巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

美しいフランスとそこに息づく美しい人々

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Head Covering Movementで共に翻訳の働きをしているフランスのカロリーヌが家の近くの写真を撮って送ってくれました。

 

目の覚めるようなブルーと若緑。彼女は、フランスの片田舎に居を構えているのですが、なんとそこはGPSにも探知されないくらい鄙(ひな)びたところにあるのです。

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私がクリスチャンの教理論争史を愛しんでいる理由――Exclusive Psalmody Debateの事例から【キリスト礼拝の本質を考える】

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私は、クリスチャンの教理論争史にとても興味があり、それらの文献を読むのが好きです。そして今日はみなさんに、私がなぜExclusive Psalmody Debate(礼拝時に詩篇歌だけを歌うべきか否かの論争)を愛しているのか、その理由をお分かち合いしたいと思います。

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奥まった森林を歩いていたら

親愛なる私の姉妹へ

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奥まった森林を歩いていたら、上のような可憐な花をみつけました。

 

狭く、身動きのとれない場所にあなたはいます。

〈私には、移動の自由はありません。〉

 

細い根と、細い茎でやっと立っています。

〈だから乱暴な風さん、どうか私のところには来ないでください。〉

 

ああ、あなたは美しい。

あなたのその小さな身には、

創造主の美がくまなく映し出されています。

 

ゴスペルフラ問題 Q&A+検証記事のご案内

ゴスペルフラ現象に関することですが、あるサイトで、この問題について真摯に取り組んだ末、ゴスペルフラを習うことにした方のコメントを拝見いたしました。この方のご見解と信仰に最大限の敬意を払いつつ、みなさんとご一緒に考えていけたらと思います。

 

 イスラエルの民謡舞踊マイムマイムが実はイスラエルの賛美の一つだというのをご存じでしょうか。聖書には歌って踊り賛美をした、喜び踊ったという表現が数多く出てきます。

 日本に伝わったキリスト教は西洋からのものでオルガンや讃美歌による礼拝の形が出来上がったもので、それが正統で厳かで正しいというのが一般的な認識でしょう。ではイスラエルでオルガンや讃美歌がなければ主を賛美出来ないかと問われたらそうではないと思います。

 その国、その土地にあった礼拝の仕方や賛美があってしかるべきだと思います。日本でも方言で聖書を翻訳し(ケセン語)それが高齢の方々に受け入れられているということもあるそうです。

 ゴスペルフラの起源は、キリスト教を忌み嫌い全く受け入れてくれない母親にある少女が何とか母にわかりやすい形でイエス様を伝えられないかと考え出したもので、馴染みの踊りの形に手話で福音を語ることから始まったそうです。

 日本のゴスペルフラの主宰の方々は「主の前で、力の限り踊ったダビデのように、こころからの賛美を捧げること、神への真の礼拝を捧げることを学びます。それが、喜びとなり、あなたの人生が変えられ、霊的に豊かに成長することが、目的です。」と述べられています。

 異教の神を崇める激しい動きのタヒチアンと性格が異なります。聴覚障害や言語障害の方が手話で讃美歌を歌うのと同じです。

 私も、聖書や讃美歌を拒否して読むことも歌うこともしないけれどもハワイは好きという80歳の母に福音を伝えたいと祈り、最近ゴスペルフラの練習を始めました。

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公正さ(fairness)についての省察――隣人をより良く知り、より深く愛していくために。

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ゴスペルフラ現象についての記事でお話しましたように、私は先日、アメリカ人の宣教師の方から、現代英語のredeem「贖う」は、(聖書的・狭義の用法だけでなく)もっと広義な意味合いでも使われる動詞でもあるということを教わりました。

 

翻訳者として、これは自分にとって重要な気づきでした。というのも、仮に、英語を母語とするA氏の語彙ストックの中のredeemと、英語を母語としない私の語彙ストックのredeemの意味範疇に違い(or ズレ)があった場合、それは、読解・翻訳というプロセスの中で、(無意識的に)私の側にある種の「傾眼」「バイアス」を生じさせる可能性があると思うからなのです。

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地と天(ピューリタンの祈り)

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おお主よ、

かろうじて生き延びることができるほどの

小さな桶水にうごめく魚のように

私はこの地で生きています。

 

しかし天にあって、私は海洋で心ゆくまで泳ぐことでしょう。

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キリストとアロン(イサク・ワッツの信仰詩)

イエス、汝の中にあって、

私たちの眼は

アロンの子たちの壮麗な珠玉や磨かれた金に

幾千倍にまさる汝の栄光の輝きをみています。

 

彼らはまず自分自身の罪から清められるために、

全焼のささげ物を携えて来なければなりませんでした。

しかし汝の生は、一点のしみもない聖であり、

汝のご性質はことごとく清くあられます。

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