、同じである」リヨンの聖エイレナイオス、2世紀*1

 

↑マタヴァ教授へのインタビュー。アクィナスとパラミズム(Palamism)の和解の助けにもなる洞察が与えられています。

*1:『異端反駁』:Adversus haereses 1, 10, 1-2