巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーアンドリュー・プレスラー師の信仰行程【その2】

〔その1〕はココです。

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使徒継承(Apostolic Succession)出典

 

目次

 

Douglas Beaumont, ed., Evangelical Exodus: Evangelical Seminarians and Their Paths to Rome, 2016(抄訳)

 

使徒継承とユーカリスト

 

長老教会に通い始める

 

南部福音神学校での学位取得の数か月前に、私は伝統的な長老教会に通い始めていました。

 

ある日、プライベートな話し合いの場で、その教会の牧師は私に次のことをおっしゃいました。「(長老派教団の条例により)聖餐に与るための資格として、あなたは ‟福音主義” 教会の良き会員でなければなりません」。(この文脈における‟福音主義”とはおそらく、「プロテスタント」もしくは「保守的なプロテスタント」を意味しているように思われました。)

 

それまでの私の理解では、「人が教会の一員であるのは、その人がひとえに真の福音を信じることを通し救われたから」でした。ですから、教会メンバーシップのためにバプテスマや信仰告白やその他どんなことも要求されていないはずだーーそう思っていました。

 

「可視的な教会」と「不可視的な教会」

 

しかし自分のこの考えが主として、「目に見えない不可視的な‟普遍的教会”」という概念に基づくものであったのに対し、(聖餐を受けるにあたっての必要条件を述べた)この改革派教会の牧師はそんな自分とは違い、明らかに一つの可視的な教会におけるメンバーシップを念頭に置いていました。*1

 

私はこの事をじっくり考えてみました。そしてはっと気づいたのです。自分はこれまでの人生でただの一度も、可視的な教会の会員になったことはなかったと。(生育した母教会であってさえも私は会員ではありませんでした。)確かに私は御父、御子、御霊の名によって、水のバプテスマを受けていました。しかしその出来事がどういう形で教会メンバーシップにつながっているのかは定かではありませんでした。

 

さて今、私は、聖餐を受ける資格を得るべく一つの可視的教会に正式に参入するよう鼓舞されているのでした。そしてこの事を通し、聖書学校でしばらく考えあぐねていた例のあの問題が再び浮上してきたのです。

 

すなわち、

この長老教会やどこか別の ‟福音主義” 教会で聖餐を受けるのと、

家で一人で、もしくは二、三人の信者たちと集まり、私自身がパンと葡萄酒の上に「聖餐のことば」(マタイ26:26-28)を唱え、聖餐に与ること*2

との間にある本質的相違は一体何なのだろう?という問いです。

 

(尚、4年前にこの問いを発した時点では、私はキリスト教会における奉職対等主義(ministerial egalitarianism)という原則を信奉していましたが、この時点で私はもはやその原則に対する自信を失っていました。)

 

確かに新約聖書は全ての信者が祭司であることを教えていると思います。しかし聖書はまた同時に、使徒たちに特別な種類の力および権威が授与されていたことを明らかにしています。そしてその力と権威は直接キリストから授けられたものです。*3 

 

一方においてキリストご自身が主の晩餐/ユーカリストを祝うよう使徒たちにお命じになりました。「わたしを覚えてこれを行ないなさい。」そしてそれを受け、使徒たちは出ていって各地に諸教会を設立しつつ、諸教会の中で奉仕および権威を持つ特別な立場に就く人々を任命し、それらの諸教会に、ユーカリストを祝うよう命令を出しました。「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。」(1コリ11:23)

 

しかし、「ユーカリストを執行するに当たり、誰に権威が授与されたのか?」に関し、新約聖書は明確な答えを出していないように思われました。

 

ですが、先に申し上げました通り、「教会史はキリスト教信仰や慣習について私たちに情報を伝えているはずだ。そしてそうだからこそ、聖書の中で(直接的に、もしくは演繹によって)答えの出されていない問いであっても、私たちは、『これこれの問題はアディアフォラな問題だ』、あるいは『これこれの問題は恒久的に、原則的に、解決不可能な問題である』と必ずしも範疇づける必要はないのではないだろうか」という点を私は確信するようになっていました。

 

そこで私はこの問いに関する手がかりを探そうと初代教会の歴史を調べ始めました。すると、AD107年頃に書かれたアンティオケの聖イグナティオスの書簡が私にその答えを提供してくれていることを知ったのです。

 

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アンティオケの聖イグナティオス(出典

 

聖イグナティオスは、合法的なユーカリストとは司教、もしくは司教がこのサクラメントを執行するよう任命した誰かによって執行されるものであると述べています。*4

 

このようにして、キリストご自身の手で始められたユーカリストは、使徒たちを通し受け入れられ、継承され、それが司教たち、そして司教たちが任命した人々(長老たち)へと受け継がれていきました。

 

さらに調査をする中で明らかになったのは、これは深遠に歴史的なものであり、実に1300年もの間、教会政治(Church polity)の普遍的形態であったということでした。

 

司教制(episcopacy)というのは本当に聖書的なのだろうか?ーー私の探求

 

しかし、この「司教制(episcopacy)*5」というのは本当に聖書的なのでしょうか?この点で私は未だに疑心暗鬼の状態にありました。

 

ーー本来、教会は、‟長老主義”(もしくは‟会衆派主義”)の形態であった。しかし不幸なことにそれが1世紀の終わりか2世紀の中盤頃に死に絶えてしまい、それにかわって、キリストや使徒たちが決して意図していなかった「司教制」というものに誤って置き換わってしまったーー。そうではないのでしょうか?

 

一般的に認められているように、新約聖書やその他の初期キリスト教文書の中では、ἐπίσκοπος(bishop)、 πρεσβύτερος(presbyter)という単語は教会の中における二つ別々の役職を示す名称として使われていたわけではありません。(少なくとも、明確に一貫性を持って使われていたわけではありません。)

 

むしろἐπίσκοπος(bishop)とπρεσβύτερος(presbyter)は、(使徒たちを含め)叙階された奉仕者たちを指し示す用語として記述的に、互換的に使われていました。そしてこれらの用語が二つ別箇の役職名として明確に一貫性を持って使われ始めたのは使徒時代の終わりになってからです。*6

 

こうして、二世紀の終わりまでには、ーーbishop, presbyter, deaconという三つ別々の役職で特徴づけられる司教制が、教会全域に渡っていたことが裏付けられており、そして歴史を通しそれは全地域で保持されていました。(*ただし、幾つかのセクト及びプロテスタント共同体は除きます。)

 

にもかかわらず、最初期のキリスト教文書内におけるἐπίσκοπος(bishop)とπρεσβύτερος(presbyter)の語用法ゆえに、私はいつも「bishopとpresbyterという役職の区分化は教会内に生じた非合法的発展である」と思っていました。

 

でもその時点で私は、次のことを全く考慮に入れていませんでした。ーーすなわち、教会政治形態におけるこの根本的ポイントに関し、使徒時代のまさに直後に、いかにして教会がまたたく間に、そして普遍的に、誤謬に陥ってしまったのだろう*7?そんな事があり得るのだろうか?そして仮に教会が誤謬に陥ってしまっていたのなら、なぜそれに抗議する一般的反論の文書群が一切存在せず、また人々はこの致命的誤りに対処すべく教会会議を開こうともしなかったのだろうか?

 

この事を深く熟考していく内に、私は思ったのです。「もしや、この点に関し、事を見誤っていたのは、普遍教会ではなく、むしろ自分の方だったのかもしれない。」そこで私は別の視点からこの問題をみてみることにしました。

 

まず最初に気づいたのは、聖職者の二層制(①bishop-presbyters 〔司教-長老〕& ②deacons〔助祭〕)を主張する上で、私はきわめて明確にして根本的な一点を見落としていたということでした。すなわち、③使徒たち自身の働きです。

 

使徒たちが、他のbishop-presbyters 〔司教-長老〕たちの上に固有の権威を持っていたことは明確です。彼らは正統教理を確立する権威を有し、諸教会の秩序を整えること(他のbishop-presbyters やdeaconsを任命/叙階すること等)においても権威を有していました。

 

教会におけるこういった使徒的権威は、使徒に対する主の任命(ルカ10:16;マタイ28:19-20)、使徒行伝、新約書簡の内容に証拠立てられており、これらの大半は使徒たちによって執筆され、彼らはさまざまな事項に関する権威ある指示を提供しています。

 

さらに、(使徒たちの死と共に新しい公的啓示の時代は終わったということが一般に広く認証されるようになりましたが)使徒的権威がテトスやテモテなどの人々に継承されたことが新約聖書の中に示されています。

 

テモテとテトス(出典

 

これらの人々は、自らがbishop-presbytersであったことに加え、ーー使徒たちの伝承を保持し(1テモ6:20)、諸教会の秩序を整え(テトス1:5)、その他の司教、長老たちを任命するべく(1テモ5:22)ーー、その他のbishop-presbytersの間にあって、固有の司牧的監督を行なっていました。

 

そして最終的に、bishop(司教)という語は、そういった種類の奉仕職を指し示すものとして排他的に使われるようになり、一方のpresbyter(長老)は、そういった監督機能は為さないけれども、ユーカリストを執り行い、教え、司牧するべく司教によって任命/叙階された奉仕者たちのことを指すようになりました。

 

こうして、教会の働きにおける使徒的構造及び権威は、リトルジカルでサクラメント的生活と整合しつつ、「使徒たち+彼らの同胞のbishop-presbytersおよびdeacons」から「司教たち+彼らの同胞のpresbytersおよびdeacons」への移行期を通し、引き続き保持されてきました。

 

教え、統治、聖別(サクラメントの執行)における司牧的権威はキリストによって使徒たちに授与され、使徒たちから司教たちに授与され、彼ら司教たちはpresbytersおよびdeaconsと共に信徒たちに奉仕します。

 

さらに、「王である祭司」としての信徒たちは、司牧者たちとの一致の内に生けるこの伝統の内に忠実に生きることによって神に仕えます。そして教会は内側から建てられ(エペソ4:11-16)、世界に対する「塩と光」となります(マタイ5:13-16)。

 

ユーカリストに関する初代教会の理解ーーキリストの実在

 

司教制の起源と発展について調べている間に、私はユーカリストに関する初代教会の理解についての認識を深めるようにもなりました。それはこのサクラメントを執行するに当たり誰に権限が与えられているのか(つまり、使徒継承につながる司教や長老たち)という事柄だけでなく、聖別された聖体におけるキリストの実在*8に関することにも及びました。「これがわたしのからだです、、これがわたしの血です。」

 

東方キリスト教世界といわず西方キリスト教世界といわず、全世紀を貫き、普遍的教会は、ユーカリストの執行の中で、「パンと葡萄酒が本当にキリストのからだとなり血になる」ということを信じ教えてきました*9。そして聖体拝領者/領聖者は、拝領を通し、魂のさいわいと救いを受け取るのです。

 

また教会は全域にわたり、「ユーカリストが神に喜ばれる真の犠牲であること」を信じてきました。(もちろんこれは犠牲者である主の反復的死を意味するわけではありません。)

 

こういった事柄に関する歴史的教会の教えになじんでいくにつれ、私は新約聖書の中の犠牲的用語や暗示に気づくようになっていきました。

 

こうして私は、叙階された司祭たちによる奉仕の働きは、キリストの御業に反立するものでは全くなく、その反対に彼らはその御業に参入しつつ、(働きの有効性を)完全にキリストの御業に依拠しているのだということを信じるに至りました。(ローマ15:16、1コリ5:7-8、10:14-22、2コリ5:11-21、ヘブル13:10)。

 

さらに探求を続ける内、さまざまなプロテスタント諸教派が歴史的にどのようにキリスト教礼拝の本質ーー特に主の晩餐のサクラメントーーに関し理解してきたのかについての知識が深まりました。

 

私の調べた限りで言いますと、指導的プロテスタント宗教改革者は皆、「ユーカリストはなだめの犠牲である」という伝統的理解を拒絶し、また「ユーカリストにおけるパンと葡萄酒は不可視的にキリストのみからだと血に変化すること」を否定していました。*10

 

さらに、全てのプロテスタント諸教会は、使徒たちから継承されたものしての司教や長老(司祭)の聖職を拒絶し*11、その代りに、自分たち独自の任職制度を発達させていきました。

 

にもかかわらず、最初期のプロテスタント教徒の幾人かは、サクラメント的コミュニオンの性質や有効性に関する肯定的思想を持っていたことも事実であり*12、そういったものは自分が今まで接してきた現代福音主義のどの形態の中においても見い出すことができず、ひどくかけ離れたものでした。

 

主の晩餐に関し一体何を信じたらいいのか、何を告白したらいいのかよく分かりませんでしたが、どんな方法であれ、主が御意図された方法でキリストと一つに結び合わされたいと私は望んでいました。*13

 

英国国教会

 

こういった試行錯誤の中で浮上してきたのが英国国教会でした。英国国教会および全世界のアングリカン・コミュニオン(聖公会)は、ユーカリストを含めたほとんどの信仰事項に関する点で最も寛大な許容範囲を許しているように思われました。

 

そしてこれは自分のように、教理の重要な点でいろいろと高い関心を示しつつも、未だにそれらが真であるのか偽であるのか確信を持つことができないでいる人にとって最適の場所であるように思えました。

 

またさらにすばらしい事に、聖公会では司教制が採られており、共通祈祷書の中に収められている優雅な形態のリトルジカル礼拝が執り行われているのです。

 

長老主義および改革派の伝統の中で私が経験したことはそれはそれで麗しいものでしたが、教会史の深みに分け入っていくにつれ痛感したのは、キリスト教伝統の宝の多くが、長老主義/改革派の中からすでに喪失してしまっているのではないかという懸念でした。それで私は思いました。失われてしまった宝の少なくとも幾つかはアングリカン主義の中で見い出されるかもしれないとーー。

 

その3】に続く

*1:訳注:「可視的教会」「不可視的教会」について

*2:訳注:

↓は「自宅で行なうセルフ・コミュニオン」の解説ビデオ(by ジョイス・マイヤー女史)

*3:訳注:

*4:訳注:

*5:訳注:ギリシャ正教会の訳語では「主教制」

*6:Ignatius, Epistle to the Magnessians, chap.6.参照。

*7:訳注:チャールズ・ホッジの区分ーー「部分的背教」と「完全背教」

*8:訳注: 

*9:訳注:

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*10:訳注: 

その2】【その3】【その4】【その5

*11:訳注: 

*12:訳注:現在の福音主義は、宗教改革者の元々の教理からもかけ離れている.

*13:訳注:ペンテコステ信者とユーカリスト