巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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第二正典は「聖書」のうちに入るの?(by デヴィン・ローズ)【プロテスタントのジレンマ】

トビト記(出典

 

目次

 

Devin Rose, The Protestant Dilemma, Part 2: The Bible and Tradition(抄訳)

 

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デヴィン・ローズ。ソフトウェア技師。キリスト教を棄教した両親の元で育ち、幼い時から科学主義およびリチャード・ドーキンズ型の新無神論的価値観を吸収しながら育つ。大学時代に、パニック障害やその他の精神疾患を患うようになり、自殺を考える日々が続く。ある日、本棚にあった欽定訳の聖書を目にし、創世記1章を開き読む。「私はあなたの存在を信じていません。ですが私は今どん底にいます。あなたが存在するのでしたら私を助けてください。」と生まれて初めて祈る。南部バプテスト教会の兄弟姉妹との出会いの中で、主イエス・キリストの愛と救いを知る。その後、いくつかの道程を経た後、カトリック教徒に。現在、昼は農夫&ソフトウェア技師、夜はキリスト教弁証家としての働きをしている。4児の父。(testimony

 

もしもプロテスタンティズムが正しいのだとしたら・・・

 

本来そこに属してはいないはずの7巻を、初代教会が聖書の中に入れることを神が許可したということになります。

 

前項でみてきましたように、マルティン・ルターは聖書のカノンに疑問を差し挟むことも厭いませんでした。新約聖書の正典変更に関するルターの提案は最終的にプロテスタント諸運動に受諾されはしませんでしたが、彼の旧約聖書の正典変更の提案は受諾され、宗教改革が終わる頃までに、プロテスタンティズムは、旧約聖書正典(canon)から7巻(第二正典;the deuterocanonicals)を取り除きました。

 

プロテスタントは第二正典を拒絶した

 

プロテスタントがこれらの諸書を拒絶したのには以下に挙げる二つの理由がありました。

 

第一の理由は、第二マカバイ記の中の問題ある箇所、そして第二の理由は ‟源泉に戻りたい” という彼らの願望ゆえです。ここで言う源泉回帰とは、ユダヤ人が最終的に決定したものと同じ諸書を用いることを意味しています。

 

第二マカバイ記には、死者のための祈りに対する称賛を込めた言及箇所があり、ーーこの教えは煉獄にいる魂のための祈りとしてカトリック教会において奨励されてきていました。ルターが当時、免罪符販売に反対していたことも思い出してください。ルターおよび改革者たちは煉獄を拒絶したゆえに、それに関連するその他のものも破棄しなければならなくなりました。ーー贖宥、死者のための祈り、(生きている人、キリストにあり眠りについている人々をも含めた)聖徒たちとの交わり等。

 

宗教改革者たちは、これら7巻がユダヤ人のヘブライ語聖書の中には含まれていないという点を指摘していました。幾人かのプロテスタント弁証家たちは、この主張を強化すべく、「AD90年頃、ヤムニアという都市で開催されたユダヤ人たちの会議において、これら7巻は明確に拒絶された」という説を取り上げています*1。また別の人々は、「教父たちの何人かは7巻の内の一つかそれ以上を拒絶していた」という事を指摘しています。そうした上で彼らはこの議論を強めるべく、同じく7巻を拒絶していたヨセフスとフィロンという1世紀のユダヤ人2人の証言を引証しています。

 

カトリシズムは真であるゆえに・・・

 

ユダヤ人たちではなく、キリストの教会こそが、旧約聖書カノンを識別するための権威および神的指針を持っていた。

 

ここで少し歴史的背景についての説明が必要になってくるでしょう。イエスの時代に用いられていたヘブライ語旧約聖書の初めてのギリシャ語翻訳聖書は、セプトゥアギンタ(七十人訳、LXX)と呼ばれていました。これは、BC3世紀からキリストの時代までの間に徐々に発展してきた一式の諸書です。

 

セプトゥアギンタは現存する最古の旧約聖書の古代訳であり、それゆえに、ヘブライ語テキスト(現存する最古のものでも6世紀以降)の中に入り込んできた誤りを修正するために用いられています。

 

セプトゥアギンタ訳は、ラビたちによって中近東で広範囲に用いられ、1世紀には使徒たちがこの訳から預言を書き物の中に引用し、それらがやがて新約聖書となりました。またこの訳はアレクサンドリアのユダヤ人たち、そしてギリシャ語圏に住むユダヤ人たちにより、権威ある訳だと認められていました。

 

キリストの時代までには、セプトゥアギンタ訳には、第二正典が含まれていました。また、イエスの時代、多数の、互いに相反するユダヤ教正典が存在していた事実が歴史的に証左されています。

 

未だに新しいエリヤ(バプテスマのヨハネ)および新しいモーセ(イエス)の到来を待ち望んでいたユダヤ人たちがいかにして自分たちのカノンを閉じることなどできたでしょうか。それゆえ、「クリスチャンは、ギリシャ語セプトゥアギンタよりもヘブライ語聖書の方に、自らの旧約聖書の基盤を置くべきだ」とする議論は信憑性が疑わしいといえます。*2

 

またある人々は、第二正典は、元々ヘブライ語で書かれたものではないのだから排除されるべきではないだろうかと言っています。それに関して言いますと、まず第二正典の7巻の内のいくつかは元々ヘブライ語で書かれており、後になって、ギリシャ語やその他の諸言語に訳されました。シラ書やバルク書の一部はその例に該当し、トビト記のアラム語版は死海文書の中から発見されました*3。19-20世紀にかけ発見された、シラ書のヘブライ語写本の類は総計すると作品全体の3分の2に相当し、その中の一つは、キリスト教時代以前の写本です*4

 

こういった一連の写本類はプロテスタント宗教改革時にはまだ発見されておらず、ルターが仮にこれらに接することができていれば、事態は違った風になっていたかもしれません。しかしそれに続く発見により、「第二正典の7巻は、元々ヘブライ語で書かれたものではないために排除されるべきだ」との反論は立場をなくしています。

 

1世紀末に(一応 ‟開催された” ということになっている)ユダヤ人のヤムニア会議を権威あるものとして受け入れることにより、さらに別の諸問題が表出してきます。まず第一に、現在、大部分の学者たちは、そのような会議がそもそも存在していたのかという点で非常に懐疑的です*5

 

それに仮にそれが存在していたにしても、それでは果たして、ユダヤ人指導者たちが、キリスト教会に拘束力を持つ決定事項を下すに当たっての権威を持っているということになるのでしょうか。

 

キリストを信じたユダヤ人たちはその時点ですでにクリスチャンになっていました。ですからそうでない残りの人々は、神的真理に関する決定を下すいかなる正当的権威をも持っていませんでした。なぜなら、そういった権威は使徒たちのように聖霊に満たされていた人々に継承されていたからです。ヨセフスとフィロンの意見に関しても同様のことが言えます。

 

最後に指摘しておかなければならないのは、歴史的証拠をベースに新教の正典を擁護しようとしているプロテスタントは(たとい「自分たちには十分な証拠がある」と確信していたとしても)、重大なる問題にぶつかります。

 

というのも、「それこそが、正典の中にどの書が属しているのかを知る方法である」という事は聖書のどこにも書かれていないからです。正典を選ぶ上でのそういった基準は実際、ソラ・スクリプトゥーラ(「聖書のみ」)に相反しています。なぜならそういった基準は聖書外の原則だからです。

 

ですから、聖書正典の選択に関する首尾一貫したプロテスタント議論は、それ自体、聖書から出て来なくてはなりません。(それは循環議論を生み出します。)不幸なことに(そして実に摂理的に)、神からのそういった指示は存在しません。

 

それから、第二正典のいくつかに疑問を持っていた幾人かの教父たちについてですが、たしかに数人の教父たちは、7巻の内の一つかそれ以上を拒絶したり、あるいはその他の聖書よりも低いレベルに位置づけたりしていました。しかしーーそういった疑問を持っていた教父たちを含めーー多くの教父は、第二正典の箇所を聖書として引用しており、その際、聖書の残りの書と区別するようなことはしていません。

 

より広範な事実でいいますと、旧約聖書正典に関する教父たちの証言は全員一致していたわけではありませんでした。偉大な聖書学者であるヒエロニムスでさえも、初期の段階ではヘブライ語正典の方を好んでいましたが、後に考えを変え、自分の意見を教会の知恵に従わせ、第二正典を聖書として認めました。*6

 

プロテスタントのジレンマ

 

もしもプロテスタンティズムが正しいのだとしたら・・・

 

1500年もの間、キリスト教会全体はーー神が霊感せず、完全に使い捨て可能にして、おそらくは誤りを含んだ7巻を含む旧約聖書を使い続けてきたということになります。

 

神は、初代教会がそれらの諸書を聖書として指定し、しかもそれらの書の内容から煉獄といった偽りの諸教理を引き出すことをお許しになりました。そしてついに、神の選んだ改革者であるマルティン・ルターがこういった悲劇的誤りを‟正す”ことに成功しました。ーー新約聖書に対する彼の似たような省略の試みは誤りであったのにもかかわらず、、です。

 

ー終わりー

 

*1:いわゆる「ヤムニア会議」なるユダヤ人の会議が本当に実在していたのか否か、そして仮に実在したとして、果たして彼らがユダヤ教正典に関する決定をしたのかについての学術的見解は、ここ数十年の間にシフトし、現在ではほとんどの学者たちがこの説を拒絶しています。彼らの一致した見解としては、ユダヤ人たちはAD2世紀末にかけ、ユダヤ教正典を完了させていたということです。

*2:Vander Heeren, A. (1912). Septuagint Version. In The Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton Company. Retrieved September 20, 2009 from New Advent: http://www.newadvent.org/cathen/13722a.htm

*3:http://www.thesacredpage.com/2006/03/loose-canons-development-of-old.html

*4:http://www.usccb.org/nab/bible/sirach/intro.htm

*5:訳者補足: L. M. McDonald & J. A. Sanders (eds.), The Canon Debate, Peabody (Mass.), Hendrickson Publishers, 2002, chapter 9: "Jamnia Revisited" by Jack P. Lewis, pp. 146–162.

*6:ヒエロニムスは「諸教会の判断」に従うことに決心しました。http://www.ccel.org/ccel/schaff/npnf203.vi.xii.ii.xxvii.html