巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「ペンテコステ運動」とカトリック世界観【元アッセブリーズ・オブ・ゴッド教団ブレント・スタッブス師の証し】

目次

 

「古代教会理解への《橋渡し》となったわがペンテコステ信仰に感謝!」ーー元アッセブリーズ・オブ・ゴッド教団ブレント・スタッブス師の証し

 

Brent Stubbs, The Eucharist Will Satisfy the Longing Heart, 2012(抄訳)

 

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ブレント・スタッブス師。妻ダニエレさんとの間に5人の子供がいる。フロリダ在住。

 

はじめに

 

「ペンテコステ派の環境で育ってきた背景が、いかにして私のカトリック理解を助けたのか?」ということですが、ペンテコステ派信者は、カトリック的信仰理解を支持する数多くの宗教的前提を持っています。

 

例を挙げますと、①使徒行伝での聖霊の働きは使徒時代に終焉したのではないという信仰。②救いに関し、聖なる生活が肝要であるという点への是認。③物質的なものが(サクラメントを通し)霊的力を伝達し得るということに関する理解などです。

 

生い立ち

 

私はフロリダ中央にあるペンテコステ派の家庭に生まれました。しかしその他大半のプロテスタント家庭と同様、私の家族も霊的旅路の中でさまざまな無教派的諸教会に導かれました。しかしその中にあっても、自分のペンテコステ派ルーツはやはり、その後のカトリシズム理解の最大の助けになったと思います。

 

私はアンチ・カトリシズムでもなく、また神に対する非常に‟卑小な”見方(いわゆる終焉説)をも持たない霊的環境で育ちました。

 

ミニストリーへの召し

 

14歳の頃、私はミニストリーへの召命を感じました。当時、私の家族は南部バプテスト教会に通い始めており、そこの教会のユース・パスターが、私の召命を確かなものにするに当たって大きな力になってくださいました。

 

御言葉を深く掘り下げていく中で、「もう一度自分のペンテコステ派ルーツを回復させたい」という願いが生じてきました。こうして私はバイブル・スタディーの会を始め、それが一種の‟教会の集い”のような規模に成長していきました。

 

その事を聞いた地元のペンテコステ教会がそこの教会堂内で集会を開いてもいいと招待してくださり、こうして私は、国際ペンテコステ・ホーリネス教会の説教者としての認可をいただきました。

 

オーラル・ロバーツ大学へ進学

 

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オクラホマ州トゥルサにあるオーラル・ロバーツ大学(出典

 

高校卒業後、私はオーラル・ロバーツ大学を進路先に選びました。この大学はカリスマ派マルチ教派的な奉仕者養成学校です。ある日、カリスマ派のテレビ番組を寮の部屋で観ていた時に、神が私の心の中で、「神学的歴史の学び。」と語ってくださいました。

 

これはオーラル・ロバーツ大学で提供されている専攻であることに気づいた私は、祈った後、大学事務局に急いで行き、専攻登録をしました。その時は知る由もなかったのですが、この専攻が私を初代および中世教会の学びに導き、そこからカトリック教会に対する私の理解の介助が与えられるようになったのです。

 

信仰の動揺

 

毎年、オーラル・ロバーツ大学で年季ミニストリー・プログラムが開催されていました。2001年、大学2年の時、二人のゲスト・スピーカーが数日に渡って夜間集会でメッセージをしました。二人共、非常に有名な指導者であり、私が尊敬してやまない信仰の模範的存在でした。

 

二日目の夜の終りに起こったことを私は決して忘れることができません。二人のゲストは、それぞれ「神は~~と私に仰せられた。」と言っていましたが、にもかかわらず、二人のメッセージは互いに矛盾し、てんで食い違っていました。こういった状況は、ある人々にとっては格別驚くに値することではないのかもしれませんが、当時ペンテコステ・ホーリネス教会の青年説教者であった弱冠19歳の若者にとり、これはかなりの衝撃でした。

 

そしてその時、知ったのです。自分の教派伝統内には、真理を護衛するに当たり、私が真に信頼を置くことのできる人は実際のところ誰もいないのだという現実をーー。

 

その夜、私は動揺する心を必死で押さえ、涙を流しながら、キャンパスを歩き回り、主に祈りました。「主よ。あなたが導かれる所がどこであれ、私はあなたに従ってまいります」と。

  

「大いなる背教」という歴史観

 

ジャン・カルヴァンおよび三位一体神学の碩学者の指導の下、私は大学で初期教会史、特にニカイア公会議以前の教会を中心に学んでいきました。そして卒論では「ローマのクレメンスおよびカルタゴのテルトゥリアヌスの神学における恩寵ーー相関的命題と分析」を取り扱いました。

 

またこの時期、私は改革派神学から多大な影響を受けていました。「もしも宗教改革が起こった時点で中世教会が腐敗しており、完全に‟打ち捨てる”に値するほどの腐敗の仕方をしていたのだとすると、そういった腐敗の病原菌は、キリスト教初期の段階ですでに芽を出し、16世紀の時点ではその細菌が、腐敗の‟大木”になっていたに違いない。そしてその大木をルターやその他の宗教改革者たちは非難したのだ。」ーー少なくともこれが当時自分の持っていた歴史観でした*1

 

結局のところ、教会史はじまって1500年余後に、キリスト教会が初めから再スタートしなければならなかったのだとしたら、それ以前に生み出されてきたものは初期の時点からなにか歪んだものであったーー、そう考えるのが自然ではないでしょうか。

 

現在、当時の自分のそういった歴史観を振り返り、「何をもって私は、聖書解釈において初代教会よりも、自分たちの方がより正確な理解をし、使徒たちの意図を把握できていると考えていたのだろう?」と不思議でなりません。

 

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の教師になる。そして娘の誕生。

 

大学を卒業後、私はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の聖書教師になりました。2006年2月5日に、長女が誕生し、私は歓喜と共に主への畏れに満たされました。その時点で私は自分の受け継いできた教派伝統の中でキリスト者生活を実践していくことにそれなりに満足していました。

 

もちろん、自分の信仰に深刻な内部緊張があるのを自覚してはいましたが、是が非でもそれを解明しようという内的衝動は起されていませんでした。しかし自分のその信仰を、生まれてきたこの無垢な命に継承していくとなると話は全く違ってきます。

 

いたいけな自分の娘を腕に抱きながら、「ああ僕にはもう時間がない」ーーその現実に心刺されました。「自分の中でいまだ未解決の教理的諸問題の究明に取りかかり、真の信仰を見い出さねばならない。そして生まれてくる自分の子供たちが、押し迫る相対主義、世俗主義、そして諸悪から守られる安全な〈場〉を見つけ出し、それをわが子に提供してやらねばならない。」

 

聖母マリアについて

 

カトリック教会への霊的道のりにおいて、「聖母マリア」というのは多くの人にとって、最大にして最後のハードルである場合が多いと思います。しかし自分の場合は逆で、まずマリアの事が真っ先にクリアーされました。

 

実際、カトリシズムのことを考慮するはるか以前に、私はルカの福音書1:48「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」というマグニフィカートを読み、祈りの内に、思ったのです。「自分の教派伝統のどこで僕たちは彼女のことを『幸いな者』と呼んでいるのだろう?」

 

マリアはこの箇所で未来のことを預言しているように自分には思われました。そして不可解なことにその「未来」の中に私は居ませんでした。「どうしてなのだろう?この御言葉の通り、あらゆる時代に渡って、マリアへの崇敬を保持している教会を僕はどこに見い出すことができるのだろう?」少なくとも、マリアに対する自分の軽視は正しい態度でないように思えてなりませんでした。

 

「どうして自分は愛してやまない主の母親に対し、ここまで無情でいることができるのだろう。」そこから私は自分の神学について考察し始めました。

 

「聖書の中で明確に教示されている神学的諸真理のみを私たちは知ることができるというソラ・スクリプトゥーラ(「聖書のみ」)の信奉がもしや、マリアへの愛という美を受容する障害物になっているのだろうか?」「テキストへの自分の執着が、もしかしたら、キリストのパーソン、そして主の母を自分から遠ざける一因になっているのだろうか?」

 

私は、カトリック教会で規定されている4つのマリア教義を読み、考えました。「これらの教義はどういった形で御言葉に反しているのだろう?そしていかなる根拠を持って私はこれらを否定することが可能なのだろう?」

 

そうして検証していくと、実は、マリアの教義はイエス・キリストに関する正統理解から有機的に流れてきていることに気づかされました*2。マリアの教義は、キリスト論ーー特に受肉の教理ーーを堅固に守っているのです。もしもキリストが完全に人間でなかったとしたら、私たちに救いの希望は全くないということになります。なぜなら、神の神的いのちに接近する術がないからです。

 

実に、マリアによって提供されたキリストの人性を通し、私たちは主の神性を共有することが可能とされ、さらには三位一体の神のいのちに与ることが可能とされるのです。マリアの教義は聖書の中で明確に教示されてはいないかもしれませんが、それらが聖書によって拒絶されていないことは確かです。

 

さらに、もしも教会が「真理の柱であり土台」(1テモテ3:15)であるのなら、それらを真と信じることは理に適ったことでもあります。それゆえに私は信じました。

 

一旦、教団のポストを離れ、探求を開始。

 

長女が誕生して数カ月後、私はアッセンブリー教団の教職を一旦降り、一般の仕事に就くことにしました。そして働きながら夜間、MBAで経営学の学びをしました。一旦、教団のポストを離れたことにより、この時期、私も妻もそれぞれの霊的探求を進めることができました。

 

またこの時期、私は教職者としての自分の召命のことでも葛藤を覚えていました。自分がミニストリーに召されていることを確信してはいたのですが、具体的に「どこで」奉仕をすべきなのかという点で私は迷いの中にありました。

 

同じ時期に、あるカトリックの友人が、スコット・ハーン著『ローマ・スウィート・ホーム』という本をプレゼントしてくれました。私はわずか一日の内にこの本を読了し、カトリック教会が自分のホームなのだろうかと考え始めました。

 

 

そこで私は、スコット・ハーンが提示している「聖書のみ」および教会論における重要な問題提起について妻に話してみたのですが、「私たちは何にでもなれる。でもね、カトリックだけは絶対ダメ。勘弁してちょうだい。」と言われました。(公平を期すために言いますと、彼女の懸念は、神学的なものというよりは、家族/親戚がらみのものでした。しかし、彼女の中では、考えられ得る全ての選択肢の中にあっても、カトリック教徒になるというのは、『最も奇怪なこと』でした。)

 

しかし、スコット・ハーンの議論を鵜呑みにするのではなく、やはり自分で一つ一つ検証していく必要がありました。私は本棚からカルヴァンの『キリスト教綱要』を引っ張り出し、またカトリック教会発行の『カテキズム』およびルターの『カテキズム』を購入しました。さらに著名なプロテスタント、カトリック、東方正教会の神学者たちの関連著書を山ほど購入し、あるいは人から借りました。

 

そして続く数か月の間、私は起きている時間のほとんどを集中的読解と祈りに費やしました。私のペンテコステ信仰は、自分が ‟たまご” を求める時、神は ‟さそり” を与えるような御方ではないという事を教示し(ルカ11:12)、それゆえに、御自身の教会を求めている私に主は決して『大淫婦の教会*3』を与えるようなことはなさらないと理解しました。

 

それからジョン・ヘンリー・ニューマンの著書『キリスト教教義の発達について*4.』も、初代教会と今日のカトリック教会に関する自分の理解を助けてくれました。

 

またこの探求をさらに深めようと、私は資産のいくらかを売却し、そのお金で、ダラス大学の大学院哲学科に入学しました。そしてこの期間に、自分の抱えてきたさまざまな疑問に対する回答が与えられました。

 

こうして2008年11月23日、私と妻はついに、カトリック教会とのフル・コミュニオンに受け入れられました。そして子ども達は数カ月後に洗礼を受けました。

 

使徒的教会理解への「橋渡し」としてのペンテコステ信仰

 

振り返ってみますと、自分のペンテコステ信仰がどれだけ、使徒的教会理解を助け、そこへの橋渡し的役目を果たしていたのかに気づかされます。後になって知ったのですが、実際、カトリック教会は、世界最大規模のカリスマ派集会を擁しているそうです。

 

そして何より、いかにしても満たされ得なかった〈なにか〉に対する霊的切望心が与えられたのはひとえに、自分を育んでくれたペンテコステ信仰ゆえであり、その事を特に私は感謝しています。

 

①聖霊の働きに対する理解

 

冒頭で申し上げました通り、ペンテコステ的刷新は、3つの前提に結び付いています。またペンテコステ派教会は、それらが彼らのカリスマ(charism)ゆえに、使徒的教会とつながっていると信じています。後で分かったことは、「初代教会時代に起こったことが〈今〉も継続して起こりつつある」という私たちのペンテコステ信仰は、実際、カトリック的ものの考え方であるということでした。

 

②聖潔の必要性に対する鋭敏なる意識

 

二番目に、ペンテコステ運動は一般に、聖潔の必要性に関する鋭敏なる意識をもたらします。悲しいことに、個人的聖潔に対する強調はここ20年の間に、ペンテコステ陣営内で下火になっており、真理の土台としての教会(Church)なしには、今後、この運動は、抑制のきかない自由放蕩主義へと加速的に下り坂を降り続けるのではないかと予測されます。

 

また私たちの間には、恵みのパイプとして神は「物質」を用いられるという認識がすでに備わっています。例えば、ペンテコステ信者たちは「油注ぎのオイル」や「油注ぎの祈りの布」などを使用しています。実際、こういった背景があったために、神が物質的なものを贖い、按手や、油、聖遺物*5などを通しそこから恵みが流れ得るということに対する理解がすでに自分の中に備えられていたのです。(この点についてさらに学びたい方は、聖霊派出身のポール・ティグペン博士の以下の講義をお聴きください。*6.)

 

④神の臨在に対する真実なる求め

 

そして四番目に挙げられるのは、この運動がもたらしている「神の臨在に対する真実なる求め」です。ペンテコステ界にいる私たちの別たれた兄弟姉妹たちは、神を愛し、主の臨在を愛し、そして「主と共にいること」を何より求めています。

 

しかしながら真正なるサクラメントなしの状態*7にあって私たちは、主と近くにあることを ‟感じる” ために神の臨在を ‟呼び起こさなければならない” 必要性に駆られます。こうして私の経験では、「それを受けた人」と「それを受けていない人」の二分化現象が生じてきます。そしてこれは私の悲しみの種でした。

 

神は憐みと恵みの御方です。そうであるならば、一部の霊的巨人だけが ‟聖霊を感じ”、そう感じることのできない人々は外側にいて傍観者的にただ中を観戦するか、もしくは、「自分も周りのみんなと同じようにならなくてはいけない」というプレッシャーから、隣の人の真似をして両手を掲げたり、急に‟沈黙”したり、大声で叫んだり、、といった様々な ‟フリ” をしなければならないーーこういう状態は、公正である神のみこころに沿っていないと思います。

 

ペンテコステ信者とユーカリスト

 

神と深く出会いたいという私たちペンテコステ信者の切実なる願望は、ユーカリストの中で成就します。聖なるコミュニオンにおいて初めて主を拝領した時、私は二つのことを知りました。一つ目は、それ以前には自分は単なるパンとジュースしか味わっていなかったのだという気づき。そして二番目は、この地上においてこれほどまでにイエスと近くなれる恩寵の手段はないということです。*8

 

沈黙の祈りの中で私は跪き、聖体を拝領しました。私は号泣しました。なぜならその瞬間、長年の霊の渇きが自分の中でついに満たされたことを知ったからです。ずっと義に飢え渇いていました。そしてそれが満たされたのです!

 

見ると、若者も年寄りも、神学者も無学な人も、皆一つになって主を拝領していました。本当に美しい光景でした。これこそが真に恵みの場所であり、神の憐れみの上に建てられた宗教です。

 

ユーカリストの中に現存されるキリストは、魂のために私たちが必要としている癒しを提供します。なぜなら、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っている」(ヨハネ6:54)からです。「天から下ってきたパン」だけが、切望してやまないあなたの心を真に満たすことができます。

 

弟子たちのようにあなたの心は主に向かい、うちに燃えています(ルカ24:32)。しかしキリストが福音を語った際にも彼らの目は未だ完全には開かれていませんでした。実に主が「パンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された」時はじめて、「彼らの目が開かれ、イエスだと分かった」のです(ルカ24:30-31)。こうして弟子たちがイエスを認識した後、主は「彼らには見えなくなりました」(ルカ24:31)。

 

現在もまた、主は私たちの眼に見えません。しかし、主の使徒たちは、彼らの継承者たちを通し、私たちの前に現存しており、司教がいるところにはまたユーカリストも存在します。(アンティオケのイグナティオス、「スミルナ人への手紙」第8章参。)そしてユーカリストが存在するところにおいて、燃える心の満たし、あらゆる渇きの癒し、最大の望みである対象が存在します。

 

おわりに

 

自分の人生を豊かにすべくこれまで労してくださった多くの人々ーー特に私の家族ーーそして、イエス・キリストおよび御自身の教会との関係、、これらすべてに感謝します。自分が受け取ってきた豊かにして神秘に満ちた信仰を通し、主はついに私を家に導き入れてくださったのです。

 

ー終わりー

 

 

「ペンテコステ運動」とカトリック世界観

 

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フロリダ州ペンサコーラにあるペンテコステ教会で祈る信徒たち(出典

 

数か月前に私は以下の記事を書きました。

 

 

↑ は、ペンテコステ教会の元牧師であり、現在、東方正教会の神父をしておられるパウエル師の「ペンテコステ運動」分析です。

 

自分にとって興味深かったのが、パウエル神父が(この運動の抱える致命的欠陥を指摘しながらも)ペンテコステ運動自体はプロテスタント宗教改革の歪みに対する一種の「治療薬」としての機能を果たしていると思う、と指摘していたことでした。

 

本記事では今度は、カトリック教会の視点からみた「ペンテコステ運動」についてみなさんとご一緒に考えていけたらと思います。

 

 

ポール・ティグペン師は、長老派の家庭に生まれ、12歳の時に無神論者になります。しかし高校生の時に、リアルな悪魔体験をし、それをきっかけに再び神信仰に戻り、成人後ペンテコステ教会の牧師になります。

 

その後、さまざまな道程を経た後、彼はある時点でカトリックに改宗し、現在、ジョージア州にあるセイント・レオ大学で宗教学を教えつつ、カトリック教会の神学者として働きをしておられます。(参照

 

 

ポール・ティグペン(Paul Thigpen)。イェール大宗教学(1977)学士、修士(1993)。エモリー大歴史神学(Ph.D.)

 

この講義を聞いて分かったのが、東方正教会のパウエル師と同じように、カトリック教会のティグペン師も、聖霊の働きに対する理解や神のパワフルな臨在、神との親しき交わりといった点で、ペンテコステ運動は「古代教会の霊性に、より接近している」と考えているという事でした。

 

例えば、師は、礼拝の中における身体性(→physicality;跪いたり、立ったりしながら体を使って神を礼拝する)、単なるシンボルではない「按手」や「塗油」理解(→「物質 matter」に対するカトリックの理解に接近)、権威と人に関する理解(→カリスマ・ペンテコステ派内には「ミニ教皇制」を髣髴させる教権理解および構造が多数みられる。)と分析しています。

 

また、ティグペン師は、16世紀当時カトリック教会内に存在していた度を過ぎた神秘主義に直面し、ルターおよびカルヴァン等の宗教改革者たちは、そういったカトリックの要素に対し、反動を起こした(<起こしすぎた)のではないかと指摘していました。

 

ですからこの議論でいくなら、20世紀初頭に起きたペンテコステ運動は、宗教改革での(正しくも行き過ぎた)「反動」に対する「再調整」の役割を果たした、ということになるかと思います。(ただし、ティグペン師は、パウエル神父と同じく、ペンテコステ運動内に存在する神学的、霊的、実践的諸問題にも触れ、「各種異端の蔓延という点で、この運動は、キリスト教史上、他に類をみない」と厳しい評価をしておられます。)

 

ーーーーー

ここから私は再び、カリスマ・ペンテコステ派内で実践され、いろいろと問題になっている「霊の戦い」に関するボブ・デウェイ牧師の批評記事に立ち戻り、新たにこの現象を再考してみることにしました。

 

 

元解放のミニストリー教役者であったデウェイ牧師は、「霊の戦い」というカリスマ・ペンテコステ派の教え及び実践が、誤った世界観の上に構築されていると指摘し、これを 「霊の戦い」世界観(“Warfare” worldview)と呼び、それに対立するもう一つの世界観を「摂理的」世界観(“providential” worldview)と呼んでいます。

 

そしてプロテスタンティズムの枠組みの中ではおおざっぱに言って、前者は(more or less ハイパー)アルミニウス主義、後者はカルヴァン主義的世界観にカテゴライズされるのではないかと思います。

 

しかし再考していく中で、私の中に次のような問いが生じてきました。「私たちクリスチャンが選ぶことのできる世界観というのはこの二つだけなのか?」と。

 

まだ分からないことだらけですが、(そして間違っているかもしれませんが)、もしかしたら、この問題に関するカトリック教会および東方正教会の世界観は、「"Warfare" か"Providential"か?」という二者択一ではなく、なんらかの形で両者を統合した世界観なのではないかと推測し考え始めています。そしてそれがゆえに、カトリック教会や正教会内には、カルヴァン主義 VS アルミニウス主義、もしくは聖霊理解における福音派 VS 聖霊派というような分極化がそもそも存在しないのではないかと。

 

できることなら、今後、カトリックか正教会かどなたか有識者の方に、上記のデウェイ師の記事を読んでいただき、伝統教会の持つ世界観についてご意見をうかがうことができたらと思っています。

*1:訳注:「大いなる背教」という歴史観に関する関連資料

*2:訳注:

*3:カトリック教会は黙示録17章の「バビロンの大淫婦」であるとの、一部の原理主義者たちの見解についてのカトリック側の応答(byジミー・アキン師)

*4:

*5:訳注:

*6:Dr. Paul Thigpen – The Road from Topeka to Rome (DIH 2008) 

*7:訳注:

*8:訳注: