巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

地上における礼拝――永遠なる聖徒の任務の序曲(A・P・ギブス)

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礼拝は、「すべてのことにおいて、あなたが絶対的に第一の方であります」と神に正当な場所を与えるものです。また礼拝は、神に、その本質とみ業とのゆえに当然ささげまつるべき賛美とほまれと栄光をささげるものです。

 

「人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである」というのはまことに至言です。私たちクリスチャンは、三位一体の神と、創造・贖罪・新生に現されている主の聖なる属性とに想いをひそめる時、驚嘆と畏敬と敬慕と礼拝とにわれを忘れることでしょう。こうして信仰者は、これら一切を可能にしたもうたおかたにもろもろの栄光を帰すのです。

 

ロバート・ホールは次のように言っています。「神のご性質を十分にわかることができれば、礼拝こそ私たちの最高の務めとなるでしょう。この御方を黙想するとき、いくら深く考えても考えすぎるということはありません。私たちが語っている相手は無限の対象であって、その本質と目的との深遠さは、とうてい、私たちの達することのできるものではありません。

 

これは幸福に輝く光景の感動に、新鮮さと驚きとを与え、永遠につづく礼拝に妙味を添えるでしょう。これによって、神はたえず新たに光を注ぐことがおできになり、その性格についてもっと深く知らせることができ、その完全性の新しい部分を現すことができ、ご自分のなおすばらしいところを啓示してくださるでしょう。

 

こうして私たちは、神の無限性がとうてい汲み尽くせるものではなく、いくら汲んでもまだ現れていない性質が残っていること、また、神のご計画の中には、まだ被造物の目の前に現わされていない、いろいろなことがあるのを知るでしょう。私たちは神の道の一部分しか知らず、私たちの主題を論じ尽くせるどころか、永遠なるお方についての理解を一歩も進めることさえできないのです。」

 

神の目的は啓示されています。「わたしは、わたしに近づく者のうちに、わたしの聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現すであろう」(レビ10:3)。それゆえに、人間にとって、神に栄光を帰すことほど大きな任務はないのです。そして礼拝は、神に栄光を帰するものです。

 

神は、その造り給った人間から礼拝をお求めになります。無限の代価を払って、神は一つの道を用意し給いました。この道により、人間は神に贖われ、神のみまえに受け入れられ、神に近づき、神から祝福され、神の礼拝者になれるのです。

 

その血によって贖われた民がみまえに礼拝して、ひれ伏すとき、三位一体の神の目的は達せられ、それによって神は栄光をお受けになられます。その愛子に与えられたご自身についての啓示によって、父は栄光をお受けになるでしょう。そしてご自分を犠牲にされて達成されたみわざによって、御子は栄光を受けられるでしょう。

 

聖霊も栄光を受けられるでしょう。なぜなら、聖霊によって啓示は記され、聖霊の内住が信者の礼拝を可能にするからです。こうして礼拝は、父と子と聖霊とに栄光を帰するのです。

 

 

礼拝の重要性は、それが永遠の任務であるという点にみられる(黙4:9)

 

神の黙示の完成をなす書(黙示録)の中で、私たちに永遠への言及が与えられています。この啓示から私たちは、神を礼拝することが、永遠の御国での主要任務であることを発見するのです。

 

4章でヨハネは、声が「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起こるべきことを見せてあげよう」(1節)と言った後で、驚くべき幻を示されたことを述べています。そして四つの生き物が、御座の上にいますおかたに栄光とほまれを帰するとき、24人の長老は、神のみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、「われらの主なる神よ。あなたこそは、栄光とほまれとを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります」と言いました。

 

ああ、願いをまったく混じえていない純粋な礼拝がここにあります!それは、永遠の神の、真の尊さのゆえに尊さを神に帰することです。

 

こうしてヨハネは、未来の出来事の幻の最初のところで、永遠の中で礼拝が占める重要な位置とその重要性とを、自分の心に刻印しました。すべての時代の、すべての贖われた人々が、その血によって彼らを集めてくださったお方の御前に集まる日は、なんという栄光の日でしょうか!

 

肉が永久に捨てられてしまったために、その調和した立派な音楽に不協音が一つも混じらずに、永遠の神に礼拝の大合唱がのぼる!人間が勝手に設けたさまざまな小さい囲いなどでひとりひとりが隔てられることはもはやないのです。

 

こうして神の民は、一切の宗派による区別をもたず、「ついに一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるであろう」(ヨハネ10:16)との、主の御言葉が完全に実現するでしょう。そしてヨハネ17章の祈りの中でキリストが言われた、「父よ。それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります」との願いがついに成就をみるでしょう!

 

こうして、地上ではじまる礼拝は、私たちの永遠の任務の序曲でしかありません。願わくば、礼拝の重要性を正当に評価し、神の恵みによって、地上にある間、私たちの心から、多くの礼拝がたち上りますように!こうして、私たちは、永遠の神をお喜ばせするだけでなく、啓示された神の目的そして、天の任務とも一致をみることでありましょう。