昨日、ロザリア姉妹のインタビューを聞き、その中で語られている彼女の力強く、真実な証しに感動しました。一人一人の人生の旅路において、主がどのように魂に介入し、ご自身を啓示してくださるのか、私たちはそのくすしき御業にただ賛美と感謝をささげるのみです。
Rosaria Champagne Butterfield, a former tenured professor of English and women’s studies at Syracuse University
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昨日、ロザリア姉妹のインタビューを聞き、その中で語られている彼女の力強く、真実な証しに感動しました。一人一人の人生の旅路において、主がどのように魂に介入し、ご自身を啓示してくださるのか、私たちはそのくすしき御業にただ賛美と感謝をささげるのみです。
Rosaria Champagne Butterfield, a former tenured professor of English and women’s studies at Syracuse University
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雅歌8:5-7、13、14
荒野から上って来る、
このひと――この苦悶のひとはだれでしょう?
悲しみと罪に押しつぶされ、
愛する主の胸に寄りかかっているひとは。
そうです。彼女はわれらが神、キリストの血潮によって
買い取られた花嫁です。
そして彼女の求め、嘆き――、
それは、すべての聖徒の声なのです。
続きを読む少し前に、伝統教会系のカルト化した某団体からやっとの思いで脱出することのできたある姉妹から連絡をいただきました。
実際に中に入ってみなければ分からない内部の実態や魂を監督する「牧者」からのメンバーに対する巧妙な心理的操作などに、なにかホラー映画を観ているような恐ろしさを感じると共に、その環境や縛りから、主の力強い御手によって、彼女が出エジプトを果たすことができたことに対し、私たちは主に感謝を捧げました。
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新生した信仰者が懐疑や不可知論の沼に陥ることはあるのでしょうか。他の人の心や思考のかたちは目に見えないので客観的なことは何も言えませんが、私個人に関して言えば、そうだと告白せざるを得ません。この状態に陥ると魂は、必死の抵抗にも関わらず、うす暗い淵へ底へと足を引っ張られていきます。ダビデが「泥沼」(詩40:2)と表したあの場所にです。
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R・B・カイパー著、山崎順治訳『聖書の教会観―キリストの栄光のからだ―』より抜粋
The Glorious Body of Christ: The Ideal of Visible Unity, by R. B. Kuiper (1886-1966)
目次
キリストの教会は、その内面的実在と同様に、理想的には外見的にも一つになるべきであるということは、否定できません。その意味で、初代教会に似るべきです。初代教会は、後の時代の教会の模範としての意義をもっています。
(訳者註:当時のローマ社会も、初代教会クリスチャンの偽りのない兄弟愛に注目し、「見よ。彼らはなんと互いに愛し合っていることか!」と感嘆の声を挙げていたとテルトゥリアヌスは記しています。Tertullian, Apology, chapter 39.
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礼拝は、「すべてのことにおいて、あなたが絶対的に第一の方であります」と神に正当な場所を与えるものです。また礼拝は、神に、その本質とみ業とのゆえに当然ささげまつるべき賛美とほまれと栄光をささげるものです。
「人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである」というのはまことに至言です。私たちクリスチャンは、三位一体の神と、創造・贖罪・新生に現されている主の聖なる属性とに想いをひそめる時、驚嘆と畏敬と敬慕と礼拝とにわれを忘れることでしょう。こうして信仰者は、これら一切を可能にしたもうたおかたにもろもろの栄光を帰すのです。
続きを読む執筆者:ケビン・デヤング(Kevin DeYoung)
私は改革派教会で育ったのですが、他の多くのクリスチャンと同様、聖書学校に入るまで、「規制原理(Regulative Principle, 以下RP)」という言葉を一度も聞いたことがありませんでした。それは私のアイデンティティーの根幹には無いものだったのです。しかし時を経るにつれ、私はますますRPの存在をありがたく思い、感謝するようになっていきました。
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