巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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「ペンテコステ運動」とカトリック世界観【旧教の視点から新教内の聖霊運動をみる】

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フロリダ州ペンサコーラにあるペンテコステ教会で祈る信徒たち(出典

 

数か月前に私は以下の記事を書きました。

 

 

↑ は、ペンテコステ教会の元牧師であり、現在、東方正教会の神父をしておられるパウエル師の「ペンテコステ運動」分析です。

 

自分にとって興味深かったのが、パウエル神父が(この運動の抱える致命的欠陥を指摘しながらも)ペンテコステ運動自体はプロテスタント宗教改革の歪みに対する一種の「治療薬」としての機能を果たしていると思う、と指摘していたことでした。

 

本記事では今度は、カトリック教会の視点からみた「ペンテコステ運動」についてみなさんとご一緒に考えていけたらと思います。

 

 

ポール・ティグペン師は、長老派の家庭に生まれ、12歳の時に無神論者になります。しかし高校生の時に、リアルな悪魔体験をし、それをきっかけに再び神信仰に戻り、成人後ペンテコステ教会の牧師になります。

 

その後、さまざまな道程を経た後、彼はある時点でカトリックに改宗し、現在、ジョージア州にあるセイント・レオ大学で宗教学を教えつつ、カトリック教会の神学者として働きをしておられます。(参照

 

 

ポール・ティグペン(Paul Thigpen)。イェール大宗教学(1977)学士、修士(1993)。エモリー大歴史神学(Ph.D.)

 

この講義を聞いて分かったのが、東方正教会のパウエル師と同じように、カトリック教会のティグペン師も、聖霊の働きに対する理解や神のパワフルな臨在、神との親しき交わりといった点で、ペンテコステ運動は「古代教会の霊性に、より接近している」と考えているという事でした。

 

例えば、師は、礼拝の中における身体性(→physicality;跪いたり、立ったりしながら体を使って神を礼拝する)、単なるシンボルではない「按手」や「塗油」理解(→「物質 matter」に対するカトリックの理解に接近)、権威と人に関する理解(→カリスマ・ペンテコステ派内には「ミニ教皇制」を髣髴させる教権理解および構造が多数みられる。)と分析しています。

 

また、ティグペン師は、16世紀当時カトリック教会内に存在していた度を過ぎた神秘主義に直面し、ルターおよびカルヴァン等の宗教改革者たちは、そういったカトリックの要素に対し、反動を起こした(<起こしすぎた)のではないかと指摘していました。

 

ですからこの議論でいくなら、20世紀初頭に起きたペンテコステ運動は、宗教改革での(正しくも行き過ぎた)「反動」に対する「再調整」の役割を果たした、ということになるかと思います。(ただし、ティグペン師は、パウエル神父と同じく、ペンテコステ運動内に存在する神学的、霊的、実践的諸問題にも触れ、「各種異端の蔓延という点で、この運動は、キリスト教史上、他に類をみない」と厳しい評価をしておられます。)

 

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ここから私は再び、カリスマ・ペンテコステ派内で実践され、いろいろと問題になっている「霊の戦い」に関するボブ・デウェイ牧師の批評記事に立ち戻り、新たにこの現象を再考してみることにしました。

 

 

元解放のミニストリー教役者であったデウェイ牧師は、「霊の戦い」というカリスマ・ペンテコステ派の教え及び実践が、誤った世界観の上に構築されていると指摘し、これを 「霊の戦い」世界観(“Warfare” worldview)と呼び、それに対立するもう一つの世界観を「摂理的」世界観(“providential” worldview)と呼んでいます。

 

そしてプロテスタンティズムの枠組みの中ではおおざっぱに言って、前者は(more or less ハイパー)アルミニウス主義、後者はカルヴァン主義的世界観にカテゴライズされるのではないかと思います。

 

しかし再考していく中で、私の中に次のような問いが生じてきました。「私たちクリスチャンが選ぶことのできる世界観というのはこの二つだけなのか?」と。

 

まだ分からないことだらけですが、(そして間違っているかもしれませんが)、もしかしたら、この問題に関するカトリック教会および東方正教会の世界観は、「"Warfare" か"Providential"か?」という二者択一ではなく、なんらかの形で両者を統合した世界観なのではないかと推測し考え始めています。そしてそれがゆえに、カトリック教会や正教会内には、カルヴァン主義 VS アルミニウス主義、もしくは聖霊理解における福音派 VS 聖霊派というような分極化がそもそも存在しないのではないかと。

 

できることなら、今後、カトリックか正教会かどなたか有識者の方に、上記のデウェイ師の記事を読んでいただき、伝統教会の持つ世界観についてご意見をうかがうことができたらと思っています。