巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

教会的理神論(ecclesial deism)ーープロテスタンティズムの努力とジレンマ(by ブライアン・クロス、マウント・マースィー大学)

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人々は常に聖書の真理に立ち返ろうと真剣だった。おお神よ、私たちを憐れみ給え!ーー19世紀のストーン・キャンベル運動(出典

 

目次

 


ブライアン・クロス(Bryan Cross)。マウント・マースィー大学宗教哲学部哲学科助教授。ミシガン大学(B.S.)、カベナント神学校(M.Div.)、セイント・ルイス大学(Ph.D.)

 

はじめに

 

本記事は以下の記事の続編です。

 

教会の可視性と不可視性に関するプロテスタントの見方

 

もちろん、教会的理神論者(ecclesial deists)は普通、自分たちの立場を、理神論の一種としては捉えておらず、そのように見てもいません。かつてプロテスタントであった自分の経験から言いますと、教会的理神論者が自分自身の教会的理神論に無自覚である重要な要因の一つは、教会の本質に関する、彼らの潜在的グノーシス主義(反サクラメンタル主義)にあります。

 

こういった思想によると、教会というのは、可視的ヒエラルキーをもつ、一つの統一されたからだではなく、それ自体において純粋に霊的な性質をもつなにかです。そしてそれは、肉体を帯びたキリスト者が信仰のみを通し、現在教会に加わっていることを人が見ることができる、という意味に限ってそれは可視的なものです。13

 

『教会というのがそれ自体において霊的で不可視的でものである』と捉えることにより、キリストは常にご自身の〔不可視的〕教会を忠実に守ってこられたと信じることができるようになります。ーーその間、カトリック教会の指導者たち全体が異端や背教、福音の歪曲に陥ってしまっていたとしても、です。14

 

教会に対するこういった観念により、可視的教会のヒエラルキーに何が起ろうとも、ハデスの門が教会に打ち勝つことが ‟概念的に” 不可能にされます。

 

この見解によると、歴史の中のある時点において、仮に〔具体的な〕信者が誰もいなかったとしても、それはハデスの門が教会に打ち勝ったということにはなりません。なぜなら、教会は根本的に霊的領域に存在する霊的実体だからです。

 

にもかかわらず、不可視的なものとしてのこういった教会観を抱いている大半の人々は、真の信仰を保持している‟残された者”としてのクリスチャンが少なくとも幾らか常に存在してきたということを信じており、この「真の信仰」は、例えば、1500年後のマルティン・ルターや、1800年後のジョセフ・スミスといった後代の人物によって再発見された、ということを信じています。

 

さらに、「それ自体不可視的ななにかである」との教会観により、カトリック教会から除名されたということはキリストがお建てになった教会からあなたが離脱している状態にあるということを意味していないだけでなく、逆に、あなたこそがキリストがお建てになった教会の継続であり、むしろカトリック教会の方こそキリストがお建てになった教会からの背教的分派であると考えることが可能になります。

 

それがゆえに、各種異端運動や分派は、①キリストがお建てになった教会は不可視的である、と主張するか、もしくは、②(仮に彼らが「教会は本質的に可視的にして統一されたヒエラルキーのみからだである」ということを認めているのなら)その場合には、自分たちが聖ペテロの司教的後継者よりも、より強大なる教会的権威を持っているということを主張しなければならないのです。

 

教会史における過去の諸変化をどのように捉えるか

 

教会的理神論は、教会史における最初の1500年間に生じた諸変化のことを、「発展」ではなく「腐敗・堕落」と捉える傾向があります。それゆえに、教会的理神論は、こういったあらゆる「付着物」を取り除き、「御言葉の純粋性」に立ち返ろうとするのです。

 

「聖書のみ」のアプローチとも相まって、この見解は、聖書に明確に言及されていない、もしくは必ずしもそこから得られていないキリスト教伝統は何であれ、それらを腐敗もしくは教会の異教主義化とみる傾向があります。

 

そしてこの点において、この見解は根本的に悲観主義であり、信仰内容に関する教会の理解が摂理的導きにより深まっていくことに関する可能性に対し懐疑的であり、後代になって何らかの回復運動が導入されるまでは信仰理解の深化はないと考える傾向があります。

 

聖書復帰/回復運動(Restoration Movement)

 

こういった教会的理神論の顕現を、私たちは、19世紀に北米で起こった聖書復帰運動(回復運動;Restoration Movement)にみることができます。この運動に含まれるのは、チャーチ・オブ・クライスト、ディサイプルス教会、エホバの証人、セブンスデー・アドベンティスト、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)等です。23 

 

トマス・キャンベル(1763-1854)ディサイプルズ教会の指導者

 

これらの復帰回復運動者たちはいずれも、「初期の背教それに続く長い霊的 ‟暗黒時代” 自グループにおいて回復された、真正にして原始的キリスト教信仰」という構図を堅く信じていました。こういった考え方こそが、教会的理神論の典型です。

 

カルヴァン主義陣営内ではどうか

 

しかしこの立場を採っているのは、復帰運動者(回復運動者)を自称する人々だけではありません。例えば、現代の長老派神学者であるロバート・レイモンドは次のように書いています。

 

「当時知られていた世界における多くの地域において教会は、かなり早い段階で、純粋な福音および使徒たちの教えから逸脱し、三位一体論や、キリストのご人格/御業に関する欠陥ある諸見解を信奉し始め、救いに関するペラギウス主義および司祭主義的(sacerdotalistic)考え方を唱道するようになっていきました。」24

 

カルヴァン主義神学者であるルイス・ベルコフは次のように述べています。

 

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Louis Berkhof (1873 –1957)

 

「グノーシス主義の特殊思想のいくつかを教会は吸収し、時の経過と共に、ローマ・カトリック教会内においてそれは、サクラメントに関する特殊な観念、仲介者たち(聖人、御使い、マリヤ)を介して近づかなければならないという、隠れた神という哲学、高次の階位、低次の階位という分割、禁欲主義への強調といった結実となって現れてきました。」25

 

スコットランドの長老派神学者トマス・トーレンスもまた、The Doctrine of Grace in the Apostolic Fathers(1948)という著述の中で、「新約聖書の信仰と、2-3世紀の信仰との間に存在する甚大なる相違」について説明しています。

 

チャールズ・ホッジの努力

 

プロテスタントの幾人かは、回復運動者たちの持つ土台前提から自らを切り離そうと努力しています26。こういったプロテスタントは、「教会が背教に陥った」という主張は回避しようとしているのですが、それと同時に、「福音は16世紀に宗教改革者たちによって回復された」という主張をしたいという願いを持っています。例えば、19世紀半ばにおけるプリンストン神学校学長であったチャールズ・ホッジは次のように書いています。

 

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Charles Hodge (1797–1878)

 

「宗教改革前の外的教会に対してさえ、われわれは、完全なる背教という見方をしていない。(アリウス異端を除き)、聖書の霊感、三位一体の教理、救い主の真の神性および人性、人類の堕落、キリストの血潮による贖罪、御霊による新生および聖化が、普遍的教会によって保持されてきたことは歴史的事実である。こういったものは、プロテスタンティズムから分け隔てられるところのローマ主義による諸教理ではない。そしてこういった点に宗教改革者たちが抗議したわけはなく、この点に関し彼らがローマのことを背教で反キリスト者呼ばわりしていたのではない。」27

 

ホッジの一番目の区分ーー「外なる教会」と「内なる教会」

 

ここでホッジが、二つの区分をしていることに留意してください。一つは、「外なる(outward)教会」と「内なる(inward)教会」の間の区分であり、後者の「内なる教会」は彼にとっては不可視的教会を意味しています。

 

この見解によると、「外なる教会」は少なくとも ‟部分的背教” を被る可能性があるのに対し、「内なる教会」はいかなる背教をも被り得ません。教会を「外なる教会」と「内なる教会」に分割する考え方は、教会的ネストリウス主義であり、これは、以下に挙げる理由により、教会的キリスト仮現説(Docetism)への崩壊下降を免れ得ません。

 

ネストリウス主義の誤りは、キリストの人性を、神的人格と結び合わされている全的被造存在(whole created being)とみなしたことにありました。キリストの人性(理性的性質)が全的被造存在であるという考えに付随してくるのは、そこに被造人格があるということです。

 

それゆえに、この誤謬から生じる存在論的結果は、二つの人格です。一つは被造のもの、もう一つは非被造のものであり、それらは外因的結合により一つにされています。人間存在は神的ではありませんが、神的なものに親密に結びついています。

 

それ故、ネストリウスはマリヤが神の母であると認めることを拒み、彼女のことをイエスの母と呼ぶことをより好みました。しかしAD325年のニカイア公会議および、AD381年のコンスタンティノープル公会議において、神は三位格(御父、御子、御霊)から成る三位一体の神であるということがすでに確立されていました。

 

ですから、もしもイエスが神に親密に結びついている人間ではあるけれども神ではないのなら、そこから導き出されるのは、ある種のキリスト仮現説(Docetism)ーー御子はただ単にイエスのように見えていただけーーとなります。だからこそ、エペソの公会議(AD431)はネストリウス主義を糾弾しなければなりませんでした。

 

同様の理由により、教会的ネストリウス主義は否応なく教会的キリスト仮現説に傾斜していきます。なぜでしょうか。考えてみてください。キリストが神秘的みからだのかしらであるとするなら、その神秘的みからだを、(外的にはつながれているとしても)カトリック教会とは区別されたなにかとして取り扱うことにより、教会は単なる人間的制度に還元されてしまいます。ーーちょうどネストリウス主義がイエスを単なる人間に還元したように。

 

キリストがお建てになった真の教会はーー教会的ネストリウス主義によるとーーカトリック教会と関連しているかもしれないけれども必ずしもそうではない、不可視的教会です。これが教会的キリスト仮現説です。28 

 

ホッジにとって、真の教会というのは、内的ないしは不可視的教会です。それ自体において ‟目に見えるChurch” というのは存在せず、教会に対するキリストの御約束はそれに適用されません。数多くの可視的諸教会は存在しますが、普遍的な可視的教会は存在しません。

 

ホッジの二番目の区分ーー「部分的背教」と「完全背教」

 

ホッジが為そうとしている二番目の区分は、部分的背教と ‟完全背教” の間の区切りです。完全背教というのは、信仰内容におけるすべての正統教理の喪失を意味し、それに対し、部分的背教というのは信仰内容の一部の喪失、それから(あるいは)信仰内容に対する誤った付加を意味しています。29

 

「全体背教」の定義でいきますと、カトリック教会となにか一点でも共有する教理があると認める回復運動者たちはホッジに同意するでしょう。

 

しかし回復運動者たちによって前提されている「背教ギャップ」に関していいますと、回復運動主義プロテスタントと、回復運動者たちとは距離を置きたがっているプロテスタントの間には、原則上の相違点はありません。そこに在る違いというのは、何パーセント位の信仰内容が失われ、生じた喪失の割合や比率がどれくらいなのかという度合に関することだけです。

 

もしもカトリック教会が背教していないのなら、プロテスタントは自らがカトリック教会から分離した状態であることを正当化することができなくなってしまいます。ですから、その分離状態を正当化するためには、プロテスタントはどうしても「カトリック教会は、歴史の初期であれ、後代であれ、とにかく背教した。」という信奉を持つ必要があります。

 

ホッジは、背教の度合いを遅延させたり減少させたりすることによって、自らの立場を回復運動者たちと違えようと努めています。しかし彼の立場は一つのジレンマに直面しています。

 

ジレンマの最初の角は次のものです。ーー教会は初期の段階で背教したと主張するのなら、彼の立場は回復運動者たちと変わらなくなってしまいます。

 

ジレンマの二番目の角は次のものです。ーー仮にホッジが、教会は1500年間、忠実に正統性を保持してきたと主張するのなら、(a) 彼は正しくそして教会が1500年の後についに背教に陥ったというよりは、(b) 教会は正当性を保持し続けており、彼が間違っている、という可能性の方が大きくなります。

 

ジレンマの二番目の角は、ホッジには開かれていません。なぜなら、仮に「教会はAD500年までに完全背教に陥っていた」と主張したところで彼の神学は依然として変わらないからです。なぜなら、彼の神学は大部分において、AD500-1500年の間の全地公会議の統治によって形成されてはいないからです。

 

ですから、結局、彼は一番目の角にひっかかっているということになります。つまり、彼の立場とその他の回復運動者たちの立場の間には原則上の相違はないということです。

 

教会に背教に関し、ホッジの立場と、回復運動者たちの立場の間には原則上の相違がないため、ホッジもまた、前記事で取り上げたアルバート・モーラー(南部バプテスト神学校学長)と同じ種類のジレンマに直面しています。

 

そのため、ホッジは彼自身の聖書解釈に依り、彼が正統だと考えるものをえり好みし、正統ではないと考えるものをやり過ごすことにより、アドホック(その場しのぎ)なやり方でしか伝統に訴えることができません。

 

そしてモーラーと同様、モルモン教徒やその他の自称回復運動者たちに対し論駁しようとする際、‟伝統的キリスト教オーソドクシー” に訴える彼の能力は完全に弱体化させられています。

 

ー終わりー